第14話 術式
──人気が一切ない空き地に優人と零人は訪れる。今日は零人の監督下で、優人はついにダンジョンへ潜ることとなったのだ。
霊管理委員会からの任務の1つ、修行とは言えど訓練では済まされない場所であり優人にとっての試練になった。
当然いつもの悪霊狩りの心持ちではなかった。
零人曰く、優人自身が退治した魔獣達を軽く凌ぐほどの化け物の討伐のようで、優人は緊張で心臓の鼓動が速くなった。
今回のダンジョンは危険な上に侵入するにも零人がゲートを開く必要があるようで、この人目のない空き地に集まったのだ。
零人はゲートを開放するための言葉を詠唱する。
『我が大罪の名のもとに──獣を排するため戦場へと誘いたまえ』
零人の胸には大罪の紋章が浮かび上がる。
紋章からレーザーのような光が宙に射出され、目の前の空中に一部に触れると空間に針穴が通されたようにゲートが出現する。
そのゲートは円形で、中からは激しく自虐的な霊力が流れ出てくる。危険度を知るにはそれだけで十分であった。
「優人、これを潜った先はダンジョンだ。当然だがそこらの魔獣よりも格段に強いし、最悪の場合を考える必要もある……覚悟はできてるか?」
「──もちろん! ちょっと怖さもあるけど……大丈夫」
(怖くないわけじゃねぇ……だが前みてぇな恐怖心を原動力としていた優人じゃねぇな、面構えが違う)
愛弟子もとい、相棒の成長を喜ばしく思った零人はフッと笑みを零した。
「じゃあ入るぞ」
「うんッ!」
ゲートを潜り、強烈な霊力の中へと取り込まれて言った2人はダンジョンへと侵入していった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「────っ、ここが……ダンジョン」
優人らの潜入したダンジョンの中は壁も床もレンガで構成されており、RPGに出てくるダンジョンのイメージ通りの構造となっていた。
人口なのか天然なのかは分からないが、ダンジョンは一本道の通路が延々と続いており、壁の所々にランプ代わりの松明が置かれていた。
ダンジョン未経験の優人にとってはそんな細かい所も不気味に思えた。
「あ、下手に壁とかは攻撃するなよ。後日また別のやつらがミスリルやらオリハルコンやら取りに来るからよ」
「やっぱり魔鉱石みたいなのあるんだ」
「ま、この手のタイプはほとんどあるな」
そんな雑談をしながら零人はダンジョン内の霊力反応を確かめ、優人は霊力を全身に循環させて戦闘態勢の準備を整えていった。
暗い通路を奥へと進みながら零人は今日のミッションの詳細について説明を開始した。
「今日は異世界からここに連れてこられた『魔竜』を倒す任務だ。魔竜は実体化した魔獣で、物理攻撃を普通に出すから充分気を付けろ」
「うん分かった、敵は何体なの?」
「一体だ、だが魔竜は知能が高く何かしらの術を扱うことができるから複数に分裂する可能性もあるし、必ずしも一体とは限らねぇ」
「──幻想刀、出しとこ」
優人は幻想刀を手の中へ出して握り、念の為に呪いの拳を一対ほど背後に出現させて全方位を警戒した。
優人の表情もいつもより引きつったような表情となっていた。
「っ……」
零人は優人の幻想刀と呪いを見つめた。周囲の状況にも気を配りひとまずの安全を確認し、彼はその場で立ち止まる。
「優人、お前にどうしても教えとかなきゃなんねぇことがあるんだ」
「──どうしたの? 急に改まって」
「お前の幻想刀はもう、ただの錬金術で作られちゃいねぇ……おそらくだが、それはお前の魂に刻まれてる武器なんだ。簡単に言えば、そいつはお前だけが使える特別な武器だ」
「そうなんだ……確かに僕も最近は錬金術で作ってる感じじゃなかったから変だと思ってたんだぁ。でも、何でいきなり幻想刀の話を?」
「お前の魂をしっかりと見たんだ。魂に刻まれた武器があるなら、別のモンも刻まれてるんじゃねぇかってな」
「別の、もの?」
──何故優人に除霊ができないのかという疑問は依然として分かっていない。
何なら零人でもなんでそれが優人に刻まれているか、理由は突き止められていなかった。
しかし優人の霊能力に関わる1つの要因を見つけたのだ。それは選ばれた者にのみ授けられる能力である。
「お前は『術式』を持ってる」
「術式って、魔法とかの?」
「そうだ。術式ってのは魔術や魔法そのものを指すのが基本だが、これは人間に刻まれてるものになると話は違ってくるんでな」
零人は自身の推察と共に優人に備わっている術式について開示する。
「お前は外部から何らかの影響を受けて霊能力に目覚めた。おそらくだがその時に授かったんだろう。お前の術式は術式の中でも希少種、『大術式』と呼ばれる類いの術式なんだ」
「わっ!」
零人は自分の右手で優人の胸元に触れる。
──すると優人の心臓部分が光を放ち始めた。まるで忘れていたかのような光は取り戻されていく。
優人の胸には零人ですら見た事のない、紫紺に光る魔法陣が浮かび上がった。それと共にその魔法陣からは僅かに呪いが煙のようにジワッと染み出して漏れていた。
「この世の呪いを統べて他を侵す能力────『呪術式』。お前の持つ呪いの力はこの術式の恩恵だ」
優人は戸惑ったような様子だが自分の中で噛み砕いて内容を汲み取る。
「呪術式……まだ理解は追いついてないんだけど、呪いの術式ってことは、僕は他の呪いも使えるの?」
その言葉を聞くと零人は少し黙り込んだが数秒ほどの間が空いた後に再び話し出す。
「それはその通り、他の呪いも十分に使える。だが呪いは今後、細心の注意を払って修行するんだ。この術式はまだ未知な上に、厄介なことがあるんだ。──式神と『Arthur教団』っていう問題がな」
「え? えーっと…」
知らない単語が増えすぎた優人はもう1度もうーんと目を瞑って情報を整理した。
「うん大丈夫、式神は分かるけど……アーサー教団っていうのってどんなものなの?」
「まぁ順を追って話す。式神については後々話すが、とにかく何かが解放されるって感覚が来たら必死で抑えろ」
「暴走しちゃうの?」
「あぁ、もし呪術式の式神が飛び出したら、現段階のお前じゃ制御できずに暴走する」
忠告を受けた優人は自身の能力に恐怖しながらきちんと受け止めた。
そして零人はもう1つの、優人に注意させるべき点を述べる。
「Arthur教団っていうのは言っちまえば、よく分からない連中の集まりなんだ」
「分からない連中?」
「行動目的、本拠地、果てや戦力まで不明の集団。そいつらは全員が行方不明者で構成され、術式持ちの霊能力者や俺ら大罪の能力者を襲ってくる連中だ」
「そんなぁ……どうしたら良いの?」
「認識はそれぞれバラけてんだが、奴らは共通して『Arthur』と呼ばれる神に位置する存在を信仰してる。前にシロが倒した、異界術の兄弟もそうだった」
「あの時の能力者も!?」
──異界術の術士の兄弟は、未だに優人の夢に悪夢となって出てくるほどの異常性を持った能力者である。価値観や身に纏う雰囲気などその何もかもが壊れた恐ろしい人物だった。
彼らの笑みや表情がまだ記憶にある。あの狂気、悪霊などの象徴的な恐怖と対峙してきた優人にとってあれほど未知でおぞましい存在はいなかった。
「Arthurについては、それらしきアーサー王やアーサー・コナン・ドイルみてぇな偉人関係についても探ってみたが収穫は皆無。だからひとまず術式のことは俺と西源寺、シロ以外には話すな」
そして零人は通路の奥に広がる闇の方を振り返った。
「Arthur教団については情報として知っといてくれ。術式や式神については今回の魔竜がトリガーにならねぇように説明しただけだ」
その話をしている時、優人は終始自分に対して心配をしてくれている零人の表情を見ていた。
本当に親身になって気にしているというのが伝わってきた。
だから優人はダンジョン内にも関わらず、惚気けるように零人に尋ねた。
「うん! ──それじゃあ零人君、もし僕が暴走したり襲われちゃったりしたら助けてくれる?」
その優人の一言に驚いた様子の零人だったが、次の瞬間にはニヤリと笑って頼もしそうな雰囲気で堂々と返答する。
「当然だ。おと、っ……」
「うん?」
「すまん、言い間違えた。お前のためだ、死んでも助ける」
「えっ! 死んじゃ嫌だよ零人君!!」
「ポイントそこじゃねぇだろ。それに心配しなくても俺は──────」
「へっ……」
その刹那、優人の眼前では鮮血が舞った。
その赤黒い水は撥ねるように宙へ飛び出し、優人の頬へ液体が付着した。鉄臭く生暖かい液体は白い肌を赤く染めながらゆるりと滴り落ちる。
何が起きたのか理解が間に合わず、優人は硬直して彼の名を呼んだ。
「れ、れいと……くん?」
優人は目の前の光景を受け入れられなかった。受け入れたくなかったのだ。
それを見たくないがゆえのことなのか、優人は目眩と頭痛に襲われた。
しかし、嫌でもその視界の中に映り込んできた。
零人の胸を破るように咲く漆黒に輝いた巨大な棘。それは竜の爪であり、その凶悪な刃が彼の心臓を抉るようにして体を貫いていたのだ。
その凶刃な爪は確実に貫通しており、抉った零人の心臓を果実が如く潰していた。
「ぶっ、げぼっ、……」
零人は驚いた表情を浮かべ、口から大量の血液を吐き出していた。不意をつかれて顔を歪めながら、刺さった爪に目を向ける。
零人のその背後にはダンジョンの天井まである巨大なドラゴンがいつの間にかに現れていた。黒く光る爪が冷酷にも零人の胸を裂いていた。
彼は警戒を怠っていなかった。その上霊力反応で調べていたにも関わらず背後を取られていたのだ。
『グルルルゥ……』
魔竜は零人に刺したその爪をズブッと引き抜き、鋭い赤の眼光で優人を見つめた。
零人は胸に空いた巨大な穴から血を際限なく流し、前のめりに倒れて優人に持たれた。彼は力なく、倒れた人形のように優人の胸の中へ落ちてきた。
「れいと……くん? 零人君、ねぇ零人君! ねぇ!!」
優人に困惑と恐怖、焦燥が同時に押し寄せて彼を推し潰そうとする。優人は涙腺が緩むと共に零人へ声を掛けた。
しかしいくら声を荒らげても、肩を揺さぶっても零人には何も応答がなかった。
情報を正常に処理できていなかった優人は絶望した表情で竜の方に視線を向けた。だが魔竜には依然として霊力の反応がなかった。
「なんで、なん──」
優人はここで最初に交わした零人との会話を思い出した。ダンジョンに来た瞬間に言われたこと。
『魔竜は何かしらの術を扱うことができる』
「気配を消す、って能力。だから零人君も……」
己の判断ミスと反応の遅れによる後悔で優人の涙腺は緩み、もう1つの重要な会話を思い出した。
『魔竜は実体化した魔獣で物理攻撃を普通に出すから充分気を付けろ』
その零人の声が頭の中で何度も繰り返された。
自分の心が、己の不甲斐なさを戒める為に何度も思考の中で繰り返されているのだと優人は悟った。
そして自分の胸の中でぐったりとしている零人から溢れてくる生温かい溢血が滴って優人のシャツにベッタリとついて染みる。
「──あ、ああ……うあぁぁぁぁ!!」
優人の中では尋常では無いほどの絶望感が爆発した。
(──────ぼくの、ぼくの……せいで、零人君が……ぼくの…………)
「零人君、零人君、零人くん、零人くん、零とくん、れいとくん、れいとくん、れいとくんッ!!」
自分が反応できなかったから零人が死んだ、己が不甲斐ないせいで零人の防御は間に合わなかった、目の前で────大切な親友の命を奪ってしまった。
常人でさえも絶望感と自責の念で襲われるという状況。それは優人にとって死よりも耐え難い現実だった。人より幼く穢れのない純粋な心のある彼は、責任転嫁や負の感情を生むことができない。
それはつまり、感情の逃げ場所がなくその痛みの全て自分で受けなければならないということだ。
──悲しみに溺れ、悔やむ気持ちに苛まれる優人の脳内は現実の時間よりも加速し、記憶がフラッシュバックして一気に押し寄せる。
その記憶の映像はあまりにも鮮烈で、実際に見ているよりもハッキリとした記憶であった。
零人と出会った時から悪霊を倒した時のこと、様々な試練を乗り越えた時のこと、何気ない日常を過ごしたこと、みんなで遊んだりして幸福を分け合ったこと、全てが綺麗で儚い大切な思い出だった。
胸が張り裂けそうな痛みと共にそれらが全部、崩れて消えてしまったように思えた。
それも自分の手によってのことであると優人は責めてしまった。
零人と過ごした時間が、彼の声が、その顔が、優しさが、全てが流れて走馬灯のように優人の頭へ押し寄せて溢れかけた。
零人のことを考えていたその瞬間は時間が止まったような感覚だった。
魔竜の動きも姿も眼中にはなく、悲しみと口から漏れる嗚咽と共に涙が耐えることなく溢れ続けた。
涙がながれていく程に強く、零人の体を抱きしめて顔をクシャクシャにした。
(僕は、憧れたから、零人君が悪霊や魔獣達を倒して皆を守る姿がカッコ良いって思えたから、僕もカッコ良くなりたかったのに……僕は、憧れた君を、守るために──動くことすら出来なかった)
零人の亡骸を抱えて蹲る優人を前に竜は威嚇の咆哮する。その牙を見せながら地が響くほど大きく叫んだ。
獲物を捉える前にその余裕を見せつけるかのようにクソトカゲは絶叫し涎を垂らす。
『グォゥゥゥ、グガアァァァァァァ!!』
「────ッ!!」
優人は竜を睨み、そのどうしようもならない悲しみを込めて声を上げる。
胸は氷を刺されたように傷んでいる。全身の霊力までもが絶望で満たされている。
──先程、零人が忌避していた呪術式のトリガーが外れてしまった瞬間である。
優人という人間は、子供よりも純粋な存在である。本来彼には負の感情は存在しておらず、今までは恐怖心と憧れそして正義の心を原動力として、呪術を扱うものでも類に見ない呪いの発動方法を実践していた。
だが、今優人の中にあるのは怨みや憎悪に限りなく近い『悲しみ』の感情。
本当ならば持ち合わせていない感情に極限まで近づいた優人のその激情は封じられた術式の力を解放したのだ。
胸より潜って心臓よりも深い、魂の中からは激しく燃えて止めどのない漆黒のエネルギーが溢れて悲痛の叫びと共に解き放たれる。
「ぅ……ううわああァァァァァァァァァァ!!!」
『ッ!』
もはや拳の形などになる前に呪いは魔竜を攻撃していた。
黒煙が放出され拡散されると共に速度を帯び、破壊力を得る。優人の中にある人並外れた膨大な霊力は実体干渉能力を引き上げて闇を食い尽くすほどの黒へと変貌する。
『アグァ────』
呪いは火炎の如く竜に衝突し、侵食して喰らいついた。
接触と共に呪いは瞬きの閃光を見せ、呪いの力がダイナマイトのように爆ぜる。
竜は呪いの攻撃を無防備に受けて硬い鱗が全て剥ぎ取られ生々しい肉を露出させられる。
呪いの威力に負けて魔竜は倒れ込み、ダンジョン内の通路の壁面が陥没した。壁からはミスリルやアダマンタイトなどの鉱石がチラホラと輝いた。
優人の純粋な怒りと悲しみを乗せた力を防御もせずに食らったのだ、瀕死の状態にまで魔竜は追い込まれる。
──しかしそれでもドラゴンはまだ立ち上がった。
『ゴルルルル……』
喉から音を立てて激怒を露わにしてドラゴンはこちらを睨む。
しかしその覇気は一瞬にして失われ、竜の風格よりも生物の本能が先立った。
『ァッ!?』
空気中に放たれた優人の霊力は分子の如く震え始めた。
優人の魂に応えるように大気中の霊力が異質に歪に変化して邪気へと変わっていく。
優人は真っ赤に腫らした目で魔竜を睨んだ。魔竜はその瞳を細め、生まれてから1度も抱いたことのない恐怖感を味わうこととなった。
自分は触れてはいけない存在の怒りを買ったのだと、生物に秘められた本能的な意思が訴え掛けていた。
猛々しい竜の図体はやがて周囲の霊力と同調するように震えていった。
『────ガバァッ!!』
ドラゴンは血管か何かが切れたように、白目を剥いて後ろに倒れ込んだ。それは失神ではなかった。なぜなら優人はその時に謎の確信が生まれていたからだ。
この竜は恐怖によって命が終わったのだと。
だが魔竜が絶命しても感情は治まらなかった。床に寝かせた零人の顔を見て、悔やむしかなかった。
優人は悲しみの思いを竜の死骸にぶつけ、その気持ちを今は────
「君が死んでも、僕が何をしても、戻ってこれない。もう、崩れてしまった……」
後悔、悲哀、自己嫌悪、困惑、喪失感、無力感、苦しみ、怒り、嘆き、絶望。優人にかつて存在していなかった人間らしい負の感情が急激に増加して、心の中で爆発した。
押し寄せる根源的な感情、その数々が最悪のタイミングで優人を包み込んで責め立てる。
優人の精神が音を立てながら崩落を始め、少年の五感は機能を失って歪に動きだす。
もはや心の容量を超えた感情達と受け入れ難い事実を前にして優人は壊れかけた。
精神崩壊による情緒の壊滅で叫び出しそうになった直前に優人の耳が復活し、気だるげな声を漏らす青年の声を拾った。
「おいおい、流石に死人扱いは酷くねぇか?」
「……へ?」
「いやー、痛かったな。あの程度の攻撃もろに食らうと、痛みが消えないせいで息できねぇな」
零人は顔を顰めて首を回すと何もなかったかのように、普通に自分で起き上がって背中を痛そうにして背伸びしていた。
再び訪れた予想外の事態と情報のアップデートで優人の思考は更に混乱して完全に停止した。
「それにしても……魔竜を前に、それもあんな状況だったのに呪いを制御できてたってのは、流石は優人だ。一時はどうなるかと思ったぜ」
そう言って笑いながら優人を褒めている零人のシャツの真ん中は血塗れでボロボロに穴が空いて、その穴からは零人の身体が見えていた。
しかしその穴の中から見えたのは至って普通の胸だった。血色も良く無傷のままの肌で、損傷どころか傷跡にすらなっていなかった。
優人は突然訪れた歓喜で感情のついにダムは決壊した。壊れかけた精神が幸福と喜びによるエネルギーで修復される一方、情緒の波は荒れ狂い、零人が生きていたという喜びで満たされて先程以上に叫びながら号泣する。
「え…………ええぇ!?────う、うわあああぁぁぁんん! れぇぇどぐうぅぅぅんん!! よ、よがっだ、よがっだぁぁぁぁ……」
優人は泣き叫び、顔を真っ赤にしながら零人に抱きついた。
全てを忘れただただ歓喜して、零人が生きているという事実を確かめた。
抱きついた瞬間に肌から零人の温もりが伝わってきた。血管は何事もなく血液を運び、霊力も体を巡っている。
「じ、死んじゃったと思ったよおぉぉぉぉ! なっ、なんで起きてくれなかったのぉぉ!? うっ、ううぅ……」
「本当にそれは悪い! 肺もやられて声が出なかったし、急ピッチで再生してて対応が出来なかった」
「心配させないでよおぉぉぉぉ、うわあぁぁぁぁんん!!」
優人は緊張の糸がはち切れたせいで完全に泣き崩れた。喚きながらしゃがみこむ優人の頭を優しく零人は撫でる。
「これは俺の能力の1つ、『フェニックスの権威』だ。この能力があれば俺は何度でも、どんなになっても再生するし蘇る。灰になろうが霊体になろうがな」
「きっ、聞いてないよぉぉぉぉ!!」
「いきなりだったし機会がなくて伝えてなかったのは本当に悪りぃ! だから言うわ──俺は何があろうが死なん。どんなになろうとも俺は絶対に蘇る」
「ひぐっ、あぁぁぁぁ!!」
優人はそのまま数十分間、絶えることなく泣き続けた。
その間、零人は何も言わずに優人を抱きしめて頭を撫でた。泣き止むまで子供を優しく見守る親のように、静かな笑みと優しい声で慰めた。
林間合宿の時にも大泣きした優人だったが、今度の涙は違う意味だった。そして慰める零人の心も。
優人は落ち着きと平常心を取り戻し、再度確認をとるように質問を繰り返した。
「零人君は、ぜったい死なないんだよね?」
「死なねぇってか、死んでも蘇れる。体の修復が間に合わなかったり霊力が足りねぇ時は霊体になることはあるが、消滅することはねぇ」
「本当に怖かったよぉ……」
「てか霊能力者なんだし、死んでも会えるって考えになんなかったのか? 人道的じゃなくて勧めらんねぇが、普通はそこに行き着くぜ」
「でも死んじゃう事には変わりないじゃん!」
「まぁそれが正しい回答だから良いけどよ。てかまさにこの能力を説明しようとした時にこのトカゲが襲ってきやがっ────」
「魔竜をトカゲ扱いっていうのがまた凄いよ、零人君は……って、どうしたの?」
零人は横で転がっている魔竜を死骸を見つめていると、表情を曇らせて独り言を呟いていた。
「いやいや、色々と辻褄が合わねぇ。こいつは霊力の反応がなかった。霊力が必要のねぇ能力だとしても気配が全くなかった。そもそもなんで気配がなかった……」
「……?」
「今の怠惰の制限がついた状態の俺だと感知できない高度な術を使用して接近────何か引っかかる」
零人は瞳の中で魔法陣を展開し、解析術を発動する。そして魔竜のステータスや死骸の現在の状況を確認すると、零人は驚愕した。
浮かび上がった文字で全てを悟ったのだ。
「『固有能力オールインビジブル付与状態の分身体』だとッ!?」
つまり目の前で伸びているこの魔竜の死体は高性能な隠密スキルを体得している魔竜本体の囮役の分身。
魔竜は知能が高い生物である、死骸となっても分身に霊力が感じられなかったのは本体が死骸にも隠密スキルを付与していたから、その霊力で隠密している自分の存在を逆探知されないための仕込み。
そして零人は瞬時にそこから集中して霊力を逆探知する。そして魔竜の位置を割り出した。
「優人逃げろ! こいつは魔竜の分身だ。本体は潜伏能力ですぐ側に────」
「えっ……」
それは雨が振る時のように唐突に。優人の背後に広がっている暗闇から、瞬間移動でもしてきたかのように本体の魔竜が姿を現した。
瞬間的に感じた霊力から2人は悟った、破壊力もスピードも分身の倍はあるのだと。
既に魔竜はその漆黒の鱗で覆われた拳を構えていた。その拳は一瞬にして残像も掻き消えるほどの速度で振るわれた。
そして魔竜はその邪拳で優人を吹っ飛ばし、ダンジョンの壁に叩きつけた。
優人は背中から硬い壁に激突してめり込み、張り付けられた。体はその壁から抜け出せず、力が一気に抜けて手や頭がダランと垂れる。
「優人ォォォッ!!」
零人が見た時には優人はもう完全に気を失っていた。その目のまま急いで解析術で体を調べたが、かろうじて怪我などは無い様子であった。
先程大量の霊力を解放したのが功を奏したのか、はたまたギリギリで防御できたのか、外傷や体内部の損傷はないようだった。
先程の分身とは違い、本体の魔竜は油断せずに彼らを見つめつつ、どのタイミングでも良いように攻撃準備を整え終えていた。
ブレスを吐く為に前足も地につけ、口を軽く開ける。
──しかし、この竜は攻撃どころかもう動くことすらできなくなったのだ。
やつはその刹那で理解していた。
『自分は決して敵わない強敵の逆鱗に触れてしまったのだ』ということを目の前に立っている『怠惰』という最強の男の鬼迫で感じ取った。
大気は轟音を立てながら激しく震え、零人の体からは霊力とともに溢れんばかりの殺気が放たれる。
先の優人と同等以上の気が魔竜に襲いかかる、例えるのであればその霊力とは闇。
無限に続き今にも呑まれそうなほど圧倒的な恐怖感が全身に押し寄せて来る。
ここまで戦ってきたであろう魔竜も優人の恐怖を通り越し、生まれてから1番この瞬間はビビり上がったのだろう。
零人はその体からは想像できないほど大きくドスの効いた声を発し、般若のような形相で竜の方をゆっくりと振り返る。
水のように蒼い瞳は虎のように鋭い眼光となって畜生を睨みつけた。
「てめぇ……優人に何しやがったアァァ」
竜はその怒りに満ちた零人の威嚇で全身の鱗が反り返った。
その瞬間、殺されると愚竜は悟っていたにも関わらず竜は何もできなかった。
恐怖で全身が強ばって固まり、その威圧によって竜は生きることを諦めなければならないのだと思わざるを得なかった。
それは死をも超えた真の恐怖。ただの死なんか目ではない、竜自身でも理解できないほどの何かをされるというのは明白だった。
──しかし、少ないながらにクソトカゲの寿命は延びた。
優人の体がピクっと僅かに動いたのだ。その肉体反応で優人のめり込んだ壁からパラパラっと壁の欠片が落ちる。
その小さな反応で零人は一気に引き戻され、すぐさま優人の方を振り向いた。
「優人ッ! 気がつい────」
しかし優人の姿はその壁から忽然と消えていた。
同時に零人の脇を凄まじいスピードで何かが通り抜けた。
零人が振り向いている最中、微かに優人が彼の視界に入った時にはもうすでにいなかったのだ。
ダンジョンという狭い空間から零人は優人が消滅しまったのではと本気で思った。
────そして何か、堅い物を刃物で斬ったような音がダンジョンの通路内に響いた。
なんのことだか、ほんの一瞬、0.1秒ほど理解出来なかったが零人はその音の正体を把握した。
首の向きを変えて魔竜の方向へ頭を向けた。
「ハッ!!」
振り返った先には優人がいた。何故か優人はしゃがみこんでいた。
しかし目を凝らして見ると優人はしゃがんでいたのでは無い、足を片方伸ばして屈んでいたのだ。
手の中には幻想刀を握りしめられており、刃先を自身の目の前に突き出していた。
まるで通り魔のように、それでいて疾風のように優人は零人の横を走り抜けていたのだ。
『────』
震え上がって固まっていた竜の首は零人がその光景に息を飲んでいる内に落ちて床へ転がる。
自分が斬られたことも死んだことも自覚できていないまま斬られており、霊力ごとバッサリと両断されていた。
零人が目の前の状況に絶句している中、当の本人はその姿勢のまま呟くように零人へ話しかけた。
「零人ォ………」
その優人からは、一切の純粋さなど存在していなかった。





