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74.侯爵令嬢と不審船5

★この物語はフィクションです。登場する医療行為、病名その他全ては作者の想像であり、実在するものとは一切関係ありませんのでご注意下さい。



『赤ちゃんはね、生まれた時にたくさん泣いて赤いから【赤ちゃん】っていうのよ。』



前世で緊急分娩に立ち会った時に言っていた助産師の言葉が脳裏に浮かんだ。


しかし…


私の血まみれの腕の中、たった今この世に生まれたばかりの小さな命の塊は、赤紫色に染まり、動くこともなく、泣くこともしていなかった。

胎児は母体の胎盤から臍帯を通じて酸素や栄養をもらい、二酸化炭素を処理している。出生して臍帯からの酸素が十分に得られなくなると血中の酸素濃度が下がって二酸化炭素濃度が上がり、呼吸中枢が刺激されて呼吸運動が始まり、出産直後に空気が肺に入って自発呼吸が開始され、その時、赤ちゃんは肺を膨らませるために大きく呼吸をするから、泣き声を上げるはずなのに。


一般的に泣き声をあげるのは出産後30秒以内と言われてるが、1分以上経過した今も赤ちゃんは泣き声をあげていない!


「新生児仮死!!!」


私の声に、ミールとカミーユ副隊長がこちらを見た。

それとほぼ同時に、ドアが開き、騎士団長を先頭にテオ隊長、ストーリア隊長と0番隊の騎士が入ってくる。しかし、部屋の中の惨状に入ってきた騎士達の足がすぐに止まったようで誰もドアの前から動かなかった。


騎士団長たちが見守る中、弾かれたように保育器もどに赤ちゃんを乗せて心音を確認する。しかし、小さな胸はピクリとも動かず無音だった。すぐさま鼻や口の異物も取り除き、小さな胸の間、指一本分下の部分位に中ゆびと薬指を当てて心臓マッサージを開始した。

嫌な汗が米神から流れ落ちる気がしたが、それを気にする余裕はなかった。むしろ、それを気に留めてしまえば不安と焦りに飲み込まれそうで必死で目の前の命に集中する。

特殊な器具もないこの世界ではできることは限られている。そでも、心臓が動いていれば、生きていてさえすれば、治癒魔法があるこの世界なら…命がつながるはず!!


30回心臓マッサージをした後、気道を確保する。

…ッダメだ!


「泣かないっ…!」


くそっ!!


再び心臓マッサージを繰り返し、気道を確保する。

ダメッ、ダメッ!…行かないでっ!!


「まだ母体を離れられない!アヤメ、なんとか持ち堪えろっっ!!」


カミーユ副隊長の声を聞きながら、心臓マッサージと気道確保を繰り返すが保育器もどきの上の赤ちゃんはどんどん冷たくなっていく。


ダメッダメッ…ダメッ…!


「ダメよ!戻ってきて!」


無意識のうちに赤ちゃんに向かって叫んでいた。


「お腹の中でたくさん苦しい思いをして、それでもお母さんと一緒に頑張ったんだから!これからはもっと楽しいことがあるんだよ!」


心臓マッサージをしていた指先に魔力を集める。私の少ない魔力ではこの小さな体すら癒すことができない。


私は魔力が少ないから十分に患者へ使役することができない。

それは、治癒魔法を使えない事と同じ事。


そんなことはわかってる。

そんなこと、昔から痛いほど感じてる!

それでも…!!


「行かないでっ…!」


やがて指先が淡く光出す。

指先から力を吸い取られるような感覚を覚えたが心臓マッサージも治癒魔法もやめなかった。



…やめたくなかった。



「戻ってきて!…っ…戻ってこい!!」


口をついて出る言葉は部屋中に響き渡って消えた。







繰り返す心臓マッサージと気道確保。

どれくらいそうしていたのか、ぐっと心臓マッサージをしていた私の腕を後ろから伸びてきた大きな手につかまれた。


「離してくださいっ!」


私を掴んだカミーユ副隊長の手を振り切るように手を引き離し、再び心臓マッサージを始める。でも、もう一度振り外したはずの手が私の手を止めた。


「いやっ…離しっ…」

「…もう止めろ。」


頭の後ろで静かな声が言った。

自分の息切れの音がうるさく耳に響いてる。あれ…この部屋はこんなにも静かだった…?


掴まれた手を振り払おうとしたが…今度は力強く握られてどうすることもできなかった。

そのまま、ゆっくりと私の手が外された赤ちゃんは……黒ずんだ赤紫色のまま…冷たくなっていた……。


どうして…?

どうして、どうして、…どうしてどうしてどうして…っ!


「もう、この子は私たちの手を離れた。」


その言葉と共に目の前が一気に歪む。

足元がガラガラと音を立てて崩れていくようだった。絶望が心を染めていく。


…救えなかった………


その事実が鉛のように重く、暗く頭に落ちた。

呆然とする私を励ますようにカミーユ副隊長が肩を撫でてくれる。


「綺麗にして…ゆっくり、眠らせてやろう。」


しかし、その声すら私には届いていなかった。


心臓が動いていれば、生きていてさえすれば、治癒魔法があるこの世界なら…命がつながるはずだったのにっ……!!

治癒魔法が……使えれば……。


クラッと体が揺れた。傾きそうになった体を後ろからしっかりとカミーユ副隊長に抱き抱えられた。そして、私の状態を見たカミーユ副隊長の瞼が開かれる。


「….治癒魔法を…使ったのか…。」


そう言ったカミーユ副隊長の…声が震えていた。

その声に、その場にいた誰もが驚きの表情を浮かべる。その全てが私を否定しているようで、息が苦しくなる。

なんで…?

私だって…カミーユ副隊長と同じアールツトの名を持つ者。世界で唯一の治癒魔法を使役する一族の血を引いているのに……私は……ダメなの……?


もし…

私じゃなくて…カミーユ副隊長だったら、赤ちゃんを救えたのかな…?

今日、ここに来たのが私じゃなくて、お兄様なら…こうはならなかった…?

私が…帝王切開なんて言わなければ…。

一度考えれば、とめどなく溢れ出る絶望の闇が少しずつ心を蝕んでいった…。




「私の…赤ちゃんは…?」


焦燥と悲しみと絶望が支配した部屋に落とされたのは小さな声だった。


視線を向ければ先ほどとは比べ物にならないほど、体調を取り戻した赤ちゃんの母親がふらつきながら立ち上がるところだった。


つい先ほどまで瀕死の状態だったのに、カミーユ副隊長の治癒魔法でこれほどまでに回復するなんて…。


驚きと同時に自分の無能さを叩きつけられているようで息が苦しくなり、心が押しつぶされた。


なんとか立ち上がりフラリ、フラリとこちらに歩いてくる母親の姿に医師としての私が体を動かす。カミーユ副隊長の手を離して自分の足でしっかりと立ち、姿勢を伸ばした。そして、大きく瞼を開き涙をいっぱいに溜めた母親の目をまっすぐに見る。

アールツト一族としては無能であっても、私には、まだ、医師としてやる事が残っている。

それは、母親に事実を伝える事だ。


「お子さんは出産時には既に心臓と呼吸が停止しており、手を尽くしましたが残念ながら…お亡くなりになりました。」

「…っ、!!?」


しっかりとできるだけ丁寧に告げた私の言葉に、母親の目からボロリと大粒の涙がこぼれ、次第に堰を切ったように次々に溢れ出した。


申し訳ありません。


そう母親に告げそうになり、寸前で堪えた。


救えずに申し訳ありません。


そう言えたら気持ちが少し楽になるかもしれない。そう言えたら遺族の気持ちに寄り添ってあげられるのかもしれない。


でも、それはただの自己満足だ。

謝罪をして命は戻らない。残された家族の傷は消えない。

自分の気持ちが軽くなろうが…救えなかった命の重さは変わらない。


私は『医者』だ。


命と常に向き合い、救えなかった命の重さを背負い続ける。


「どう….して…。」


母親がポツリと言った。


「どうして…私を助けたの?!」


涙で濡れた目が子の仇とばかりに私を睨みつける。


「私たちはお二人が助けるように最善を考えました。」

「最善って何?赤ちゃんが死んじゃったじゃない!!私だけ助かったって!あの子がいないじゃない!!」


カミーユ副隊長の言葉に怒鳴り返した母親はグッと私の胸ぐらを掴んだ。すぐに、母親を引き離そうとしたカミーユ副隊長と騎士達を視線と手を挙げて止める。


これは、私が受けなければいけないものだ。


先ほどまで瀕死だったとは思えないほどの力強さに、母親の怒りを感じた。


「なんで、アンタなのよ!なんで治癒魔法が使える騎士が私で…治癒魔法が使えないアンタが赤ちゃんを診たのよ!!」


母親の目は怒りで真っ赤に燃えていた。


「心肺が停止していた状態では治癒魔法は効果がありませんでした。」


私の言葉に怒りに燃えた母親は弾かれた様に腕を振り上げると、思い切り私の頬を平手打ちした。

バチンッという大きい音が無言の部屋に響き渡る。誰かの息を呑む声が聞こえた。


母親に打たれた頬は燃えるような熱と痛みを持ち、口の中は血の味がする。それでも、真っ直ぐ母親の顔を見た。

怒りに燃えたその瞳には深い悲しみを宿している。

その事が打たれた頬よりも痛くて痛くてたまらなかった。


「言い訳してんじゃないわよ!!治癒魔法も使えないくせに…!」

「御言葉ですが、彼女は治癒魔法をお子さんに施しています!それでも、お子さんを助ける事が…」

「命を救えなくて、何が治癒魔法よっっ!!」


母親の叫びが胸に突き刺さる。

私を庇うように、身を乗り出したカミーユ副隊長の言葉を遮り母親は叫ぶ。


「助けられないなら、治癒魔法って言わないじゃない!そんなのなんの意味もないじゃない!」


ゾリッ…ゾリッ…と心が削られていく。

声を上げるでもなく、泣き叫ぶこともなく、心が静かに死んでいく。


「返してよ!私の赤ちゃんをかえして!!このっ!!人殺し!!」


2発目の平手打ちが頬を張った。しかし、もう痛みも何も感じる事ができなかった。



『人殺し』


その言葉をぶつけられた瞬間

心から明かりが消えていた。
















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