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第43話 アズの呪い

 怠惰の鎖で完全に拘束されたハインツは己の最期の霊力を絞り出して蛇の如き様相の歪な腕を構築した。


 その腕の先には文字通り、零人の魂が握られていた。

 魂を捉えた感覚を得ると、ハインツは目を剥いて狂ったように笑う。


「い、いぎぎ、えひゃぎゃはっはっはあっ! 掴んだ……アッハ、これで貴様も終いだぁ!!」


 零人は下を俯いて前髪を垂らしている。零人は何も言わぬまま、その体勢で脱力していた。


「このおぉぉ、ハインツ・ベル・クレイルートが……忌まわしき委員会の主力、『怠惰』を討ち取ったぁ! あぁ、Arthurよ。私は命を果たしました、天界へと私を誘って下さい!!」


 ハインツは血塗れの顔を天に向け、歯をひん剥きながら不気味に笑った。


 そして彼はついにその第3の腕で魂を握り潰そうと、拳に力を入れる。


「へやあぁ……あ?」



 それは突然に、ハインツの腕の感覚が途絶えた。


 今まで僅かに感じていた第3の手の感覚がその一瞬に冷たい風と共に消えて無くなったのだ。


(──あれ? 私は、怠惰を道連れにするため、手を──)


 低下していた脳機能は感覚処理が追いついておらず、ハインツはその事象を目撃するまで自身の身に起きていたことを理解するに至っていなかった。


 拳が魂に触れたその瞬間に、腕は消されたのだ。



(腕が、先端から、30センチほど失って──ハッ、まさかァ!)



 ハインツは思い立ったように零人の表情を恐る恐る確認する。

 下を向いていた零人は顔を上げてニヤリと笑っていた。彼はもう、ハインツへ凄惨な死の執行をせざるを得なくなった。


 零人は徹底的にハインツに対して慈悲を排除し、心を狂気へ染め上げる。



「頼んだぞ、アズッ!」


 名を呼ばれた悪魔は零人の宿す闇の中から解き放たれる。最凶の悪魔、『怠惰』の悪魔アズがその紅の眼でハインツを睨んでいた。



 紫紺の肉に刻まれた赫と蒼のタトゥーはアズが力むことで歪み、六本指のその拳は硬く鋭く握られていた。

 凶獣は怒り狂ったような形相を浮かべ、全身に絡みつく鎖を激しく擦る。


 睨まれたハインツはもう抵抗の意思すら湧かなかった。自分の死をただ傍観するしかないのだ。


 自分に対する明確な殺意を前にしても、もはや感情すら抱けない。彼の精神はこの瞬間に崩れ去った。



『ゲガアァァァァァァァァ!!』


 アズは両拳を握り、天へ向けて咆哮する。凶獣はすかさずハインツの肩へ拳を叩き込んだ。


「がはッ……!」


 アズの殴った箇所はロードされ、拳の触れた部位が空洞となる。綺麗な円がハインツの体を突き抜けて、奥に映る青い空を見せた。


 最期に痛みを味わったことで恐怖を思い出し、ハインツは涙を零しながら絶叫する。



「ぬあうぐぁああ!!」


「肉体再生を手に入れた俺にとって残ったの弱点は魂だけ、こいつを傷つけられちまえば流石に俺も消滅する」


 苦しむハインツを目の端で捉えながらも、目を逸らして空を見上げながら無理やり笑顔を見せて零人は話し続ける。


「だがこれは俺の唯一の弱点を補う、魂を無条件で保護する能力」


「ひがぁ……あぐぁぁぁ!」


「俺の魂を傷つけようとした者を排除する能力、『アズの呪い』だ」


 零人の目に、光はもう残っていない。光るのは怒りに震えるアズの赤い眼光だった。



『アルガバァァァァァ』


「コイツを発動させたんだ、その責任ぐらいは取りやがれ」


 アズの拳からは霊力が爆発するかの如く溢れ出し、拳そのものが発光、発熱して力を蓄えられアズは震える。

 そして抑制された力は放たれた。霊力を最大限に込めた最凶の一撃がハインツの腹部に衝突する。



『ウガルァァ!!』


 直撃した箇所に出血はなく痛みだけが彼に定着した。

 ハインツに巻き付けた鎖ごとアズはその拳を振るってロードで消していく。拳のスピードがアズの叫びと比例するように加速していき、ハインツの肉体の存在そのものが消滅する。


 アズの拳がぶつかる度に彼の鮮血は飛び散った。



 焼けになったハインツは肉体が消えていく中で滑稽にも、笑い声と共に信仰を貫いた。


「もう良い! 私は行くぞぉ、Arthurの元へ!!」


「……」


「裁きが下る時を待つんだなぁ! アハハ、アァッハハハハハハハハハハハぁ────」



 多くの魂を弄んだ命の冒涜者はそのまま地獄へと落ちた。不快な言葉の残響が零人の耳に残る。


 だが零人はそんな彼に対しても敬意を払い、自ら葬った敵に対して手を合わせた。ただ救済と懺悔の念を持って。



 自分がどれだけ怪物になろうとも、人の心は失わないようにと、何処か縋るように彼は黙祷を捧げる。


 目を瞑っている時、彼の背後で黒い羽根を運ぶ風が吹く。



「──君はしっかり、人としてのあり方を歩めているね。そこはいつ見ても感心するし、僕は尊敬してるよ」


「はぁ……いつものことだし、慰めはいらないって言ってるじゃないですかルシファーさん」



 ルシファーにいつもの明るい雰囲気は無く、申し訳なさ顔にしながら零人の前に立った。


「本当に悪いけど、この後もう1つデカい案件があるからさ……」


「分かってますよ。()()()()()は今、大変なことになってるらしいですからね」


「……」



 まだ朝日の上りきっていない空を見上げ、零人は普段より憂鬱そうに深く溜め息を付いた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ──サラマンダー寺院から戻った優人は零人をいつもの場所で待っていた。


 学校に行く時も戦いの後に別れる時も来るこの場所。互いの家へ向かう道の分かれ目。


 特に約束をした訳ではなかったのだが、何故かここで待っていれば、零人はここに来ると優人は感じていた。


 上葉町に帰った直後、優人はこの場所でずっと待っていた。



「う〜ん、やっぱり零人君に場所聞いた方がいいかなぁ」


 優人が連絡を入れようとしたその時、彼の目の前に小さく巻き上げるような風が吹いた。咄嗟に瞑った目を開けた時、優人の目の前には親友の姿があった。


「あっ!」


 1週間ぶりに再会した優人は屈託のない笑顔で友を迎えた。



「零人君、おかえり!」


 その笑顔は零人にとって、あまりにも眩しいものだった。零人の荒んだ心は優人を一目見るや、いつも通りの平穏を取り戻す。


 零人は、優人といる時の自分が1番好きだ。命、人の死、恨み、憎悪、罰、贖罪。自身の背負ったものを、彼といる時だけは考える必要などない。


 再会した友へ、零人はホッとした表情で言葉を返す。



「……ただいま」


 世界最強ではない、ただの零人がこの町に帰ってきた。



「聞いて聞いて、僕ね〜」


「おう、寺院での話聞かせてくれよ。ついでに腹も減ったし、ラーメンでも食いながら話そうぜ?」


「いいの!? やったぁ〜」


 喜ぶ優人の肩に手を置き、零人は足並みを揃えて彼と歩き始める。

 零人が見上げたこの空は、どこまでも澄んだ蒼が広がっていた。


「ふぅ……」



 上葉町にはいつもの変わらない、街を吹き抜ける涼しげな風があった。

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