文化祭にカタルシスはイベント過多です(壱)
それから一週間、カヲルはまるで己れが宮司であるかのように神殿へこもった。千と顔を合わすのは、朝夕の食事どきと放課後の稽古場のみ。母の足はというと、悪くはならないが、たいしてよくもならない。またたく間に時は過ぎ、文化祭当日となった。
千の学校生活は、拍子がぬけるほど順調である。昼寝ははかどるし、特に目立ってからかわれることもない。雑用係に変わりはないが、教師にその手際の良さをかわれ、レジを任された。接客にはむいていないから、ちょうどいい。
教室で午前中の稼ぎを勘定していると、背後からせまる不穏な影があった。唯斗だ。千は気配で察し、軽くため息を吐いた。
「お前、今日も三つ編みじゃないのか」
あれから千は、低めのおだんごを結っている。団子屋というのもあるが、カヲルにもらった組紐が似合うと思ったからだ。地味なセーラー服に光る、翡翠が控えめなアクセントになって可愛いらしい。と、らしからずうぬぼれている。
「いいでしょう。別に。毎日じゃ飽きる」
「急に色気づきやがって。すぐに戻せ」
「ちょっと、──返してよ!」
唯斗が組紐を引き抜き、容易に奪っていく。千の取り乱した反応が面白くて、廊下の窓からその手を突きだした。
「お願い。大事なものなの」
千の切迫した表情に唯斗は顔を歪める。
実に不愉快そうに手を引っこめると、組紐を学ランのポケットへ収めた。
「きもだめし、俺と組んだら返してやるよ」
「は? 相手ならいくらでもいるでしょう」
「お前はいないだろ」
全くその通りである。
唯斗の言うきもだめしとは、クラスの演し物ではなく、文化祭全学年のラストをしめくくる目玉イベントだ。
広い校内には、立ち入り禁止の旧校舎がある。築年数は古いが設備に問題はなく、五十年前で時を止めたまま、取り崩されることもない。昔自殺した生徒がいるとか、校舎を壊そうとすると祟りが起きるなどといった噂が飛び交い、ついには近年、きもだめしというイベントに限り開放され始めた。カップリング率の高さから、通年行事となりつつある。
参加者は、男女一組ずつ。
下手なフォークダンスよりも盛り上がる。千は正直、三年間立ち入ることなどないと思っていた。
「残念ながら、興味がありません」
唯斗の隣は争奪戦だ。ふたりで参加したことがまわりに知れたら、卒業まで生きていられない。
「お前に拒否権はない。夕方四時ぴったりに旧校舎前だ、わかったな」
唯斗は組紐を持ったまま、廊下を出て行ってしまった。厄除けが去るとともに、背後からどろどろとした気配を感じる。
カヲルだ。
制服姿で立っている。丈は少し短いが着こなせている。というか着こなしすぎている。
「師匠、本日は貺都では……というか、その姿は」
「ミカドに鏡を調べてもらっているが、時間がかかりそうだから戻ってきた。制服はじいさんのを借りた。夕方四時ぴったり、ねぇ。先ほどの男と待ち合わせか」
「いやだなぁ、きもだめしに行くだけですよ」
「きもだめし……? 男とふたりで? すぐに男の胸に抱きつく千が?」
「だ、抱きつきません! 幼なじみですよ?」
「幼なじみ────!」
立ちくらんだカヲルを、そばにいた女子が支える。カヲルの顔を覗き込んだが最後、女子は鼻血を噴き出し倒れた。その後もドミノ倒し。倒れる効果音は「イケメ──ン」だ。救急車を要するほどではないが軽く血祭りである。
イケメンポイントを荒稼ぎし、カヲルはネチネチを持ち直した。
「俺はこの一週間、祭神に認めてもらうため刻苦精進していたというのに、千は青春謳歌ですか。幼なじみの男と、フーン」
「祭神? うちの?」
「もう知らん! 俺だって息抜きに女子高生と戯れてくるもんね! ツーン!」
拗ねたカヲルは金色の浅沓をカツカツ鳴らし、教室を飛び出していった。倒れていた女子たちが血まみれのままゾンビのように甦り、後を追う。
「あの、土足厳禁ですよ……」
カヲルを追いかけ、女子生徒が消えた午後の部は散々であった。
買い出し班が不在のため、不足分の材料を買い足しに走らされたあげく、女子店員のいない団子屋へ客は入らず大誤算。すべての責任を負わされた千は、大幅に売れ残った団子を売り切るまで帰ってくるなと教室を追い出された。
団子を売りに歩く先々で、カヲルは女子とお戯れ。両隣りは五分交代制で解決したらしい。どこぞやの銭奴がチケットを配布していると風の噂で聞いた。たこ焼きとアイスを延々あーんしてもらっているが、腹を壊さないかと千は不安だ。
「なにやってんだろ……、私」
おうちに帰って泥のように眠りたい。たったひとつの望みを胸に抱え、千は旧校舎前の雑踏に紛れ立った。今年に限って、きもだめしのテーマは迷宮。コースを間違えれば脱出に三十分かかるという、生徒会渾身の力作である。疲れた身体に鞭を打ち、唯斗とふたり歩き彷徨うことになんの得があろうか。
組紐は、もう諦めてもいいんじゃないかと思う。土下座して謝ったほうがまだ気が楽だ。
──カヲルに、初めて買ってもらったのに。
足が地にはりついたまま動かない。
ぼう、と校舎を見上げているうちに、唯斗が肩を並べた。
「よう。来たな」
「先に返して」
「出口で渡してやるから」
待ち時間に配布されたプリント用紙によると、各教室に次の行き先が書かれたメモがある。それを辿って校舎を歩き、ゴールを目指すというものだ。下手をすれば、全教室回らなくてはならないが、千に選ぶ権利はない。せめて配置を覚えておこうと、地図をにらんだ。
うなじに唯斗の指が走り、肩を跳ね上げる。
「ひゃっ。……なにすんのよ!」
「お前、神社の娘のくせに怖いのか」
「怖いよ」
「へえ。昔はよく、お化け屋敷ばっかリピートしてたのにな。変わるもんだな」
呑気なものだ。千は呆然とした目で唯斗を見上げた。
仮にも柏木本家の次男だというのに、わからないのか。旧校舎にはよくないものが棲みついている。校舎の壁から黒い湯気のようにたちのぼる瘴気。以前から気にはなっていたが、目の当たりにするとなかなかの迫力だ。つま先までせまる悪意と向かい合って進む恐怖は窮まりない。それから背中に伝わる重々しい怨念。
「ん? うしろ?」
「どうした」
「ううん。気のせいか」
唯斗をみつけた女子からぶつけられた視線かもしれない。そう思うと総身が震えた。
「俺がいるから大丈夫だろ」
「そうだね」
昔からそうだった。唯斗には悪いものをはねのける能力がある。だから誰もよりつかない日陰の公園や廃墟だって平気で遊べた。
いつしかその明るい気は人を集めるようになり、隣にいられなくなった千は、その明かりでできた陰に押しつぶされるようになった。陽が強ければ陰も濃い。その摂理に本人たちの意志は存在しない。
千にとって、きもだめしよりも週明けの教室のほうがずっと恐ろしい。
おそるおそる校舎に足を踏み入れたが、恐怖はひららかだった。灯りこそないものの、廊下は生徒であふれ返り、きもだめしもなにもない。教室へ入るときはひと組と決まっていたが、そのシステムが行列を作ってしまう始末。漏れてくる声で行き先すら把握できた。
「今年は失敗だな」
「去年は怖かったの?」
「それなりに。美術室だったか、入る前に彼女にクラスTシャツの袖破られて、引き返した」
「ふうん」
察知力、というものだ。
唯斗の隣にいると身につく。
現に渡り廊下の向こう、美術室の前にだけひと気がない。廊下を渡るな。そう全身で感じ取れる。
「それが原因で別れたんだけどさ」
「ちょっと待ってよ、そこに行くの?」
「ああ? ルールはルールだ」
唯斗の手には『美術室』と書かれたメモがある。おかしい。先ほど入った三年三組の教室に置かれていたのは真逆に位置する『視聴覚室』だったはずだ。
「やめとこう」
「は? 入らないと先に進めないだろ」
「待っ」
「千速?」
美術室へ立ち入る前に後ろから思いきり手を引かれ、唯斗から離れてしまった。そのまま強い力で廊下の奥へ押し込まれる。開け放たれた扉にかかれた文字は『美術準備室』。ほこりが舞う床へ突き飛ばされ、振り返ると殺気だった女子が数人立っていた。
「あんたは幽霊とデートしてなよ」
重い扉が閉められ、鍵のかかる音が冷んやりと伝わった。




