焼き水
「ググぐ、みつけタ。ごちソウ。」
意味があるかは分からんが、とりあえず窒息させてみるか。
「くらえ!」
水を放ち、奴の口めがけて水を操る。4本の手で払われそうになるところを分裂させて避ける。口を覆われたら為すすべも無かったが、これならーーー
「んな!?」
いきなり水が吹き飛ばされて、遅れて風が届いた。まさか、風魔法が使えるのか?
「リーシャ、今のはまさか、、、」
「うん、あれは風魔法だね。さっき火が消されたのも風魔法だし、結構強力な使い手だよ。やっぱりモンスターとかそんなものじゃない。もっと恐ろしい何か、、、」
リーシャは思案顔であれを観察している。
「来るぞ!」
いきなりこちらに突っ込んで来た。狼なんかよりもずっと早く、象よりも威圧感がある。こいつは手強いな。
「火よ!」
リーシャが牽制の為に火球を放つが
「ムダむダ。」
予備動作も無しに風が吹き、火が掻き消されてしまった。
やはり魔法は効かないのか。霧での煙幕も怪しいが、無いよりはマシか。
「ユニエ!」
霧を撒こうとしたら、すでにすぐそばまで接近されていた。くそ、動きが早い相手がこんなに戦い難いとは。今まで狼のような喉潰しで窒息させるのが簡単なのか、動きが鈍く的が大きい象や熊としか戦ってこなかったツケか。
上に浮きながら、一つのアイディアを思いついた。
ん?上に逃げながら背後を取れば、奇襲になるのでは?やってみるか。
ちょうどこいつの頭上にいる。そして慣性の法則のままにお互い前進し、交差するようにして背中が見えた。良し、こちらには振り返っていない。次は当てる!
意気込んで水を放ったものの
「む、ダメか。」
飛んで来た水に対して微塵も反応する様子が無かったにも関わらず、風で散らされてしまった。背中からも魔法を撃てるのか?
そう思っていたら、あれが勢いをそのままに木に衝突しそうになったが、バク転して木をタイミングよく蹴った。すごい運動神経だな。
「うわ!?」
こっちに飛んで来た!?くそ、回避が間に合わないないーーー
「ぐっ、は、離せぇ。」
首を掴んでそのまま地面に引き倒された。息は苦しく無いが、声が出ない。二本の腕で首を掴まれ、残りの二本で両腕を抑えられた。至近距離にいるから反応出来ないかと思い口めがけて水を放つが、風を纏っているのか一定の所まで近づくと散ってしまう。
「ぐギギ、ごちソウ、イタダきまス。」
「くそっ、このっ!」
鋭利な歯がぎっしりと詰まった顎が、私の小さな頭を丸かじりしようと迫って来る。
こんなところで死ねるか!私は雨を降らせるようになって、たらふく水を飲むんだ!
必死に暴れるが、力が強くてビクともしない。そもそもこの体は肉弾戦に適してはおらず、筋力は見かけ通りの強さしか無い。水が無いと、どうしようもなく無力だ。
無慈悲にもゆっくりと近づいて来る口から、よだれが垂れそうになっている。汚いと思うのも束の間、私の頰に糸を引いてねっとりとした塊が零れ落ちた。ばっちい!
しかし残酷な事に、体は本能に従い液体を吸収し始める。うへぇ、と思った次の瞬間、一つの衝撃が全身を貫いた。世界がスローモーションになり、視界をいっぱいに覆う化け物の口の動きがほとんど止まっている。喉の奥の赤黒くぬめり鈍く光る粘膜、何かの肉片が詰まった奥歯。そんなグロテスクな物を見ながらも、思考はただ一つの感覚に支配されていた。
不味い。恐怖も焦燥も忘れ、叫びも驚きもせず、ただひたすらそれだけを思っていた。熊の血も不味かったが、もっと不味い。何がどう不味いのかわからないが、不味い。とにかく不味い。不味すぎる。あまりの不味さにそれしか考えられない。
しかしその時間も長くは続かなかった。引き伸ばされていた永遠が元に戻る。視界が暗くなる。歯が額に食い込み、鋭い痛みが走る。不味さが痛みに上書きされる。その感覚に思わず安堵する。死の瞬間にまでこの不味さが続かないのは唯一の救いだな。不味さのあまり感情が麻痺したのか、怖くは無かった。
ああ、そういえばリーシャは大丈夫なのかな。それだけは少し気がかりーーー
「ユニエから離れろ!!」
歯が肌にめり込み、次の瞬間には噛み砕かれるだろう時に、叫びとそれに続いて爆音が聞こえた。
「ぐがガガ、ナんダナンだ。」
視界が明るくなる。頭から口が離れて行く。まだ死んでないようだ。
この怪物がキョロキョロと周囲を見まわしていたが、ある方向で首が止まった。その視線につられてそちらを向くと、リーシャが胸を押さえながら立っていた。
「もうイッぴきいたんダった。ウッカリうかっリ。イタいイタイ。」
「はぁはぁ、これでも、効いてないの、、、」
息も上がっているのか、呼吸が早い。今にも倒れそう、という事は無いが、辛そうだ。
「リーシャ、全く効果が無い訳でもなさそうだぞ。痛いと言っている。」
もっと強力な魔法を当てられれば、或いは。ご馳走に気を取られていたのか、風魔法を使えなかったようだ。どうにかしてこいつの気を惹いて、リーシャが蒼炎を使えれば。
「リー「ユニエ大丈夫なの!?」ああ、大丈夫だ。それよりも、私がこいつの意識を逸らすから、もっと強力な魔法をーーー」
考えを伝えようとした時、怪物が呟いた。
「そうダ、ミズノせいれいはヒデ、アブったほうがウマい。」
火で炙る?何を言っているんだ?
疑問に思うが、思考がまとまる前に、持ち上げられた。首を掴まれ手を固定されたまま、体が地面から浮き怪物にリーシャの方へと掲げられる。ちょう人質にでもするかのような具合だ。
あまり賢く無さそうだと思っていたが、人質を取る程度の知能が有るのか?だとしたら厄介だな。馬鹿で有る事が最大の弱点だと思っていたのに。
『これヲやけ。』
今なんと言った?これを焼け?なんという意味だ?
疑問が頭を駆け巡る。やはり単なる馬鹿なのか?
「嘘!なんで!」
リーシャの焦ったような声に前を見る。すると何故かリーシャは、かなりの大きさの火球を両手の間に作っていた。ま、まさか私ごと攻撃するのか!?
「お、おい!リーシャ、やめろ!」
「違うよ!私じゃ無い!体が勝手に。どうして!?」
体を操られる?なんてことだ、この怪物は、言霊が使えるのか!?
これを焼け。これは私のことで、リーシャに命じたのか!
「リーシャ、こいつは言霊を使ったんだ!お前に私を焼けと!」
「そんな!どうしよう、どうすればいいの!?」
「なんで知らないんだ!」
まさかリーシャが言霊に対しての抗い方を知らないとは。言霊が使えるんだから、てっきりその対処法も知ってるのかと。
当てが外れたが、なんとかしなければ。
「くっ、やはりダメかっ。」
水を後ろに向かって滅茶苦茶に放つが、そのどれもが弾かれ散らされるのを感じる。
なすすべも無く、リーシャの火球がだんだんと赤から黄色、黄色から白、白から青へと変化して行くのを眺めるだけの時間が続く。
リーシャは最初どうにかしようと抵抗していたが、どうにもならずパニックになり、とうとう泣き出してしまった。
「ひぐ、ごめんなさい、ごめんなさい。」
普段は泰然として、人をからかう余裕があるリーシャだが、それだけに年相応に泣いている姿は、胸に来るものがあるな。これを見ると八つ当たりも出来ん。
ここまでか。短い第二の人生(精霊生?)だったが、少しは楽しめたか。リーシャと会わなければ、ずっと血だけを啜るはめだったんだし、まあいい出会いだったか。
リーシャは、うわごとのように謝罪を繰り返しながら、グスグスと泣くばかりだな。しょうがない、年上として、最期に元気付けてやるか。
「リーシャ、泣くな。私はお前と出会えて、そこそこ楽しかったぞ。だから、笑え。見送る時は、笑顔でだ。」
自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。それだけ死ぬのは恐い。
しかし泉の水を飲み干した時は、死の恐怖を上回るだけの苦痛が、渇きがあった。あれに比べればこの程度、なんて事は無い。
「ユニエ、、、私も、私もすぐ逝くから。一人にしないから。だからーーー」
リーシャは一転して、危うさに満ちた笑みを浮かべている。これじゃダメだ。そうだ、私はリーシャのお姉さん、姉貴分なんだから、しっかりしないとな。恐がっている場合じゃ無い。私が、導いてやらねば。
「私の後を追うだとか、そんな事は許さん。お前はお前の道を生きろ。それが遺される者の務めだ。」
「やだよぉ、置いてかないでよ、、、」
鼻声で置いてかないでと懇願するリーシャ。元気付けよう逆効果だったか。格好をつけて、難しい事を言うものでは無いな。こう言う時は、ストレートにシンプルに、
「リーシャ、強く生きろ!」
目を見てはっきりと言う。これ以上の言葉は見当たらなかった。
「う、うあぁぁー!」
リーシャの手から限界まで青く染まった光の塊が、私めがけて飛んで来る。
自分に言える事は言った。奇妙な満足感の中、ぼんやりと
(これ、炙るどころか全部蒸発するんじゃ無いか?)
と、思った。




