6 幕間
瞬きをする間もない戦いとは、亜光速戦闘とは恐ろしい物だ。
レストラット保安長は機械化された腕でシートのアームレストを握り潰しそうになっていた。安全装置が働いてそれをかろうじて止めている。
「やったのですか?」
「その言葉はフラグだぞ」
「それって大昔の創作物が由来の言い回しですよね。一見強そうな大技を食らった強敵は大抵ピンピンしているっていう」
「創作物で無くとも戦果の確認が不確実な時に希望的観測は禁物だ」
「では敵がまだ生存していると仮定して、我々に出来る事がありますか?」
「無い、な。通り過ぎた後の亜光速船など、こちらの武器では何を使っても届かない。反陽子ビームですらヤツより遅い」
「ですよね。今さらジタバタしても始まりません。それで、戦果の確認ですが、やったのですか?」
「確認中だ。とりあえず、本機のビームは直撃ではなく敵の進路上の小天体を狙って発射された。小天体は爆破されたがその時点では亜光速船は無事だ。直前で大きく進路を変更した形跡がある」
「亜光速で接近中にビームの発射を察知して避けたのですか?」
部下の驚きに保安長はうなづいた。
彼はいつもは部下に任せているデータリンクを自分で操作していた。
「敵の進路を誘導してからの砲撃。これで決まっていてもおかしくは無かった。あの小僧、ただの戦闘用強化人間というだけではない。本物の化け物だ」
「しかし、相手はそれ以上の怪物だった。あのタイミングから避けるなんて、人間技どころか自動機械でも無理じゃありませんか?」
「よっぽど速度に特化したハード・ソフトで無ければ無理だろうな。ビームを見て、それが脅威になるかを判断して、とかやっていたら到底間に合わない」
「で、ヤツが無事だったのならば被害はどのぐらい出ました?」
「多くはない。急な進路変更は怪物にとっても負担だったのだろう。こちらの攻撃に合わせて連邦軍がありったけの電磁波を叩き込んだのも効果があったのかもしれない。その後に行われた攻撃は一発だけだ」
「どこがやられました?」
「怪物の進路変更がそもそもアタラクシアを目指していた」
「何故に?」
「理由はいくつか考えられる。こちらの動きを見てアタラクシアを重点的に守っていると判断したのかもしれない。重要目標だと思い込んでもおかしくはない。あるいは通信の傍受によってアタラクシアをこちらの旗艦だと考えたのかもしれない」
「実際、指揮官みたいな物でしたからね」
「そうだな。後はヴァントラルがあの怪物と通じていたと言うのが事実ならば、最初からアタラクシアが攻撃目標だった可能性もある。……まぁ、考えても結論は出ないだろうが」
「アタラクシアが宇宙の塵となったのでは調査もできませんしね」
「ん? あの船は無事だぞ」
「は? 亜光速の怪物に攻撃されたんですよね?」
「あの小僧は怪物以上の魔王だったという事だ。怪物は惑星ブラウを貫通する攻撃を放ったが、アタラクシアは怪物から見えなくなると同時に進路を変更していた。哀れ、亜光速の砲弾は無駄撃ちだ。ブラウに木星にある大赤斑のような物が出来上がるだけで終わった」
「周到ですね」
「感心するのはまだ早い。魔王と言うよりもはや邪神かもしれない。アタラクシアは連邦軍から鹵獲したワンダガーラを後ろに従えていた。亜光速の怪物がアタラクシアを目指した以上、必然的にワンダガーラに近づくわけだ」
「あの、まさかとは思いますが」
「鹵獲された宇宙機は自爆した。俺たちが反陽子砲と小天体でやらされた事が再度試みられたわけだ」
「もしかして?」
「バン!」
レストラットは手のひらで何かが爆発した仕草をした。
「亜光速の怪物は亜光速のデブリ群となって外宇宙へ流れて行きました、とさ。怪物は通り過ぎたとかではなくもう誰の脅威にもならない。観測上、10年以内にこの星系へ到着できる亜光速物体はいない。我々は勝った。第四惑星の観測員以外は人的被害を出さずにこの危機を乗り越えた」
そこまで言ってから、保安長は「そうでもないかな?」と首をかしげた。
惑星ブラウの大気圏内にはロッサたちが襲撃した物以外にも資源採取用のガスフライヤーが複数飛んでいたはずだ。彼らは無事だろうか?
亜光速弾による衝撃波でも光速で伝播するわけではない。素早く大気圏外に退避すれば助かったはずだが、普通の人間の決断力や反応速度では難しい。
後で確認しなければ。と、心の中にメモをする。
「いやはや、ここは歓声をあげて飛び上がったり、帽子を投げ上げたりするべき場面なのでしょうが」
「分かる。どっちかというと、呆れた」
「呆れ果てたのか、現実感が無いのか。大がかりなペテンにでもあった気がします」
「亜光速船の存在を疑うなら、ドワルでもブラウでも見てみるといい。どちらも破壊の跡が一目で分かる。ブラウならば肉眼で、ドワルでも望遠鏡があれば充分だ」
「いえ、そこまでするほどでは」
「俺は三回ほど確認したぞ。ありえない事柄が起こったのだ。前提条件を疑う余地はある」
「私は頬をつねるだけで済ませます」
「その検査は忘れていたな」
俺がやろうか? と、サイボーグの親指と中指を動かす。
話している間に外部からメッセージが来ていたのに気づいて確認する。
「やめてください。その指では頬がちぎれます。破壊検査の必要はありません」
「そいつは残念。……ところで砲術士」
「は、なんでしょう?」
「反陽子砲をもう一度撃てと言われたら可能か?」
「は? 今の話ですともう必要はないのでは?」
「質問に答えろ」
「砲身の冷却にあと60秒ほどかかります。その後ならば可能です」
レストラットは目をつむった。
つい今しがた受け取った通信について考えこむ。
周囲の者たちはその様子を不安とともに見つめていた。また何か新しい敵が出現したのだろうか?
目を開いたレストラットはとても、とても不機嫌な声を出した。
「その報告に訂正の余地は?」
「ありません」
「本当に、本当にそうか? このミラビリスが連続で砲撃できるのは三回までだと聞いているが?」
「それは無検査・無整備で間違いなく撃てるのが三回まで、という意味です。厳密に三発しか撃てない訳ではありません」
「充分な検査はしていないのだろう?」
「はい」
「では、このまま整備なしで戦闘行動を継続したらミラビリスは爆発四散する可能性がある」
「可能性だけを論じるならば……」
古強者のサイボーグの様子のおかしさに誰もが気づいた。
これは明らかに答えを一方向に誘導している。
「は、私が間違っていました。訂正いたします。これまでの無理な運用が祟って反陽子砲の状態は深刻です。再度発射すれば爆発の危険があります。反陽子砲の運用担当として、そのような事態は許容できません。反陽子砲は使用不能です」
「そうか、報告書にはそのように記載しよう」
レストラットは満足そうにうなづいた。
「で、何があったのですか?」
「世の中には知らない方が幸せなこともある」
保安長は彼にしか読めないように表示された命令書に目を落とした。
この命令が出た理由は理解できる。
亜光速の怪物は撃破された。人類みんなが手を取り合って戦わなければならない相手はもういない。エイリアン警報は解除だ。
それは敵対する武装勢力への攻撃が解禁されるという事だ。
ロッサ・ウォーガードはその力を示しすぎた。
亜光速で飛来した化け物を撃破した個人がいる。彼一人で倒したのではないと言っても、その貢献度はブラウ惑星系内のどの勢力よりも大きい。
そんな力と実績を持った個人営業のテロリストが気ままに動き始めたら?
それは恐怖だ。
惑星系全体がロッサに支配されるのではないかという恐怖。
ありえない、とは言い切れない。ロッサはすでにこの惑星系を守ってみせたのだから。
一般民衆ではなく支配者層の恐怖ではあるが。
「でもなぁ、俺にだって『恥』という概念は存在するんだよ」
眉間に皺をよせ、レストラットは誰にも聞かれないように呟いた。
戦いが終わった瞬間に戦友の背中を撃つのは主義に反する。それがいかに合理的であってもだ。
彼は躊躇うことなく保安局上層部から降りてきた命令、アタラクシアへの砲撃命令を消去した。
こんな物、後世に残せるか!




