第39階層 残念魔王現る! 荒野の決闘! そのに
今日も今日とてまったりとした冒険を楽しむため、迷宮深度15【大烈風の荒野】を訪れていた僕。
目の前で繰り広げられる微笑ましいというか、背中がムズムズするような光景に、生温かーい視線を送っていると、まさかまさかの魔法使い同士のバトルになってしまったというこの状況。因縁とかそんなレベルじゃないくらいに展開が怒涛過ぎて正直気持ちが付いていけてない。
僕が遭遇した突発的なバトルのお相手は、アリス・ドジソンさん。名前の方はかっこいい口上(当社比)でガンガン自己紹介をしていたので、すでに把握済みだ。なんでも魔王で城砦街の七大幹部なのだとか。まあそれは自称の域を出ない話なんだけど、魔王で幹部とはなんのこっちゃと問い詰めたくはある部分でもあるね。
この人、なんとも間が悪いことに僕の苦手な属性である黄の魔法使いで、しかも結構なヤリ手というついてなさ。某日本一ついてない中学生よりはマシだけど、それにしたって僕も巻き込まれ事故、もらい事故が多すぎる。いや今日のは多分に自ら巻き込まれに行った感が強いんだけどさ。僕もラッ〇ーマンになりたいよ。
ともあれ黄の魔法使いアリスさん。
なんか魔力以外に不穏なオーラをまとっているような気がしないでもないのが不思議なところだろうか。
あと、不必要に眼帯や腕の包帯をさすったり、鎖をジャラジャラさせてアピールしたりと、中二的行為のしたがりがハンパない。目なんてそう頻繁にうずくわけないし、腕が意に反して暴走するなんてのは脳神経系の病気だ。病院に行け。むしろ来てくれまである。
……魔法使いは見栄えや派手さを求める傾向にあるし、この人も罹患している病気のせいでそうするのかなと思ったけど、自分の動きを隠そうとしているところもあったりするから厄介だ。さっきから大仰に叫んだり、逃げ回ったりしているけど、それを隠れ蓑にしているのだ。僕もよくやるから、その辺の戦術よくわかる。
魔力の量といい、既存の魔法を変化させる器用さといい、たぶんそこらの魔法使いなんて比べ物にならないほどの力量を備えていると推測する。もしかしたら僕くらいか、それ以上のレベルなのかもしれない。
見て見ぬふりしてさっさと帰ればよかったと後悔しきりだ。
《――魔法階梯第二位格、ひび割れ枯れて崩れる足下》
「む……」
ふいに、アリスさんがあまり攻撃的でない魔法を使った。
でも、攻撃魔法じゃないからって油断はできない。こういうのが実は間接的に攻撃を加える魔法でしたなんてのはよくあることなのだ。
そんな風に考えていると、突然周囲の地面が乾いてボロボロになる。
これはあれだ。周りを崩れやすくすることによって、僕の行動範囲を狭めようというのだろう。僕が効果範囲に足を踏み入れなくても、そこらの地面がボロボロ崩れていっている。下手に動けば足を取られることは想像するに難くない。こんな状況で転びでもしたら速攻アウトだ。
これも黄の魔法使いがよく使う戦術で、僕が一番やられたくないヤツ。以前に師匠にどんな戦い方をされたら困るのかって聞かれたときに、僕が答えたことがある。地面を崩したり、隆起させたりして追い詰めてくるタイプ。うかうかしてると逃げられなくなるからねこういうの。
だから、早々に離脱すれば――
「逃げようなど甘いわ! 《魔法階梯第三位格、とみに降り注げ礫たちよ》」
アリスさんはすかさず魔法を行使、空から石礫(大きめ)の雨を降らせてくる。
これは危ない。地面を崩して足元を不安定にさせつつ、空から範囲攻撃を食らわせるっていう嫌らしい手だ。相手を逃がさずに倒すためのコンボがきちんと出来上がっている。
これもさっきみたいにエソテリカフォースで弾き飛ばすっていう手が効果的なんだろうけど、あれは魔力消費が大きいからあまり使いたくないし、今回は第三位格級の魔法だから大量の魔力を消費することになるのは相対的に明らかだ。いまはそんなこと言ってられる状況じゃないかもだけど……いや、大丈夫。僕の防御力ならまだ出し惜しみできる範疇だ。
「痛った! いてて! さすがに第三位格級はきつい……」
石礫の雨をかわそうと試みるけど、やっぱり地面に足を取られて思うように動けない。石が身体に当たって死ぬほど痛いし、服が破けてビリビリだ。あとでせいきゅうしてやる。
でも、だ。だいぶ前に師匠の魔法を食らい続けるという意味不明な修行を乗り越えた僕にとって、この程度の試練など耐えられないほどじゃあない。ちびちび回復魔法をかけたり、こっそり小分けにしたポーションを飲んだりすればなんとか凌げる。致命的な一撃さえ食らわなければいいのだ。
「くははははは! さしものキサマも逃げることしかできんか!」
「いやー、アリスさんがすごい魔法使いすぎて反撃なんてする暇ないですよ。さすがだなー、僕あこがれちゃうなー」
「そう思ってるんなら棒読みやめい!」
僕のおちゃらけとアリスさんのツッコミはともあれ、石礫の雨がやむ。
そこですかさず、僕は行動に移った。
「これはどうです! 《魔法階梯第三位格、雷よひたすらに降り注げ!》」
僕は「アメイシスさんだ!」みたいな呪文を唱えて、空から雷撃の雨をアトランダムに降らせた。
雷が落ちた衝撃によって周囲に赤い砂塵が舞う。
僕は目とか鼻とかに入らないようガード。
だけど、それもアリスさんは対処できるらしい。
「そんなもの効かぬわ! 《魔法階梯第二位格、大地よ我をその身で覆え!》」
周囲の地面が隆起して、アリスさんを囲い込む。
できあがったのは掩体……いや、まるで土で作ったかまくらだ。
かまくらは丸みや曲面があるおかげか、雷を受けても衝撃を受け流せるらしい。複数回の直撃を受けても破壊されずに健在だ。
第二位格級の防御魔法でも、第三位格級の攻撃魔法を防げるのか。やっぱり相性と力量って重要だ。今回の戦いでホントよく思い知らされるよ。
……まあそんなこんなで、しばらく彼女との魔法合戦が続いたわけだ。
「くらえ! 迫る岩壁よ圧し潰せ」
「うわぁあああああああああああああああああああああ!」
リアルで迫って来る壁をかわすゲームを強制されたり。
「ならこっちもです! 大地を駆け抜けよ雷電」
「や、やめ! ヤメロばかぁああああああああああああああああああ!」
地面に電気を這わせて、アリスさんを追いかけさせたり。
「いい加減に倒れろ! 転がれ転がせ石くれ小玉」
「いーやーでーすー! ちょ、うわっ、マズっ! わぁああああああ!」
ビー玉くらいの小さな丸い小石が大量に足下を転がって、僕に転倒を強いたり。
「はー、はー……」
「はぁ、はぁ……」
僕もアリスさんも、お互いに逃げ回ったり、魔法を使ったりと忙しい。
というよりも騒がしさの応酬の方が激しい気がするよ。魔力消費や走ることよる体力の消耗よりも、叫び声の方が体力を消費している気がしないでもない。
なんとか戦ってはいるけど、やっぱり僕の方が分が悪いのは否めない。
しかもアリスさん、属性魔法に対する応じ手の層がやたらと厚い。ということは物騒な戦いに慣れているということだろう。それにしたって僕の属性なんかほぼ初めて見るはずだけど、うまく対応するもんだよ。センス◎だ。
顔色を窺われないよう、サファリハットを目深にかぶる。
(どうしよう。ここだと周りの物も使えないし……)
ここは荒野だ。障害物とかもないからそれを利用した防御とかもできないし、あっても砂とか岩とか地面とか、黄の属性に関連するものばかりだから、全部アリスさんに有利になる。巨大湖のほとりとかに連れて行けばワンチャンあるかもだけど、ここからだとさすがに場所が遠すぎるから、その案は即座に没。
あってここの名物である強風くらい。リッキーならこの辺りうまく利用して戦うんだろうけど、紫の魔法使いの僕にはいまいち利用しにくいんだよねどうしよう。
属性魔法を撃っても相性的に防がれるからその辺とても痛い。
(なら……)
使う魔法が属性魔法じゃなければいいだけだ。
そう、魔法使いが使える魔法には『汎用魔法』というものもあるのである。
《――幻影アンキャニーサイト》
「む……幻覚の魔法だと?」
「そうです。僕の反撃はここからですよ」
「ふっ、浅はかな考えを。そのような魔法を使ったところで我には効かぬぞ!」
「もちろん効くなんて思ってませーん! 単にこれから移る行動の足しになればいいだけでーす!」
そう言って僕は身を翻した。そして後ろへ向かって走り出す。
アリスさんはそれを見て少しの間呆けていたようだけど、やがて目の前の現実に思考が追いついたのか。
「なッ!? キサマまさか逃げる気か!?」
「いえ! これは後方への前進ですー! 決して逃げるわけじゃありませんー!」
「何が後方への前進だ! 意図することはどっちも同じではないかぁああああああ!」
僕は幻覚魔法を使って足止めしつつ、場を変えることにした。
ここの地形が利用できないなら、やっぱり利用できそうなポイントへ行くべきだと思ったのだ。
「だから幻覚など効かぬと言っているだろうが! そもそも幻覚魔法を使うと最初に宣言してどうするのだ! そんなことをしたら意味がなくなるぞ!」
「それはどうでしょうかね? 僕の幻を見てびっくりしてください!」
「ハッ! ハッタリもそこまで行くと清々しいわ!」
そんなやり取りの中、僕は走る。走る。走りまくる。
荒野を駆け抜け、崖を飛び越え、やがて現れた小さな林に突入。
そこで僕は後方に大量のマキビシの幻を生み出したり。
「ヤバ……いや、すべて幻か! だがマキビシの幻影など本物と交ぜてこそよ!」
「僕もそれは同意です! いまちょっと欠品中なんで許してください!」
この階層に出てくるモンスターを作り出したり。
「だから幻覚など効かんと言っている! ……ちょっとびっくりしたけど!」
そこにみんな大嫌い【街】の『居丈高』をこっそり潜ませたり。
「ぎゃぁあああああああ! 【街】に出てくる魔物の幻覚なんて反則だぞ反則!」
人気のあるキャラクターのぬいぐるみをバラ撒いたり。
「わっ! なにこれなにこれ! このぬいぐるみすっごくかわいい! 欲しい!」
アリスさんは僕のおちゃらけた幻覚が効いたり効かなかったりしているものの、ちゃんと追いかけてくる。っていうかそんなにあのかっこいい口上を聞かれたことが恥ずかしいのか。そろそろ諦めて欲しいけど、僕が善戦してるからムキになっているんだろうねこれね。
やがて、僕は目的の場所に到着する。
「もう幻覚魔法は打ち止めか?」
「いえ、もうこれくらいにしておこうかなって」
「そうか。面白かったからもう少し見たかったのだがな」
「他人の作る幻って見てて面白いですよねー」
「そうそう自分が次使うときの勉強になるし――って、何を言わせているのだ!」
勝手に喋って勝手に憤慨するアリスさんほんと忙しい。
って言うかこの人、結構魔法使いとして気が合うのではないだろうか。向上心溢れてるし、レベル上げを目的としている僕としても彼女の姿勢は見習いたい限りである。
アリスさんは周囲を見回し、僕たちがたどり着いた場所を観察する。
「ふむ。戦いの場として、敢えて平地を選んだか」
「フラットな場所なら地理的有利は五分かなって。アリスさん相手なら石ころ一つあるだけでも致命なことになりかねないですし」
「確かにな。考えるではないか。崖や壁があるところなら吾輩もそれを利用した攻撃ができるが、ここならば地面を意識するだけでいい」
「そういうことそういうこと」
「だが舐めるな。こういった場合の戦い方も弁えておるわ」
「なにせ吾輩は天地上下にその名をとどろき響かせる、城砦街の七大幹部――」
「わあああああああああああ! それはもういいからぁああああああああ! 真似しないでぇえええええええええ!」
アリスさんは僕の精神攻撃に翻弄されている。いやー、魔法を使って戦うよりもこっちで戦うべきかな。でもそれをしたら最後、あくまとか鬼畜とか呼ばれて、マリアナ海溝よりも深い恨みを買うことは必定だ。ヘイトが強すぎて常に命を狙われる案件である。
ふと、アリスさんが不気味な笑い声を上げ始める。
「ふふふ、まさか吾輩の必殺魔法の一つを遣わなければならないとはな」
「必殺魔法?」
「そうだ。くくく、ふははははは! キサマも吾輩の魔導の真髄を見て恐懼するがいい!」
魔導の真髄と口にするほどの魔法とは、一体どんなものなのだろうか。
あの師匠でさえそんなの滅多なことでは言わないのに。
まあアリスさんの実力は疑うべくもないので、僕も気を付けるわけだけどもさ。
こういった場合は想像力を働かせなければならない。
……うん。まずは当初の予定通り横に動いておく。
僕がいるこの場所って、すごく危ないからね。
「受けてみよ! 魔法階梯第二位格! 我が生み出す彫像に見とれよ!」
アリスさんが呪文を唱えると、そこら中に女性の裸を模った彫像が出現する。
ポーズもM字開脚とか、女豹のポーズとか、いわゆる悩殺って感じのものばかりだ。
……うーん。よくわからないけど、これがアリスさんの必殺魔法なんだろうか。それにしてもこれには一体どんな効果があるのだろう。僕には一見してわからない。
視線をアリスさんの方に向けると、彼女は何故かやたらと得意げにしていた。
「くくくくく……見たか吾輩の超魔法を! この肢体、男なら視線を奪われ、劣情を催さずにはいられまい。これでキサマも戦闘不能よ――あれ?」
「え? うん、全然」
「な、なんだと……この美しい彫像を見て下半身に来ないとは……キサマまさか、戦闘不能じゃなくて、マジの不能なんじゃ――」
「ちょっとぉおおおおおお!? ドサクサに紛れていわれのない誹謗中傷を行うのはやめてくれませんかね!?」
「だってまったくピクリとも来てないみたいだし」
「いまあなたが作り出したの、銅像とか彫像とか美術品ですよ!? 全然エロくないです! っていうかそういう精神攻撃やめてくれません!?」
「え、えええええろとか直接的に言うな!」
「さっき自分で呪文言ってたのに怒るの!? おかしくないそれ!?」
僕とアリスさんはお互い、よくわからないことで焦ってキョドる。
しばらくの間お互いギャーギャー騒いだあと。
「もういい! かかれー!」
「まーそうですよねー! その彫像動きますよねー!」
彫像が僕に襲いかかってくる。でもまあ、これはそこまで脅威じゃない。
《――魔法階梯第三位格、雷よひたすらに降り注げ、複写展開!》
僕が発生させた大量の雷の受け、複数あった彫像は一瞬で砕け散った。
「ちっ、高等技術である複写展開まで使えるとは……」
「これも師匠の修行の賜物です」
「ほう? キサマ師がいるのか。まあフリーダ最強の魔法使いたる吾輩ほどではなかろう」
「いやー、えー、すんごい自信ですねー……」
僕は降って湧いた戦慄に身震いする。っていうか突然何を言い出すんだこの子は。もしいまここに師匠がいたのなら、そのインスタントな殺意を爆裂させて、第六位格級とかいうトンデモ魔法で存在ごと消滅させられる未来しか見えないぞ。
――思い上がったガキめ。一度殺して教育しておくか。
なんか突然そんなこと言い出しそう。「師匠殺したら教育になりませんよ」とか僕のツッコミも炸裂しそう。師匠にはツッコミが炸裂しようが爆裂しようが絶対に効くわけないんだろうけど。
僕がアリスさんの身の程を知らない発言に勝手に恐れ慄いていると、彼女はまた魔力をその身に充溢させる。あれだけ魔法を使ったのにもかかわらず、まだまだすごい魔力量だ。
……でも、あんまり魔法を使わせすぎるのは得策じゃない。使わせまくって消耗を待つのも一つの手だけど、それにしたって限度がある。アリスさんのように自分のフィールドを構築するタイプの魔法使いは、時間を掛ければかけるだけ、魔法を使わせれば使わせるだけ、こちらがピンチに追い込まれるのだ。その都度逃げてフィールドを変えられればその限りじゃないけど、きっとそんなことを許してくれるような手合いじゃない。【幻影アンキャニーサイト】で場を変えられたのは、さっきのが最初で最後だろう。
「――くらうがいい! 《魔法階梯第四位格》……」
「うげ――」
やばいしまった。うかうか考えてごとなんてしてたら先に詠唱始められちゃった。
「大地大隆起陣!」
「雷迅軌道! にっげろぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
僕は雷速をもって、後方に離脱する。
その一瞬のあと、地面が鋭利な先端を形成し、めくれ上がって迫ってくる。いや違う。僕を取り囲もうとしているのだ。すごい効果範囲。ここら一帯がめくれ上がって、地形が変わってきている。
っていうか広範囲の地形が変わる魔法とかまじヤベー。さすが黄の魔法の第四位格級。規模がデカいしド派手だ。
「舐めた真似ばかりしてくれよって! これで終いよ!」
「そんな簡単に死んでたまるか潜った修羅場は伊達じゃない!」
僕は逃げられないことを悟ったので、すぐさま方針転換。
《――魔法階梯第四位格! 稲妻の跫音よ突き刺され!》
めくれ上がった大地とその先端が僕に殺到するその瞬間、自分を対象にして、魔法を使う。
僕を串刺しにし、さらに圧し潰そうとしていた魔法が、強力な雷で全部ぶっ壊れる。
砂塵がもうもうと舞い上がり、魔力の余剰がバラまかれる。
やがて強い風が、それらをすべて吹き流すか否かというそのみぎり。
……ここだ。お互い、決めるならば、目隠しが取り払われたここだろう。
「《――魔法階梯第五位格! 金剛石の大巨槍!》 吹き飛べぇええええええええええええ!」
「《――魔法階梯第五位格! 魔法式荷電粒子砲!》 いっけぇえええええええええええええ!」
吹き流されて晴れた砂塵の奥から、連結した電車ほどもある巨大なダイヤモンドの槍が僕に向かって突っ込んでくる。
それを迎え撃つのは僕の必殺ビーム魔法だ。僕が使える第五位格級の二つ目。ぶっといビーム光線を放つ、いろんな意味でのロマン砲。
ヒーローの撃つビーム砲とか、ロボットの持つ武装とか、そんなトンデモ魔法である。
強烈な魔力と威力のぶつかり合いで、視界が一気に真っ白になる。
目の前がチカチカして、でっかい音が鼓膜に殴りかかって、衝撃波が強烈な腹パンをお見舞いしてきて大変だけど、それでも魔法に対する集中は止められない。
ここで手を緩めれば終わりだ。それこそバラバラになってぺしゃんこ、ぐちゃぐちゃのみそみそになる。
「はぁあああああああああああああああああああ!」
「おぉおおおりゃああああああああああああああ!」
お互い力を振り絞る。地面はめくれるわ、焼け焦げるわ、蒸発するわ、吹っ飛ぶわでもう滅茶苦茶。
やがて魔力やらなんやかんやが散逸し、お互いの魔法はめでたく相殺された。良かった。質量ってマジ超怖いもの。重い物、大きい物には潜在的な恐怖感がある。
僕は正面に目を向ける。
アリスさんの顔面に張り付いていたのは、驚きだった。
「っ……まさかキサマも第五位格級の魔法を使えるとは」
「いやー、やっぱ他にもいるんですね。これじゃ自分しか使えないとか自慢できないや」
「うぐぅっ!?」
「あれ? なんかダメージ受けてます? 言葉のナイフ刺さりました?」
「な、なんでもない! くそ、キサマさっきから合間に挟まる精神攻撃が強烈過ぎるぞ……」
「それは仕方ないですよ自業自得ですし」
「何が自業自得か!」
アリスさんはそう言って、軽く後ろに飛んだ。
そのときだ。
「な――!?」
アリスさんが、着地した場で足を踏み外す。
だけどそのまま落下せず、反射的に手を出して、あるはずのない縁に掴まった。
「こ、これはまさか、崖、だと……!?」
「その通りです」
そう、アリスさんは、あるはずのない崖から足を踏み外してしまったのだ。
いま僕には、アリスさんが地面に埋まっているように見えている。
やがて、アリスさんを呑み込んでいた地面が消える。
しかしてそこは、断崖絶壁だった。まさにクリフハンガー状態。栗ご飯が落っこちたりはしないのであしからず。
僕は口に人差し指を当て、答え合わせのように口にする。
「幻影」
「アンキャニーサイトかっ……!」
アリスさんも魔法使いだ。僕が何をしたのか、すぐにわかったのだろう。
――そう、もともと僕たちは、断崖絶壁のギリッギリ、すれすれの場所で戦っていたのだ。
あと一歩横にズレると足を踏み外すかもしれないというそんな場所。
たどり着いたときに見えたフラットな平地は、僕この場に到着した際に作った幻覚である。
戦いの途中、僕は横に距離を取って崖から離れたことで安全になったけど、アリスさんはいまだ崖の縁にいた。僕が移動したことで、崖を背にして戦う羽目になっていたのだ。
そこから不用意に動けば、どうなるかは言わずもがなだろう。
「くっ……だが一体いつこんな仕掛けを施した。吾輩やキサマがたどり着いたときにはもうこの状態であったはず」
「ええ。そうです。要するに、木を隠すには森の中。幻覚を隠すには、幻覚の中……ってね」
「……そうか、さっき逃げながら幻覚魔法を使っていたときに、前方の地形を変えたのか」
「そういうこと。後ろに幻覚をバラ撒きつつ、危なそうな場所に誘い込んで、そこに幻覚をすかさず敷く。タイミングが重要だけど、そのために大袈裟に逃げ回ったし、わざわざ林の中を通った。なかなか頭脳プレーだったでしょ」
「っ、ぬかったわ。我の気を先々へと向けぬため、あえて幻覚魔法を使うと宣言し、目を惹く幻覚ばかりを用意したのだな?」
そうそう、その通りだ。
僕もヒロちゃんみたいに空を飛べたら、直接崖までおびき寄せて即座に滑落させてたんだけどね。まあ、空飛べたらそのまますぐ逃げるんだけどさ。
「魔力が切れるまで粘ったのもこうした状況を生み出すためか」
「いえいえその辺りは予定外でした。もちろんそういった予想もしてはいましたが、本来ならもっと早くに踏み外して、その隙を突いて逃げる予定でしたから」
「そうよな。いつ落ちてもおかしくなかったわけだからな」
「ええ。思いのほか落ちてくれないので焦りましたよ」
「くくく……だがやるではないか。この我輩をここまで追い詰めるとは」
「いやーこの状況でよくそんな風に不敵に笑えますね?」
「だ、だってそれくらいしないと恰好つかないんだもん! こんな負け方魔法使いとして情けなさすぎる!」
「まーそれはいいんですけど、まだやります?」
「あ、当たり前――」
「あー、でもそうなるとー、僕ー、アリスさんの手を足でぐりぐりしないといけなくなるなー」
「キサマほんと容赦ないな!」
アリスさんは叫ぶけど、敵意の方はほとんどない。
彼女もここから逆転はできないってことはわかっているのだろう。
だってお互いさっきの魔法行使で魔力が底突きかけてるしね。
「じゃあ僕の勝ちでいい?」
「……いいだろう。吾輩の負けだ。この期に及んでじたばたするまい」
「じゃ、これで戦いはおしまいね。ほら、掴まって」
「あ、うん。ありがと……」
アリスさんは助けられるのが恥ずかしいのか、顔を赤らめる。
「――じゃない! キサマ敵に情けをかけるのか!」
「いやー、君が僕のことを勝手に敵認定してるだけで、僕は別に敵って思ってるわけじゃないし」
「くっ、吾輩など眼中にないということか」
「いやいやいや、そうじゃないですって。それはさっきの戦いできっちり判明したでしょ。それにいま勝ち負けは決まったし。まさか僕を油断させておいて、戦いはまだ続いているとか言って不意打ちでもするつもりですか?」
「ば、バカにするな! 正々堂々戦って勝つのが魔法使いとしての矜持よ! そんなことするものか!」
その辺のプライドはリッキーみたい。
それはともあれ、僕はアリスさんを引っ張り上げる。
「しかしキサマ。冷酷な割には妙なところ優しいのだな」
「冷酷って、僕は別にそんなひどいことしてませんけど」
「先ほど吾輩にあれほど容赦ない攻撃をしまくったではないか」
「だってそれはアリスさんの方から攻撃して来たし、やめるそぶりもなかったですし」
あと、他に理由があるとすれば、だ。
「――アリスさんって、悪党でしょ?」
「ほう、どうしてそう思う? やはりあれか。吾輩が発する隠し切れない悪のオーラを感じ取ったか! ふふふ! そうだろうそうだろう! さすが吾輩!」
「悪のオーラとかそれはどうなのかわからないけど、僕、ヒロちゃんほどじゃないけど、悪に対するセンサーが働くんだ。それで、アリスさんはそのセンサーにビリビリくる。人に言えない悪いこととかいっぱいしてるんじゃないかな?」
「…………」
アリスさんは押し黙った。ということは、図星ということだろう。僕にはわかる。この人は悪い人なのだ。間違いなく。
アリスさんが不気味な笑い声を上げる。
「くくく……だったらどうするというのだ? この我輩を――」
「逃げます。全速力で逃げます。一心不乱に逃げます」
「……え? いや、こう……な? そういう場合は高レベルの魔法使いとか冒険者的に勇敢に立ち向かうとかさ、あるんじゃないのかって吾輩思うわけで」
「ないです。そういうのはものすごーく強い人がやればいいと常々思ってるんで。ライオン丸先輩とかシーカー先生とか師匠とか主にその辺の最強キャラ的な人たちがいつかきっとやってくれます」
「ええー……」
そうそう。そういう面倒なのは強くて正義感溢れる人たちの任せるべきなのだ。
師匠に正義感とかあるのかはわからないけどさ。
それに、だ。アリスさん、悪い人なのは間違いないけど、手を出すにもまず証拠がない。僕のセンサーだって完璧じゃないから現行犯か物証か、指名手配犯じゃない限りはそんなことはできないのだ。
「じゃあ、さっきの戦いっぷりはなんだったのだ?」
「自衛ですけど?」
「いやあんな自衛ないだろう」
「自衛です」
「……なるほど。本気ではなかったということだな?」
「あ、またそういう受け取り方します? 下手な過大評価とか過小評価とかすると痛い目見ますよ?」
「キサマそういうとこ現実的なのな」
そんな話をしたあと、僕はアリスさんにとんでもなく重要なことを告げる。
「あと今回ので服結構破けちゃったから、服代弁償してね。こういうの勝負に負けた方持ちだから」
「あ、ハイ……」
そんなこんなで服の修繕代を回収した僕は、アリスさんと別れて正面ホールに戻ったのだった。
……九藤晶とアリス・ドジソンとのぶつかり合いで、【大烈風の荒野】の一帯はそれこそ滅茶苦茶に破壊されていた。
強大な魔法同士のぶつかり合いにより地面は大きくえぐれ、焼け焦げ、多くの余剰魔力が空中に滞留。この状況を魔法使いが見れば、どれほどの力がぶつかったのかと、驚き恐怖することだろう。
――魔女の弟子は紫の魔法の使い手だ。鉄槌を落とされる。
「……なるほど。あれが黒曜牙を倒した男か。ふふ、吾輩のライバルに相応しいではないか」
【天魔波旬】アリス・ドジソンは荒野の岩場で一人そう呟いたのだった。




