虫喰い雲
霧を気付かれない程度の濃さで限界まで広範囲に伸ばす。リーシャはナイフの柄に指をかけていたが、飛んで来る矢をナイフでどうにかできるものだろうか。
「で、どうするんだ?」
矢はあれ以降飛んでこないが、此方からアクションを起こせば今度はちゃんと狙った攻撃が来るかもしれん。
「ゆっくり近づこう。また矢が飛んで来たら、その場で立ち止まってーーー」
ヒュン!
風切り音がに続いてズッと地面に何かが突き刺さる音が聞こえた。
「おい、どうするんだ?」
今度のはさっきのよりかなり速く、感知した時には既に地面につきさ刺さっていた。正直お手上げである。水で壁を作れば対応できるかもしれんが、そんな事をすれば向こうの警戒感を煽るのは必然だ。
「ねえユニエ、今から逃げて間に合うと思う?」
「射手が一人ならばな。複数いたらかなり危ないと思うぞ。」
霧を濃くしても水で壁を作っても、その場にいるのは丸わかりだ。やたら滅多らにさっきの威力で射たれたらリーシャにもマグレ当たりしかねない。
「だよね…大人してるしか無いかな。」
他に案が思い浮かばないのはそうだが、しかし
「このままじっとしていても攻撃されるだけじゃないか?」
リーシャはそこまで閉鎖的な村ではない筈、と言っていたがそうとも限らない。
「一応警告射撃がされたんだから、問答無用で殺そうとは思ってないと…思いたいけど。もしも向こうが接触して来たら、私は軍服着てるし通行許可証も貰ったからそれで信用は得られるとはずだよ。だからまあ余所者は問答無用で排除って、決断されない事を祈るしかないね。」
むむむ、どうしたものか。もし戦う羽目になったら…盗賊の時みたいに煙に巻きながら戦うか?いや、あいつらは範囲攻撃をしてこなかったから霧が使えたが、今回もそうとは限らない。対策も無いわけでは無いがこうも距離が離れていると分が悪い。やっぱり打つ手なしだ。
二人してじっとして待っていると人影が近づいてきた。
「原住民が住んでるって言ったか?」
イメージの中では半裸で槍を担いでいる姿が思い浮かんでいたが、そうでもなさそうである。リーシャの着ている軍服とよく似たデザインの黒服である。
「そうだよ。あの人たちは…兎の獣人だね。」
よく見えんがそうらしい。兎の獣人か。街でも見かけたが犬耳が多数だったな。獣人にも多数派と少数派があるのか?
目を凝らして姿を確認しようとするも強い風が吹き、展開していた霧と水が流されそうになってそれどころではなくなった。慌てて回収して一息ついたころには人影はだいぶ近くまで来ていた。
「なあ、何人いるんだ、あれは?」
一人二人なんて数ではなく、10人はいそうだ。割と大人数での出迎えだ。
「んー、8…9人だね。警戒されてるってことかな。これは。」
それは中々困ったな。どうするか、今更水を撒いて準備するわけにもいかん。
そうこうしているうちに集団はすぐそばまでやってきた。姿がはっきりすると白いのが頭から生えているのが見てとれる。
うむ、確かにうさ耳だ。若い女もいればゴリマッチョまでみな平等にうさ耳である。しかも皆揃いも揃って真っ白なうさ耳だ。
前々から思っていたが女ともかく男が獣耳なのは違和感が激しい。幸いにも気持ち悪さを感じるほど情緒が動くわけではないが、それでも違和感は感じる。
「何の用で来た。」
「北の、ドワーフ領行きの馬車に乗りたくて来ました。通行許可証はこれです。」
近くでみると民族っぽい特徴が見て取れた。全員が頬に模様をつけている。入れ墨なのか塗ってるだけなのかいまいち判断が出せないがとってもそれっぽい。
「ふん。どうやら本物のようだな。しかし来客があるとは何も聞いてないが、しかもよりによってこんな時期に。」
持ってる武器も独特だな。爪なのか?こんなの使うのか。
「街でテロがありまして、その影響といいますか。」
「ふん。まあいい。貴様は人間ではなかろう?エルフか?」
「ええまあ。よく分かりましたね。耳を隠していたのに。」
リーシャと喋っている大男を含め余裕のある表情でいたが、一人だけかなり品徴しているのがいた。周りよりもだいぶ若く見える、少年と呼ぶのがふさわしい年ごろだ。さすがにリーシャよりは年上だがそれでも年少の部類に入る。少年少女兵はどうやらどこでも一般的なものらしい。
観察していたら目が合いそいつの表情が変わった。何故か呆けたように阿保面をしたと思えば、一転してまじめな顔になり凝視された。不思議に思って首を傾げたところ、急にそっぽを向かれた。落ち着かないように貧乏ゆすりしている。
「声で分かる。で、馬車に乗りたいんだったな。来い。村に入るのを許そう。」
どうやら移動するようなので若いうさ耳からリーシャへと注意を切り替えて付いて行く。しかし視線を感じたのんで再び顔を横に向けると、やたらと真剣な表情で見つめられていたが、目が再び合うがその途端に慌てたように顔を背けられた。何だ?精霊が珍しいのか?
疑問に思いながら歩いていくと、リーシャが小声で話しかけてきた。
「おかしいと思わない?」
「そうだな。」
挙動不審の少年は何がしたいのか、チラチラとこちらを見てくるのが視界の端で見える。自意識過剰とかではなく、鬱陶しく思ってそちらを振り返ると明らかに慌てた様子で視線を逸らすのだ。精霊だという理由で興味を向けられたことは今までなかったが、まあ田舎暮らしだといろいろと機会が限られるからな。当然のことかもしれんが。
「ユニエでもそう思うんだ。」
リーシャが手招きするので高度を落として顔のすぐそばに耳を向ける。一段と声を絞って囁かれたのは
「こんなに人が出てくるなんてやっぱり変だよね。」
想定していた内容とは違った。いやまあ言われればその通りだ。しかし街に入る時もこんな感じ立った気がする。
「前もこんな感じじゃなかったか?街の時だ。」
「でもあの時は3人だけだったよ。いくら街より防衛力が少ないからって「聞こえてるぞ」…え?」
「兎の耳はよく音を拾う。隠し事をするならば読唇術でも身に着けるんだな。」
おー、ただの飾りではないのか。だったら兎だけにジャンプ力があったりするのか?
「聞こえていたのなら率直に質問します。何故こんなにも大勢で?」
「念には念を入れて、だ。知ってはいると思うが最近は帝国の敗残兵や傭兵崩れの危険度の高い盗賊団が増えた。馬車が襲われたという話はよく聞いていたがついこの間とうとう村が夜襲にあった。二人しかいないように見えたとはいえ罠の可能性もある。」
話しながら移動していたら村についた。村といってもしっかりした外壁と堀があるなかなかの規模のものだ。
丸太の跳ね橋を渡り中に入ると
「中に入るのは許可するが、とにかく大人しくしていろ。みなピリピリしている。」
「弁えています。」
「村の案内は…おい、新人!」
「は、はい!」
男の声に答えたのはさっきの挙動不審の奴だった。
「お前が説明しろ。他の者は解散。警戒に戻れ。」
そういって残されたのは新人と呼ばれたそいつと私たちだけだった。リーシャと顔を見合わせる。どうしろというのやら。
「僕は、いやお、俺はアシダカだ。」
沈黙を割ったのは妙に上ずった声だった。
「君たち、じゃなかった、お前たちの名前はなんだ?」
まあこういうことは初めてなんだろう。ガチガチと硬い感じがする。よくよく見てみればうさ耳の毛皮も他の奴らよりも汚れてないし、頬の装飾も真新しさが感じられる。色々と初々しいのだな、うむ。
そんなことを思っているとリーシャが口を開いた。
「私はリーシャ…です。エルフです。」
敬語をつけるか悩んだようだ。まあリーシャよりかは年上そうに見えるからな。
「ユニエだ。水の精霊をしている。」
名乗るとなぜか「ユニエ、ユニエ…」と小声でつぶやいていた。やはり挙動不審である。
「よ、よし。村を案内する。ついてこい。」
肩を張って舐められないようにと頑張っている姿は微笑ましささえ感じる健気なものだ。とりあえず後ろに行こうとすると、リーシャがこちらを向いて唇を動かし何かを言った。内緒話が漏れていたことを気にしたんだろうが、読唇術はさっぱだ。肩をすくめておくと、何か誤解したのかさっきより激しく唇を動かし始めた。いや、さっぱり分らんぞ。
バッテン印を水で作ると理解していなかったことが伝わったようである。今度は身振りでぶりで何かを伝えようとしてきた。前を歩く少年を差して顔をしかめて見せたりとなんだか色々していた。たぶん変なやつとかそんな意味だろう。適当に頷いていると急に前から声がした。
「ここがき…お前たちの宿だ。えーと、ああ、あそこにあるのが料金表だ。注文は中にいるばあ様にしろ。次は…よし、馬車駅がーーー」
途中まで言ったところで鐘がカーンカーンとけたたましく響いた。随分と大きな音だなと思っていると、前に立っていた少年はハッとした表情になって
「あ、えっと、残りは今度案内する!以上!」
そう叫んでピューと風を残して去ってしまった。え?
またリーシャと子を見合わせる。鐘の残響が消えるまでずっとそうしていた。随分と役立たずの案内だったな。




