3:悪魔のZⅡ
「コンビニにいた奴らだ!」
走行中の強烈な雑音に負けじとリコが叫び、ユウゴはサイドミラーを一瞥。後続の連中をやり過ごすべくマシンを左車線へ移し、速度を落とす。
いくらユウゴが頭のネジの足りないスピード狂でも、リコとタンデムしている状態で面倒そうな連中とレースごっこするほどアッパラパーではない。
シャコタンのセルシオとマジェスタ。ターボ搭載のワゴンRが騒々しい排気音を奏でながら右車線をかっ飛ばしていく。古いモデルのヴェルファイアがズンチャズンチャカと下品なハウスミュージックを垂れ流しながら続き、族車崩れのネイキッドバイク達が追走する。
「あいつら、もう回し切ってるじゃん」
リコはエンジン音と排気音から回転数を察し、族車崩れ達を鼻で笑う。
「珍走団にラブロード55は無理だよ」とユウゴはヘルメットの中で溜息をこぼす。
漫画ではやたら速いマシンのように描かれる族車だが、現実には遅い。乱暴に言えば、族車という仕様は、派手な外見で周囲の注目を集め、騒音を垂れ流すことが全てであり、走行性能や速度性能を完全に無視している。
速度性能と走行性能のために外見を無視したユウゴのヨンダボと、真逆のバイク達。
そんな輩の一団はユウゴ達に絡むことなく先へ進んでいく。彼らの背を見送り、ユウゴはやれやれと息を吐き、リコがべしべしとユウゴの太腿を叩く。
「どーする?」
「連中と距離をとって走る。ZⅡに遭遇できれば良し、そうでなければ早上がりだ。あんなのが居たら鬱陶しくて走れない。素直に帰ろう」
「野太刀塚のラブホに行くの、忘れてるぞ!」釘刺しするリコ。彼女は今日、本気だ。
ユウゴは微苦笑と共にヨンダボへ鞭を入れた。
とはいえ、先ほどのように飛ばしたりしない。ラブロードを時速120キロ辺りで巡航していく。ストレート区間をすいすいと走り、コーナー区間をひょいひょいと進む。
スピード狂のユウゴとしては物足りないが……タンデムシートのリコは沼江津の海風や夜空の星月を楽しみ、夜のショートツーリングを満喫しているから、これはこれで良しとしよう。
上り車線をのんびり(スピード狂基準)と走り、終点でUターン。ユウゴとリコを乗せたヨンダボは下り車線に入った。
交通量は相変わらず少ない。
ワーレントラス構造の角守大橋を越え、蛇尾岬を過ぎ、虎毛浜に入った頃。
「……霧が出てきたな」
コーヒーにミルクを注いだように霧が漂い始めた。
「夏場のこんな時間に?」怪訝そうに訝るリコ。「異常気象のせいか?」
何かズレた感想を抱くリコを余所に、ユウゴは運転に意識を集中させる。なんせ先のラブロード55で霧に遭遇した時は危うく死に掛けた。後ろに大切な女を乗せているのだ。ハチロク乗りの言葉ではないけれど、無茶は出来ない。安全第一。
リコはスピード狂が減速した理由を察し、ヘルメットの中でにんまりと口端を上げ、頬を緩める。最愛の男から大事されていると知って、喜ばぬ女はいない。
霧はラブロードを覆い包むようにどんどん濃くなっていく。
「ここまでだ。こんな状況で飛ばしてたら命がいくつあっても足りねーよ」
リコの指摘は大いに正しい。こんな状況で飛ばす奴はノータリンのパープリンだ。
ノータリンのパープリンであるユウゴは小さく肩を竦め、
「……仕方ない。次の出口で降りよう。下の県道から野太刀塚へ回る」
「そーしよ、そーしよ。早くラブホ行こーぜ!!」
リコが下心を隠さぬ賛同を返した。
刹那。
後方から鮮烈なヘッドライトが届き、威圧的で低く重たい排気音が響いてきた。
ユウゴは即座にサイドミラーへ目線を向け、リコは首を巡らせて肩口から背後を窺う。
夜霧の奥から、現れた。火の玉カラーの――
ユウゴとリコはヘルメットの中で共に呟く。
「「ZⅡ」」
ライダーは古い型のシンプソン製ヘルメットを被り、全身革ツナギを着込み、ごついグローブとブーツをまとっていた。頭のてっぺんから爪先まで真っ黒なライダーはユウゴとリコが乗るRVFを一顧にせず、隣の車線から追い抜いていく。
リコは錯覚した。
自分よりずっと巨大な魚が傍らを通り過ぎていくような感覚を。しかも、その巨大魚が『今は気分じゃないから』と言いたげにこちらを見逃したような感覚を。
同時にメカ弄りを愛する者らしい観察眼で、ZⅡを窺う。
――なんだ、あれ。
脇を通り過ぎるわずか数瞬。霧の夜で視界も悪かった。それでも、リコにはしっかりと見た。
そして、顔から血の気が引き、全身の汗腺から冷たい汗がドッと吹き出す。ジャケット下の素肌を汗が滴り流れる感触がする。
理屈ではなく感覚的な確信。加えて、リコの霊感的な何かが大声で警告を叫んでいる。
あれは普通のマシンじゃない。刀剣なら魔剣とか妖刀とかそういう類のものだ。
だから、ZⅡを追いかけようとしたユウゴを強く強く抱きしめて、悲鳴みたいな大声を投げつけた。
「よせっ! 追うなっ!」
「どうしたんだ?」
肩越しに窺ってくるユウゴへ、リコは震える声で言った。
「あれ、ヤバい……っ!」
要領を得ない言葉にユウゴが困惑を覚えた直後。
道路の先から激しい破壊音が響き渡った。
○
「ヒデェ……」
リコの呟きが全てを物語る。
霧が漂うラブロード。路面がブレーキ痕に刻まれていた。金属やガラスの破片や欠片がそこかしこに散らばり、オイルやクーラントがまき散らされ、変わり果てた車やバイクが横たわり、人が倒れている。
複数台を巻き込む大きな事故。その当事者はあの輩達だった。
ユウゴを始めとする事故現場に出くわした者達が、いそいそと救助と二次災害防止に努める。三角停止板を立て、炊いた発煙筒を並べ、停車した車にハザードを点滅させる。まあ、スマホで撮影を始めるアホンダラもいたが。
ユウゴは事故現場を観察し、何が起きたか大まかに把握する。
最初に事故を起こしたのは、シャコタンのセルシオ。コーナーでアウトに膨らみ、ブレーキを掛けるも間に合わず路肩壁に激突。フロントが空き缶みたくグシャッと潰れた。運転手と助手席の乗員が歪み潰れた車内に閉じ込められ、苦悶している。
セルシオの事故に動揺したのだろう。直後にシャコタンのマジェスタがハンドルを切り過ぎ、コーナーのチョッピングポイント前で中央分離帯に激突。反動でパチンコ玉のように二車線中央へ弾かれ、左後部に後続のワゴンRが激突した。そのため、マジェスタのフロント右側は爆発したように砕け、タイヤがモゲている。左側リアフェンダーが潰れ、トランクハッチがめくれ上がっていた。
マジェスタに激突したワゴンRは、二車線道路の真ん中で横転していた。咄嗟にかわそうとして間に合わなかったのだろう。
乗員が車内に閉じ込められたセルシオと違い、マジェスタとワゴンRの乗員は車外に脱出できたようだ。怪我とショックで茫然自失状態だが。
大破した3台の手前に止まるヴェルファイアは、リアが蹴り上げられたように潰れ砕け、周囲には横転した族車崩れ達が転がっていた。どうやら、3台の事故を目の当たりにして急ブレーキを掛けたところへ、後続の族車崩れ達が突っ込んでしまったようだ。
ヴェルファイアの後ろや脇に転がった族車崩れはどれも損傷が酷い。再起不可能だろう。車体から漏れたガソリンやオイルが路面に広がり、ライトの光を浴びてぬらぬらと輝いている。ライダー達は全員生きていたが、ドライバー達以上に怪我が酷い。バイクの死傷性の高さが如実に分かる光景だった。
濃霧とコーナーの連なり。事故が起き易い組み合わせだが、ここまで派手な連鎖的事故となると、全国放送のニュースになるかもしれない。
不幸中の幸いというか少なくとも死者は居らず、動ける者は自力で、動けぬ者は担ぎ上げて、路肩へ避難。善意の人達がタオルや水などを持ち寄り、応急手当を始めた。幾人かがセルシオの車内に閉じ込められた負傷者を助け出そうとしているが、手の打ちようがない。
そして、有志に出来ることが無くなり、警察や消防、救急車の到着を待つ中――
夏夜の暑気と救助活動で汗塗れのユウゴは、青い顔をしているリコの肩を抱く。まだ微かに身を震わせているリコへ、優しく声をかけた。
「大丈夫か?」
「あんま大丈夫じゃない」
ユウゴは首を横に振るリコの背を慈しむように撫でた。
リコはユウゴへ身体を寄せ、鉄屑と化した自動車やバイクを見つめながら、ぽつぽつと言葉を紡いでいく。
「……漫画とか映画にさ、乗ったら事故に遭う車とか、勝負に負けたら殺されるバイクとか、そういうのあるじゃん。あのZⅡはそーいう感じがした」
常なら笑ったかもしれない。が、ユウゴは笑えなかった。なんせ、リコの印象通り、数日前に勝負して死にかかった身だ。笑えない。
自然と顔が険しく強張ったユウゴへ、リコは不安顔を向け、哀願する。
「“俺”ホテル行きたい。今すぐ」
“得体のしれない怖いもの”に蝕まれた心を癒すために、リコはユウゴの温もりと情愛を必要としていた。
ユウゴは困り顔を作りつつリコを安心させるように強く抱きよせて、冷汗に湿った髪に口づけした。
サイレンが近づいてくる。
気づけば、霧が晴れていた。頭上に月が浮かんでいる。
○
日曜日の早朝。
沼江津市野太刀塚町。ラブホテル『ブルービアード』。
変態性連続殺人鬼の二ツ名を看板にするラブホテルの駐車場から、フランケンシュタインなマシンが出てくる。
「朝飯はがっつり食いたいなー。牛丼とかラーメンとか!」
リコはウェットで濃密な愛情と旺盛な若い性欲を大満足させたためか、朝からゴキゲンだ。どれくらい御機嫌かと言えば、両足をタンデムステップに置かず、バイクを運転するユウゴの腰に絡ませ、ユウゴに生意気な胸だけでなく自身の骨盤をぐいぐい押しつけている。
一晩中、汗だくになって快楽に乱れ続け、肉悦に喘ぎ続け、幾度も絶頂に身を痙攣させ、しまいにはグロッキーになっていたとは思えぬほど、元気いっぱい。
「俺は二度寝したい……」
上機嫌でテンション高めなリコと対照的にユウゴは疲れ気味。性欲も体力も有り余る健康的な十代男子が二度寝したくなるくらいに濃密な夜を過ごしたわけだ。
けしからぬ。
涼やかな潮風の吹く爽やかな早朝の下道を、いつも以上に継ぎ接ぎ姿のヨンダボが低中回転で走っていく。カムギアトレイン式水冷直4エンジンがどこか不満げに鳴き、ステンレス製マフラーも不機嫌そうに吠えている。
2人は沿道に建つファミレスに寄り、モーニングセットを注文。
リコは焼鮭の朝定食+モーニングワッフルセットをがっつり平らげ、ユウゴはトーストのモーニングセットを食べた。ドリンクバーで淹れた安いコーヒーを嗜みつつ、2人は昨夜の出来事について話し合う。
「あのZⅡ。いわゆる妖車の類だと思う」
「妖車……“悪魔のZ”みたいな奴ってことか?」
漫画『湾岸ミッドナイト』に登場する、運転手を事故へ誘う妖車ミッドナイトブルーのフェアレディZ・S30。作中の呼び名は“悪魔のZ”だ。似たようなものに漫画『ジゴロ次五郎』に登場する妖車ガルウィング仕様のシルビアS13があり、作中では童貞と美女しか乗せないことから“ラブマシーン”の異名を持っていた。
「そうバカにしたもんじゃねーよ。実際、ヤベェ個体ってのはあるんだぞ」
軽く流そうとする彼氏へ唇を尖らせる彼女。
「妖車かどうかはともかく」ユウゴは涼しげな双眸に微かな狂気を滲ませ「重要なのは俺達のヨンダボで勝てるかどうかだ」
「あの事故現場を見ても尚かよ。お前、本当にビョーキだな」
このバカはきっと“俺”が泣いて縋ってもあのZⅡに挑むことを止めたりしない。それなら……
重度スピード中毒者に溜息を返し、リコは幾度かカップを口に運びつつ、考え込む。
「峠ならともかく、ラブロードだと厳しい。ちらっと見ただけだけど、あのZⅡは相当弄ってる。多分Z1の900㏄エンジンに換装してボアアップもやって、駆動系と足回りもガッチガチにキメてんじゃねーかな」
リコはスマートフォンをポチポチと弄り、これは参考例な、とカスタムショップの画像を表示させる。外装以外は全て手が入ったZⅡを見せながら、言った。
「これは極端な例の一つだけど、弄られまくってもはや別物って意味じゃあ、あのZⅡも同じだ。本気でこのレベルのマシンに勝ちたいなら――」
「デカいのに乗り換えろ、か」
リコの言いたいことを先取りし、ユウゴは不満げに口元を曲げ、背もたれに身体を預けた。
「俺達のヨンダボで勝ちたいんだけどなぁ」
「ノーマルのビッグネイキッドには敗けねェけど、公式レースにも出られそうなフルカスタムなら、流石にパワー差が大きい。分が悪いよ」
リコはユウゴの目を真っ直ぐ見つめた。
「本気に勝ちたいならデカいのに替えるしかないぞ」
中型免許で大型車に乗るという違法性を無視して、という但し書きが付くが、2人ともそんなこと頭から気にもしてなかった。
感想評価登録その他を頂けると、元気になります。
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