バルクリッドの幼蝶は
水色の髪の男の子視点です
バルクリッドには幼い蝶がいるらしい。
それはバルクリッドの一人娘が社交界にデビューしてから、各所で言われるようになったこと。
みなそれを話半分で聞いていたが、実際に会った者たちはそれについて否定することはなかった。
きっと、バルクリッドの一人娘は蝶と呼ぶに相応しかったのだろう。
けれど。
私はただの蝶に興味はなかった。
実際に見た彼女は確かに蝶に相応しい気品と仕草、外見を持っていた。
しかし、彼女はただ踊るだけ。
自分の力を知らないのか……。
そんな者は私の視界には入らない。
だから、彼女はどうでもいい存在だった。
しかし、彼女が伯爵家の次男を助ける所をこの目に見て、それは大きく変わる。
遠くから眺めていた彼女はとても輝いて見えたのだ。
そもそも、アーノルドの頼みを聞いたのは暇つぶしだった。
周りから課された事は問題なくクリアできたし、将来は父の後を継ぎ宰相になる。
私の能力があれば決められた道を決められた通りに歩くのは簡単な事だ。
ただ、そんな日常は酷く退屈で……。
だから、将軍の息子を陥れる事に協力する事にした。
子供同士の事で、将軍の息子に致命傷にはならないだろうが、将軍の息子の醜態を見てみたい。
きっと、あの伯爵家の次男は、私が退屈している事を知っていて、声をかけてきたのだろう。
他の者ならばもっと穏便な方法を取る。
だが、私なら将軍の息子に手心は加えないから。
伯爵家の次男は温厚そうな顔をして、その実、攻撃的なのかもしれない。
それか、よっぽど将軍の息子の事を腹に据えかねていたのか……。
そうして、将軍の息子を陥れようとしていたのに、彼女が来て、すべてを変えてしまった。
あの時の彼女の姿を思い出すと、未だに背筋がゾクゾクとする。
伯爵家の次男がしようとしている事を先読みし、薄く微笑んだまま行動してみせた。
将軍の息子が伯爵家の次男を殴る前に介入し、事件を未然に防ぐ。
それだけでは将軍の息子やその取り巻きの嫌がらせを止める事はできないから、公衆の面前でダンスの誘いを断ることにより、将軍の息子を社交界から遠ざけた。
そして、伯爵家の次男の名を呼び、エスコートを彼女の方から願う。
そうすることで、バルクリッドの娘が伯爵家の次男を気にかけている事を対外的に示して見せたのだ。
これにより、伯爵家の次男に手を出せる者はほぼいなくなった。
……おもしろい。
私の策に介入して、更に都合のいいように結果を変えてしまった。
将軍の息子と伯爵家の次男のもつれを最小限の痛みで解決してしまったのだ。
私の策であれば将軍の息子はもっとダメージを追うはずだったのに。
テラスへと繋がる扉の前に立っていた彼女を思い出す。
私と目が合うとじっと私を見返してきて……。
ヒントを与えるように、殴られた現場を目撃する予定の者へと目配せすれば、彼女はすべてを悟ったようだった。
けれど、彼女はすぐには動かなかった。
黒い瞳はゆらゆらと揺れていて……。
でも、何かを決意するように、スッとその瞳は細くなった。
あの時の……。
強い光が宿った瞳が忘れられない。
……彼女は蝶ではない。
あれは蛾だ。
その羽に毒の鱗粉を持った蛾。
彼女はきちんと自分の力を知っている。
ただそれを使う事をしないだけなのだ。
それを知れば、まったく興味のなかった彼女の存在が気になって仕方がなかった。
そこから半年。
私は彼女をじっと見てきた。
バルクリッドに見つからぬよう、さりげなく。
そうして調べていけば、彼女がバルクリッドの力を使ったのはたったあの一回だけで……。
彼女はまたただの蝶に戻ってしまった。
いつも微笑み、ダンスをし、無難な会話をするだけ。
なぜ力を使わない?
彼女ならその力でもっとおもしろい事ができるのに。
胸にくすぶるこの気持ち。
自分でもよくわからないそれに戸惑いながらも彼女を見続けた。
だから気づけた。
……もしかして彼女は。
――誰かを傷つけるのが怖いのだろうか。
それに気づけば、すべての事に納得がいった。
あの一回。あそこで力を使ったのは伯爵家の次男が傷つけられていたから。
それを穏便に片付けつつ、更に将軍家の息子も守った様なものだ。
……この貴族社会で、なんて心の優しい令嬢だろうか。
今はまだひらひらと飛び回る彼女。
自分が蛾だと知っているくせに、精いっぱい蝶の擬態をしている。
……もし、私の予想が正しければ。
その羽をむしり取る事は簡単だ。
その事に気づいた日。
私は知らず知らずのうちに口元に笑みを浮かべていた。
……ああ。
おもしろい。
なんてことない世界がキラキラと輝く。
その羽をむしり取れば
彼女はどんな顔をするだろう。
そして、彼女の事を知った私は、さっそく行動に移すことにした。
彼女は常に噂話が絶えない。
それだけ、多くの者が彼女に注目しているのだろう。
将軍の息子が社交界から追放された噂が落ち着きを見せた頃、次の噂が上がった。
話によれば、庶民の魔術師を魔法で返り討ちにしたらしい。
その魔術師は庶民上がりで生意気だったからしいが……。
きっと、それも事実とは違う。
心の優しい彼女の事だ。
魔術師と何かあったにせよ、それは不慮の事故や不運の連続といったものなのだろう。
けれど、結果を知った周りの者は、彼女があえてそれをしたのだと思う。
彼女がどんなに蝶の擬態をしても、周りの者は彼女を蛾だと思っているからだ。
彼女を恐れ、崇めるものが、彼女を毒蛾へと仕立て上げていく。
だから私はそれを利用する。
彼女の毒に怯える者の不安を煽るのだ。
「最近、バルクリッドのご令嬢はたくさんの方のエスコートを受けておられますね。やはり婚約者選びを本格的に始めたのでしょうね」
ある日のパーティーで、少し大き目の声で世間話のように周りへと聞かせる。
いつものように柔らかく笑いながら話せば、周りの者はそうでしょうね、と頷き返した。
もちろん私はわかっている。
彼女は婚約者を選ぼうとしているわけではない。
彼女が伯爵家次男以外のエスコートを受けるようになったのは、伯爵家次男を守るためであろう。
だが、こうして断定的な噂を流せば、未だ婚約者のいないバルクリッドの娘への関心は高くなる。
本気でバルクリッドの娘が婚約者を選ぼうとしている、と。
そうすれば、おのずと事態が動き出すはずだ。
後は他のパーティーで、もう二度ぐらいこの話をすれば、それで私の役割は終わり。
どこの誰が動くだろうか……。
私の策にはまり、彼女の羽をむしり取ろうとするのは誰だろう。
彼女は……。
どんな対応をするのだろう。
いつも通りのつまらないパーティー。
けれど、このパーティーがそれのためにあるのだと思うと、キラキラと輝き始める。
楽しみだ。
私はただ彼女を見ているだけでいい。
次のパーティーでは彼女に会えるだろうか。
その次は? 次の次は?
……できる事なら。
私の見ている所でそれが起こって欲しい。






