文化祭にカタルシスはイベント過多です(弍)
扉の向こうで、なにかもめているようだがよく聞こえない。期待はしていなかったが、鍵は開けられることなく、外も静かになった。なかなかベタな展開である。
「うわー、おちつこー」
己れを言い聞かせ、深呼吸をするが絵の具の臭いが鼻をつき、咽せた。準備室というだけあって窓がなく換気もできない。試しに照明のスイッチに手を触れたが、ブレーカーが落とされているため虚しく音が弾いただけだった。
「そうだ。絵の具」
千は、床に散らばった絵の具のフタを片っ端から開けた。幸いまだ中身が乾いていないものがある。部屋のなかは暗いが、裂け目に比べたら昼間みたいなものだ。イーゼルに置かれた筆を取ると、ひとりぶんの魔法円を丁寧に描きはじめた。
邪気払いの魔法円。
カヲルに一番最初に教えてもらった呪術だ。
千はその時のことを少しだけ思い出した。
はじめて貺都へ行った日、意気込んでいたくせに早々、小鬼に眼鏡と持ちものを奪われ、追いかけられ、目的地に着く前に腰を抜かしたのだった。カヲルが困った顔をするので半べそで言ってやったものだ。置いて行ってください。その間なにか身を守る魔法を教えてください、と。
カヲルは、後で教えてやるからと千をおぶさり、そのまま為事を片付けた。
なんですぐに教えないとその時はぐずったが、後々明るい陽の下で教わるその呪文と魔法円は、とても一度では覚えきれないものだった。すぐにうたた寝を始める千へ、カヲルは根気よく教えた。帰ってから体力を取り戻すと目が冴え、申し訳なくなって、何度も練習した。何度も何度も。今ではどんな暗がりだって、間違えたりはない。
「なかなか、いい仕上がり」
水でのばさない絵の具で描くのは大変だったが、呪文を唱え手ごたえを感じた。あとは魔法円のなかで警備員の巡回を待つだけだ。それがなければ朝、登校時間を狙って大声で助けを呼べばいい。
そこで千は気づいてしまった。
明日は日曜日で月曜日は代休だ。最悪誰にも気付かれぬまま、火曜日を迎えることも充分にあり得る。
「組紐、火曜日には返してもらえるかな」
唯斗のことだ。ポケットにしまっていたことを忘れてまた着てくるだろう。それでも出さなかったら、絵の具だらけの汚い顔で泣き叫んでやる。
未来の予定に決着がつき、冷静に辺りを見回した。蜘蛛の巣のはるスチール棚に灰かぶりの石膏像。デッサン用の果物は作り物のくせにカビが生えている。無造作に並べられた描きかけのキャンバスに血のりのような跡をみつけ、調子に乗った己れを悔いた。
「幽霊と、デートか……。私は幽霊と約束していたのかそうか」
美術室の幽霊の噂は、この学校の七不思議のひとつだ。第一期生である美術部員がこの倉庫で、持っていたパレットナイフを首に突き刺し自殺したと言われている。夜になるとパレットナイフにその血をのせ、キャンバスを描く音が校舎中に響くという。完成した絵を見たものはその場で黄泉の世界へ連れ去られてしまう。
そのキャンバスは、右から二番目のイーゼルに立て掛けられて──。
「うらめしや~」
「ぎゃぁああああああ──、んふ」
「静かにしろ。助けが来てしまうだろ」
助けは、めちゃくちゃ来て欲しいのだが。イーゼルの影から出てきた男に口をふさがれ、千は笑った。
「カヲル、助けに来てくれたんだね」
「まだ混乱しているな。よく見てみろ。鍵は空いていない。つまり閉じ込められたのは、俺が先だ」
「力強く言うことではないですね」
興奮状態にあった千の心がス──ン、と鎮まる。
「師匠、ここでなにを」
「愉しいことしようと連れてこられたんだが、陰陽師として悪霊を見過ごせず、退治していた」
「褒めていいやら、貶していいやら」
「俺は千を褒めてつかわす。この識陣、よく描けているよ」
頭をなでられ、千は泣きたくなった。
褒められて嬉しいのと、恥ずかしいのと、申し訳なさでごちゃ混ぜだ。
「バレちゃいましたね。私、こうして学校でも情けないんです」
「そうだな。漫画の世界は、ある程度現実になぞらえ描かれていると理解できた。まさかこの目で観れるとはな。ヒロインいびりというやつを」
「は?」 弱いものいじめの間違いでは。
「このカタルシスのヒーローは、俺だ。おらワクワクしてきたぞ」
「師匠、悟空が望む戦闘にカタルシスは皆無です。──ひゃっ」
うなじを噛みつかれ、身を縮める。
「し、ししょう、やめ」
「こんなところ、男に触れさせるな。隙だらけなんだよ」
甘噛みのように優しく歯を当て、すくうように舌を押しつけてくる。あまりの刺激の強さに、千はたえきれず、カヲルの背中に腕を回した。背中越しでも、手のひらに伝わるうるさい心臓──。鍵を開ける音なんて、聞こえてこなかった。
「開いた扉の先にいたのは、幼なじみの唯斗だ。
彼の目が一番にとらえた配色は赤。絵の具で描かれた魔法円だ。千速を閉じ込めていたはずの準備室で一体なにがあった。恐怖で色づいた目が次に追ったのは、金色の髪だった。その男は一瞬、美しい顔をあげたが、またすぐに千速を貪り始め」
「ナレーションが、官能小説!」
千は自らしがみついていたカヲルを引きはがすと、熱をおびたうなじを隠すように、髪をほどいた。
唖然としていた唯斗がようやく口を開く。
「……幽霊には、見えないけど。誰?」
「はじめまして幼なじみくん。私はヒーローで、千速の婚約者です」
紹介が雑だったが、千にも今思い浮かぶカヲルの身分が思いつかず、その場は流してしまった。
「婚約者? 千速に、……ははっ」
唯斗は、いつものように鼻で笑った。
「それだ。柏木唯斗。貴様の敗因は、幼なじみを嘲り見下すその態度にある」
「……は? あんたになにがわかるって?」
「わかるさ。俺も、突然の幼なじみの登場にいささか動揺してしまったが、女たちから話しを聞けば全容解明。
お前はヒロインいびりを怠惰に見過ごすばかりか、己れも加担したな。常に優位に立つことで、千速を支配している気になっていた。命じたことを忠実に守り、地味なクラスメイトを演じる千速に、甘えてさえいたのだ」
演じてはない。断じて。
文句を切り出そうとすると、視界を封じられ混乱した。カヲルに眼鏡を奪われたのだ。
何度でも言おう。眼鏡のない千は、ポンコツである。
「えーんっ、なんにもみえない、かえしてぇ」
「少し耐えろ。はい、目ぱちぱちして」
「ぱちぱち」
三を描いていた瞼のむくみがとれる。焦点が合わないその瞳は子どものように浄らかだ。
「……隠したい気持ちは、わかる。こんなにかわいい幼なじみ、誰にも知られたくない。自分だけの秘密にしたい。特別感があるからな。だが千速はお前の所有物じゃない。なぜなら、俺が知ってしまったからなぁ!」
千は理解に苦しんだ。悪役の台詞にしか聞こえない。きっと唯斗も同じ気持ちだろう。顔は見えないけど、呆れているはずだ。
「フッフッフッ、かわいそうに。典型的ないじわる幼なじみくんは最終回、最高に惨めな思いをするんだよ。読み手がカタルシスを得るためにな」
「ああ、漫画の話しね」
納得したので扉が開いているうちに帰りたい。先に眼鏡を返してもらおうと、カヲルへ顎をむける。
「くっ、……かわい」
「は?」
前記の「は?」は唯斗の発言によるものだ。千が被せた「は?」は、
カヲルの唇でふさがれ声にならなかった。
「すまん、理性とんだ」
石化した千を壊れもののように抱き上げたカヲルは、カツカツと準備室を退いていく。眼鏡のない千には、すれ違い様でも唯斗の表情を汲み取ることができなかった。
高校から神社までそうたいして距離はないが、生徒の驚嘆や悲鳴を浴びながら校門をくぐり帰路に着くまで、千は三日ほどかかったように感じた。疲労感も然りである。
「千、千。大丈夫か」
「……はっ、はい!」
「すまないが下ろすぞ。祭神は礼にうるさい」
千はかけ直した眼鏡の度数を疑った。カヲルが一の鳥居で跪き、首を垂れたのだ。
「そこまでします?」
「これで、これだ!」
カラスに髪を啄まれている。
「じゃあ、私も」
「千は、いいんだよ」
そうは言われても会釈は日課、手を合わせ丁寧にお辞儀した。
「御祭神、どうか師匠をお許しください」
「あっ、止んだ。やった、通れそう」
「毎回このやり取りあるの?」
「境内から出たのは今日が初めてなんだが、血を流さずして入れると思うなと言われた」
不知火の祭神はやはり荒神だったかと頭をひねる。
「この神社にはじめて立ち入った日、納屋から来たってのもあるが、きちんと礼を尽くさなかった。それがまず気に食わないんだと。まあ俺に非があったことは確かだ」
「それだけのことで?」
と、いう千は毎朝毎夕、拝殿へ挨拶するし、掃除をかかさない。なにより千の祝詞を愛してやまないと祭神は証言している。
「あと、次代の婿は柏木の人間で決まってるんだと! 俺今から今日のこと直訴してくるから」
「あっ、待って、もう参道──」
さすがは元皇子、道があれば堂々と正中を歩いてしまう。千は返り血を浴びぬように端を歩き、拝殿へ急いだ。後ろからゾンビが内臓啜るような音がするが気にしていられない。
千はめずらしく、時間をかけてお参りしてからお風呂へ直行した。
「うぅ、まだうなじが気持ち悪い」
「にゃ!?」
千の発言が衝撃波となってミケに直撃した。衣装棚から落下するのところを拾い上げられ、そのままベッドへ入った。
「はあー、ミケがいてくれて本当によかった」
千は脇におさまるミケをなでながら、すぐに目を瞑った。なんだ、今日の報告はなしかとミケは拗ねたが、そちらも大概、疲弊している。おやすみのちゅうだけでもねだろうかと千の胸に乗り上げた。
「ちゅう」
「……ミケ、ごめんね。もうミケと、おやすみのちゅうは、できないの」
「ちゅうー!?」
ミケはねずみのような鳴き声をあげ、この世の終わりかのような表情をみせた。
「ごめん、ごめんね?」
焦り、抱き寄せるが頑なだ。ミケは絶望感に浸りながら、せめてもと谷間に顔をうずめる。
千は最後にすまなそうに、ミケの耳元でささやいた。
「カヲルの感触……忘れたくないんだもん」
仔猫は白目をむいて、意識を手放した。
疲れていたのだ。
その目尻には、うっすらと涙をたくわえていた。




