第12話:正義
「お怪我はありませんか?」
剣を鞘に納めながら、男が穏やかな声色でカグラへと問いかける。
「あ、ああ……かたじけない。助かった」
これまで誰かに助けられる経験の少なかったカグラは、少し戸惑いながらも礼を言う。
「いえいえ、当然のことをしたまでです。それと、もしかして貴方もワイバーンの駆除に?」
男はカグラの足元に転がっている小飛竜の死骸を示して尋ねた。
「ええ、ギルドの依頼で貴殿もか?」
「はい。僕は依頼というわけではないのですが、麓の住人に頼まれまして。なんでも家畜の被害が酷いとかで。それで放っておけずに」
男はそこで言葉を濁し、困ったように頭を掻いた。
「ただ、恥ずかしながら肝心の巣の場所が分からず、この岩山をもう何時間も彷徨っている始末でして……」
「なるほど……」
腕は立つのに、どこか抜けている。
カグラは苦笑しながら周囲の地形と風の流れ、そして先ほどの小飛竜の飛来方向を確認した。
「この風向きと岩肌についてる糞の跡……おそらく、巣は北側の崖下辺りにあると思われる。そこなら日差しを遮りつつ、上昇気流に乗って飛び立ち易い」
「おお……! 流石、本職の人は凄いなぁ……!」
男がキラキラした尊敬の眼差しを向けてくる。
「いや、某もニワカ知識故に……そう褒められると、むず痒いのですが……」
カグラは頬を赤らめ、照れくさそうに視線を逸らした。
「いえいえ、ご謙遜なさらずに! 僕なんて本当に剣以外のことはからっきしで……同行者の人たちにもいつも呆れられてまして……」
そう言って、青年は照れくさそうに頭を掻く。
兎にも角にも目的が同じであるのならと、二人は自然と連れ立って歩き出した。
道中、カグラは彼の所作を盗み見る。
歩き方に隙がなく、足音一つ立てない。
間違いなく、只者ではないのが見て取れた。
「貴殿の先程の剣技……何か流派を修めておられるのですか?」
「え? ああ、はい……以前に少しだけ……その時の師の教えなんです。『人を活かす剣。その剣で、より多くの人を救え』と」
「人を救う、ですか?」
「はい。僕の剣で少しでも多くの人が救えるのなら、それだけで振るう価値がある。そう思っています」
男は屈託のない笑顔でそう言いきった。
その言葉には、一点の曇りもない『正義』への志があった。
(真逆……というよりは雲泥の差だ)
カグラの脳裏に浮かんだのは、ひたすら武の極みを目指すだけの唯我の求道者シオン・ラングモアだった。
彼女の武にこそ、畏敬と憧憬の念を抱いているが、人間性については一切そう思わない。
一方は、己の強さのみを求めるエゴの塊。
一方は、他者のために無償で剣を振るう聖人の如き青年。
同じ強者でも、こうも在り方が違うものか……と、カグラは思った。
「それと失礼ながら、もう一つ伺っても?」
「何ですか?」
「その……背中の剣は?」
カグラの視線は、自然とそこへ吸い寄せられていた。
大剣、細剣、曲刀……形状も、作られた国も時代もバラバラな剣が、十本は背負われている。
「……これ、やっぱり気になりますか?」
「い、いや、すまない。ジロジロと見るつもりはなかったのだが……」
不意に男から声をかけられ、カグラは慌てて謝罪する。
男は少しも気を悪くした様子はなく、むしろ困ったように笑って背中の剣を見やった。
「いえいえ、無理もありません。こんな大量の剣を持ってたら誰でも気になりますよね。実際、街に入る時はいつも衛兵の方に止められますし」
「はい……失礼ながら、一人で扱うには数が多すぎるように見受けられたもので……」
照れたように笑う青年に、カグラが正直に答える。
すると彼は背中に背負った剣を一本取り、自身の眼前に掲げてみせた。
「僕としては、これでもまだ足りないと思っているんですけどね」
「それで……?」
「はい、この世には様々な『敵』がいますから」
その声音から、先ほどまでの穏やかさが消え、研ぎ澄まされた刃のような冷徹さが顔を覗かせた。
「巨体を持つもの、俊敏なもの、硬い甲殻に覆われたもの、あるいは実体を持たぬものまで……それら全てに対応し、決して遅れを取らないためには、奴らに合わせた最適な『解』が必要なんです」
「最適な、解……」
「ええ。目の前の敵を最も確実に、最も迅速に葬るための道具。それを突き詰めた結果、これだけの数が必要になった……というわけです」
そう言って笑う男の横顔に、カグラは一瞬、背筋が凍るような凄みを見た。
目的のためならば手段を選ばず、己のスタイルすら捨てて最適解を導き出す、徹底した合理性と執念の塊。
だが、それが『人を救う』という道に向けられているのに、やはりカグラは感心するしかなかった。
それは、並大抵の覚悟でできることではない。
話している内に、カグラの推測通り、崖下に大きな洞窟が見えてきた。
そこからは、耳をつんざくような鳴き声と、鼻を突く獣臭が漂ってくる。
「これは……」
カグラが息を呑む。
洞窟の前には、優に三十を超える小飛竜が群れていた。
巣とは聞いていたが、想定よりもかなり多い。
不慣れな剣では、流石に少々手間取ってしまうかもしれない。
無意識に足を止めたカグラに対して、同行の青年は躊躇なく、群れの前に堂々と躍り出た。
「すいません。恨みがあるわけじゃないんですけど、畜産農家の方たちが困っているみたいなんで、駆除させてもらいますね」
まるで道を尋ねるような気軽さで、彼は小飛竜の群れに語りかけた。
そして、トン……と、軽く地面を蹴った
――ギャオオオッ!!
無数の雄叫びと共に、群れが一斉に彼へと襲いかかる。
四方八方から迫る牙と爪。
しかし、彼は剣を構えることすらせず、ただ自然体でその嵐の中へと飛び込んだ。
直後、カグラは初めてシオン・ラングモアを目にした時に等しい衝撃を覚えた。
爪が皮膚に触れるか触れないか、そのギリギリまで動きを見極め、最小限の動きで躱す。
相手の殺気に同調し、柳のように受け流す。
そして、すれ違いざまに放たれる剣閃。
斬られた小飛竜たちは、自分が死んだことすら気づかず、次の瞬間には鮮血を噴き出して落ちていく。
寸前まで引きつけられて攻め気が頂点に達している敵は、その攻撃を知覚すらできていない。
まさに、神業だった。
一歩間違えれば即座に死を招く、綱渡りのような戦法だ。
その闘争には恐怖を初めとした自我がなく、迫りくる死の存在を極限まで受け入れていた。
圧倒的な力と自我でねじ伏せるシオン・ラングモアの戦いとは、対極に位置している。
「……って、見惚れている場合ではないな」
カグラも剣を握り、戦いに加勢する。
そうして二人の剣士により、小飛竜の群れは瞬く間に屍の山へと変わっていった。
***
最後の個体が崩れ落ち、岩山に静寂が戻る。
「お見事です。貴女のおかげで助かりました」
「いえ、某など露払いをしたに過ぎません」
その言葉に嘘はなかった。
比武を行ったわけではないが、カグラは圧倒的な敗北感を覚えていた。
たとえ万全の状態であっても、今の自分の剣技では彼には及ばない。
愛刀の『鏡花』があったとしても、おそらくは。
だが、悔しさよりも先に立つのは、彼のその澄み切った人間性と志の高さへの敬意だった。
強さのみを求めて他を顧みないシオンとは違い、彼は強さを他者のために使い、自らの命すら捧げている。
その清廉な在り方に、カグラは武人として深く頭を下げた。
剣を鞘に納め、彼女は男に向き直る。
「そういえば、まだ名乗っておりませんでした。某はカグラ・アマギリと申す」
「ああ、こちらこそ失礼しました」
男は背中の剣を直し、柔和な笑みと共に頭を下げた。
「僕はレイン。レイン・スタークです」




