7、先生の正体
「妖怪みたいな姿で。あっという間にいなくなりました! 私描きます!」
離れの間で藍英が、小蓮と香呂に話を聞いていた。香呂は興奮してささっと筆と墨で、先生の絵姿を描き始めた。藍英は皇宮に行った後、そのまま屋敷に帰ってきて、先生が現れたことを聞いた。
「お前が無事で良かった」
「えへへ」
心配してもらえて、うれしくて小蓮は照れた。
先生はなんと、玄関から入って、玄関から出て行ったそうだ。
王先生から紹介してもらったと薬の注文を取りに来た。使用人が薬の確認をしている間に手洗いを借り、隙を見て離れまで来たようだ。
そして、何食わぬ顔で戻って、
『騒がしいようなので、また来ます』
と言って出ていったそうだ。
人当たりの良い老人だったので、怪しいと思わなかったとのこと。先生は、人を見計らうのに長けている。
「あの時王医師は、誰か来たのに気が付いていた。おそらくその話を聞き出して、ここまで辿り着いたのだろう」
「描けました!」
香呂は描いた絵を、ビシッと見せた。
右頬に大きな黒いシミが二つ、髪はぼさぼさ、着ているものはボロボロ、両手を前に出し、背中は猫背、ひざは少し曲がった状態の全身図が描かれていた。
(もうちょっと、マシだったような? それとも、先生と暮らしていて私が見慣れてしまったのだろうか?)
「どうだ?」
「まあ、こんな感じです。お上手です!」
香呂の絵の上手さにびっくりした。
「この絵を付けて、指名手配書を全国に貼るとしよう。これで、租も動けまい」小蓮の方を見る。「小蓮、手当てをしてほしい」
「あ、はい」
人払いして、藍英に手当てをした。
「先生が反乱の首謀者だったのは、驚きました。先生は行商をしているので、顔は広いと思います。薬師として腕は悪くないので、信頼もありました。でも、それを利用するなんて……」
「そうか。反乱に賛同しそうな者達を使って、短時間で話を広めたのだろう。農民には悪い話ではなかった。衝突が起きれば、お前に対して俺の印象を悪くできるしな」
一歩間違えば、大惨事になる所だった。小蓮は、顔をこわばらせた。藍英は小蓮の表情を見て、
「あいつがやったことに、お前が気に病むことはない」
「はい」(先生の印象がさらに悪くなっただけだ)
手当てを終えた。まだ昼だったが、痛みが出るようになったのだろう。
「あざを確認してもいいですか?」
「いや、いい。少し広がっているだけだ。手当をありがとう。痛みが引いた」
藍英は笑顔を見せると、部屋を出ていった。
この日以降、小蓮は母屋にも出入りできるようになった。素性は知り合いの娘を預かっている、ということになった。名前は伏せたままだ。
藍英の執務室に呼ばれ、侍従長の範さんに案内される。範さんは白髪交じりの初老の男性だ。母屋はとても立派だ。小蓮はキョロキョロと辺りを見ながら付いて行く。離れも、一家族が十分住める広さがあった。
執務室に着くと範さんは退出して、二人きりになる。藍英は大きな執務机の椅子に座っていた。小蓮が机の前まで歩いていくと、藍英は調べたことを話してくれた。
王先生のところに、使いに出した使用人の話では、
「王先生に話を聞いたところ、ご主人様が訪ねた日の夕方ごろ、やはり租は来ていました」
『小蓮が、帰ってこないので探している』
『あ、もしかして。誰か来た気がしたのだが、姿は見てない』
『それは、いつごろでしたか?』
「王先生は、ご主人様が来たことを、租には言っていないそうです」
医者は守秘義務で、患者のことを他人には話さない。
「聡い奴だ。周辺の聞き込みで、私が小蓮を連れて行ったことを知ったのだろう。
お前の名前が出てしまったが、使いの者にも他言しないように言っておいた。租と関係があるのを知られたら困るからな」
「はい、お気遣いありがとうございます」(全然、足取りは消せてなかった……)
「それから、父が伝承を聞いた村について調べたのだが、その周辺に神殿は無かった。皇宮の資料室で当時の神殿について調べたら、昔は大きな神殿があり、そこがお告げのあった神殿だった。だが、お告げがあった年に火事に遭って全焼してしまったそうだ。そこで働いていた神官達は、行方不明一人を除いて全員が焼け死んでしまった」
「!!」
「行方不明の男は、宿面次というが、恐らく租は宿の子孫だろう。神殿も薬を扱っている。お前が聞いた話には、圧政について触れていたが、皇宮の記録と父が聞いた話にその部分はなかった。神殿は広く伝わるように、民のための伝承であることを隠して皇宮に報告したなら、それを知るのは神殿の関係者のみになる。宿はお告げの奇跡を目の当たりにして、自分の子孫だけがその伝承を独り占めできるように、この世から消し去ったのではないだろうか」
(なんてこと!)
以前、藍英から聞いた話を思い出す。
『不吉とされているので、今は誰も知りません』
伝承と火事が同じ年に起ったなら、人々は二つを結び付けて考えたのだろう。お告げの神殿がなくなった結果、記録や一部の人が伝えるに留まったのだ。
「租は運よくお前を見つけることができて、伝承が本物だと確信したのだろう」
「……」
すでに犠牲者が出ていて、小蓮は言葉がなかった。そして、伝承が限りなく本物だということも。小蓮はまた選択の重圧を感じていた。
(将軍のことは嫌いじゃない。でもここにいるのは留め置かれているからだ……。伝承の娘でなければ、会うこともなかった。呪いのこともあるから、今は出て行くわけにもいかない)
「小蓮、私を選ばなくて良いし、誰かを選ばなくても良いと思っている。そなたは、伝承のせいで辛い人生を送ってきた。これは、一人で背負うことではない」
「!」
小蓮は藍英の言葉に、目が潤んだ。胸が温かくなり、やっと息がつけた気がした。藍英から視線を外して、胸に手を当ててほっとする。救われた気分だった。
「ありがとうございます」
(それなら、先に呪いを解かなくては)
小蓮は、机に手を着いて身を乗り出し、藍英に顔を近づけた。
「将軍には一度、死んでもらいます」
その言葉に藍英は驚いた!




