Froid
ディーさん、風邪をひく。
アンバー王国の王都ディアモンド。
先日までのうだるような暑さはどこへやら、最近では朝夕に爽やかな涼しい風が吹き始めていた。
先日シシィの懐妊が発覚してから、シシィはパティスリーでのお手伝いを休むことになったので、今はディータの出仕を玄関までお見送りするというのがお約束になっていた。
「では、行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってくるよ。今日も無理は禁物だからね」
「はい」
ディータはシシィを優しくハグして、一日のエネルギーをチャージする。シシィのお腹はやっとふくらみが目立ってきたくらい。5ヶ月に入ったところだった。
シシィのお腹を壊さぬように、大事に抱え込んでいたディータだったのだが、
「しかし今日は暑いね」
「え? 暑い?」
思い出したかのようにつぶやいた。
しかし、実際は暑いと感じられるほどの気温ではなく、シシィは首を傾げる。
「うん。最近やっと涼しくなってきたのに、また暑さがぶり返すのかな?」
「えーと? 今日はそんなに暑くないわよ? ねえ?」
シシィがディータの腕の中から侍女たちに振り向き、尋ねると、
「そうでございますわね。暑くはございません」
「むしろ爽やかというか?」
「そうでございますわ」
口々に答えが返ってきたが、どれも「暑くはない」という回答。
「そっか~。きっと体温の高い妊婦さんのシシィを抱きしめているから暑いんだね」
ディータは満面の笑みで自己解決した。
「もう、ディーったら!」
「はは。じゃあ、行ってくるね」
抱きしめたままにしていたシシィの身体を離し、そのアクアマリンの瞳に向かって甘く微笑んでから、移動魔法を展開した。
「よー、ディータ」
「おはよう、アンリ」
「シシィは元気か?」
「それ、毎日聞いてるよな? もちろん元気だよ」
王城の執務官室に着くと、そこにはすでに同僚でシシィの実兄のアンリが登城していた。
アンリの隣の自分の机に腰掛けながら、今日の書類の山を確認していく。
「あ~、今日も書類が山積みだよ。なんでこうも毎日毎日仕事が湧いてくるかねぇ。頭いてぇ」
何だか重く感じる頭を抱えるディータ。
「ディータ、シシィと一緒に出勤しなくなって、テンション下がったよな~」
隣で呆れ顔になるアンリ。
「当たり前だろ。シシィと一緒に居る時間が減るってことは、僕の気力も減るってことだよ? つまりはテンションダダ下がり」
「はいはい」
「あ~、ぐちぐち言ってても仕方ない。今日も定時退室目指して頑張りますか」
「そーしろそーしろ」
「はいはい、みなさーん。そろそろ仕事を始めてくださいよー」
室長エメリルドの掛け声とともに執務開始の時間になり、それぞれ書類の山と格闘し始めたのだった。
いつもなら常人ならざるスピードで仕事をさばいていくディータなのだが、今日はなんだか思うようにはかどらない。
普段ならあり得ないような細かなミスを連発している。
――スランプか?
冷静になろうと、先程雑用係長のプラッドが淹れてくれたお茶を口にする。もはや温くなったそれだが、今はやけに気持ちよく喉を通って行った。むしろもっと冷たいものが欲しいくらいで。
――やっぱり今日は暑いよな。
暑くて頭が痛くなってきた。それを振り払うかのように頭をブンブンと振ってから、
「プラッド~。お代わり頂戴。てゆーか、冷たいのがいいな」
「ハイハイ。注文が多いなぁ」
「プラッド――」
「喜んで!!」
ブツブツと文句を言ったプラッドを軽く睨むと、プラッドはそそくさとその場から逃げだした。
「そんなにプラッドをいじめてやるなよ~」
クスクスと笑いながらアンリがお茶を飲んでいる。
「いじめてないよ。注文しただけだし? あ~しかし暑い。頭いてぇ」
「ん? ディータ? お前顔色わりーぞ?」
「へ?」
ディータの顔を覗きこんだアンリが眉を顰めた。そして、おもむろに自分の手をディータの額にくっつけると。
「うわっ、お前、熱あるじゃねーか!!」
驚いてディータの顔と自分の掌を見比べていた。
「そっかー。だから今朝から僕だけ暑かったんだー。抱き寄せた妊婦さんのシシィが熱いわけじゃなかったんだー」
おお~、と納得した風に小刻みに頷いているディータ。
「何気に惚気んな……。違う意味でにーちゃんは頭がイタイよ」
じと目でディータを見るアンリ。しかし、ハッとなり、
「お前、それ風邪だったら、シシィに伝染すなよ!!」
「うわ!! 本当だ!! シシィに伝染っちゃ大変だ!!」
顔を見合わせてオロオロする男二人。シシィの過保護な夫と兄。
「とりあえず医務室行って来い。エメル様~、アウイン殿が熱あるんで医務室に押し込んできますー」
「はい~。よろしくお願いしますよ。なんなら早退してもらっても構いませんよ~」
にこやかに二人を送り出すエメリルド。
「なんか、喜んでいいのか悪いのか、ビミョーなセリフだよな」
ディータは苦笑した。
「魔石が高熱域に達していますね。喉も腫れておられるので風邪でございましょう。もうお帰りになられた方がよろしいかと思いますが」
ニコニコとした医務室の薬師が、ディータから外された魔石を見ながら言った。
説明しよう。この魔石、わきの下に挟んでしばらく待つと体温が測れるという医療用魔道具なのだ。魔石の示す色によって高熱域・微熱域・平熱域・低体温域というふうに判別される。
「わかりました。大人しく帰ります」
「転移の魔法は大丈夫かな?」
「まあ……おそらくは」
「ま、念のため魔導師にお願いしたほうがいいでしょう。体力を消耗するのも良くありませんよ」
「はい。そうします」
では呼んできますね、と薬師は立ち上がり医務室の扉を開けた時、ものすごいタイミングで意外な人物と出会ってしまった。
「あらまあ、アウイン侯爵様? こんなところでどうなさったの?」
かわいらしく小首を傾げてこちらを覗きこんでくるのは、王妃レティエンヌであった。
「じゃあ、私が送ってあげるわ~」
という気軽なレティの一言で、
「レティが行くならオレもいく」
という国王シャルルと、
「陛下が行くならお供しなければなりませんよねぇ。はぁ……」
疲れたようにため息をつく近衛騎士団長サファイル。
「たかが執務官の早退に、どんだけ大層なことになってんですか……」
さらに熱が上がりそうなディータだったが、断れないので仕方なく総勢4人で帰宅した。
突然の国王夫妻の登場に騒然となったアウイン侯爵家だったが、レティ達はディータを送り届けるとすぐに帰って行ったので、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ディー、風邪なんですって? ああ、もう。いつもご無理をなさってるから」
心配そうに柳眉をしかめているシシィ。華奢な掌をディータの額に当ててくる。今のディータの体温よりも低いそれは、ひんやりとして心地よいものだった。その気持ちよさに、思わず目を細める。
「ごめんごめん。すぐに治るから大丈夫だよ。でもシシィに伝染っちゃいけないから、部屋は別にして。シシィは自分の部屋にいるんだよ」
「極力そうするわ。さ、すぐに寝てください!」
そう言ってディータをベッドに押し込めるシシィ。それに素直に従うディータだった。
コトン、カチャ。
頭もとでした微かな音に目を覚ましたディータは、重い頭を動かしてそちらの方を見た。
そこには、枕元の机に水差しとコップの載ったお盆を置くシシィがいたのだった。
「シシィ……」
「あ、目が覚めちゃった? ごめんね。お薬とお水を持ってきたんだけど……」
困ったように微笑むシシィ。
「うん? 薬なら飲むよ?」
そんな困惑顔のシシィに首を傾げるディータ。
「え、と。王都の魔女様謹製のお薬と薬汁なのよ……」
「王都の魔女、ね。はは……」
いつぞや、シシィを誘拐(?)したあのお方か!! と、乾いた笑いがでた。
そして、いつもの薬汁。執務官室で『罰ゲーム』と称されるアレだ。
「これは僕に死ねということか? そうなのか?」
「何を言ってるの? ディー?」
「いや、ひとり言だ。……ありがたくいただくよ……」
涙目になりながらも薬たちに手を伸ばすディータ。苦痛は早く終わらせたい。
「大丈夫よ。レティ様は魔女としては一流の腕だもの。お薬も、最高級の材料を使ったんだから、って言ってたわよ。薬汁も」
それでも困惑顔のシシィだったが。
「……わかった……ぐっ」
色んな覚悟を決めて、薬と薬汁を飲み干した。
すると。
あまりの味に、全身が総毛立ちし、汗が噴き出てきた。顔も、赤くなってから白くなっただろう。とりあえず、ものすごい色の変化をした。
「ディ、ディー?!」
焦ってシシィがディータにしがみついてきた。
「だ、大丈夫だから……はは、ちょっと寝るよ」
「それがいいわ。そうして。ぜひそうして」
心配するシシィの頬を撫でてから、極力引きつらないように気を付けて微笑み、そのまま枕に撃沈したディータだった。
目が覚めると頭痛はすっきり、熱も下がっている。
「う~ん、一応薬が効いたの……かな?」
ビミョーながらも回復したことに安堵するディータだった。
今日もありがとうございました(^^)
すっかり間が開いてしまって、申し訳ありません!! m( _ _ )m




