背伸び
階段を登って辿り着いたのは質素な部屋だった。正にに寝るためだけと言った風情でベットの他に小さな机と椅子が一組あるだけだが、リーシャは何も気にした様子もなく、むしろ少しご機嫌そうな様子でベットに座った。
「この部屋が気に入ったのか?」
部屋に入る前には疲れた顔をしていたが。
「ベットがあるからね。もう地べたに寝っ転がら無くていいと思うと、少し嬉しいよ。」
幸せの基準が低いな。なんだか不憫だ。頭でも撫でてやるか。
「よしよし。」
リーシャの目の前に滞空して、赤髪を撫でてやる。
「普通、逆じゃないの?」
そう言って私の頭へと伸ばされた手を華麗に躱すーーー
『なでなでさせてー。』
か、体がかってに動く。頭はリーシャが丁度手が届く高さに下がる。
「ふふ、どんな気分?」
私の頭を撫でながら、ご満悦な表情で問うてきた。
「く、屈辱だ…」
クッ、悔しーーーあれ?でもなんか心地いい気がしてきたぞ?
「クスッ、でも体は正直だね。鏡があったら見せてあげたいよ。」
なぬ。
「ふふふ、顔が緩んでるよ?」
威厳が…威厳がなくなっていく…仕方ない、古傷をえぐるような真似はしたくなかったのだがな。
「さっき漏らしかけてたくせに。」
「それはもう忘れてよ!」
確実に効いているようだ。ふふん。まだまだ子供だな。これで私がお姉さんだと思い知ったか。まあ、頭を撫で回されている今、何を言っても格好がつかないから黙ってるが。
さぞ恥ずかし悔しがっているだろうと思い顔を上げてると、不満げに細められた隻眼と視線がぶつかり、なんとなく目線が離せなくなる。
普段は宙に浮いているから、こうしてじっくりリーシャの顔を眺める事はあまりない。夜は長いので寝顔なら良く見るが、この紅い輝きを見つめたのは久しぶりな気がする。
いつの間にかリーシャの手は頭から頬へと回されていた。それがこそばゆくて首を振って手を退かそうとしたが、逃してくれない。
くすぐったいぞ、と言おうとした時、ドアがノックされ手は離れて行った。
「開けてくれるかしら!今両手が塞がってるの!」
リーシャは身を翻してドアへ向かって行った。アルは部屋に入るなり、小さな机の上に本を何冊もおいた。
「ふー。これだけあれば大丈夫ね。えーと、こっちの本がーーー」
リーシャに本の説明をしている。まあ、私には関係無いな。後でリーシャに聞くか。
「ーーーご飯はーーートイレはーーー分かったかしら?」
「うん。大丈夫。」
あっ、水のこと聞かないとな。ネズミの血は嫌だ。
「水は何処にあるんだ?」
「裏庭に井戸があるわよ。どれくらい必要なの?」
「半日で30Lだな。」
アルは少し悩んだ後、
「悪いけど、責任者と相談してくれないかしら。私は井戸について詳しくは無いし、その数値が大丈夫なのか判断出来ないわ。話は通しておくから、後で確認してちょうだい。」
「分かった。」
「じゃあ、明日は街を案内するわね。今日は本でも読んでのんびりしてて。バイバイ!」
アルに手を振る。街か、どんな感じなんだろうな。楽しみだな。
「んー、ふう。疲れたよ。」
リーシャは大きく伸びをして、靴も脱がずにベットに倒れこんだ。枕を抱きしめながら、それに顔を埋めている。
「私、あの人苦手かも。」
声がくぐもって聞き取りずらい上に顔が見えないから、本気なのかどうかが分からん。
「そうか?悪い奴じゃ無いと思うが。」
面倒見は良さそうだしな。水もくれたし。
「そうなんだけどね。今まであんなタイプの人に合った事が無いから、驚いちゃって。それにトイレだって…ゴニョゴニョ…だったし。」
トイレの事が軽いトラウマになったようだ。
「だから私が吸収すると言ったのだ。」
そうすれば一挙両得一石二鳥、素晴らしいアイデアだったのにな。
リーシャは枕に顔をうずめたまま沈黙している。返事がないな?
「リーシャ?どうし「てい!」あ痛!」
不審に思って近づくと、リーシャが跳ね起きチョップをして来た。
「物理攻撃は効かないんじゃないのか?」
やられた頭頂部をさすりながら聞く。意外と痛い。
「腕に魔力を込めるとちゃんと攻撃できるんだよ。と言うか、知らなかったんならなんで今まで避けてたの?」
「迫力がすごくて、つい。」
効かないと思っていても尚、反射的に避けざるを得ない気迫があったからな。今回はバッチリ喰らってしまったが。
「気迫って…と、とにかく、人が気にしてることを蒸し返したらメッ、だよ!」
メッて、やはりリーシャは私を幼い子供と思っているんじゃないか?言うか?今度こそ、お姉さんだなんだぞ!を発動するか?いや、あれはそう気軽に使っていいものじゃない。
悶々と悩んでいると、リーシャが
「まだ水は良いの?」
と聞いてきた。話が変わるのはありがたい。このままでは敗北は必須だった。
「今はあまり渇いてないな。飲めるなら飲むが。」
朝昼と血を吸収し、水もある程度飲んだので、そこまで渇いてない。
「じゃあ、晩御飯の時で良い?」
「良いぞ。」
そう答えると、リーシャはベットの横の机に積み上げられていた本を読み始めた。
「何を読んでいるんだ?」
「種族についての本。ドワーフとか獣人とか言われても、よく分からなかったから。」
ああ、リーシャは人間とエルフ以外には知らなかったのか。
「ユニエも何か読む?」
「私は文字が読めん。」
話す聞くは精霊の翻訳機能でなんとかなっているが、字はそうはいかないらしい。魔法に関する本とかなら読んでみたいが、先ずは勉強から始めなければならない。
「勉強する?教えてあげるよ?」
リーシャは読み始めたばかりの本を閉じて、こちらを見ている。お願いしようか。いや、リーシャの邪魔をするのも何だしな、今は大人しくしてるか。
「お前が本を読み終わってからで良い。その内、な。」
そう答えると、リーシャは意地悪そうな表情で
「もしかして、勉強嫌いなの?ダメだよ、ちゃんとやらなきゃ。」
心外だ。私は気を使っただけである。しかしそう話しても、リーシャは肩を竦めるだけで取り合おうとはせず、本を開いてそのまま読み始めてしまった。なんか言ってやろうと思ったが、さっき気を使った結果だと主張した手前、読書を邪魔する訳にもいかず、泣き寝入りするしか道はなかった。
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いじけて水遊びをしていたら、いつの間にか窓から入る光が赤くなっていた。リーシャもそれに気が付いたようで、本を机の上に置いてベットから降りた。靴を履いて、大きく伸びをしている。
「そろそろご飯にしようかな。ユニエも水が欲しいでしょ?」
確かにだいぶ渇いている。水が欲しい。
「うむ、水だな。そういえば、責任者がどうたらと言う話しだったが、どうすれば良いのだ?」
「一階の食堂のおばさんに聞けば良いらしいよ。もしも水の量が足りなかったら、私に考えがあるから。」
おお、リーシャが頼もしく見える。しかし何か方法が有るのか?
聞いてみても「お楽しみに。」としか答えてくれない。気になる。本に書いてあったのか?しかし残念、文字が読めないから、当たりをつける事も出来ない。
階段を下り、一階の食堂に着いた。リーシャは真っ直ぐカウンターへ行くと、おばさんに声をかけた。
「井戸の使用についてなんですけど。」
「ああ、話は聞いてるよ。自由に使って大丈夫さ。」
おー。太っ腹だな。割と量が多い筈だが。リーシャの秘策が発動しないのは残念だが。
「ユニエ、私はご飯貰ってくるよ。裏庭はあそこの扉から行けるらしいから。」
「うむ。分かった。」
「じゃあ、階段の所で待ってるね。」
リーシャと別れ扉をくぐると、手入れの行き届いた植木と井戸が現れた。目標地点からリーシャまでの距離は流石に25mも離れてない、筈だ。
井戸は組み上げ式だった。いちいち組み上げるのも面倒だな。穴はだいぶ狭いが、私なら通れそうだ。念のために服は無くしておくか。
「よし、行くか。」
服を形作っていた水を再吸収して裸になり、思い切って井戸に身を投げる。着水して飛沫と破裂音が狭い井戸穴に響く。しかしその時、叫び声が聞こえた。
「ウニァー!!」
うにぁ?
「ダメだニャ!自殺なんかしちゃいけないニャ!」
上から降ってくる声の主は
「今助けを呼んでくるニャ!」
猫だった。




