第41話 魔術式
青と赤で文字が編まれ、刻印が胸に宿る。異彩な紋章の魔法陣は霊力の火花を散らし、零人の魂より顔を覗かせた。
これこそが彼を最強たらしめる能力の一角、魔術式である。
「けッ」
敵前での嘲笑、ポケットへ突っ込まれた両手、他者を間合いへ寄せ付けない霊力の圧力、背後に出現させた攻撃特化の無数の魔法陣。
零人の一挙一動が威圧、そして能力者としての意味を持っていた。
俺こそが、天下無双の世界最強であると。彼の態度に込められた無言の主張である。
「んぬぅ!」
ハインツはその挑発を買って出る。圧縮された大気を体内へ吸収した霊槍ろくろの斬撃に見立て撃ち放つ。
音速に達する不可視の斬撃、予測不可の軌道。にも関わらず零人に斬撃が当たることはなかった。
「んなっ」
ハインツは事態に困惑する。なぜなら攻撃が空間ごとねじ曲がり、彼の左へと逸れたからだ。
斬撃は海面に衝突し、海が荒々しい様へと顔変わりする。零人は発動している魔術を解除し、ニヤッと笑みを向ける。
「今のは、何の魔術だ。その術式の能力か!」
「術式の能力っつわれたら半分は正解としかいえねぇな。それよりお前、手ェ大丈夫か?」
指摘された瞬間目線を落とすと、ハインツは血相を変えた。
「う、うがあァァァ! あがっ、手がっ……」
ハインツの左手は真っ黒な炭となり、いつの間にか石のような様相に変貌していた。再生の間も、肉を内部から削るような激痛が彼に襲いかかる。
「この、私の。Arthurに認められた、尊き手を、こんな……」
「それじゃあ神と直接話して来いよ。お膳立てしてやる」
悶えるハインツを見下ろし、零人は右腕を天に掲げて詠唱する。
『7つの大罪、怠惰の能力者。真神零人がここに求む。我が元へ降臨せよ』
零人の背後では複雑に展開される3つの魔法陣があった。重なり、交わり、立体化し、光文字と共に召喚の魔術が構成される。
天より繋げられた光の門を潜り、この場所へ3柱が集った。
海面から上半身を突き出す大男、槍を抱えて空に立つ筋骨隆々の翁、体表の一部を岩と見紛うほどの質感を持つ巨人。
並々ならないその風格と威厳を携えた3柱の神は、ハインツを警戒しながら零人に声をかけた。
槍を握る翁が先に零人へ問うた。
『やぁ、零人君。我々を呼んだということは、それなりの者だね?』
「そうだ。急で悪いな、オーディンさん」
その名を耳にした途端、ハインツの顔色は土色にまで悪化する。
「おっ、オーディン……? 北欧神話の神の1柱、か」
「あぁ、魔術と戦いの神オーディン。海を統べる最凶の神ポセイドン。大地を擁護する巨神ガイア。助っ人だ」
北欧神話とギリシャ神話においてに最強格と揶揄される神々。Arthur教団員ながら、神を前にしたハインツの脳裏に過ぎったのは、絶望の二文字だった。
彼らは口を揃え、悪意のこもった満面の笑みで宣告する。
『『『──本当の生き地獄へようこそ』』』
硬直した獲物を目前にオーディンが先陣を切って槍を振るう。ただの鉄棒程度の槍は空気抵抗を無視し、ハインツへ振り下ろされた。
『ふんっ』
瞬間、零人の眼前からはハインツは消えていた。轟速で振るわれた槍がハインツに激突し、そのまま彼を海中へと押し込んでしまったのだ。
幾重にもなる空気の緩衝材を持ってしても、衝突の威力は彼の体を海底へと向かわせる。
海中の酸素は彼の大気支配でも十分に変換させられず、窒息の苦しみを味わう。
(苦……し、浮上しなけへば──あっ、あぁぁ!)
気が付けば海底へ向かうハインツに並走するように、ポセイドンとガイアが追ってきていた。彼らは世間話でもするような気さくな声を、もがく彼にかける。
『おいおい、我が海に来るでない。愚かな外道よ』
『たとえ万人を救う徳を積もうとも、我の大地にはもう立ち入り禁止だな。貴様は』
動物的本能が、神に相対して恐怖している。人間や生物に抱く感情ではなく、災害そのものに感じるような途方もない畏怖。
ハインツに為す術など残っていなかった。
『海の裁きと地からの追放』
『受けてあの世へ逝くと良い』
彼らが笑顔を向けた直後、何処からともなく魚の大群が押し寄せた。それは霊体となった海洋生物達だ。
ポセイドンの権能により、魚達は幽体のままハインツの体を突き抜けていった。
(っ──)
夥しい数の霊体、それらが人体を通る際の摩擦で彼の霊力回路は破壊されていった。
脳や魂の表層、腹などにある霊力器官と呼称される霊力回路の要が次々に蹂躙されていく。
死をも超過するほどの激痛の中、ハインツの失神直前に神達は追放の儀を行う。
『海の洗礼の受けたのなら、一刻も早く我らの聖域から消えよ。締めは頼んだぞ、ガイア殿』
『承知したっ……!』
ガイアが構えると、暗闇の中から灼熱の溶岩と共に海底の土が浮上してハインツを押し上げた。
骨は軋み、体はひしゃげ、臓腑が溶けかける。肉体の再生は水圧の変化によって阻まれ、ハインツは皮のみに等しい肉の塊へなっていく。
数秒間に及ぶ高圧力の拷問を受け、その勢いのまま彼は海面から飛び上がった。
幸か不幸か、ハインツは間一髪の所で肉体を回復させ、早急な霊力回路の修復に取り掛かろうと励む。
しかし容赦なく襲いかかる絶望に次ぐ絶望。見上げ空には残酷な光景が待ち受けていた。
「なァァ!?」
地平線の端から端まで伸びる光の輪が空に架かっていた。光の輪は黄金色に輝きを放ったまま次第に揺れ始める。
どの方向からか、ハインツの耳に再び青年の声が届く。
「トールさん、頼むぜ」
その刹那、光の輪から一筋の線が降りてくる。線を目で捉えたかと思ったその時、ハインツの眼前に何者かの姿が現れた。
銀の戦鎚を構え、立腹した神の形相がハインツの目に焼き付けられる。
『我が戦友を煩わせるな、蚤風情が』
その言葉が脳に届いた頃にはもう、ハインツは黒に焦げた肉の塊となっていた。
「──」
しかし神の一撃を持ってしてもハインツはしぶとく生き残った。零人が雷神トールへ手加減を要求したこともあるが、悲しくも彼自身の再生能力が苦しみを延長させる。
「トールさんサンキュー、お陰で助かった」
『君の頼みなんだ、喜んで受けさせてもらうよ。では少々早いが、私はここで失礼しよう』
鬼すら慄く般若の形相は彼から消え失せ、穏やかな微笑みを浮かべるトールは淡い光になりながら召喚が解かれる。
「あの人らを呼んだから分かっちゃいたが、流石に見るに堪えねぇな。せめて楽に逝かせてやるに越したことはねぇか」
零人は敵と言えど、下衆な輩であってもやはり同情心が働いた。その情けの元、零人は新たに召喚術を発動する。
白い光の糸は零人を囲むように宙で旋回し、4つの魔法陣を形成した。
「来い、四大天使」
光の陣は神聖さを帯び始め、霊力は浄化作用を含む聖力へ移り変わる。白の魔法陣は光柱を建て、柱内から白翼の生やす麗しい女性達が姿を見せた。
天界においても神に次ぐ実力者達、四大天使。彼女らは零人と顔を突き合わせると驚嘆の表情を見せる。
ラファエルは反射的に本音を漏らす。
「おや、零人が私たちを呼んだの? 珍しっ」
「会って早々に皮肉かよ」
「はいはい、今回はマスターとしてご命令を聞きますよ」
「そんな堅苦しくなくて良い。それよりコイツ、下手すりゃ優人にも被害行くかもだぜ。ま、生かしといたらの話だけどな」
「そうですか。でもまあ、私のこっちのモードの時であれば問題はないですよ。それに──」
零人からの軽い発言を受けるや、ラファエルは冷徹な殺戮者の顔に切り替わる。
「優人君が見ていないのなら、全力を出せます」
その冷たい殺意は何処か香菜に似たようなものを感じ、零人の背中に鳥肌が走った。
一方、ウリエルとミカエルは霊力の準備に集中していた。
その2人を横に、カブリエルはいつものように天真爛漫な様子でいる。
「とりあえずー、皆でやっちゃお〜よ!」
「はっ、はい。半世紀ぶりで心配ですが……」
4人は互いに手を重ね、霊力の凝縮と聖力の注入開始する。
彼女らの手の下には4つの光玉がそれぞれ回り出し、やがて速度を上げながら融合した。荒ぶっていた光は白の宝玉となって顕現する。
生成した宝玉をハインツの方向へ向け、4人は浄化の白光を解き放つ。
『セイクリッド・ホーリーズ』
白光は光線となってハインツを包んで彼の姿を覆った。周囲にも散らばっていたは霊力はこの技の効果によって還元され、穢れのない自然の霊力へ戻る。
しかし光を全て撃ち終えた瞬間に彼女達は驚愕し、零人は眉間に皺を寄せた。
セイクリッド・ホーリーズによって成仏させるはずだった彼の肉体と魂は尚、存在している。それどころか何事も無かったように、再生も順調に進んでいる様子であった。
「うっそ、これに耐えられるの?」
「ねぇねぇ零人、これヤバいって」
「だろうな、コイツは魂を弄ってるらしいからな。だが助かった。少しは浄化に近付いたと思う」
不可解な状態にあるハインツの謎を零人は解明しようと観察を続けた。ひとまず進展がないと感じた零人は彼女達の召喚を即座に解除する。
「悪かった、ありがとう。後は任せてくれ」
「そっか、それじゃあね〜♪」
「健闘を祈るよ」
天使達も零人からの役目を終えると、あっという間に光となって天界へと帰っていった。
すると気絶していたハインツは恨めしそうな目で零人を睨んだ。
「舐めた、真似っ、を」
「てめぇ随分とタフだな。気絶出来ねぇよう細工してる上、精神が完全にイカレてねぇのは僅かに驚いた」
「かはっ、だが……貴さ──」
ハインツが目に闘志を再燃させたその時、零人は見計らったタイミングで絶望の一言を彼に贈呈する。
「魔術の完全支配と複数同時発動、それはこの術式の本当の能力じゃねぇ」
「……はっ?」
愕然とするハインツに零人は彼の心を折ろうと、秘めていた奥の手を見せる。
「せっかくだから見せてやる。魔術式の、その先をな」





