第28話 憧憬
異界の終焉、死を告げる朝日。その光すらもかすみ始め、やがて意識が遠のいていく。
赤く濡れ歪んだ視界が奪われていく中で、俺の耳に聞き慣れない人間達の声が小さな音で入ってきた。
「おい、まだこっちは生きてるぞ!」
焦った様子の青年の声。それと共に幾つかの足音が迫って来た。
何か分からないが騒がしい、思考しているこの間にも意識は溶けて消え去っていく。
「ルシファーさん、俺の血で再生させたら直ぐに時間を止めてやってくれ」
「駄目だ零人、相当な霊力で身体中損傷してる。下手に回復させられない」
「俺の能力の方で病院までは延命させる。二人は残党狩りと他の生存者の確認をして来い」
「この子の身柄はひとまず、僕の病院の方で預かろう」
全身が焼けるように熱く、音は水の中のようにくぐもって聞こえる。
思考が途切れるその数秒前、青年の声が俺に届いた。
「お前、あと少しだけ耐えてくれ。必ず助けてやる」
こうして俺は、霊管理委員会に保護された。
彼らは奴隷商の調査であの時偶然、異界の存在に気が付いて俺を助けてくれたんだ。
目を覚ました時には既に白いベッドの上に寝ていた。そしてその向いに、俺と歳の近いような少年が座っていた。
「やぁ、初めまして」
混乱していたせいで俺はその人に失礼な返答をしてしまった。
「あ、あんた誰?」
「おおっとギリシャ語か、意識を失う前はアラビア語を話してた気がするけど。ははーん、さては複数言語話者の天才君だな?」
その人は飄々とした態度を取っていた。しかし彼は途端に表情を変え、急に神妙な面持ちで語りかけてきた。
「起きて早々申し訳ないけど、あの異界からの生還者は君だけだ」
「そっか、だよな」
「君の横にいたあの彼のことは非常に残念だった。見たからに、君とあの子は少なからず交流があったのだろう?」
俺は何も言えず、気まずい静寂が流れた。
「すまねぇ、なんか気ィ使わせちまって」
「いやいや君が謝る事ではない。こちらこそ辛気臭くて申し訳無い」
その人は律儀に謝罪をすると、胸に手を当て改まった挨拶をしてきた。
「僕は『奴隷王』という者だ。どうぞよろしく」
──俺は救われた。俺だけが救われた。
ただの運で俺は情けないことに生き残っちまった。
そして有り余るほどに、俺は幸福を手に入れた。上等な飯と住居、見えなくなった目の魔術による擬似再生。
あれほど渇望していた本だって、好きなだけ読めるようになった。
俺は自分を救ってくれた恩人達に心酔するようになった。
俺を救い魔術を教えてくれた蒼眼の青年を師匠と呼び、俺の命を繋ぎ止め保護者となった男を父と呼び、委員会での保護を訴えてくれた悪魔を敬称で呼び。
そして俺に教育や生活の環境全てを与えた奴隷王と名乗る少年をマスターと呼んだ。
その大恩に報いるため、あの砂漠から出られなかった仲間達のため、霊能力者として俺は歩むことを決めた。
払い切れないものを少しでも返すため、ひたすらに魔術を学び、恩人達の役に立とうと勉強した。委員会の書庫に入り浸っては本を読み漁った。
必死になって書庫に通い詰める日々が続いた頃、俺はアイツに会った。
信じられなかった。巨大な本棚の前の椅子に、見覚えのない人物が腰掛けていた。
だがソイツを見た時、言葉を失った。かつて共に拳を重ねた相棒が、そこに見えたんだ。
「お前……」
「うぇ?」
呆けた顔でその少年は俺の顔を見つめた。
血のように染まった赤髪、耳に下げられた黒のピアス、どこか親しみを持てるその表情。アイツの面影がハッキリとその少年に映って見えたんだ。
「初めまして、ッスね。自分、新川白夜って言います。なんかルシファーさんにここで待ってろって言われて待機してました。よろしくッス」
その独特な雰囲気と、話し出した拍子に明るくなる顔で全て察した。こいつは俺の相棒だった赤髪とは違う、全くの別人だ。
そもそも流れる霊力や魂は明らかにアイツのものでは無かった。だが同時に、こいつが後継者だと言うことも理解した。
アイツの力、俺の持つ紫苑の力と同質の存在、赤髪の魂に宿っていた『クリムゾン』の力。その影響で髪色や力に刻まれた雰囲気の面影が、こいつに現れているだけの事だと。
だがそれでも尚、俺は堪えられなかった。
「俺は瑛士、五十嵐瑛士」
たとえこれが愚考であろうと、過去にしがみつく醜い姿であろうと、俺は心に誓った。
親友の遺した意志と力は、俺が守り通すと。俺とお前が目指した場所まで、コイツの隣を走って向かうってな。
だから俺はこの時、白夜の奴に言ってやったのさ。
そして今までも、これからも、こうやって喧嘩をふっかけんだ。
「相変わらず、アホな面してんな。赤髪」
俺の中で知らず知らずのうちに止まっていた時計の針は、この瞬間から再び時を刻み始めた。
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青い毛に覆われた巨大な塊が降ってくる。瑛士は内臓の焼ける熱さと土の冷ややかさを感じながら、茫然と構えていた。
(あ、そうか。意識飛んでたな……これが走馬灯か)
風圧で髪が広がり、砂埃が辺りを舞う。普通であれば圧死は免れない状況。
そんな死神の微笑む時に、瑛士の中でカチッと歯車のハマる音がする。瑛士はその感覚を得ると、歯を見せて笑いながらボソリと吐いた。
「ようやく、同調した」
巨虎は脚で地面を踏み抜いた。地盤はひび割れ地震が発生するほどの重撃が瑛士を襲う。
しかし青虎は押し返された。不可視の力によって押し上げられ、虎は数歩退く。
虎は苛立ちを覚え、砂塵の中に立つ少年の影を睨んだ。
「ったく、手間掛けさせやがって」
『貴様、目が癒えているな。再生出来ぬとは虚偽であったか』
「脳と霊力接続して擬似視力入れてんだよドラネコ! 同時並行作業の負担舐めてんじゃねぇぞクソが」
瑛士の軽率な挑発に乗り、青虎は憤慨しながらその剛腕を振りかぶった。
『無為──』
振り抜いた腕は瑛士の体を確かに捉えていた。しかし攻撃は命中せずに受け流された。
依然、血だらけの少年の姿は立ったままだった。
「そんな攻撃、ダメージになる訳ねぇだろうが」
予期せぬ攻撃の回避に青虎は仰天した表情を見せる。
『貴様、一体何をした?』
「カイザーレガシー、己も含めて分子レベルで物質を操作する能力。霊力だろうと物理だろうと、んな単純攻撃はノーダメですり抜けんだよ」
『否、先は確かに攻撃が通用していた筈だ』
「言ったばっかだろ、同時並行作業。感覚を霊力回路と霊魂に全振りしたせいで、攻撃が効かなくても内部にダメージ負ってたんだよ」
恐怖か、それともプライドか。獣は目の当たりにした現状を受け入れようとしない。
傲岸な態度を保ったまま、虎は『傲慢』の能力者へ問答する。
『虚勢を。それであれば何故先程から行わなかった』
「俺は最悪、死んでも復活出来る。だけどあの状況で分断させなきゃ優人の兄貴がヤバかったからな」
『愚かしい』
青虎の発言全てがもはや滑稽に思え、瑛士は嘲笑する。虚実はひとつも無い、あるのは勝利の確信のみ。
「だけどな、もう準備は終わった」
笑う瑛士はボロボロの指先で印を結ぶ。口内に溜まった血を啜り飲み、根底の戦闘欲を呼び覚ます。
赤く濡れた眼を見開いた瞬間、複数の魔法陣が虚空で展開された。
「火炎術式、疾風術式、硝子術式」
少年の一声で炎の旋風が生まれ落ちる。燃え上がるサイクロンは細かく鋭利な硝子を巻き上げて虎を牽制し、表面の霊力を削いでいった。
大虎は攻撃を受けると途端に顔をしかめる。
『おのれ、貴様。刻印持ちであったか!』
「刻印? 普遍術式のことか。残念だがこれは俺の術式じゃねぇ、俺が取り込んだ術式だ」
『馬鹿な、有り得ん。複数の刻印持ちなど……』
「ハッ、猫かと思えば蛙かてめぇ。複数の術式所有者は委員会にも何人かいる。だが俺のこれはタネが違ぇ」
瑛士の胸元、魂の表面に術式の紋章が浮かび上がっていく。稲妻のように猛々しく荒ぶる黒い光、それは彼の心臓の鼓動とともに強まる。
瑛士の肉体付近に何も存在しない無垢の深淵が形成され、静寂な空虚の中で彼は微笑んだ。
「俺の大術式、『宵闇術式』だ」
少年が高々とさらけ出した術式は術式の中でも希少にして最上位の存在、大術式。
一世代に何人もの適合者が現れる普遍術式に対し、一世代に一人のみ宿る真に選ばれた術式。
絶望の底から這い上がった瑛士が勝ち取った闇の中の能力である。
ここに来て威嚇や脅しの意図は無かったが、瑛士は能力を更に明かす。それは少年からの最後の降伏宣言の通告でもあった。
「宵闇術式の能力は単純だ。他者の普遍術式を奪い、己の術式として使用する」
『ッ!』
「普遍術式は魂に刻まれず宵闇術式に呑まれる。その性質が術式の同時使用を実現させる」
こうして語っている間も彼の術式は胎動する。霊力の波長と術式の機能周期が同調し、瑛士の生み出す無の空間は拡大していった。
「だがそれでもだ。それでもこの力の本質はそこにねぇ。こっからが宵闇術式の真骨頂」
瑛士が拳を握って構えた時、宵闇術式の紋章は漆黒の中へスッと消えていった。
そして暗闇の中から寒気のする「何か」が出現を始める。
畏怖する青虎を前にした瑛士は余裕そうに振る舞いながらも、込み上げる不快感に耐えて僅かに吐血した。
しかし弱味を見せまいと瑛士は虎にある事実を伝えた。
「お前、覚えてるぞ。兄貴の攻撃を受けた時」
その瞬間に虎の動きが僅かに止まり、その巨軀は強ばっていた。
「お前、再生出来て無かったよな。呪いで殴られたとこ。自分の霊力で再生出来なかったから、大気中の霊力でツギハギしたんだろ?」
『キ、サマ……』
顔を歪ませた虎に傲慢は追い討ちの言葉をかける。
「だったら、俺もそうやって殺らせてもらう」
睨み合う両者は次の瞬間、不可解な恐怖を覚えた。虎は受け入れ難い事実から目を背けようと、必死に否定を繰り返す。
瑛士は己の中から得体の知れない力が溢れる感覚に、吐き気に似た気持ち悪さを覚える。肉体の苦痛に伴って力は込み上げ、力は体外へと放出される。
血の涙を流し、少年は汚濁の中で霊力を魂から押し出す。
解き放たれたその力とは、優人の持つ呪いの力だった。
「宵闇術式の真の能力、他の大術式の複製」
彼の肉から、霊力回路から、術式から、邪な呪いの黒煙が蝕むように顕現する。
展開していた宵闇術式の無の空間は飴細工のようにパリンと割れ、凶暴な呪いの霧が吹き出す。
「借りますぜ兄貴、呪術式」
感情を飲み込む漆黒の邪煙は少年の全身から染み出し、彼の手足を包み込んだ。





