春のピクニック
薄暗い坑道の中、目が慣れた頃に目の前の影が声を発した。
「ごめんなさい。これしか道は無いの。」
「…分かってるよ。今までありがとう。ユニエ、行くよ?」
ああ、ああ。しばらく水とはお別れか。また不味い血を啜る日々が始まるのか。いや、そもそもこれは私の責任だ。リーシャを巻き込んでしまったのは私の汚点だな。
「そうだな。…済まんかった、リーシャ。」
「何で謝るの?」
「私の所為だ。悪い事をした。」
「別にユニエが気にする事は無いよ。しばらく元の生活に戻るだけだよ。」
はあ、保護者失格だな。
「じゃあ、アル、バイバイ。」
リーシャが手を振っているので私も軽く手を上げた。
「さよならだ。」
「ええ、またいつか…会えるといいわね!」
パラパラと小石が壁を這う音が残響する狭い通路を歩いて行くと、直ぐにアルは見えなくなった。まだ息遣いすら聞こえてきそうな距離しか離れてないが、角に隠れて最早その姿は確認できない。
「ユニエ、前見ないとぶつかるよ。」
後ろを見ながら飛んでいたら注意されてしまった。
ぼんやりと浮かぶ赤髪を見失はないように少し速度を上げた。まさかこんな事になるとはなあ、昼間ではいつも通りだったのだが。
~~~~~~~~~
≪数時間前≫
多少のぎこちなさはあるものの特に痛そうな様子を見せることなくリーシャは着替えを終えた。薬があったとはいえずいぶんと治りが早い。まあ実際筋肉痛がどれくらいで直るかなんて覚えてないが。
「うん、行こうかな。」
ひざ丈程度のスカートををたくし上げて靴ひもを結ぶものだから太ももがちらちらと見えて思わず渇きを忘れそうになる。先までもっとあっぴろげな姿を見ていたはずなんだがな。は
「私は水を飲んでくる。」
ま、今はとにかく水だ。飲みたいときにいくらでも飲めるのは大変ありがたい。
「あ、ユニエ。ご飯食べ終わったら出かけるから、そのつもりでいて。」
「わかった。」
今日は一日ゆっくりしていると思っていたが、どこか行きたい場所があるのか?水を飲んだら聞いてみるか。
井戸につくと真上から一気に飛び込む。水に身を沈め全身から送られてくる満足感に浸る。ああ、いいものだ。森では川が近くにあればともかく、平原ではたいてい小動物の血を啜るしかなかったからな。いつでも好きなだけ飲めるのは何よりの快楽だ。
ずっとこうしていたいものだが、それもリーシャが食べ終わるまでのことだしな。もうすぐしたら上がるとしよう。
「ユニエー!」
「んあ?リーシャ。」
もう少しだけ、と思っている間にだいぶ時間がたってしまっていたようだ。
「今上がるぞ!」
渇きも癒えたことだ、また後で味わうとしよう。
上に上がっていくと弾んだ声が聞こえてきた。
「今日はこないだのお給料が出たから新しいナーーーってユニエ!服着てよ!」
井戸から出たところでリーシャから待ったが入った。こんなこと前にもあった気がするな。
「新しい何を買うんだ?」
水で衣を形ずくりながら先を促すと、ジトッとした眼差しを向けられたものの顎をしゃくると表情を変えて少し緩んだ顔で
「新しいナイフを買うの!」
との賜った。ナ、ナイフ…嬉しそうに話す類の物品だろうか。
「前から接近戦もできるようになりたいと思ってたんだけど、アルに相談したら剣はまだ早いけどナイフなら教えてくれるって。でもナイフは正規の装備品じゃないから自腹購入しなきゃいけなかったんだけど、お給料が入ったからやっと買えるの!」
だめだ、何が嬉しいのかさっぱりわからない。思春期を通り越して中二病にでもなったか?だとしたら非常にまずい。
「これで私も少しは強くなれるかな。」
末期症状な気がする。
「強くなりたいのか…」
リーシャは私の疑問とも独り言とも取れる呟きを拾って答えた。
「だってユニエは精霊で私はただのエルフだもん。私のほうがずっと弱いから、もっと頑張んなきゃ。」
思っていたのとは違うようだ。ひとまずそれは安心だが、また違った問題でもある。唇を尖らせながら言う姿からは焦りや劣等感は見えないからあまり深刻に思っている訳ではないのだろうが。
「お前がまだ子供なだけだ。私はお姉さんだから強いのだ。いずれは大きくなって強くなれる、私のようにな!」
得意げに胸を張って見せる。ま、子は親の背中を負うものだ。リーシャが私を目安にして考えているのならばそれは誇らしいものであるし、そうであり続けられるように私も努力せねば。
「お姉さんにしてはちっちゃいけどね。」
な、なんだと。
「お前のほうが私より背が小さいだろう!」
「そんなところでむきになるあたり、お姉さんらしくないよー。」
むむー、意地悪い笑みは心底憎たらしい。まあ、これはこれでいつも通りのリーシャだな。
「ふん。私の方がお姉さんである事は厳然たる事実だ!」
しかし最早そう主張するしか手は無いのであった。ああ、もっとこうガツンと言える言葉は無いものか。
「そうだよね…ユニエは私よりも年上なんだよね…私よりも前に…」
「??…やっと分かったか!そうだぞ、だから目上の者にはだなあーーー」
「ふふ、はいはい。」
軽く流された気がするが致し方あるまい。分かれば良いのだ、分かれば。
釈然としないものを感じながらも中庭をから通りに出る。体の動きをそのまま映して赤髪が陽光を反射しながら弾んでいる。思った以上にご機嫌な様子である。
…もしかしてこれはリーシャにとって初めてのお使いか?いや自分の物を買うのだからお使いは変か。しかし考えてみれば買い物に出るのは初めてかもしれん。外出は学校に行くのと訓練だけで買い食いもせずに帰宅し、後は日がな一日読書に勤しむと言うのが多々ある。
うむ、これを機に何か楽しみを見つけさせた方がいい気がするな。初ショッピングがナイフなのはともかく。
「何処で買うんだ?」
「ワゴンさんに紹介された武器屋さんだよ。安くてそこそこの性能なんだって。」
ワゴン…誰だ?いやまああった事はあるんだろう多分。それはさておき
「初めてのだったら多少高くても良質な物を買うべきじゃ無いのか?」
するとリーシャは巾着を掲げて
「これっぽっちじゃ足りないよ。衣食住全部面倒見てもらってるからあんまり高いお給料じゃ無いんだよね。それに学割も効くらしいから。」
うーむ。悲しい気分である。バイトでも探すか?リーシャだけだったら無理かもしれんが私も付いていれば何処か雇ってくれそうな気がするな、洗濯とか。
「なあ、私が働けばもっと収入が増えるんじゃないか?」
「ねえ、それって誰かと契約するってこと?私以外と?」
「別にそういう訳では無いぞ。例えばだな、せんた「ダメ。」く…んあ?」
いきなり立ち止まるものだからリーシャの前に出でしまった。
「ダメ。そんな事したらぜっこ…とにかくダメなの!」
顔を動かさずにそう言い切った。顔色を伺うつもりで振り返っても眼帯しか見えないが、その眼帯越しに無いはずの眼に睨まれる錯覚を感じた。
そのまま歩き出したリーシャの後を少し遅れて付いて行く。何が気に障ったんだろうか。
「怒ってるか?」
「怒ってない…」
怒ってるじゃないか、とは言わん。が、年頃の子供の事はよく分からん。
首を傾げながら後ろに付いているとリーシャが徐に喋り出した。
「ユニエは私の側に居て。それだけで良いから。」
「はあ。そうか。」
そもそもリーシャは私の依り代、だったか?とにかく離れる事が出来ない筈だから当然だが。
「うん。だからユニエが何かする必要は無いよ。私と一緒に居てくれれば、私がユニエに付いて行くから。」
「分かった。」
…やはりどこかに違和感を感じる。こんなのは初めてだ。一体どうするべきなのだろうか。
前に揺れる赤毛は相変わらず弾んでいた。




