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42.トッピングとは何ぞや?

 2023年夏、「灼熱」としか言いようのないイベントが日本各地で開催された。そう、金沢カレーの有名店であるゴーゴーカレーとコラボしたガストの期間限定メニュー「ゴーゴーガストカレー」。田舎に住んでいるのでなかなか金沢カレーを食べに行けない、そんな「金沢カレー難民」にとって恵みの雨とも言える神イベントに日本中が湧き、そして日本中が泣いた。

 2023年の夏、とても暑い夏だった。


 無論、私も猫まっしぐらでガストに行き、そいつを貪り喰らった一人だ。コラボ商品なので過度な期待はしていなかったものの、数種類あるゴーゴーガストカレーのラインナップから選んだ「金沢カツカレー」は思ったより悪くなかった。評価としては「完璧すぎる及第点」だ。

 本家と比べて粘度がそこまで高くないので、金沢カレーを食べる際の正しい作法である「フォークでカレーを頂く」は物理的にちょっと厳しかった。よって普通にスプーンで食べた。その点で風情がないのは悲しいが否めない。そして添えられてるのもキャベツの千切りでなくこれまた普通のサラダ。それにお皿も金沢スタイルの銀色に輝くステンレス製ではない一般的な陶器のお皿。これらも金沢カレーの様式美から外れているのは否めない・・・

 これだけ聞いたら「ちょっとそれはどうかな?」とお思いになった金沢カレーマニアの方もいらっしゃる事だろう。安心して欲しい。味の方はしっかりと金沢カレーらしさが出ていた。一般的なカレーよりも明らかに出力が高い濃いめの味付けだ。そしてこれまた本場っぽい薄いカツ。それにこの攻撃的なルーを絡めて食べると堪らない。

 ちなみに完食する自信がなかったので「うすカツ」「チーズ㏌ハンバーグ」「から揚げ」「海老フライ」「目玉焼き」と、単品でも丼飯を完食出来る強力なトッピング群を惜しげもなく盛りつけた「金沢カレーガスト本気盛り」は見送らざるを得なかったのが残念だ。「トッピング ✕ 金沢カレー = 破壊力」をその舌で存分に堪能してみたかった。ひょっとしたら胃袋に自信があるブラザー(※このエッセイを読んで下さる読者の事)の中にこれを食べた方がいるかもしれない。もしそうならば「私の仇を取ってくれてありがとう」と伝えておこう、ブラザー。

 

 大満足とは言えないものの、金沢カレーへの禁断症状を和らげてくれたのは間違いない。それに「必ずや生きているうちに金沢カレーの聖地であるチャンピオンカレーの本店に行こう」と、聖地巡礼のモチベーションが再び蘇った。ありがとう、ゴーゴーガストカレー。ゆえに「完璧すぎる及第点」を君に与えよう。


 

 こうしてゴーゴーガストカレーを美味しく頂いた後、喫茶店でコーヒーを飲みながら「世界中の同胞たちも私と同じようにさぞや喜んでいる事だろう」とSNSを見てみたら歓喜の声が上がってるどころか非難囂々の有様。軽く炎上していた。まるでガストが犯罪でも犯したかのようなバッシングだった。その理由のほとんどが「カツが薄い」とのクレーム。私は思った。「こいつらはいったい何を言っているのだ?」と。

 先に述べたようにお世辞にもルーは完璧な金沢カレーと呼べるものではない。あくまでも「金沢カレーオマージュ」「金沢カレーリスペクト」の代物だ。ゆえに期待し過ぎた人が「こんなの金沢カレーじゃない!」と怒り出すのは想定出来る。しかし、うすカツに限っては完全に金沢式を踏襲している。これを非難するいわれはない。


 そもそも、カツカレーのカツは薄い方が美味しいと個人的に思う。私がカツカレーに求めるのは「調和」だ。厚切りだとお肉の主張が強すぎるので口の中が「混沌」としてしまう。これではせっかくのカツカレーが台無しだ。それとこれは本当に教えたくないので店名は出さないが、東京なのか神奈川なのかよく分からない地方にあるカツカレーの超名店のカツも薄かった。某グルメ雑誌で「カツカレー日本一」の称号を得た頃もあるらしいこの店がうすカツを選んでいる事実に注目して欲しい。これは私の主張を裏付けるものではないだろうか。

 と言うか、百歩譲って金沢カレー以外のカレーに厚切りトンカツをトッピングするのは許すとしよう。しかし、金沢カレーに関しては認められない。カツが薄くないなんてのはありえない。金沢カレーとうすカツ。それはお肉と衣、そしてカレーが完全に調和している黄金比のバランス。文句を言うなんてお門違いもいいところだ。


 少し話が逸れるが世の中には豪華になればなるほどその魅力を失う食べ物がある。例えば同じ揚げ物属性のハムカツだ。舌が完全に揚げ物を欲している時ですら、「厚切り」ハムカツなんて表記を見たら萎えてしまう。厚いハムと衣なんてどう考えてもバランスが悪い。これだと食べてる時にハムの味しか感じられない。違う、違う、そうじゃない。私の考える理想のハムカツは安っぽいプレスハムを3~4枚重ねて揚げたやつだ。この昭和を感じさせる昔ながらの作り方はプレスハムと衣、双方の美味さを味わえる。それにウスターソースをどっぷりと、そして練りからしをたっぷりとつけて齧り付き、キンキンに冷えたビールでそいつを流し込むのが最高なのに。高価な材料だけでは到達できない境地がここにはある。


 きっとこの感覚が分からない、生まれた時から厚切りのトンカツを食べて育った「ゆとり世代」が騒いでいるのだろう。「豪勢=正義」「うすカツは貧乏くさい」そんな短絡的かつ驕り高ぶった固定観念に突き動かされているのか、ヤフー知恵袋に「ゴーゴーガストカレーのカツが薄いのは何故ですか?」と愚かな質問をする輩も見受けられた。くどい様だが「金沢カレーのカツはうすカツ」だ。それさえも知らないなんて。これがきっと「義務教育の敗北」と言うのだろう。

 

 ちなみに2025年現在、ガストではゴーゴーガストカレーの路線を引き継いだ金沢カレーインスパイア系の「ガストブラックカレー」が提供されているが、カツが乗っているメニューは「うすカツブラックカレー」と、カツの薄さを強調した名称になっている。本来、カツが薄い事に対して引け目を感じる必要なんて一ミリもないのに、クレーマーに屈して予防線を張った形となったようだ。更に愚痴らせてもらうと未だにヤフー知恵袋に「ガストのうすカツブラックカレーのカツが薄いのは何故ですか?」と愚かな質問をする輩が存在する有様だ。義務教育の敗北としか言いようがない。おじさんは悲しいよ。


 と、ゆとり世代を痛烈に批判した後にこんなことを言うのもあれだが、その気持ちが分からないわけでもない。トッピングは思想であり、信条であり、信念であり、そして生き様でもあるのだから。確かに金沢カレーに厚切りカツを選ぶ彼らはトッピングのやり方が間違っているし、もっと強めの言い方をさせてもらうなら「人として間違っている」のだが、期待外れのトッピングで感情のコントロールが効かなくなって怒り狂うのは人として至極当然な事だ。何故なら「トッピングは遊びではない」のだから。その点に関しては彼らの怒りは理解出来る。その熱量は認めざるを得ないだろう。

 そんな事を考えた2023年の夏、とても暑い夏だった。 

 


 そして時は過ぎ2025年の夏のある日、ダラダラと酒を飲みながらダラダラと動画を観ていたら納豆カレーを美味しそうに食べている人を見た。いつもなら「カレーに納豆か。この組み合わせ好きな人多いよな」とスルーしてしまうのだがこの日は違った。脳内に稲妻のようなものが走り、天啓のようなものが降りてきた。「何故、私はカレーに納豆をトッピングをしないのだろう?」。これは完全に盲点だった。考えてみれば私は納豆デビューが遅かった。納豆童貞を捨てたのは20歳過ぎ。すでにココ壱番屋でカレーにトッピングをする事を知った後だ。おそらくそれが原因で完全に意識の死角となっていたのだろう。カレーに納豆。新たな金脈の予感がプンプンしやがるぜ。


 家でレトルトカレーを食べる際は冷凍食品のから揚げやハンバーグをトッピングして食べているのだが、在庫を切らしている事が往々にしてある。そんな時は大人しく素カレーで頂くのだが、もし納豆がカレーのトッピングとして私の舌に合うならば話は変わる。そうなれば家カレーの革命だ。日出る国の民として納豆は冷蔵庫に常備してある。「から揚げがないのなら納豆をトッピングすればいいじゃない」だ。

 それに納豆は価格の優等生。1パック30~40円程度だ。それをトッピングするだけで家カレーがワンランク上がるのならレボリューション以外の何物でもない。「トッピングを制する者はカレーを制す」と言うではないか。


 ただ、納豆の役割が分からないのが問題だ。カツやハンバーグのような食べ応えを担当するオフェンス役なのか?それとも半熟卵やチーズ、ほうれん草のような辛さを和らげるディフェンス役なのか?さっぱり予想できない。それに食べ方も分からない。パックから出したそれをダイレクトにご飯の上に乗せ、その上からルーをかけるのか?混ぜてからかけるべきなのか?付属品のタレはどうすればいいのか?それに体に良いと言われる酵素のナットウキナーゼは熱に弱いらしい。熱々のルーがかかったらキナーゼ達は全滅必至。こいつらを犠牲にしてまでトッピングする価値があるのだろうか?

 

 疑問で頭が一杯になる。これは誰かに師事しなければならない。やはり納豆カレー初心者の私が教えを乞うべきなのはカレートッピング文化の普及に関して大きな貢献を果たした「ココ壱番屋」以外考えられない。

 こうしてある夏の日、私はココ壱へ向かった。納豆カレーの真実を知るために。

  


 残念ながらこの日は暑かったので多少食欲が落ちていた。弱気な感じでご飯をデフォルトの300gから200gに減らした2辛の納豆カレーを注文。ただ、やはり「納豆のトッピングって本当に大丈夫なのか・・・?」と、胸の裡に渦巻く不安は払拭出来ない。ゆえに不安は金で解決。私が愛して止まないパリパリチキンも追加だ。これで仮に納豆が私にとっての「ハズレトッピング」だったとしても美味しく頂ける。こんな風に保険をかけるなんて納豆に失礼かもしれないが、私も老い先短いナイスミドル。冒険するには歳を取り過ぎているので許して欲しい。


 食べてみて分かったのは「案ずるより産むがやすし」という事。「見事なほどの調和」を感じさせてくれた。さすがは納豆、腐ってもタンパク質だ。タンパク質らしいオフェンシブな味わいがカレーの美味しさを引き立ててくれる。確かにその攻撃性はカツやハンバーグ、トンカツやパリパリチキンのような肉系には及ばない。それらは西武にいたカブレラや近鉄にいたタフィ・ローズのようなホームランバッター的パワフルさだ。対して納豆は巨人の篠塚のようないぶし銀。渋い攻めを見せてくるので、見事に差別化ができている。


 おかげで「カレーとご飯」の部分は普通、「カレーと納豆とご飯」は攻撃的、「カレーとパリパリチキンとご飯」は暴力的と、各パートごとの味わいの違いを楽しみながら頂くことが出来た。問題があるとすればカレールーの中で納豆の茶色が保護色の役割を果たしたせいで綺麗にフィニッシュ出来なかった事。ルーと思ってた部分がほとんど納豆だったために最後の一口が「カレーを少しかけた納豆ご飯」みたいになってしまった。まあ、これはこちら側のスキルの問題なので、これから研鑽を積んでいけば克服できる類のものだろう。

 こうして私はレベルアップした。脳内では「テレレレッテッテレー♪」と祝福する効果音と「認識番号8830は納豆のトッピングをおぼえた」のメッセージが流れる。

 お会計を済ませ、ご指導ご鞭撻頂いたココ壱番屋の看板に深く一礼してから帰路についた。まったく、ココ壱には頭が上がらないというものだ。


 

 こうやって納豆という新しい武器を手に入れた私。繰り返すようだが「トッピングを制する者はカレーを制す」だ。おかげさまで今では納豆の持つ圧倒的コストパフォーマンスにより充実した家カレーライフを過ごしている・・・わけではない。家でトッピングした納豆カレーはどうにもイマイチだ。「ココ壱番屋」で感じたあの「見事なほどの調和」がない。


 最初に試したのは私が最も信頼するレトルトカレー、ハチ食品の「カレー専門店のビーフカレー 辛口(※こいつに関しては『26.カルト家電』で熱く語ってます)」だ。結論から言うと上手くいかなかった。私の舌には合ってない。このカレーがアグレッシブすぎるのだろうか、熱々のこいつを納豆とご飯にかけたらナットウキナーゼだけでなく、納豆の個性も死んでしまった。確かに素カレーよりは美味しく頂ける。ただ、納豆がなくてもそんなに変わらない気がする。ココ壱で食べた時ほど共存する意味を感じない。認めなければいけない。「これは違う。私の考える納豆カレーではない」と。


 次はヱスビー食品の「あじわいカレー」を試してみる。地域差もあるかもしれないが、この物価高騰のご時世にも関わらず近所のスーパーで100円を切る実売価格でブイブイ言わせているレトルトコーナーの台風の目だ。残念なことにこちらも私の舌に合わず。ハチ食品と逆でルーの主張が弱すぎる感じが否めない。完全に納豆の軍門に下ってしまった形だ。納豆が前に強く出過ぎてるので表記を「納豆カレー」ではなく、納豆を太字にした「納豆カレー」とした方がこのカレーの本質を正しく表現できるかもしれない。

 どうやら、リーズナブルなこいつにはちと荷が重かった。これも私の理想とする納豆カレーではない。



 二つの失敗を経験し、そこから「辛さが足りなかったのでは?」という仮説を立ててみた。ココ壱番屋で食べた時は2辛。そこそこに辛い。「あじわいカレー」は最も辛い大辛だったが、2辛には及ばない。そこで切り札の登場。グリコの「LEE」の10倍を投入だ。全国の辛いカレー好きが愛するこの名作で勝負だ。

 久しぶりに食べた「LEE」は相変わらずの美味さだった。ハチ食品の「カレー専門店のビーフカレー 辛口」が近所のスーパーで108円。対して「LEE」は258円。コストの差が明確に出たのだろうか、ふんだんに使われたスパイスの荒々しさとその下に隠された芳醇な旨味はリーズナブルなレトルトカレーでは太刀打ちできないレベル。「カラい」と「美味い」が同時に存在しているこいつはまさに「ご馳走」と言っても差し支えない逸品だ。ただ、そのご馳走感が仇になったのか、結局こいつも「別にトッピング要らないな」と思える始末。絶対にご飯に「LEE」をかけただけのシンプルな構成の方が美味しい気がする。こうなると納豆が邪魔だ。これは「カレー専門店のビーフカレー 辛口」以上に納豆を殺しているというか、納豆が「LEE」の良さを殺す結果となった。


 嗚呼、どうやれば家で私好みの納豆カレーが食べられるのだろう・・・

 


 2025年の秋、相変わらず私は試行錯誤を続けている。そしてそれは未だに終わりが見えない。やはりもう一度、ココ壱番屋に行くべきなのだろう。そこで何かのヒントが得られるかもしれない。おそらく原因は三つに分けられると思う。まずは「心的要因」。初めての納豆カレーで感情が高ぶっていたために正確なジャッジが出来ていなかった可能性だ。改めて食べてみると家で食べた時と大して変わらないかもしれない。次は「納豆要因」。粒の大きさとか、かき混ぜ方とか、ルーではなく納豆側に問題がある可能性だ。そして最後は「ルー要因」。幅広いトッピングを受け止めるためにシステム設計されたココ壱番屋のルーだからこそ問題なく納豆が合うという可能性がある。もしそうだとすればココ壱のルーと同レベルのトッピング的汎用性を持ったレトルトカレーを探し出す必要が出てくるが、果たしてそんなものがこの世に存在するのだろうか?



 とにかく、もう一度ココ壱番屋に行って納豆カレーを食べないと始まらない。そう思い、カレンダーをにらみながら日程調整をしている現状だ。

 読者の皆様には「そこまでしなくてもいいんじゃない」と思われる方もいるだろう。しかし、皆様が思っている以上にココ壱の納豆カレーが良かったのと、皆様が思っている以上に私は貧乏なので最安値トッピングの可能性を捨てきれないのだ。それにトッピングに対して真剣になるのは至極当然のことではないだろうか。


 そう、繰り返すようだが「トッピングは遊びではない」のだから。

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