憧憬
勝手がわからないまま宿に入る。外観はぼろぼろと崩れ落ちしそうな壁の貧相で、内部も似たような感じだ。閑古鳥が鳴く室内で、一人ぽつんと佇んだ店番にリーシャが話しかけた。交渉しているのをしり目に辺りを見回すと、ほこりがそこかしこに積もっていた。やる気がないのか人が来ないのか。他に宿があるのかは知らんが中継地になっているような村なのだから、もう少し混んでいてもいいような気がするが生活感のないロビーだ。油を塗った紙で作られた見通しの悪い窓からは、黄色く色づいていた日差しが鈍く狭い空間を照らしていた。
視線をリーシャに戻すと、交渉は終わったらしい。薄っぺらい貨幣を渡していた。無言のリーシャの後をついて行って部屋に入る。埃はなかったが空気が古臭かった。
「なんなんのあの人!なんかユニエの事いやらしい目でみてたよ!」
硬そうなベットにダイブしながらリーシャが叫んだ。
「精霊が珍しいんだろう。そんなことより水場はどこだ?そろそろ渇いてきたぞ。」
「そんなことじゃないよ!ユニエはちょっとエッチな恰好してるし。ていうかユニエって見かけ子供だよ!そんなのに欲情するなんてただの変態じゃない。」
「あまり言ってやるな。」
男とはそういうものである。そう、私だって…今となってはあまり感じないが。プンスカと不満を垂れるのを聞いていたが強くなってきた渇きを感じて言葉を遮って主張した。
「とにかく水だ。どこにある?」
「はあ。裏手に…いいや、一緒にいこ。」
何故かため息をつかれたが、これで水にありつけそうだ。
リーシャに先導されて浮かんでいき裏庭に出た。タイル張りの殺風景なそこには奇妙な金属があった。井戸らしき物はどこにもない。
いや、この形状は何か見覚えがある。そうだ、記憶とはだいぶ変わっているが、この取っ手とかパイプとか、もしかするとこれはポンプ式の組み上げきじゃないか?
試しに取っ手を動かそうとするも重くて動かない。
「うぐぐぐ、無理だ。リーシャ、これを動かせるか?」
「えーと、えい?」
リーシャが体重をかけてグイッと押し込むとパイプから勢いよく水が噴き出した。
「おお、やはりそうか!リーシャ、もっとだ!もっと頼む!」
湧水穴にスタンバイすると再び水が流れでた。
「ああー。これだこれ。水ー。」
バシャバシャと体で受け止めきれない水が出るほどの量だ。贅沢贅沢。
はー、あ?胸元のが青く光っている。青い鱗の首飾りが輝いていた。ふむ、これも久しぶりの水浴びが嬉しいのだろう。
「どうして分かったの?」
「あー?」
掌の上で青い光をもてあそんでいると水が止まった。後ろを振り向くと井戸に寄りかかった態勢でリーシャが顔に疑問を浮かべていた。
「こんな仕組みの井戸?初めてみたんだけど。ユニエはなんで知ってたの?」
「何となく分かるものだ。」
リーシャは首を捻っていたがそれ以外に答えようもない。
「それよりもう少し頼む。」
だいぶ渇きが失せたが、一日ぶりの水だ。今のうちに飲みだめて置きたい。
「はいはい。」
再びパイプからあふれ出した水を両手で受け止める。水以外のことを考える余裕が生まれ、鱗のことが気にかかるようになった。青い欠片は水が吸い込みながら光を増しているのを見て、水筒代わりに使えないかよく調べてみようと思った。もしかすると雨を降らせられるようになるよりこれのほうが早いかもしれん。そうすればどこかに身を寄せて、リーシャにも苦労を掛けずに済む。
「もいいぞ。満足だ、ありがとうな。」
「どういたしまして。」
まあ調べるといっても当てがあるわけではないのでリーシャに聞くしか方法はないのだが。
「なあ、竜の鱗というのは何か特性があるのか?」
「え?うーん、竜の生前の力を宿しているから、煎じて飲むと力が増すとか武器に溶かすと強くなるとか言われてるけど、迷信みたいなものだし。あ、そのネックレスのこと?」
「うむ。水を吸い込むんでな。水筒代わりに使えんかと思ったんだが。」
「詳しい人に聞かないとわからないね…でも竜の鱗で作った特別な道具なんて知らないし。たぶん無理じゃないかな。」
むー、そうか。楽はできんか。どこかに落ち着くのは当分先だな。まあ、いい場所があったらそれでいいか。雨を降らせることに執着せずとも、水が満足に飲めればいいのだ。
「そこで何してるんだ?」
ふと声がしたほうを向くと例の少年がいた。ピンとおたっていたうさ耳がしなだれて、なぜか少し憔悴した様子である。
「水を飲んでいただけだ。お前こそどうした。元気がないな。」
そう聞くと顔を赤くしてソッポを向かれた。照れてるのかこれ。むむむ、リーシャの評価は適正だったかもしれん。
「な、なんでもない。あ、そうじゃなかった。もしかしてその井戸の使い方わかったのかい?連邦で生まれた新しいシステムで連邦にはまだ広まってないはず。」
リーシャも顔に疑問を浮かべてこちらを見てきた。いや、何も言えんぞ。むう、こういう時は話を変えるに限る。
「なんとなく分かるものだ。で、何の用だ。」
「べ、別に。ただ井戸の使い方わからないだろうかと教えてあげようと思ってただけで、用があったわけじゃない。」
リーシャはさっきから口を開こうとしない。珍しく私が受け答えをしている。仮にこいつが私に気があるのなら是非リーシャに対応してもらいたいのだが、アイコンタクトをしようにも少しむっとした顔で少年をにらむだけである。どうにかしてくれ。
それっきりもじもじとしたまま声を発しないそいつを、さあどうしたものかと思案していたら大きな鐘の音がまた聞こえてきた。
「あ、行かなきゃ。じゃ!」
血相を変え垂れていたうさ耳をぴんと立たせ、転がるようにかけていった。乱雑に開かれたドアの番という音を最後に鐘の音も止んだ。リーシャと顔を見合わせるとお互いにため息を吐く。
「私あいつ嫌い。ユニエの事やっぱり変な目で見てるよ。」
「確かにそんな気がしてきた、が、そう思うならあいつの相手はお前がしてくれ。」
そう頼むとリーシャは顔を顰めて首を振った。
「あれぐらいの年の男の子って嫌い。馬鹿で変態しかいないもん。話したくもない。」
ずいぶんな偏見だ。私の事云々を抜きにして何か恨みでもあるかのような口ぶりである。まあ兎に角、リーシャに相手を押し付けるのは無理そうだ。正直元が男でしかもこの体になってから人に対する興味が薄れているのに、何か思われてもな。いやまあそうと決まったわけではないが、波風が起こると困るのは私たちなのだ。機微を察して慎重に動くなんてもうできないし、頼りのリーシャは関わりたくないと来た。
本当に、何も起こらないことを祈るばかりである。




