風は運ぶ
霧を生み出し視界を白く染め上げる中、私の心もやはりモヤモヤしていた。
演習の時にたびたび指摘されたことだが、リーシャがそばにいないと、どうしても気持ちが大雑把になり闘う気力がわかん。水が絡んでないとなるとそもそも私の行動原理から外れているのだ。今回はリーシャのために仕方がなくだが、しかし相手は保護者仲間、否、友人と言ってもいいあのルエスだ。
駄目だな。気持ちを切り替えなくては。
ああ、少し渇いてきた。おあつらえ向きに生きのいい獲物がいることだ、久方ぶりの不味い血を啜るとしよう。なに、泥よりは美味いはずだしな。
かすんだぼんやりとした白さの中、獲物の直上へと飛ぶが、その直後に再び風が吹く。
やはり風魔法は厄介だ。しかし今は対象の直上に位置する事で完全に相手の死角に入っている。私なりのこの戦術はアルや他の兵士にも、そしてリーシャにも非常に有効だった。初見殺しと言ってもいい。
これで血が吸えると思いながら大量の水を呼び出し下に叩きつけるが、その慢心は一陣の風によって水と共にあっさり散った。駄目だな、こいつは悪魔と同じぐらい強いと考えるべきか。
まだ制御下にある水をその場で霧に変えて索敵し、状況の把握に務める。んん、あったはずの敵影が無い。まさかーーー
ばっと空を仰ぐと、太陽を背に、黒いシミが一つ。
「フシャー!!」
おのれ、いつの間に。回避しなくては!
宙を舞う様に、そして素早く滑る。私もそれなりに経験を積んだからな、中々この動き方も板についてきた。突風を予測して体勢を調整する余裕さえある。
すぐ横を烈風が過ぎる。その刹那に、獲物と目が合い、そのただでさえ大きなクリクリとした目が更に見開かれていたのが見て取れた。その目は、さっき引き合いに出して考えた悪魔とは似つかない、見慣れた親しみのある輝きを宿していた。
渇きが少し遠のいてしまった。これ以上姿を見るとますます戦いずらくなるな。
そう思って、着地する音が聞こえた地面には目をやらず、空へと強引に視線を変えた。隙になるかということは深く考えない。戦えなくなったら、その方が困る。
ぽっかりと空いた空の穴は、いつの間にか都市から離れつつあった。ああ、また嵐が来るのか。
そう思った途端、雨が降り出した。上空はまだぎりぎり青いままだが、それにもかかわらずポツリポツリと体を雨が打ち付る。
もはや戦意は失せた。渇きも何も、私を引きずってくれるものは何もない。時間稼ぎをしろと言われたが、もう十分だろう?リーシャのそばには私がいれば何とかなるだろうし。
視線を下におろすと、鬱陶しげにしているルエスがいた。じっと雨でよりつやを増しつつある黒い毛皮を見ていると、こちらを向いて
「中々やるニャ。」
「お前もな。」
ルエスはその後やけにいぶかしんだ様子で私をじろじろと見てきた。
何だ?顔を撫でながら聞いてみる。
「何かついているのか?」
「そうじゃないニャ。たぶんミーの気のせいニャ。」
変な奴だな。
「うぐう、おれはどうし「肉球パンチニャ!」グハ…」
気まぐれに降る雨粒の所為か気絶していた者達が起き上がってきたが、ルエスは無情にも再度眠りに導いた。んん?いま又ダウンしたあの男は、さっきルエスが頭の上に載ったいたクソガキじゃないのか?
「そいつもなのか?」
指をさして質問すると
「起きてると騒いで邪魔ニャ。クソガキは静かな方がいいニャ。」
何と手荒な。しかしまあ、時間稼ぎか。駄弁ってれば達成出来そうな気がする。もう闘うような気分じゃないからな。
試してみるか。地面に降りて座る。いつものようなスタイルになってルエスに語り掛ける。
「私のリーシャはまだ10歳なんだが、さっきまでの演説に興味があったみたいでな、私を置いて人混みに紛れに行ってしまったんだ。」
「いきなりどーしたニャ。」
「まあ聞け。」
唐突に話し始めたからかルエスは訝しんでいる様子だが、一応そのまま話しには付き合ってくれるようだ。やたらと顔をこすりながらも、大人しくしている。
「いきなり走り出すのは、まあそれはそれで子供らしくて良いんだが、如何せん興味を持ったのが政治的な事なのだ。いつだったかお前に子供の道を邪魔するんじゃ無いと言われ、その時はそう言うものかと納得したが、やはり不安でな。私はそれでも黙っているべきか?」
「言ったはずニャ。子供は思ってるより早く成長するニャ。ただそれだけの事ニャ。ニャ、ユーの気持ちも分かるニャ。でもやっぱりある程度自由にさせるべきニャ。」
ルエスはこの手の話しには常に真摯に答える。それ故に多少の罪悪感を覚えないでも無い。しかしこれもリーシャの為だ、うむ。それにこうして会話するのはこれが最後の機会になるのやもしれん。今のうちにできるだけ喋るか。
「成る程な。しかしそれでも心配なのだ。」
「ニャ、好きにすると良いニャ。答えは一つじゃ無いニャ。」
そして沈黙が流れる。いつもだったらここからルエスの愚痴が始まるのだが、今はニャアともすんとも言わ無い。黙って此方を見るだけだ。さすがにそんな気分じゃないのか。
そこでふと一つの疑問が浮かんだ。
ルエスはこれからどうするつもりなんだ?こんな街のど真ん中で騒ぎを起こして、軍すら出動している。この猫は強いみたいだが、それでも街一つを敵に回して無事だとは思えん。何か策があるのか?
考えを巡らせていたら、不意に景色が変わった。
見慣れた黒い軍服と、浮浪者の集団かと疑うようなみすぼらしい格好の男たちが近づいてきた。
アルのいっていた応援部隊が到着したのか?しかしあの集団は何なんだ?軍人にはとても見えんしな、そもそもお互いに警戒しあっている素振りさえ見て取れる。
観察している時間は長くは続かなかった。強い衝撃を受け吹き飛ばされる。地面にこすりつけられる前に空中で体勢を立て直すと、即座に黒い影が迫ってきた。
「ぐっ!!」
地面には叩き落とされ、頭を小さなやわらかいプニプニに押さえつけられた。即座に水を使って脱出しようと暴れるが何もかも風で無効化される。
顔を覗き込んできた猫ずらを憎々しい思い出睨みつけて、
「どういうつもりだ…」
絞り出すように問う。いや、答えはわかっている。私たちは最初から戦っていたのだ。この愚問はあまりに滑稽だったか。
案の定ルエスは呆れたような声で
「敵の排除をするだけニャ。」
そう言った。
「いきなり戦闘をやめて隙だらけになったのは驚いたニャ。そのあといつもみたいにしゃべりだしたのはもっと驚いたニャ。一番驚いたのはそれが罠でもなんでもなかった事ニャ。」
うぐぐ、私が甘かったのか。
「ニャ、友達のよしみで命はとらないニャ。しばらく眠ってるニャ。」
肉球が顔から持ち上げられ、再度振り下ろされた。




