47.推しの魚(ギョ) ~ ファストフード店の鰻 ~
嗚呼、生きてるだけでも素晴らしいのに、好きなものを存分に「推せる」日々を送れるなんて。そんな事を思った今日この頃。何という幸福な人生だろう。
今や一般的な概念となった「推し」。きっと、ブラザー(※このエッセイを読んで下さる心優しき読者の事)の皆様にも自分なりの「推し」がいらっしゃることだろう。そんな「推し」だが、大学や医療機関の研究によると「推し活動」に時間やお金をかけている人の方がしない人よりも自律神経の調整が上手く働き、かつ、自己肯定感が高まって・・・と、ネットの情報を丸パクリしてみたが、正直筆者は文系なので詳しい事はよく理解出来ない。簡単に言うと、とにかくメンタルに良くて鬱なんかに効くらしい。
これはとても良い情報だ。きっと私がこの歳になるまで鬱にならなかったのは「推し」のおかげなのだろう。
私の人生には常に「推し」が存在している。音楽では中学時代にマイケルジャクソンにハマったことに始まり、そこからアイアン・メイデンやメガデスなんかのメタル系、デビット・ボウイやT-REXのグラムロック、そしてプリンス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、パーラメント、ファンカデリックなんかのファンクへと変遷し、今では岡村靖幸が最推しのミュージシャンだ。おかげで酔いがピークに達した深夜に岡村ちゃんの曲を聴きながらハイになり、一人でエアギターを奏でる事もある。
映画も昔から押しの俳優や監督が常に存在するが、今は鈴木亮平が一番の推しだ。これまた深夜に鈴木氏が演じた「孤狼の血 LEVEL2」の凶悪なヤクザ・上林の「人間の生命いうんは凄いもんじゃのぉ」とか「最初はグーじゃ!」の名言を一人でブツブツと物真似したり、「HK 変態仮面」のセクシーな歩き方を鏡の前で練習したりしている。
明らかに鬱とは遠く離れた状態だ。やはり「推し活」は精神的に良いらしい。ただ、その代償として躁になっているのかもしれないが。
音楽や映画の「推し」だけでも充分過ぎるほどの幸福を私に与えてくれているが、「推しの食べ物」は更なる喜びを享受させてくれる。今回は沢山ある食べ物系の推しの中でもピカイチのやつ、もう半世紀近く推しまくっているあいつについて少し語らせて頂きたい。それは「鰻」だ。誰もが食欲を掻き立てられる、完璧で究極の魚類。一番星の生まれ変わりと言っても過言ではないそれは、私にとっての「推しの魚」と言うべき存在だ。
私の鰻好きは幼少の頃から始まる。子供の誕生日と言えばホールケーキを用意するのが一般的な親の感覚と思われるが、何故か私の実家では「誕生日は鰻重」という謎のルールがあった。きっと両親が子供たちに鰻の英才教育でも施そうと思っていたのだろう。そうでないとこの珍妙な風習に説明がつかない。
この事を兄や妹はどう思っていたか分からない。兄はともかく、間違いなく妹はケーキを望んでいただろう。家族が唱和する「ハッピバースデー♪」からロウソクの火を吹き消す、そんなありふれた当たり前の誕生日こそ普通の女の子には似つかわしい。ただ、鰻重はケーキと違ってロウソクを立てられないという致命的な構造的欠陥がある。よって認識家では「ハッピバースデー♪」もなく、家族全員が黙々と鰻重を頬張る誕生日が何十年も繰り返された。妹もよくこんな環境でグレなかったものだ。
だが、私は生まれつき鰻の才能があったらしい。ロウソクを吹き消す実利の無い作業なんかどうでも良し。それよりも鰻重を頬張り、肝吸いでそれを流し込む事が好きで好きで堪らない渋い少年だった。
そんな鰻好きで利発、そして愛くるしい少年だった私も大人になり、労働契約と言う名の奴隷契約によって雀の涙ほどの給料を得られるようになる。親が用意した鰻を食べる受動的で控えめな「推し活」から、自分の稼ぎで鰻を応援する能動的かつ熱狂的な「推し活」生活のスタートだ。
ミュージシャンやアイドルの「推し活」の頂点は「ライブ」への参戦。そして鰻でも「ライブ」こそが「推し活」の華。私も先日、ガストで参戦させてもらった。頼んだのは「うな重(お吸い物・漬物付き)」。今まで何十回と注文してきているが、重箱という煌びやかなステージに表れた鰻を見るといつだって黄色い歓声が溢れ出てしまう。鰻を眺めてるだけでも多幸感に包まれるのだが、臨場感に溢れるその脂ぎったボディを頬張るともう天にも昇る気持ちだ。そんな至福のひと時を過ごさせてもらった。
嗚呼、この時代に生きててよかった。こんなにお手軽に鰻が食べられるなんて夢の様だ。何故なら平成の中頃までは「ファミレスの鰻」や「牛丼屋の鰻」なんてものは存在せず。ちゃんとした鰻屋さんに行かないと食べられない敷居の高い食べ物だった。そしてそういう鰻屋さんは注文してから提供されるまでの時間が結構長い。開演時間から2時間以上遅れるのが当たり前のXJAPANのライブ程ではないが、20~30分なんてざらの世界。確かに某グルメ漫画の鰻の回で初老の紳士が「ちゃんとした鰻は時間がかかるって事くらい知ってるよ」なんて言ってたように鰻は本来待つのが基本の食べ物だし、開演から2時間以上待つのが基本なのはXJAPANのライブなのは理解している。ただ、ファストフードの「FAST」を愛してる私からすれば待つのがだるい。
ゆえにやっと自分のお金で鰻を食べられるようになっても、なかなか食べに行くタイミングを掴めない日々が続いていた。いつだって鰻を食べたいけど、いつだって待つのが嫌で鰻屋の暖簾をくぐるのを躊躇していた当時の私。「鰻フォロワーとして気合が足りない」と言われればぐうの音も出ないが、どうにもせっかちな私の性格とは相容れないので困っていた。
この状況が変わったのは牛丼チェーンにより鰻メニューの提供だ・・・と、いきなり弱気な感じで申し訳ないが、ここからは筆者のおぼろげかつ、怪しげな記憶に基づくものなので事実と違う可能性があるので、その点はご容赦頂ければ幸いだ。
それでは予防線を張らせて頂いた上で改めて続きを。
それまでは牛丼とそれから派生する牛皿、それに定食の鮭とカレー程度と、メニューを絞った手堅い商売していた吉野家が急に鰻丼を発売したのが2007年頃。ここから牛丼チェーンによる鰻市場開拓が静かに始まっていく。「牛丼屋で鰻丼」という当時の常識では特異な組み合わせを世間がどう受け止めていたのか今となっては正確に知りようもないが、当時の私個人はそれを冷めた目で見ていた。「牛丼屋で『安かろう不味かろう』の鰻を食べるくらいならちゃんとした店へ食べに行くかな」と、完全な拒否反応。「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という言葉があるように、鰻は熟練した料理人だけが手を出すことを許される神聖な食材という「鰻信仰」が当時の私の中に強く根付いていた。
そして2009年の夏、後を追う様にすき家が「うな牛」を市場に投入するわけだが、ファストフード店が鰻に手を出すだけでは飽き足らず、鰻と牛丼の具を抱き合わせて提供する暴挙に出たわけだから私の中の反撥は吉野家の鰻丼の比ではない。そもそも、私のような保守的な牛丼愛好家からすればすき家自体がイマイチ信用ならなかった。今では「かつや」あたりにポジションを奪われているが、今から20年近く前のすき家は結構ヤンチャな存在。国民の牛丼へのトッピング意識が低かった時代に「ねぎ玉牛丼」や「チー牛」の略称でお馴染みの「チーズ牛丼」を投入していたせいで保守的な牛丼愛好家からは異端児扱いされていた。今では当たり前となったボリューミー路線の先駆け的存在である「メガ盛り」を裏メニューでない状態で提供し始めたのもすき家だ。今や「チー牛」がすき家にとってのデフォルトな牛丼となっている現状を鑑みるとその路線が正しかったことが証明されているが、当時は本気なのかネタなのか分からないメニューで世間の牛丼愛好家を困惑させていた愉快犯的存在だった。
そんな牛丼界の異端児から販売された「うな牛」。「鰻と牛丼の具を半分ずつ乗せた丼」は当時の感覚としてはあまりにも斬新にして不謹慎。その奇抜な発想、前衛的なビジュアルは私個人として「それはちょっと・・・」と言いたくなる代物だったが、そんなアグレッシブさと相反するように店頭ポスターはびっくりするくらい腰が引けていた。「牛に含まれる何たらと言う成分がウナギに含まれる何とかという成分の吸収を助けます」的な、言い訳がましい健康食品的アプローチだったのを覚えているし、それを見た私が「馬鹿野郎、すき家に足繁く通うやつが健康云々なんて考えるはずないだろう。『一緒に食べると美味さ爆発』みたいなアピールをしろよ』と腹立たしく思ったのも覚えている。後にも先にもあんなに意気地のないすき家を見たのは初めてだ。まあ、表向きはオラオラ系だけど根はナイーブなのかもしれない。
とは言え、食べる理由がなくもなかった。私がそれに手を出した理由はただ一つ。単純に安かったから。当時のねぎ玉牛丼にサラダとお味噌汁の「ねぎ玉牛丼セット」が500円前後のお値段だったのに対し、「うな牛」は790円。確かにお高いが300円程度追加して鰻を食べれるのならトライする価値は十分にある。「うな牛」は確かには破天荒な存在だったが、貧乏人に優しい側面も持っていたのだ。こうして「貧乏」が「鰻信仰」を凌駕する結果となった。
そんな「うな牛」、保守的な鰻好きであると同時に保守的な牛丼好きでもある私が食べてもしっかりと美味い。まずはこの二つのパートに分かれている丼の鰻パートを食べ、次は牛丼パートを食べる。味の違いが明確ゆえに交互に食べていると常に舌は新鮮な味わいを楽しむことが出来る。これは新しい発明だった。更に鰻と牛をミクスチャー状態にして食べるなんて本来ならば不謹慎極まりない行為なのだが、「おっと、しまった」と心の中で自分に言い訳しながら口に運ぶとそれもそれで悪くない味だ。
こうしてこの夏は「うな牛」を食べまくった。政治的思想を変える事を「転向」と呼ぶらしいが、私もこの夏を境に保守的鰻愛好家から異端的鰻愛好家へと転向する事となった。
この「すき家うな牛事変」以降、日本の鰻料理を取り巻く環境の変化は一気に加速する。そしてこの過程で「ファストうなぎ」と言う概念が生まれた、それは先にも述べたガストのようなファミレスに波及し、更には「宇名とと」のような「お手軽な鰻専門店」まで誕生させる事となる。
更にこの流れは鰻の低価格化と言う喜ばしき副産物まで生み出す。先日ガストで鰻のライブに参加してきたと述べたが、そのお支払い金額たるやまさに驚愕。期間限定クーポンを使って鰻重を食べて来たという事情もあるが、信じられるか?鰻重を食べたのにお支払いがたったの989円だ。1,000円札でお支払いをしたのに11円もお釣りが返ってきた。鰻を食べたのにも拘わらずだ。おかげでこのクーポンが使える期間に3回も食べに行かせていただいた。休日のお昼に鰻。そして次の休日のお昼に鰻。更にそのまた次の休日のお昼に鰻。まるで夢のようだ日々だった。こんな幸せ、平成の頃には想像だに出来なかった。
どうやら日本の歴史上、「鰻推し」にとって最も幸福な時期に私は生きているらしい。この流れを作ってくれた全てのものに感謝したい。
ちなみにファスト鰻派の私だが、昔ながらの老舗の鰻ももちろん大好物だ。壊れたレコードみたいに「待ち時間が長いのが嫌」を繰り返している筆者とは言え、それを超えなければ得られないものがあるのも理解している。「慌てるバカは貰いが少ない」という言葉があるように鰻屋さんの長い提供時間を耐えなければお馴染みの「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」的な試練を乗り越えてきた、腕に覚えがある鰻職人さんの料理を食べる事は出来ないし、開幕までの長い待ち時間を待たなければXJAPANのライブでTOSHIが「叫んでみろ!」とシャウトした後に「X!!」と叫びながらXジャンプをすることも出来ない。そこはわきまえているので、たまには私だって辛抱強く待つ時もある。
更についでだが、本格的な鰻屋さんで筆者が一番好きな料理は「鰻のせいろ蒸し」だ。その調理法をwikiから引用すると「堅めに炊いたご飯にタレをまぶして蒸し、焼いた鰻の蒲焼を錦糸卵と共に飯に乗せて再度蒸しあげて作る」との事。蒸す工程によりご飯全体に味が付いてるのが特徴だ。福岡県柳川市の郷土料理なので基本的には九州ローカルの鰻料理だが、東京や大阪、京都あたりでは提供してるお店が結構あるし、地方でもそこそこの都市ならやってるお店があるので気になる方は是非探してみてもらいたい。
こいつを注文し、友人と雑談しながら待つ間にうなぎの蒲焼きとキュウリを酢で和えた「ウザク」なんかをあてにビールを飲むなんてのも時には悪くない。そうそう、ガチの鰻屋さんで外せないものに「肝吸い」がある。この鰻の内臓を使ったお吸い物は決してファストフード店では提供されない。本格的な鰻屋さんでしか味わえない、この時だけのお楽しみだ。
こうやってファスト鰻と老舗の鰻を使い分けているので、この話を読んで下さっている保守的鰻愛好家の方はご安心頂きたい。
今回は鰻について語らせて頂いたが、いつものようにブラザーの皆様にちょっとしたお願いを。もし、この話で間違ってる箇所があっても見て見ぬふりをして頂きたい。先に述べたようにこの「ファスト鰻史観」は筆者の記憶と、ネットでの浅い調査に基づいている。ゆえに間違っている可能性がある。と言うか、間違えている可能性がかなり高い。そして筆者は柔らかな絹ごし豆腐寄りの豆腐メンタルなので、厳しい指摘なんかを喰らうと確実にへこんでしまい、岡村靖幸の音楽や鈴木亮平の怪演、そして脂ぎった鰻ですら癒すことは出来ない心の傷を負うのはほぼ確実だ。筆者が鬱にならないよう、細心の注意を払って頂ければ幸いだ。
嗚呼、生きてるだけでも素晴らしいのに、エッセイの中で誤った記述をしても見逃してくれる読者様がいるなんて。そんな事を思った今日この頃。
何という幸福な人生だろう。




