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04 囚われのアリア

 コンクリート造りの窓のない居室、診察台の置かれたタイル張りの処置室、そして壁一面がガラス張りになっている実験室が、幼い私の生活圏だった。戦争孤児となった私はこの施設に引き取られ、様々な実験の被験体となっていた。

 

 

「しゅにん、きょうは、なにをするの?」

「おっ! 随分積極的になってきたねぇ! いい調子だ!」



 私が主任と呼んだこの男は、私が言葉を交わす唯一の人物だ。その他の白衣を着た人々は、私が声を掛けても目線すら向けず、ただ手元の書類に何やら書き込みをしているだけだ。

 

 

 主任は私を積極的と言ったが、別に進んで実験に協力している訳ではない。自分の身体に何をされるのかを知っておかなければ、心の準備が出来ないからだ。私の質問に破顔する主任は、私の顔の左半分を撫でながら言う。

 

 

「二十九号は左目が無くなっただろう? 左手も痣だらけだし、食事の時も取り零したりして不便そうだから、今日はそれを解決しよう!」



 私を撫でる彼の手には薄いゴム製の手袋を着用されており、その手からは消毒液の臭いが漂っている。私はその臭いに顔を顰め、その手を払い除けた。

 

 

「……まぁいい。じゃあ処置室で」



 そう言って私の居室を後にした主任と入れ替わりに入ってきたのは、白衣を着た研究員達だった。私は彼等に手を引かれて処置室に連れて行かれる。

 

 

 

 

 今日もまた、地獄が始まる。

   

 

 

 

 ――――

 

 

 

  

「どうかな? 気分は?」

「おかおがいたい……」



 処置室で行われたのは、失った視界を回復させるための処置であった。背もたれを倒した診察台に固定された私の左顔面に直接、術式回路を埋め込まれたのだ。細い針を使って魔素を直接皮膚に埋め込む。私はその痛みに耐えかねて大声で泣き叫んだ。固定帯だけでは不十分だと判断したのだろう。研究員の一人は私の頭を両手で掴むと、診察台に押し付けて施術を続けた。処置が終わった後の私は、自分の涙と涎と鼻水で顔が濡れ、下腹部は失禁に濡れていた。

 

 

「じゃあ、テーブルの上のペンを握ってご覧?」



 実験室に移った私にガラス越しに指示する主任の声に従い、テーブルに置かれたペンを手に取る。失った視界を回復するとの言葉に偽りはなかったようで、すんなりとペンを手に取ると、一緒に置かれていた紙にお絵かきを始める。その様子を眺める研究員達はなにやらメモを取っている。

 

 

「どうかな? 変な感じはあるかい?」

「……よくわからない。みえないけど、かんじるの」



 視界が回復した訳ではないが、自分の左側にある障害物の位置が把握出来る。視えてはいないが、何がどこにあるのかが頭の中で直接把握しているような感覚だ。私の言葉に満足したのか、伝声管を閉じた主任はガラスの向こう側で色々な指示をしているようだった。

    

 

 

 

 ――――

 

 

 

  

「主任、今日は何をするのですか?」

「う~ん……今日は試験をしようか」



 当日の実験予定を確認するのが、私と主任の日課になっていた。実験室のテーブルで向かい合って座る私達の周りには、いつも通り数名の研究員がメモを取っていた。主任は研究員の一人に目配せをすると、彼は実験室から退出する。暫くすると彼は紙の束を抱えて実験室に戻り、テーブルの上にその紙の束を置いた。

 

 

「昨日は遅くまで頑張ってくれたからね、今日はその成果が出ているか確認したいんだ」



 圧縮教育法――そう呼ばれた実験は、私の頭に貼り付けた電極を介して様々な知識を直接脳内に刻み付ける実験だった。昨日の朝早くから夜遅くまで頭の中に無理矢理ものを詰め込まれる不快感に苛まれ、今も止まない頭痛に顔を歪める私と対象的な笑顔を浮かべる主任は、とんとんとテーブルを指で叩いて紙束に注意を向けさせる。

 

 

「いい結果を期待しているからね!」



 促されるままの私は、その紙束の一番上の紙を取り、内容を確認する。読み書き算術から始まり、社会常識、果ては術式構築理論等の専門知識を直接頭に刻み込まれた私は、脇に置かれたペンを手に取ると、試験問題を解き始めた。

     

 

 

 

 ――――

 

 

 

  

 それから私は様々な実験の被験体となった。成長して面積の広がった皮膚にはまるで入墨のように術式回路が所狭しと刻まれ、“余白”がなくなると術式を除去してまた新たな術式が刻まれる。その痛みに身体が慣れることはなく、私はいつも泣いていた。

 

 

 ある時、主任はガラス瓶に入った球体を私に見せた。白色の球体の中心には金色の円が描かれていて、ガラス瓶に満たされた液体に浮かぶそれは不気味な輝きを放っている。

 

 

「これは今までの研究の集大成だよ! これが成功すれば、傷痍軍人のみなさんにも光が差すんだ!」



 いつも通り、碌な説明もないまま処置室の診察台に縛り付けられた私の左眼窩にそれは埋め込まれた。窪んだ左の空洞に焼けた鉛を流し込まれるような激痛に、私は気絶と覚醒を繰り返す。叫び続けた私の喉は枯れ、ひゅうひゅうと情けない音を出した。頭の中心に鉄の棒を突っ込まれているような痛みに私は意識を失い、そのまま眠りについた。

      

 

 

 

 ――――

 

 

 

  

「おお! よかったぁ、目を覚ましたんだね!」



 いつの間にか居室に寝かされていた私は身体を起こすと、傍で待機していた主任が喜びの声を上げる。目を開けた私は彼の顔を見ると、激しい吐き気に襲われた。主任の眼を通して、彼の記憶が流れ込んできたのだ。

 

 

 

 私と同じくらいの幼い子供を切り刻む主任。研究成果を上げるため、多くの子供に手を掛けていた主任。知識として知っていた存在が、まさか目の前にいたとは――私はその存在に向かって吐き捨てる。

 

 

 

 

「悪魔め……」

「……ハハッ! いいよ、悪魔でも! 私の成功が、帝国の成功に繋がるんだ! そのためなら、悪魔でも、いいよ!!」



 歪んだ笑顔を浮かべる主任の言葉に偽りはない。ただ帝国のため、そのためだけに多くの人間を実験体にした彼の心は、歪んだ愛国心に満たされていた。

      

 

 

 

 ――――

 

 

 

  

「なんなんだね! こんな辛気臭い所に私を連行するなど……私をルーニグラ子爵と知っての狼藉かっ!」



 実験室には、私の他に大声で喚く初老の男が一人。ガラスからマジックミラーに替えられた実験室の向こう側には、数名の人物がこちらを見ている気配がある。鏡に遮られて肉眼では捉えられないが、左目に意識を集中すると魔力の動きを感知することが出来るようになった私は、じっと鏡の向こう側を見る。

 

 

「ふん……よく見ればなかなか可愛い娘じゃないか。おい貴様、年はいくつだ?」



 好色な眼をした初老の男は、椅子に座る私を見下した。

 

 

「十かそこらか? どうした、喋れんのか? ……まぁいい。どうだ? 儂の娘にならんか? こんな辛気臭い所にいるより余程いいぞ? 贅沢させてやろうじゃないか!」



 私はニタニタと嗤う彼の眼を見る。事前の言いつけ通り、私は彼の眼を通して視える光景を鏡の向こうの人物に伝える。

 

 

「……屋敷の書斎、右側の本棚をずらすと地下に降りる階段が。地下室には死体が四体。鎖で壁に繋がれた少年はまだ生きている」

「なっ、ばっ、馬鹿な事をっ! この小娘っ! 今すぐこの場で殺しても――」



 激高する男は杖を振り上げるが、実験室に入ってきた研究員達に引き倒されて地面を這いつくばる。ぎゃあぎゃあと何かを叫んでいるが、後から入ってきた官憲に手錠を掛けられると、足首を掴まれて実験室の外へと連れ出されていった。

 

 

「いやぁ、またしてもお手柄だねぇ!」

「……視えた物を視えたまま伝えただけです」



 義眼の検証実験の一環として、私は犯罪者やその関係者の記憶を探ることを繰り返していた。能力を測ることが出来、帝国の安寧にも繋がる! と主任は大喜びしているが、犯罪者の頭の中を視なければならない私の心は蝕まれる一方だ。当の主任は額から顔を覆う布を下げている。検証実験を繰り返しているうちに、特定のパターンが刻まれた術式に対しては義眼の効力が発揮されないことが判明した。それを利用した“目隠し”を研究員達は着用している。逃走経路を探られないためだそうだが、それを告げられた私は何故もっと早くそれに気が付かなかったのか! と臍を噛んだのだった。

 

 

「今日の実験はこれで終わりだから、好きなことしてていいよ!」

「……では、何か本を読みたいです」



 義眼が埋め込まれてからずっと続く鈍い痛みを誤魔化すため、私は読書をするようになった。物語が面白ければ面白い程、意識が逸らされて辛い現実と止まない痛みを忘れることが出来る。私の要望を聞いた主任は、私がまだ読んでいない小説を何冊か持ってくると、鏡の向こうへ戻っていった。





 物語に没頭して暫く経っただろうか。そろそろ昼食の時間だが、なにやら様子がおかしい。私は左目に意識を集中すると、鏡の向こうへ視線を向ける。人の気配が慌ただしく動いている。更に意識を済ませると、痛みが増す代わりに人の形がはっきりと浮かび上がる。

 

 

 研究員の乱闘だろうか? 胸ぐらを掴んでいる人物と、掴むその手を振りほどこうとする人物。周りの人間は狼狽えているのかその場から動かない。そうこうしているうちに胸ぐらを掴まれた人物はそのまま持ち上げられ、床に叩きつけられた。すると周囲の人物は弾かれたようにその人物を押し倒すと、実験室の外へと連行していった。閉じられているはずの伝声管からは、あんたら、こんなことが許されると思うなよ! と叫ぶ男の声が微かに聞こえてきた。

 

 

 この建物に閉じ込められてから数年間で初めての光景に胸が高鳴る。もしかして、私を助けに来てくれた王子様か、はたまた勇者様か――痛む左目を誤魔化すように顔を左右に振った私は自嘲する。物語の囚われの姫に自分を重ねるだなんて……そう思いながらもその日はずっと胸が踊って、なかなか寝付けなかったのだった。

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