3 レストラット
保安局の宇宙機ミラビリスは鏡面装甲に覆われた潜航モードに戻っていた。
潜望鏡だけを露出させて上層部と連絡を取る。
レストラット保安長の不機嫌は継続していた。ロッサに翻弄されて逃げ出されただけでも失態なのに、今度はエイリアン警報だ。警報だけならば良いが亜光速宇宙船に対する砲撃命令まで出ている。
保安長は自分が使う兵器のことぐらい熟知していた。スペースラムジェットに対して有効打を与えられないことぐらい分かっている。しかし、上からの命令とあっては砲撃準備をしない訳にはいかなかった。
反陽子砲に限らず保安局が使えるすべての武器が亜光速で飛来する物体を迎撃する能力を持たない。ならば、手持ちの武器の中で最大の火力の物をとりあえずぶつけてみる、という考えは理解できなくもない。
理解はしても納得できないのは、砲撃が『やれる事はちゃんとやりましたよ』という官僚の言い訳用の作戦だと透けて見えるからだ。
連邦軍との間で指揮系統の一本化が出来ていないのもレストラットの不機嫌に拍車をかけていた。
彼の考えでは対異星人戦では保安局は沿岸警備部隊として連邦軍の指揮下に入るべきであり、そちらから命令を受けることにわだかまりは無かった。
それなのに『指揮権を押し付けあって』指揮系統の一本化ができないなど、官僚制の悪しき側面以外の何物でもない。
「保安長、連邦軍からの通達です。今さら役に立つ情報ではありませんが」
「何だ?」
「我々が探していたロッサ・ウォーガードとその宇宙機ですが、本惑星系に滞在中の宇宙船アタラクシアと交戦。これを制圧したとの事です」
「大事ではないか」
「続きがあります。その過程で宇宙船アタラクシアが星間結社ヴァントラルの移動基地であった事が判明。責任者は船内で拘束されている、と」
「……」
レストラットは情報を咀嚼するのに5秒ほどかかった。
「ヴァントラル内での内輪揉めか?」
「そうなります」
「自爆テロも辞さないヴァントラルの強化人間が反乱を起こすとはやや信じがたい。いや、逆か。自分たちが使い捨てにされている事を知ったら、あの狂った連中ならば上層部に逆侵攻ぐらいは平気でやりそうだ」
「なお、連邦軍ではロッサ・ウォーガードとその一党をヴァントラルとは別の地元武装勢力と認定。エイリアン警報が続く間はこれとの交戦は禁じる、とあります」
「確かに、いま聞いても役に立つ情報ではなかったな」
サイボーグの保安長は首をコキコキと鳴らした。
興味深い話ではあるが、今はヴァントラルなどを相手にしている暇はない。亜光速宇宙船の迎撃が最優先だ。
「続報が来ました。ヴァントラルでは接近中の亜光速宇宙船と何らかの交渉を持っていたとの証言あり。今回のテロ行為は外宇宙から目を逸らすための陽動作戦。亜光速宇宙船の攻撃目標は超光速航行関連施設、との事です」
「それを信じろ、と?」
「いえ、連邦軍でもこれは未確認情報だと注釈をつけています」
テロ行為に偽の犯行声明が出たり、自分たちの行為をより大きく見せる嘘の情報を付け加えたりは、古来からよく行われる事だ。テロ組織の言葉など、信じるに値しない。
しかし、今回は無視もできない。
「信用できる情報では無いが、対応しない訳にもいかない。系内の宇宙船に退避命令は出ているな?」
「……いいえ。連邦軍からの情報提供は保安局に対する物だけです。保安局からは何も。だいぶ混乱しているようです。……一件だけ、アタラクシアからドワルに停泊中のビークル02に対して避難勧告が出ています」
「あのガキの方が保安局よりも仕事をしているではないか!」
レストラットは呆れと激昂が入り混じった複雑な想いを込めて叫んだ。
「こちらからもビークル02へ勧告を出しておけ」
「了解、ですが、間に合わないかと」
「間に合わない?」
「はい。アタラクシアが勧告を出した時点でギリギリです。今からだとこちらからの通信が届くよりも亜光速宇宙船がドワルへ到着する方が先になります」
「出遅れたか。……惑星系内にいるすべての宇宙船に勧告しろ。今いる場所を離れて回避行動をとれ、とな。特にブロ・コロニー周辺には宇宙船を残しておくな。コロニーが巻き込まれたら被害が甚大になる」
「実行します」
通信担当が忙しくなる。
砲術担当がかわりに声を上げる。
「これで被害は最小限に食い止められる、のでしょうか?」
「分からん。ヴァントラルからの情報が真実である保証はない。真実であるとしてもエイリアンが超光速宇宙船を見分けられるかどうか。見分けがつかなければこの辺りの人工物を手当たり次第に破壊しようとするかもしれない」
「さすがにコロニーと宇宙船の区別はつくと思いますが」
「どうかな。観測によれば相手の大きさもキロメートル単位だ。ブロ・コロニー程度の大きさの宇宙船は普通だと思うだろう」
「うへぇ。責任重大ですね」
レストラットはスクリーンに映し出される敵の姿をじっと見つめた。
宇宙空間にはそぐわない流線形。ヒレのような、尾翼のような物すら見える。ヤツが武器を持っているとしても『星間物質の抵抗を考慮して』内部に収納しているだろう。
外からでは戦力を推し量れない。
「どんなに気合いを入れようと、ヤツに反陽子砲を命中させるのは不可能だ。超遠距離での射撃はあきらめる。可能な限り敵を引き付けるぞ」
「少しぐらい近づいたって当たりませんよ。それとも、10キロメートル以内とかまで接近できるのを期待しますか? そのぐらい近づけば何とかなるでしょう」
「それでは体当たりと変わらないな。鏡面装甲のおかげでヤツがこちらに気付かなかったとしてもそこまで近づくような偶然は起こらないだろう。俺が想定しているのはヤツがラムスクープ用の電磁場を解除することだ。ブラウ惑星系内のデブリの密度は惑星間の空間よりも高い。デブリとの衝突を避けるために電磁場を解除する可能性は低くない」
「博打ですね」
「確かに賭けだが当たりくじが入っているだけマシだ。このまま撃ったら命中確率は0だからな」
「こちらの反陽子砲を見てから電磁場を再展開される可能性は?」
「そこまでとんでもない相手だったら大人しく白旗を上げるさ。たぶん、物理法則的にそれは不可能だと思うぞ。ヤツは亜光速で近づいてくる。こちらのビームも亜光速だ。両方併せて超光速とは言わないが、光速に極めて近くなるのは間違いない。こちらの発射とほぼ同時に着弾するはずだ」
「では、潜航モードのまま発射準備を続けます。こちらの存在を秘匿して発射直前に砲身を展開、という事で」
「それでいい」
「砲身の寿命がさらに縮みますけどね。今日でダメになるかも」
「それだけの価値はある」
時がすぎる。
亜光速宇宙船は着々と接近してくる。
連邦軍と保安局は官僚そのものとして責任を押し付けあう。反陽子砲は先ほどの緊急発射のダメージもあり、エネルギーをゆっくりとチャージする。
「作戦案、とタイトルがついたファイルを受信しました」
「ようやくか。責任という物を思い出したヤツがいるようだな。どこからだ?」
「それが、発信元は宇宙船アタラクシアです」
「……馬鹿野郎‼」
「見ますか?」
「こちらを見た後でな」
レストラットはメインスクリーンを注視していた。
そこには亜光速宇宙船が第四惑星ドワルに接近する姿が映っていた。
ドワルには宇宙船ビークル02がいたはずだ。
それらしい姿は感知されていない。
「ビークルは警告が間に合わなかったのか?」
「いいえ、宇宙へ出ても逃げ切るのは不可能だと。だからドワルの地表に隠れ続けることを選んだようです」
「そうか」
「こちらに通信が届いたのですからドワルのこちら側、亜光速宇宙船が近づいてくる方向の反対側に居ることになります。間違った判断とは思いません」
そう、確かに間違っていないと、そう思えた。
亜光速宇宙船から何かが放出される。単一の固形物ではない。
「雲、か?」
「気体ではなく砂つぶのような微細な物体の集まりのようです」
「亜光速の砂嵐がドワルに吹き付ける、か」
レストラットは最初、亜光速宇宙船がドワルにナノマシンか何かを散布したのかと思った。
その解釈が間違いだと判明するのに時間はかからなかった。
砂嵐が接触すると惑星がグシャリと潰れた。
光速とは秒速30万キロメートル。その95パーセントだとしても秒速28万キロを超える。大砲の砲弾は秒速1600メートル程度。文字通りの意味で桁が違う。それも圧倒的に。
亜光速宇宙船の攻撃が砲弾のような一塊であればまだよかったかもしれない。そうであれば惑星を突き破って反対側に突き抜けるだけで済んだかも。しかし、砂粒の集合体は突き抜けることなくその膨大な運動エネルギーを惑星に伝えきった。
ドワルは砕け散るところまでは行かなかった。
そこまでの質量は使われていない。しかし、硬い地殻を持つはずの地球型惑星がそれとわかるほど変形した。地表が木っ端みじんに破壊され、マントルが露出した。原始の地球と同じ姿をしていたはずの惑星ドワルは自ら力で赤く輝くようになっていた。
当然ながら地表に居たはずの宇宙船が生き残れる道理はない。
「分かっているつもりで理解しきれていなかった。亜光速とはこれほどまでの破壊力になるのか」
レストラットは戦慄とともに呟いた。
「保安長、アタラクシアからの通信です。作戦案に賛成かどうかだけでも早急に返答が欲しいと」
「せっかちなヤツだな。もう少し検討すると回答しておけ。惑星ドワルはここから30光分ぐらいは離れていたはずだ。30分以内にここまで来ることは出来ない」
「それが、敵はもう目の前だと強い口調で主張しています」
そんな馬鹿な。
レストラットはスクリーンに視線を戻し、愕然とした。亜光速宇宙船が恐ろしいスピードで近づいてくる。見かけ上のスピードは光速をはるかに上回っている。
何が起きているのかを理解するまでに貴重な時間を10秒ほど浪費した。
「しまった。我々が見ている映像は30分前の物なんだ」
そして亜光速の敵は光がやって来るすぐ後ろを追跡してくる。光が30分かけてやって来る距離を35分で来るとか、そのぐらいのスピードだ。
見ているこちらにとっては30光分先に居るのを確認したわずか5分後に目の前に来ている事になる。
相対性理論ぐらい学んでいるはずだったが、常識に囚われすぎた。光速に近い世界では時間や空間が伸び縮みする。これがその効果だ。
実体験してもいないのにこれを予見するとか、アインシュタインとかいう男は化け物か?
いや、はるか過去の偉人に思いをはせている時ではない。
問題はロッサ・ウォーガードだ。テロリストが保安局に作戦案を届けてきた。当然、本来ならば相手にするのもバカバカしい。
しかし、レストラット自身と連邦軍を手玉に取って逃亡して見せたその能力は本物だ。そして、結果として役に立たなかったとはいえ、宇宙船ビークル02を救おうとしたのも確かだ。
亜光速宇宙船のあの攻撃。地球型惑星の地殻を粉砕し、惑星全体をマグマの塊にしてしまったあの攻撃をブロ・コロニーが受けたらどうなるか? おそらく塵しか残るまい。炭素やケイ素を主成分とした宇宙の塵だ。その塵が人類の文明が生み出したものであるなど、よっぽど精査しなければ分からないだろう。
そのような事態になるのを許すわけにはいかない。
レストラットは決断した。
「保安長、先方にはどう回答しますか?」
「イエスだ。ファイルを全員に配れ。俺の許可をとる必要は無い。作戦案通りの行動をとれ。責任は俺がとる」
作戦案を見てもいないのに責任なんかとりたくはない。しかし、まだ時間があると思い込んで油断したのは彼の落ち度だ。
レストラットは断腸の思いだった。
ロッサ・ウォーガードよ、あまり変なことを書いていてくれるなよ。
「了解。反陽子砲、砲門ひらきます」
ブラウ惑星系最強の武器が果てしなく相性の悪い相手に発射されようとしていた。
保安長は今さらながら作戦案に目を通そうとする。
「発射します」
宇宙を閃光が貫いた。
どこへ向けて撃ったのかは誰も知らない。




