夜ばみ月
若い草の匂いが濃く立ち込める草原で寝袋に包まれたリーシャを見やる。何度でも見た寝顔だがだが、ベットでのそれと大差ない表情に少しの安堵を覚える。寝心地はそれ程悪くないようだ。
水筒のを傾けるともう水が滴しかなかった。これからはしばらく血か…
ああそうだった、元々は雨を降らせられるようになりたかったんだっけな。純度の高い水を、いつでも飲めるようにと。
その為に魔法を学ぼうと街に行ってみたが、あまり真面目に生徒をやらなかった。まだ文字も読めん。
「ダメダメだな。」
中途半端だ。いや、中途半端とすら言えん。私はまだ何もやっていない。
きっと妥協していたんだろう。街にいる間は水が好きなように飲めた。そしてそこから追い出されて初めて、今になって、雨を降らせられたらどんなに良いかと思っている。
何をしたかったんだろうな、私は。私はただ水が飲めればそれで良いのか?だったら街でも森でも良い。別に川も井戸水も雨に比べれば多少の違和感があるとはいえ、それも我慢出来ない程では無い。妥協すれば、それでも満足は得られた。
だったらもっと街にいる努力をするべきだったのだろうか。大人しく、水の為だけに。
なぜ余計なことをしたんだろうか。ああ、リーシャことを考えていたからか。それも結局、悪い結果になってしまったが。やはり何も考えずに水のことだけを思えばよかったのか。それが私たち二人にとって最良なのか。
そもそも私は生きているのか?呼吸も鼓動もないこの体で。生きるとはなんだ。水を飲むことか?
人間だった頃はどう生きていた、こんな風に思った事はあったか?
ああ、ただ漫然と生きていただけだ。だがそれでも十分に忙しかった。しかし今は水さえあれば良い、それしか要らない。ただ過ぎゆく時間を退屈とは感じない。水で遊んでいればそれなりに暇は潰せる。
結局のところ水なのだ。渇かないように、血を吸わないでいいように努力することが最優先目標で。雨を降らせるのはあくまでも副次的な目標だ。
だったらリーシャに対するこの感情は何を基にしている?この疑問を抱いたのは初めてではない。たびたび思い浮かんでいた。しかし毎回なんとなく納得するかうやむやにしていた。何故こんなにも不可解なことを後回しにしていた?
街を出る事になった時、私は申し訳なさを感じた。私の落ち度だと思い、保護者失格だとも思った。しかしそれは何故だ?水のことを考えていればいいのだから、気に病むことはない。あくまでリーシャは私の、そう、依り代にすぎんのだ。過度に気に掛ける必要はない。渇きと血を飲む羽目になるのが心配になるはずで、それ以外のことは。
ああああ、頭が回らない。何も、何も
「分からん…」
鈍く重くなった頭部をを抱え込んで、散乱する思考を纏めようとしていると
「ユニエ…何か言った…?」
独り言に続いて小さな声が聞こえた。交差した腕をとくと、薄眼を開けてリーシャがこちらを見ていた。
「まだ真夜中だぞ。明日から歩くんだ、ちゃんと眠った方が良いぞ。」
不思議と気遣いの言葉はスラスラでた。
「そうだけど…なんか目が覚めちゃったの。水、ちょうだい?」
のどが渇いたのか。珍しい事だ。何時もは、少なくとも前に野宿していた頃にリーシャが途中で起きるなんてなかった。やはり環境が変わったからそのストレスだろうか。やはり街から離れるのは悪影響か。
水球を飛ばしてみずを飲ませてやると、細い喉がコクリコクリと脈打った。
「なあ、リーシャ。実は、いや。」
声変わりも始まっていない首を見るうちに、話さなくてはという思いに駆られた。しかしさっき言えなかった言葉はやはり今になっても出てこなかった。また嘘をついた。
そんなこちらを気にした様子もなく、リーシャは二、三口と喉を動かすとそのままうつらうつらとして寝てしまった。あどけない寝顔にせめて罪滅ぼしと思って、ズレた寝袋を直しながら耳元で囁く。これだけは嘘では無い。
「愛しているぞ…」
言葉にしてみると色々な悩みがすっと楽になった。水のために生きているわけではな、生きているから水を欲するのだ。
それにもとは人間だった。生きる為、だけではあまりにも味気ない。
答えが出てスッキリした。先程まで重い頭に苦しんでいたのが魔法のようにが軽くなった。
ご機嫌になって愛し子を見やると、褐色の頬に銀光が落ちていた。
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「ああ、不味い。」
ビクビクと痙攣するネズミの締め付けを緩める。地面にポトリと軽い音をたてて事切れた黒茶のそれから目を離すと、丁度リーシャが起きて来るところだった。
「おはよう、ユニエ。」
「おはよう、リーシャ。」
後ろの髪の毛が跳ねていた。一度起きた時にちゃんと髪を揃えてから眠らなかったのか?
「寝癖ついてるぞ。違う、ここだ。」
よく分かっていないようだから水で軽く濡らして手櫛で整えてやった。
「ありがと。」
リーシャはゆっくりとした動きで鞄から棒状の何かを取り出して齧り始めた。あれが飯か?宿にいた頃に比べてだいぶグレードダウンしてしまっている。早くどこか落ち着けるところに連れて行かないとな。
「そう言えば水筒はあれで足りた?」
「足りなかったな。ネズミがいたからそれで補ったが。」
「そっか。じゃあ早く移動しないとね。水が飲みたいんでしょ。」
そう言って手早く荷物を畳み始めた。
「別に今すぐでは無い。多少我慢すれば良いだけだ。」
まあ早いに越したことは無いが無理をさせるわけにもいくまい。
「大丈夫。この先に村があるけどあと一日歩けば夜までには着けるから。」
一日中歩くって…いやまあ森から街へ向かう時は毎日そんな感じだったか。
「無理はするなよ。」
一応注意するもあまり真面目に捉えてはいないようだ。やれやれ。
ともあれ出発である。久しぶりに霧を飛ばして偵察する。
「そう言えばユニエは雨降らせるようになりたいって言ってたよね。何か収穫はあった?」
「…魔法の事はよく分からん。」
授業の内容がとんと頭に入ってない。
「そっか。やっぱり精霊魔法は仕組みが違うのかな。」
「さあな。どんな原理で水が操れているのかも分からんからな。魔力で動かしてるはずだがそもそも何故それで動くのやら。」
モヤモヤを動かすと水も一緒になって移動する。まあ問題なくできているのだから気に必要もないか。
「うーん。他の精霊に話が聞けたらいいんだけどね。ユニエみたいに精霊はみんな変わってるからしいから、素直に教えてくれるか分からないけど。」
「変わってるか?私は。」
「うん。だいぶ。変わってるかって言うか、常識が無いって言うか。」
常識が無いのでは無く常識が違うのだ。まあ意識が目覚めた直後はただの水の塊みたいなものだったからな、人間だった頃とずれてもそれは仕方ない、体質だ。
「精霊には精霊の常識があるのだ。たぶん。」
「多分って…精霊としての常識も無いんじゃ無いの?」
「私だって他の精霊とは会った事がないからな。うむ、仕方ない事だ。」
そんなこんなで日が高く登り傾き始めたころ
「あ、あれかな?」
大きな影が見えて来た。リーシャにはよく見えてるらしく、手をかざしながら「おー」とかとか「あー」だの言っている。
ふむ、しかし子供の足で半日近くか。街からそう離れていないな。
「思ったより近いのだな。これぐらいの距離なら街に移り住んだ方がいい気がするが。」
「街は物価が高いからね。それに農村とかだとこの辺りの原住民が住んでる事が多いから。多種族の融和、って言ってもそれを歓迎する人ばかりじゃないんだって。」
「むむ、それだとあまり歓迎されないような気がするが、大丈夫なのか?」
「まあ馬車の中継地になってる村だからそこまで閉鎖的じゃないと思うけど。」
それなら大丈夫か。ちょっとした安堵を感じて村に近づいて行くと
「うおっ!」
矢が飛んで来た。水を横殴りに放つとだいぶ前で落下した。
「これは警告だね。最初から当てるつもりの軌道じゃ無かったよ。」
「それは安心していいのか?」
「警戒して。」
リーシャは短く言い放つと、腰のナイフに手をかけた。全然安心はできないらしい。
はあ、やはり街から離れるべきではなかったか。霧を作りながら心中でため息をついた。
新章?突入!




