1 亜光速の怪物
超光速での移動を嫌うと言う『神の使徒』。
それは本当に実在するのか? 僕には想像もつかないような長い時間を生きてきたのがジェイムスンだ。その人生は僕の100倍ぐらいあるらしい。その長すぎる時間が見せた幻想でないとなぜ言える?
ともかく、エイリアン警報が発令されたのは事実らしい。
何が現実で何が幻想なのかしっかりと把握していこう。
と、その前に通信が入る。
「ああ、ロッサ君。良かったら私をここから解放してくれないか?」
「インベーション大尉か。良いだろう。ただしワンダガーラへの接近は禁じる。アタラクシアへの立ち入りは許可しよう」
「君は本当に偉そうだな」
「勝者の権利だ」
遠隔操作でドーサン・ロボの手を開く。
今はアタラクシアの推進器は止まっている。無重力ならば片腕、片脚でも行動に支障はないだろう。
タイプOの再生能力ならば傷口ぐらいはもう塞がっているはずだ。新しい手足を生やすのはさすがに時間がかかるだろうが。
カラン・インベーション大尉がこちらの船内に入って来るのを確認する。
シグレのところへ行かなければ問題ない。まさか軍人が自爆テロはやらないだろう。
「シグレ、エイリアン警報について調査してくれないか? 現在、何が起きているか本当の所を知りたい」
「保安局からの発表ならば、そちらでも閲覧可能よ。隠された真相、までは分からないけれど今起きている事実ならそこで確認できる」
「了解した」
アタラクシアの制御版を軽く操作して情報を呼び出す。
操作して、と言うかそれは最初から最重要項目として赤く点滅していた。
ブラウ惑星系どころかその主星であるジール太陽系の外から接近する物体あり。
観測によれば直径5キロはある円形で、おそらく球体ではなくそれなりの長さがある円筒形ではないかと思われる。物体がまっすぐこちらを向いているので正確な長さを調べることは出来ない。
物体の推進機関はスペースラムジェット。
星間物質を集めて燃料にするという、人類の間では理論でしか存在しない推進器だ。原理的には人類の科学力でも製作可能だが、その原理上スペースラムジェットでは光の速さを超えられない。超空間航法があれば必要のない技術と言える。
しかし、だ。
逆に超空間航法では通常空間では光速に近づくことさえできない。その物体は人類の経験したことのない速さで移動できる。
観測上、その物体の速度は光速の95パーセント以上、だそうだ。そしてその物体はまっすぐこちらへ向かってくる。
「ねえ、ロッサ。これでなぜ『エイリアン警報』が発令されたか分かる? 相手はただ近づいてくるだけでしょう? 『敵対的な宇宙人』とは断言できないのでは?」
「軍事的には『相手の意思ではなく能力に備える』のが正しい。意思は変わることがあるし、正確に推測することも難しい。相手にこちらを破壊できる能力があるのならばそれに備えるべきだ」
「相手が武装しているかどうかはまだ判明していないでしょう?」
「この速度だけで十分以上に脅威だ。同一惑星系での軌道速度の違いだけでも、小石をぶつけられただけでも宇宙機が大破するぐらいのエネルギーになる。それが光速となったら運動エネルギーは計り知れない。想像もつかないぐらいの大惨事になるはずだ」
「こちらに敵対的だと思われたくなかったら進路を変えるか減速しろ、っていう事ね」
「そうなる」
僕は無意識のうちに狙撃銃に手を置いていたが、こんなものは外宇宙からの敵に対しては何の役にも立たない。銃弾のスピードなんて光速と比較したら誤差にもならない。
「それで、ワンダガーラの観測機器でこの物体は捉えられる? 念のため確認しておきたい」
「うん、今見ている。保安局の情報に嘘はない。宇宙に浮かぶ何かを発見。速度については分からないけれど紫方偏移が観測できる。相当に速いのは間違いないわ。ただ……」
「何か?」
「目標と同一方向に第四惑星ドワルが見えるの。このままだとこちらに近づく前にドワルの近辺を通過することになる」
「ドワル、か」
ブラウよりも内側をまわる地球型惑星だ。
これと言った価値は無いが、大気中に微量ながら酸素分子が含まれていて原始的な植物が生まれているのではないかと言われている。観測基地がおかれているはずだ。
含み笑いが聞こえる。
標本のように捕らえられた金属製の樽が発信源だ。
「何が起こるか楽しみですね。我々の運命の予告編になるはずですよ。今、あの惑星には宇宙船ビークル02が停泊しているはずですからね。大気圏突入もできる無駄に高性能な宇宙船ですが、神の使徒の前では何の抵抗もできますまい」
どうしよう?
接近する物体の意図を確認するためには放置したほうが得策だ。
カランからの通信がまた入る。
「ロッサ君。君たちを現地武装勢力として登録を完了した。これでただの犯罪者ではない。ゲリラか何かと同等の扱いになる」
「大してありがたいとは思えないけど?」
「エイリアン警報下ではそうでも無い。人間同士の戦いの抑制により、君やこの船に対する攻撃が許可されなくなる」
それならばこの星系に居るヴァントラル以外の勢力はすべて友軍、となるのか。
ならば見捨てるべきでは無いな。
「シグレ、惑星ドワルの観測基地に連絡を。敵は超空間航行機関を標的にしているとの未確認情報あり。宇宙船の退避を勧告してくれ」
「わかったわ」
しかし、樽がまた笑う。
「退避と言っても3Gかそこらの加速をほんの少し続けられるだけの鈍亀に何が出来ますか? 相手は光速ですよ。ああ、超空間に退避しようとしても無駄です。この星系にテロリストがやって来ていると情報を流しましたからね。どこの船もテロリストに逃亡されないように超空間航行機関は止めていますよ。すぐには起動できません」
そのテロリストって僕たちの事だよね。
見事な手腕と呼ぶべきか。
断じてほめたくはないが。
「それでも、警告だけは出してみる」
「頼む」
「それから、保安局では反陽子砲の超長距離射撃を行うつもりみたい」
シグレの言葉を聞いて樽は爆笑した。
「彼らは馬鹿なのですか? そんな物、あたる訳がないでしょう」
「相手がまっすぐ移動しているのなら、命中しないと断言はできないだろう」
まぐれ当たりでも命中は命中だ。そして、反陽子砲はどんなに頑丈な相手でも物質である限り破壊できる。
「そういう意味ではありません。いいですか? 神の使徒はスペースラムジェットを使っているのですよ。アレは星間物質の水素原子核を磁場で集めて燃料にするのです。水素の原子核とはすなわち陽子です。陽子を集める機構を持つ以上、反対の電荷をもつ反陽子は逆にはじき返します。反陽子砲を使うのでは、正面から撃つのではスペースラムジェットには絶対にあたりません」
「……道理だな」
利口な樽だ。
その言葉を認めざるを得ない。
「それにね、ロッサ。あの相手はあんまりまっすぐ移動していないみたい。観測していると位置がブレるの」
「狙撃を警戒しているのか?」
「私もそう思ったけれど少し違う。わざとじゃなくて自然現象でブレている感じ。どうやら光速近くになると真空のはずの宇宙空間が真空でなくなるみたい。次々にやってくる星間物質が風のように影響している」
「なんて常識はずれなヤツだ」
「さすが神の使徒です。我々の常識では計り知れない」
この樽はなかなかおしゃべりなようだ。苛々させられる。
しかし、今はこいつから情報を引き出したくもある。
「この神の使徒という物は何なのだ? ヴァントラルとどんな関係がある?」
「知りたいですか?」
「別に、それほど知りたいわけじゃない。不確実な伝聞情報にすぎないからな」
「そうですか。では、話さない事にしましょう」
本当は『伝聞情報』を信じるつもりは無くとも『ヴァントラルがあの存在をどう思っているか』は聞く価値があると思っている。
そして樽は僕が聞きたがっていると知って話すのを止めたようだ。
拷問してでも聞き出すべきだろうか?
そんな事に使う時間があったら、観測した情報を精査したほうが良い気がする。ヤツが自発的に話すのならば聞いても良い、というレベルの情報だ。
諦めよう、と思ったが、僕に代わってイモムシ船長が声を上げた。
「そう言わずに、私は知りたいですね。冥途の土産に聞かせてもらえませんか? 神と神の使徒の物語を」
「まぁ、どうしてもと言うならば話さないでも無いです。神の啓示によれば、あの使途は遥かな過去に造られた機械生命体だそうです。神そのものと直接的な関係は無いが、我々と同じく啓示に従って動くことがあるそうです」
「ずいぶんと曖昧だな」
「我々にとっても伝聞情報ですから」
「あいつらの性質とか弱点など尋ねるだけ無駄か」
「当然です。私たちだって彼らに出会うのは初めてです。しかし、言っておきますが彼らは何億年もかけて進化してきた存在です。分かりやすい弱点などないでしょう」
あの亜光速宇宙船は神と名乗る知性体が使役する何物か、そう思っていればよい。
そうすると、重要なのは神と名乗る者の目的だ。
「神が超光速を嫌うとはどういう事だ?」
「そもそも、あなたは光の速さを超えて移動するという事がどういう事か分かっていますか?」
「ものすごく速く動く。普通に移動していたら何年もかかる移動を一瞬で終わらせること。などと言う答えをさせたい訳では無いのだろう?」
「もちろんです。あなたが言ったのが超光速に対する一般的な認識ですね。間違いですが」
「超空間航法の結果、いろいろと問題が起きているという話は聞いている」
「超空間を経由する航行、これがとても胡散臭い。そもそもです、超空間とやらへ行って戻ってきているとされているわけですが、この宇宙においては超空間に突入した宇宙船と戻ってきた宇宙船の間に連続性が無い。両者が同一のものであるとなぜ言えますか? 宇宙船にとってもそれは同じです。超空間に入る前に居た宇宙と出てきた宇宙が同じものである保証はない」
「保証はなくとも観測は出来るだろう。超空間に入る前と出てきた後を比べて差異が分からないぐらいであれば同一の存在とみなしても良いのではないか?」
「まさにそれです。観測結果が時々合わないのですよ」
「え?」
「極端な例としてはですね、ある時となりの星系まで行ってきた宇宙船がありました。その船は普通に行って無事に帰ってきたのですが、数年後となりの星系の報道電波を受信したところビックリ仰天です。帰ってきたその船が事故を起こして爆発四散、乗組員は全員死亡したと言っているではありませんか」
「その宇宙船はどうなったのだ?」
「別にどうにもなりませんよ。普通に存在しているし乗組員も生きています。ただ、隣の星系ではそう思っていないというだけで」
「つまり、どういう事だ? 分からない」
「私だって分かりませんよ。一つの仮説は私たちが超光速での移動と思っているものは、実はパラレルワールドへの移動だった、という物です。私たちは別の星系だと思っている異世界へ移動しているのだと。超光速で移動するたびに別のパラレルワールドへ移動しているのだとしたら、事象を混乱させているのならば、神と名乗る超知性体がそれを嫌がるのも無理はないと思いませんか? 超空間航法とは宇宙に生じた一個のバグなのだと」
「だからバグを潰しに来る、か。バグとりだけならば勝手にやってくれ。しかし、今潰されるのは困る。この宇宙船が必要だからな」
「神の御心を理解して、なおその態度ですか」
「動機を理解するのと手段を認めるのは別だ。ついでに、お前の動機と手段はどちらも認めない。うっぷん晴らしで被造物を苦しめることも死ぬことも許さない。この宇宙船ごと生き残らせてやるからそのつもりでいろ」
「あなたが神に抗う事が出来るかどうか、楽しみに見ていましょう」
ジェイムスンとか名乗る樽は唯一自由に動かせる触手の先をユラユラとなびかせた。
同時刻。
否。
一般的には同時刻とみなされる時、100光分ほど離れた宇宙空間。
神の使徒などという呼び名がついたその機械生命体は強まる太陽風に辟易していた。
実にウザい。
通常、彼らは恒星間の空間を移動する。活動中の恒星に近づくようなリスクは冒さない。例外は繁殖のために資源を手に入れる時だが、その場合も白色矮星や質量が小さすぎて核融合反応を始められなかった恒星未満の星を利用する事が多い。
とても面倒な状況だが、今回の件を依頼してきた知性体には恩がある。断ることはできなかった。
空間の綻びを感知する特殊なセンサーを使用する。
破壊しなければならないターゲットはこの先の岩塊に一つ、そしてその先のガスの塊の周囲にも複数存在する。
単独で存在する一つは簡単だが、ガス塊の周辺にある物は厄介だ。
撃ち漏らしを出さないためにはコースを慎重に定める必要がある。
機械生命体はルートの選定をはじめた。
綻びの近くにある炭素系化合物に意識や知性が存在する、なんて事は微塵も考えなかった。




