第13話:再会
カグラが一人で小飛竜の討伐に向かった後、亡霊リアムは手持ち無沙汰に街を漂っていた。
「へっ、置いてけぼりたぁ冷てぇな」
半透明の身体で空を蹴り、彼は屋根の上から街の様子を眺める。
活気のある大通り、笑い合う人々、湯気を立てる屋台。
彼が兵士として生きていた十数年前に比べると、他国との争いは減っているのだろうか。
そこには確かな平穏と、人々の豊かな営みがあった。
「悪くねぇ景色だ。俺が生きてた頃より、ずっとマシだな」
ただ、その平和な風景の中に、自分の居場所はない。
行き交う人々は誰一人としてリアムに気づかず、彼もまた誰にも触れることができない。
十三年前の肉体の死を以て、彼と世界の繋がりは既に絶たれていた。
「まあ、綺麗なオネーチャンのいる店もタダで入れたり、悪いことばっかでもないけどな」
軽口を叩いてみるが、返ってくる言葉はない。
胸に去来するのは、埋めようのない一抹の寂しさだった。
そのまま当てもなく街を漂っていると、ふと見覚えのある看板が目に入った。
大通りから一本入った路地裏にある、古びた酒場だ。
「お……あそこ、まだあったのか」
かつての兵士時代、戦勝の宴として仲間たちと浴びるほどに安酒を飲んだ場所だ。
ここなら、もしかしたら自分の知っている誰かがいるかもしれない。
淡い期待を抱き、リアムは壁をすり抜けて店内へと入っていった。
中は以前と比べて少し寂れ、まだ日が高いこともあってか客の入りも疎らだった。
だが、染み付いた酒の匂いと、飴色に変色した柱はあの頃のままだ。
懐かしさに目を細めながら店内を見渡したリアムの視界に、ふとカウンターに突っ伏した一人の男の姿が映る。
「……嘘だろ?」
白髪は混じっているが、その広い背中と、特徴的な猪首。
見間違えるはずがない。
「チャールズ……!」
それはかつて、自分の小隊で一番槍を務めていた部下――チャールズ・ウォーカーだった。
猪突猛進で危なっかしいが、誰よりも義に厚い男。
リアムはすぐさま彼のもとへと飛んでいく。
近づいてみると、チャールズは背中に不釣り合いなほど大量の剣を背負ったまま、高いびきをかいていた。
「おい! チャールズ! 起きろ! 俺だ!」
リアムは顔を近づけ、必死で声をかける。
当然、物理的な声は届かない。
だが、魂の叫びが届いたのか、チャールズがピクリと反応した。
「んあ……? なんか今、隊長の声が聞こえたような……」
チャールズがのっそりと顔を上げ、充血した目を擦る。
その顔には深いシワが刻まれているが、面影はあの頃のままだ。
「そうだ! 俺だよ! リアムだ! リアム・オルコットだ! お前、相変わらずだな。酒に弱いくせに、飲んでは酔いつぶれて……」
リアムの目から、霊体の涙が溢れ出した。
「ちょっと老けたが……あの頃と何も変わってねぇな……。生きてたか、この野郎……ちゃんと俺の命令を守ったんだな……」
あの時、最後に『逃げろ』とだけ命じた部下がこうして今も生きてくれていた。
それだけで、十年以上荒野を彷徨っていた苦行が報われる気がした。
「いや、隊長がいるわけねぇよな……死んだんだもんな……気の所為か……」
「いるんだよ。ここに」
リアムは泣き笑いの表情を浮かべながら言うが、その声はやはり届かない。
だが、チャールズもまるでリアムがいるかのように、彼への言葉を紡いでいく。
「でも、隊長……。俺……やりましたよ……」
チャールズがグラスに残った酒を仰ぎ、独り言のように呟く。
「あんたの仇……取りましたよ……」
「……は? どういうことだ、チャールズ」
リアムが問いかけるが、その言葉は届かない。
「って、まあ……俺が直接やったわけじゃないんですけど……。あの人は、本当にすごい御人だ……」
チャールズの瞳に、熱っぽい光が宿る。
それは、かつてリアムに向けられていた信頼と、それ以上の崇拝に近い感情だった。
「あの人となら……隊長とは見られなかった夢の続きを見られそうです……。あの人ならきっと、この世界を……」
***
一方その頃。
ギルドで報酬を受け取ったカグラは、その足で質屋へと駆け込んでいた。
「あぁ……良かった……もう二度と、手放さないからな……」
店を出たカグラは、買い戻した愛刀『鏡花』を抱きしめ、頬ずりをしていた。
その様子を隣で見ていたレインが、微笑ましそうに声をかける。
「そんなに、大事なものだったんですね」
「ええ、勿論です」
カグラは慈しむように鞘を撫でた。
「某は故郷を捨てて出てきた身。この刀は、某にとって唯一残された身内のようなものですから」
「身内……ですか」
レインの表情が曇る。
その瞳に浮かんだのは、深い悲哀と、羨望の色だった。
「それは……大事にしてあげてください。僕にはもう、そのようなものは何も残されていないから……羨ましいです」
「え……? それは、どういう……?」
カグラが尋ね返すと、レインはハッとしたように表情を取り繕った。
「いえ、何でもありません。つまらないことを言いました」
余計なことを言ってしまったと悔いるように、彼は慌てて話題を変える。
「それより、カグラさんのお師匠様に紹介したいだなんて照れますね。どんな方なんですか?」
「どんな方……」
レインの言葉に、カグラは顎に手を当てて考え込む。
シオン・ラングモアは唯我の化身であり、武の極みそのものだ。
しかし、最近のカグラはそのような師の姿に少し疑念を抱きつつあった。
故に、このレインと……義に溢れる清廉な若者と会えば、少しは人の心を学ぶかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、彼女と彼を邂逅させようと考えていた。
「そうですね……性格には少々難がありますが、武に関して言えば比肩しうる者のない存在です」
「へぇ~……でも、カグラさんが師事される方ということは、確かにすごい人なんでしょうね」
レインは興味深そうに頷く。
そうして二人で大通りを歩いていると、広場へ続く石段が見えてきた。
「あ、いました」
カグラの視線の先に、石段に腰掛け、横にプラタの入った麻袋を置いているシオンの姿が見えた。
しかし、その片方の手にはあろうことかまたこんがりと焼けた肉串が握られている。
「あの方は……全く……。少し目を離すとすぐに買い食いをして……一体、どこにそんな銭が……」
人が苦労して『鏡花』を取り返してきたというのに……と、カグラが激しい怒りを浮かべる。
やはり、彼女は紛うことなき人格破綻者だ。
この若者を見せて、自分が如何に歪んでいるかを思い知って欲しいと考えた直後――
「申し訳ない。あれが我が師なのですが。少々行儀が悪くて――」
レインに苦笑いを向けようとし、言いかけた言葉が凍りついた。
彼女が右隣に感じたのは、およそ人が発露しうるものとは思えない尋常でない殺気。
いや、殺気などという生ぬるいものではない。
もっとドス黒く、粘着質で、底知れぬ深淵のような『何か』。
あるいはカグラが彼に感じていた『正義』なるものは、最初からずっとそれだったのかもしれない。
「――ッ!?」
カグラが反射的に飛び退き、振り返る。
そこには、先程までの聖人のような笑顔はどこにもなかった。
レイン・スタークは、石段の上のシオンを見つめていた。
その瞳は暗く濁り、口元は三日月のように大きく歪んでいる。
「……見つけた」
漏れ出た声は、歓喜に震えていた。
まるで積年の恨みを晴らす刻を迎えた悪鬼が如く、喜悦の笑みを浮かべながら。




