心がぎゅっとなった時は
肩甲骨辺りまで伸びた黒い艶やかな髪。
血のような赤い目に女の子のようなかわいらしい顔。
いつも灰色のローブを羽織っており、そのフードを目深に被っている。
フードの下に見える口端は、右側だけが人をバカにしたように上がっていた。
辛辣、毒舌、嫌味な天才魔術師。
シェーズ・マートル。
それが私の記憶にある攻略対象者の姿だ。
でも、その記憶と目の前にいる男の子はあまり重ならなくて……。
本当は銀色の髪である事も知らなかったし、性格だって全然違う……いや。まあ、うん。ちょっとだけ片鱗はあるかも。
今、私の前にいるのは恥ずかしがり屋で、貴族嫌いの男の子。
最初は色々とあったけど、私がちゃんと話せば、きちんと謝って、私の話も聞いてくれた。
敬語じゃないからか、少し話しやすいな、と思っていたのに、まさか攻略対象者だったとは……。
びっくりしすぎて、黒い髪の男の子を見つめたまま、何度も瞬きをしてしまう。
そんな私がすごく面白かったらしくて、黒い髪の男の子――シェーズ様は嬉しそうに笑った。
「そ、んなに、すごかった?」
笑いながら話しているせいで、変な所で言葉が途切れてる。
「……ええ。びっくりしました」
本当に。
だって、魔法にびっくりしてるだけじゃないからね。
突然の攻略対象者へ変貌。
驚かない人なんていないと思う。
「そんなに驚いてもらえたら光栄だよ」
「……それは誰でもできるのですか?」
「いや、これは僕が新しく開発したんだ。もしかしたら、他にもできる人が増えるかもしれないけど。なかなか便利なんだよ? 魔素を集めているだけだから、こうして魔素を払えば、すぐに元の髪色に戻るしね」
そう言って、サッと黒い髪を一撫でするとまた元の銀色の髪に戻った。
……すごい。
目の前であっという間に銀色の髪の戻ったシェーズ様を見て、またパチパチと瞬いてしまう。
シェーズ様は相変わらず、楽しそうに笑っていて……。
赤い目が細まり、口元は笑いを抑えられないようで、きゅっと上がっている。
銀色の髪がさらりと揺れて、キラキラと光を弾いた。
「……黒い髪よりも、銀色の髪の方が素敵です」
銀色に戻った髪を見て、小さく頷く。
うん。黒い髪だと攻略対象者感がありすぎて、私の心臓に良くない。
さかなみたいなその髪の方がよっぽど目に優しい。
「え……」
「……さかなみたいできれいです」
じっと見ると、シェーズ様の顔がまた耳まで赤くなる。
「あ、りがとう」
そして、顔を手で覆うと、はあーと大きく溜息をついてから、スッと立ち上がった。
「……っ、この魔法は他の人にも使えるんだ。君の髪も変えられるからやってあげるよ」
突然の申し出に、えっ、と一瞬息を吐いてしまう。
でも、まあ断る事でもないかな。
なので、立ち上がったシェーズ様へと頷いた。
「このままで大丈夫ですか?」
「ああ。あ、座ったままでいいから」
今日は髪をハーフアップにしている。
髪飾りなどもそのままでいいようで、私の斜め後ろに立ったシェーズ様がサッと手を振ったのがわかった。
……わかるけど、私には私の姿は見えないわけで。
「エミリー」
扉の横へ立っていた侍女のエミリーへと声をかける。
エミリーはすぐに私の意図をわかってくれたようで、手鏡を持って私の傍へと来てくれた。
エミリーが座っている私に鏡を向けると、そこには無表情の女の子が映っていて……。
「うーん。元の髪が濃い色だったから、あまり変わったようには見えないかもね」
無表情の女の子の後ろに映った銀色の髪の男の子が、少し首を傾げて口を開く。
その顔はまだほんのりと赤みがかっていて、かわいらしい。
……わかってる。
シェーズ様が言った通りだ。
私の髪は元々が濃いブルーだから、黒になってもあまり雰囲気は変わらないんだ。
鏡に映るのは、黒い瞳の目尻がつり上がって、薄い唇が少しだけ上がった冷たい顔。
髪の色を変えたってその顔の印象は変わらない。
なにか悪い事を考えていそうな顔はそのまま。
そして、感情を表すこともなくじっと私を見返していた。
ライラック・バルクリッド。
力のある侯爵家の一人娘。
――乙女ゲームの悪役。
「……黒い髪に黒い瞳というは不思議ですね」
エミリーに目で合図をして、鏡を戻してもらう。
そして、努めて平静に声を出せば、いつも通りの声音が出た。
「そう? ……まあ、でも、元の色の方が君らしいかもね」
背中から聞こえるシェーズ様の声。
トゲもなく、むしろ柔らかい音。
ただ純粋に、濃いブルーの方が私に似合っている、とそう言ってくれたんだろう。
わかってる。
わかってるけど……。
『君らしい』ってなに?
だって、わたしは悪役にしかなれなくて……。
――悪役は脇役にしかなれない。
勝手にもやもやとしたものが胸にこみ上げてきて、それを必死で抑える。
シェーズ様が後ろでもう一度手を振った様な気がしたから、髪の色を戻してくれたのかもしれない。
魔法を見せてくれたのだから、ちゃんとお礼を言わなきゃいけない。
でも、すぐに言葉が出てこなくて……。
ああ……。
なんでだろう。
そんな事ないって自分を慰めても。
大丈夫だって自分を励ましても。
ふとした瞬間に急に胸をぎゅっと掴まれたみたいになる。
苦しくて……つらくて……。
そんな人生いやだって泣いて、逃げ出したくなる。
「……シェーズ様。ダンスをしませんか?」
お礼も言わずに、振り返ってシェーズ様を見た。
シェーズ様はえっ、と驚いた声を出す。
それは、さっきの突然のシェーズ様の言葉に驚いた私と同じ。
……シェーズ様だって突然だったんだから、私も突然でもいいよね?
「今、曲はありませんから、私がカウントを取りますね」
スッと臙脂のソファから立ち上がり、驚いて目を瞠ったシェーズ様の左手を右手で掴む。
シェーズ様は思いっきり狼狽えていたけど、気にせず、部屋の少し空いたスペースへとシェーズ様を引っ張った。
「では、いきます。……ゆっくり。……狭いですけど」
シェーズ様の右腕にそっと手を添えれば、シェーズ様は観念したように私の背中へと右手を添える。
その顔はまた赤くなってしまっていたけど、見なかった事にして、リズムを口で刻んだ。
「ワン、トゥ、スリー……、ワン、トゥ、スリー」
いつもよりずっとテンポは遅めで。
難しいステップはなくて、小さな円を描くような、簡単な足運び。
シェーズ様は顔を赤くし、眉根を寄せたまま。
けれど、私の声に合わせて、ゆっくりと踊ってくれて……。
だから、私はその目をじっと見て、いつもみたいに笑った。
あなたが私のすべてです。
あなたが私の主役です。
いつもの呪文。
それを唱えれば、勝手に世界は動き出す。
二人で手を取って、見つめ合って。
カウントに合わせて、同じ方へと足を進めれば、この世界は私とあなただけ。
胸をぎゅっと掴んだもやもやがあっという間に晴れていく。
ゆっくりとしたリズムが私の心を溶かしていく。
……楽しい。
シェーズ様のぎこちないホールドも。
真っ赤になったその顔も。
銀色の髪が光を弾いて、部屋の中の小さなスペースで私のカウントで踊ってくれる。
そんなシェーズ様を見ていたら、私も自然と笑ってしまって……。
ダンスが好きだ。
大好きだ。
……こうしてダンスをしている間は。
――私は主役でいられるから。






