月明かりの下の貴方は
黒い髪の男の子視点です。
初めてダンスをしたのが遠い昔のことのように感じる。
バルクリッドの宝石の噂を知り、自分で確かめたくなったのは、もう一年も前の事だ。
けれど、知りたくても近づく事はできなくて……。
ようやくダンスをした時。
『楽しい』と呟いてくれたのが嬉しかった。
きらきらと笑う彼女がまっすぐに私を見てくれたのが嬉しかった。
そして、あんなにきらきらと笑うのに、それが終われば完璧すぎる微笑みを浮かべる彼女の事をもっと知りたいと思ったのだ。
何かを背負っているように見えるその姿に、その秘密を知りたい、と。
けれど、彼女はただきれいに微笑むだけで……。
それから、彼女のことを、ずっとずっと見ていた。
……彼女の近づくことはできないままに。
もやもやだけが胸に募っていく。
そんな自分をどうしていいかわからなくなっていると、アーノルドが声をかけてきた。
『ライラック様を助けて欲しい』
アーノルドが私に助けを求めることなんてなかったのに……。
その言葉に胸のもやもやがぐるぐると渦巻くのを感じた。
なぜ私にそんな話をするのか。
たった一度。ダンスをしただけの私に。
「それはアーノルドがすべきではないか?」
私よりずっと近くにいる。
私よりずっと彼女の信頼を得ている。
……そして、それを嬉しいと感じているだろう、アーノルドが。
そんな私の問いにアーノルドは小さく首を振った。
「私では力になれません」
消極的な答え。
けれどその目は決意に満ちていて……。
そんな答えを出すと言うことは大体の状況は掴めているのだろう。
アーノルドでは力になれないと言うのであれば、それなりの人物であるはずだ。
「……相手は?」
「あくまで憶測です。……公爵のご子息かと」
公爵の子息。
頭が良く、人柄も穏やかという評判の彼だ。
確かに伯爵家の次男という立場では、難しい事もあるかもしれない。
「今はちょっとした嫌がらせ程度です。ライラック様なら自分の力で乗り越えるんだろうと思います」
「……そうだろうな」
アーノルドの言葉に彼女に思いをはせる。
彼女は一人でもしっかりと立てる女性だった。
公爵の子息のお遊び程度で潰れるような女性ではない。
それならば、私達二人がこうして話しているのも、彼女には必要のない事だろう。
けれど、アーノルドはそのヘーゼルの目で私を見続けた。
「ライラック様が一番好きな事はダンスです。……それができなくなるかもしれません」
……確かに、このところ、彼女が婚約者を探しているという噂が立っている。
彼女の行動は今までも気にかけられていたが、より一層、注目を集めてしまった。
彼女の一挙手一投足を周りの者は緊張しながら見つめているのだ。
そんな中でダンスをし続ければ、何か諍いが起きる事もあるだろう。
けれど、それも貴族同士の事。
バルクリッド侯爵の娘である彼女であれば、大抵の事であれば黙らせることもできるはずだ。
「彼女は摩擦が起きればどうすると思う?」
「……自分を律して、摩擦が起こらないようにすると思います」
心が優しい方ですから。
そう言って、アーノルドが小さく呟いた。
「これは私の勝手な思いです」
その目は優しさがあふれていて……。
「ライラック様には大好きな事をしていて欲しい。ダンスを我慢して欲しくありません」
まっすぐな声に彼女のきらきらしていた姿が思い起こされる。
「……ライラック様には笑っていてほしい、と」
そう言って、もう一度私を見たアーノルドは眩しそうに笑った。
そんなアーノルドに、胸に渦巻いていたものが熱いものに変わっていく。
ああ。そうだ。
――私も彼女に笑っていてほしい。
「……私が力を貸す」
そう思えば、自然と言葉が出た。
私が力を貸して、アーノルドがそばにいる。
そうすれば、彼女はずっと笑っていられるはずだ。
「いえ。私は今の自分で十分です」
そう言って、アーノルドは笑う。
――十分だ、なんて。
そんなわけはないはずなのに。
アーノルドはいつも彼女と一緒にいたのに。
ずっと一緒にいたのに。
……私もずっと彼女といたかった。
もっと話して、彼女を知りたかった。
けれど、それはできなくて……。
自分がアーノルドであればいい、と何度思っただろう。
声をかける度に、その黒い瞳が自分を映し、柔らかく細まる。
アーノルドだけに見せる、その柔らかい微笑みを何度羨ましいと思ったか……。
――なのに、十分だ、なんて。
そんな言葉で自分を抑え込むなんて。
胸が熱い。
友人としてなんとかしたいのに、アーノルドの顔を見れば、その決意がいやと言う程わかるから。
アーノルドにそれ以上言うことはできなくて……。
「……選ぶのは彼女だ」
「はい」
「私は避けられている」
そう。私と彼女の繋がりはたった一度ダンスをしただけ。
近づくこともできず、彼女を遠くから見ていただけに過ぎない。
けれど、アーノルドは何かを確信しているような目で私を見た。
「……ライラック様が一番楽しそうだったのは、あのダンスの時ですよ」
そう言って、アーノルドは清々しく笑う。
その笑顔を見ていると、胸が焼けていくように熱くなった。
アーノルドと話をしてから数日後。
予想通り、彼女はダンスをする事をやめてしまったようだ。
そして、そんな中で彼女と話をし、もう一度ダンスをする事ができた。
月明かりの下。
ほんわりと光るドレスが彼女が動く度に揺れる。
こんな風に自ら光を放つドレスなど見たこともない。
シャンデリアの下でも不思議な光をたたえていたが、こうして光の少ない場所に来れば、その光がより一層輝いているのがわかる。
彼女が着たドレスはこれまでも、社交界で流行として取り入れられてきた。
きっとこのドレスもたくさんの貴族の女性が我先にとバルクリッドから手に入れようとするのだろう。
けれど、輝いているのはドレスでも月でもなくて。
――貴方だ、と。
ダンスをして、無邪気に笑ってくれる彼女を前に胸が高鳴っていく。
ダンスなんて自分を縛る物の一つにしか過ぎなかったのに、彼女と踊ればそれが楽しい物に変わる。
ダンスができてよかった、と。
努力をしていてよかった、と、そう思える。
彼女がまっすぐに私を見て、きらきらと瞳を輝かせている。
その瞳に映る自分が嬉しくて……。
本当はもっと時間が欲しい。
けれど、私にも彼女にも時間がない。
――きっとこれが最後のチャンスだと思うから。
曲が変わり、ダンスが終わった所で彼女から少しだけ距離を取る。
そして、片膝をつき、きらきらと光る彼女の目をじっと見つめた。
「私と共に歩んでくれませんか」
これは傲慢な思いかもしれない。
けれど……。
アーノルドの……友人の思いも乗せて。
この胸の熱さの分も。
「私が貴方を守ります」
貴方がずっと輝けるよう。
貴方の笑顔が、ずっと続くように。






