艱難辛苦の果てに
シリアスぽい回をもう少し続けようと思ったのですが疲れたのでホノボノです。
カーテンの向こう側が完全に暗くなってからしばらくして、長らく絡めていた指をゆっくりと解いてベットから出た。窓に手をかけたところで振り向くと空いた隙間が寒いのかリーシャは掛け布団をひしと握りしめている。
ギイと鳴って窓が開いた。そこから外に身を乗り出し、もしかしたら、という思いにつられて屋上に向かう。期待はせん、もはや街にいるかも定かでは無いのだ。しかしあれは猫だからな、ヒョイとくるかもしれん。
窓から上がると昼間の騒ぎを忘れさせるようないつも通りの街並が見える。大事件が起きたように思えたがこの都市全体からすると大した事ではなかったのかもしれんな。曇った空で星明かりがなくとも変わらず輝く街火は途切れる事なく続いている。
いつもと違うのはいつまで経っても貴重な相談相手が現れない事だ。これまで一人でいる時間を苦痛に思った事は無かったが、今ばかりは僅かながらも寂寥感が募る。もう誰とも教育に関して話し合う機会が無いと思うと心細い。
期待はしないが、今は雨も降っていないのだ。あれが絶対に来ないとは言い切れんしな、少しぐらい待っても良いだろう?
「早く来い。今なら…」
今なら水をかけるのを勘弁してやってもいいぞ?
空に向かって言った呟きは雲に吸い込まれていった。
:
:
:
台風一過の青は屋上から一直線に見える朝日に良く映える。しかしそんな雲一つない快晴にもあいつは結局来なかった。まあいずれまた会えるか。ケットシーの寿命は知らんが、多分長生きだろう。
さてと、そろそろリーシャが起きてくるな しな、部屋に戻るか。
窓を開けて部屋に入ると、共に朝の冷たい風も吹き込んだ。慌てて閉じるも時すでに遅し、眠り子を目覚めさせるには十分な刺激になったようだ。いやまあ普段からこのぐらいの時間に起きているか。
「おはよう、リーシャ。」
「おはよう、ユニエ。ーーーっ、痛っ!」
いつも通りの朝の筈が一転、リーシャは起き上がろうとした瞬間赤い髪を乱して呻き声を上げている。
「どうした!?大丈夫か!」
コヒューコヒューと呼吸音もなんだか怪しい。何か喉に詰まらせたのか!?
こんな時は、えーと、そうだ、背中を叩くんだ!上体を起こさせて
「行くぞ!」
バンと背中を強く叩く。治ったか?
リーシャの顔を覗き込むとまだ苦しそうな、心なしさっきよりも辛そうな表情である。まだ足りんか。よし、
「もう一回だ!」
「ちょ…待って…」
ん?なんだ?再び顔を覗くと目尻に涙を浮かべて抗議の眼差しを向けられた。
「ユニ…エ。私…今筋肉痛なの…」
「あっ。」
筋肉痛、この体になってから一度も味わった事のない痛みだ。しかしその辛さはなんとなく覚えている。
うーむ、かなり強く背中を叩いてしまったぞ。悪い事をしたな。
「その、すまなかった。何か出来る事はあるか?手伝うぞ。」
「うん…軟膏、貰ってきてくれる?宿の人に言えば、貰える筈だから…」
そんな訳で階下の食堂に行くと朝早い時間帯でも既に給仕が働いていた。よし、あのおばちゃんに頼むか。
「おい。」
「ああ?ああ、精霊さんかい。何の用だい?」
「軟膏を貰えないか?筋肉痛に効くやつだ。」
「ちょっと待ってな、今取ってくるから。」
そう言い残して恰幅のいい体を揺らして厨房の奥に去っていった。しばらく待つと小さな壺を持って来て、
「はいよ。それにしても今日はこれが大人気だねえ。」
「どう言う意味だ?」
「軍人さんがみんな筋肉痛になってるんだよ。こんなの一斉転科訓練の時以来だからねえ、滅多にないさ。そう言えば昨日は市長の演説が途中で聞こえなくなったけど、なんかあったのかい?」
「私も詳しくは知らん。」
と言うか騒ぎの事は知らないのに演説は聞こえていたのか。まあどうせ魔法か何かだな。
お大事にー、と見送られながら部屋に戻る。使うのは私ではないんだが。
「貰って来たぞ。」
「ありがとう。」
寝たままのリーシャに壺を渡そうとして気付いた。これ私が塗らなくてはならないんじゃないか?
「腕は動かせるか?」
「…無理。」
不自由なリーシャに代わって掛け布団を取り払い、下着をめくってから軟膏を掌に載せる。ひんやりしたそれを腹に塗りたくると、リーシャは一瞬びくっとしたがその動きの所為でまたどこかに痛めたようだ。
「お腹じゃなくて、肩とかお願い…」
「む、そうか。」
肩ひもを避けて軟膏を塗る。しかし、こうして肌を撫でまわすのは初めてじゃないか。
「後はどこだ?」
「足が…太ももが特に痛むの…」
そう言われて足に手を伸ばす。プニプニもしているがしっかりとした筋肉も感じるカモシカのような引き締まった足だ。撫でまわすようにしているとムラムラする。いやいや、駄目だ駄目だ。手つきを揉みこむようなマッサージ式に変えた。
「うう…」
うめき声が聞こえたが、許せ。私が保護者でいるためだ。褐色の肌に軟膏が光を反射して妙に艶めかしいがそれからも目を離しても見込む。あ、手が滑った。
「---!くぅ…」
許せ、これもお前のためなのだ…
そんなこんなで一通り塗り終わると、一応楽になったようでほっとした顔つきになった。
痛みの為か何時もより口数の少ない弱った姿はなんと言うかこう、庇護欲を掻き立てるものがあるな。昨日に引き続き可愛がり甲斐があって満足だ。時節波が来るのか、リーシャの痛みを堪えてハの字になった眉や身動きの度にプルプルと震える唇を見ていると抱きしめたくなる。
痛みが酷くなるだろうからやらんが。
「なに…」
「む?何だ?」
「顔、笑ってるんだけど…」
いつの間頰が緩んでいたようだ。
「何でもない。」
うむ、ルエスが居なくなったのではなく、元の状態に戻っただけだな。あれと出会うまでも二人でやって来たのだ。これからもやっていける、きっとな。
そう思ってリーシャに微笑むと、恨みがましい眼差しで
「覚えててよ…」
何故だ。




