記憶の中の人たちは
フローラル・サシュ。
それが私の記憶にあるヒロインの名前だ。
ピンクグレーのふわふわな髪にまんまるのこげ茶色の瞳。
人懐こくて、あまり物怖じしない性格で、子爵家の長女だ。
王都からは少し離れた内地で、農業が主産業ののどかな領地で育った女の子。
入学式で彼女を見た時、やっぱりという思いと信じたくないという思いとで胸がつきりと痛くなった。
そもそも、私は学園に入らないということも考えていたのだ。
どこか違う学園に入れないか?
この国が無理なら、他国に留学するのは?
家族と相談してみたけれど、その願いを叶えることはできなかった。
それは魔術師であるシェーズ様を寝込ませた事件で、私に魔素があることをみなが知っていたからだ。
我が国では魔素があれば、それについて学ばなければならない。
そして、それを教えてくれるのはこの学園しかなかった。
さらに、魔素については他国よりも我が国が一番優れている。
だから、この学園に入るしか道がなくて……。
気づけば、私の進む道は記憶通りに進んでいく。
……自分で考えたことなのに。
自分で決めたことなのに。
ふとした瞬間に出てきてしまう気持ちに必死で蓋をする。
顔に出ないように、気持ちに振り回されないように、ふぅと小さく息を吐いた。
そうして私がもやもやとしている間に、ヒロインとセド様の会話は終わったようだ。
ヒロインと離れ、セド様がゆっくりと階段を降りてくる。
セド様が私のそばにくるタイミングで、立ち上がって礼をした。
「おはようございます、セド様」
「おはようございます」
私が礼をすれば、セド様もいつも通り、礼を返してくれる。
セド様の目を見ることはできないが、口元が少しだけ微笑んだ気がして、嬉しくなってしまう。
セド様は王子なのに、私には敬語を使い続けているのがなんだか不思議だ。
セド様が私の右隣に来て、二人で席に着く。
左隣にいたリーラとペティもそれぞれセド様に挨拶をして、席に座った。
不自然に空いていた私の右隣の席。
いつも、セド様が座る席。
……セド様は私をすくい上げてくれる。
記憶通りに運ぶことに不安になる度に、そっと隣に寄り添ってくれる。
だから、好きっていう気持ちがもっと大きくなって……。
――セド様がいなくなったら、どうしよう。
ヒロインがセド様を選んだら……。
「また一緒にいますね」
授業と授業の合間の休憩時間。
なんてことない話をしていたペティがちらっと後ろを見て、ぽつりと呟いた。
私も後ろを振り返れば、そこにはセド様と何人かの男の友人たち。
楽しそうに笑うその一団はとても目立つ存在になっている。
見た目がいいことはもちろんだが、実力がある人たちが揃っているからだ。
けれど、ペティが言ったのは彼らのことではない。
男ばかりの一団に一人だけ女の子がいる。
……ヒロインがセド様の隣で笑っている。
「セド様は近寄りがたい雰囲気がありますが、心のお優しい方ですもの。きっとあの方が無理やり近づいているだけですわ」
ペティにリーラが諫めるように声を出す。
その言葉にペティはしまったと思ったらしく、私に向かって急いで謝罪した。
「申し訳ありません。迂闊な発言でした」
それに小さく首を振って、気にしていないことを伝える。
そして、悪役顔の微笑みを浮かべて、なるべく無難な言葉を探した。
「セド様はこの国の王子ですから。交友関係を広げるのもとても大事なことです」
……ちゃんと笑えているかな。
婚約者として、きちんと振舞えているかな。
セド様は休憩時間は友人たちと一緒にいることが多い。
私と一緒にいるだけでなく、そうして友人たちと一緒にいるのも大切なことだ。
だから、私の言葉は本当。
嘘をついたわけじゃない。
……けれど、胸がつきりと痛む。
セド様とヒロインが一緒に笑っているのを見るのがつらいから……。
やめてって伝えたい。
セド様に近付かないでって。
胸が痛む度にそんな思いがふつふつと沸き上がる。
油断すればあふれ出してしまいそうな思い。
けれど、それがあふれそうになると、いつも昔のことが頭をよぎった。
昔、ダンスばかりをしていたあの頃。
テラスにやってきた三人の令嬢。
婚約者をとらないでってみんな必死だった。
きっとこんな風に胸を痛めていたんだろう。
……あの時。
そんなの知らないって言って、自分の楽しみを優先しないで良かった。
私には関係ないことだからどうでもいいって相手の気持ちを無視しなくて良かった。
だって、不安になるよね。
好きだから、どうにかしたいって思っちゃうよね。
……私も思う。
ヒロインをどうにかして排除したい。
子爵家の令嬢なんて私が本気になればどうにでもできるんじゃないかって。
でも、できない。
したくない。
……自分が楽しんでいるだけなのに、それを批判される悲しさもわかるから。
だから、ヒロインを排除することはなるべく考えないようにしている。
嫌がらせをするのではなく、自分で動いてセド様のそばに行けばいい。
セド様とヒロインの笑顔を見て、うじうじするぐらいなら、行ってみればいいんだ。
ヒロインは女の子なのに一緒にいるのだから、私が行っても問題はないはず。
……けれど、私は友人と一緒にいるセド様には近づくことができない。
セド様がいつも一緒にいるのはだいたい同じ人だ。
そこには、攻略対象者が……将軍の息子とシェーズ様もいる。
それが私がセド様に近づけない理由。
私はセド様の婚約者になった後も、将軍の息子やシェーズ様とは微妙な距離感のままだったのだ。
私のせいで社交界に居場所がなくなってしまった将軍の息子。
名前はローワン・アドラム。
社交界から遠のいていた彼は、私が一時期ダンスをせず、色んな誘いを断ったので、社交界に復帰することができた。
断られた人が増えたため、幼少期の将軍の息子のこともあまり問題にされなくなったのだ。
本当によかったと思う。
けれど、復帰した後の将軍の息子は前とは違い、取り巻きを連れなくなった。
そもそも、よほどのことがない限り、パーティーに出席せず、時折見かけてもむっつりと押し黙り、壁のしみになる徹底ぶりだ。
……たぶん、私にされたことを怒っているのだろうと思う。
体はかなり大きくなっていて、セド様より頭一つは背が高く、私より頭二つ分は高い。
社交界から遠ざかっている間にかなり体を鍛えたようで、分厚い筋肉がついていた。
昔のような華やかさは隠れ、とても無骨な人になっている。
短い赤い髪は相変わらず鮮やかで、黄金色の目は昔よりきつくなった。
……私の記憶にある攻略対象者そのままの姿だ。
シェーズ様も昔に会った時のような銀色の髪ではなく、学園では黒い髪で、しかもフードをずっと被っている。
もちろん手には手袋をつけて、生身のところがほとんどない。
笑う時はフッて口の右端だけを上げて笑っているし、なんだか斜に構えている感じになってしまった。
恥ずかしがり屋の少年は消え、人をどこかバカにしたような人になっている。
……これも私の記憶にある攻略対象者の姿。
二人はきっと私とは関わりたくないだろう。
私もセド様と彼らが揃っていると、なんだか落ち着かない気分になる。
だから、セド様が友人といる時は近づかないようにしているのだ。
……でも、ヒロインはそんな事情はない。
堂々とセド様のそばに近づいて行く。
そうして、少しずつセド様との距離を縮めて行く。
「次の授業は魔素の授業ですね」
セド様たちから視線を外し、違う話題を振る。
そうすれば、リーラもペティもそれ以上ヒロインの話題はせず、私の話に乗ってくれた。
ペティは申し訳なさそうに眉尻を下げたままだったが、それでも明るく話をしてくれる。
リーラはいつものようににこにこと笑っていた。
そんな二人と一緒にいると、痛んだ胸が少しだけ楽になるような気がする。
記憶の通りなら私はヒロインを排除するために、あの手この手を使って、嫌がらせをしているはずだ。
けれど、それはしない。
私には記憶がある。
そして、これまでの経験が嫌がらせをするのはいやだ、と告げている。
何度も暗い思いにとらわれても、リーラとペティがいてくれれば、胸がとても軽くなるから。
――だから大丈夫。
私はヒロインに嫌がらせをしない。
――大丈夫。……大丈夫。






