108.侯爵令嬢と青い鳥4
※この物語はフィクションであり、登場する医療記述、医療行為、その他全ては作者の想像であり、実在する物とは全く関係ありませんのでご注意下さい。
飼育小屋から再び貴賓室へと戻った私たちは、部屋の中央のローテーブルに腰を下ろしたプルシアンの聖獣の少女を見つめていた。さすがにあのままの姿という訳にはいかなかったので、簡易なワンピースに分厚いガウンを来た私の両サイドにはお父様とお母様が座り、その足元にはタケとウメが伏せている。二匹とも警戒心が強いが初めて会った時からプルシアンの時も少女の姿でも反応しなかったことを不思議に思えば、聖獣という存在は彼ら動物の中では神のような存在だと少女が教えてくれた。
私達と向かい合うように組まれたソファにはフェアファスング様とオッド騎士団長が腰を下しているが、テオ隊長は先ほど同様にその後ろに後ろ手を組んで立っていた。沈黙の中、スチュワートが温かな飲み物を運んできたところで、少女はゆっくりと私に向かい口を開いた。
『(…あの日はいつもと変わらない一日になるはずだったの。)』
話し始めた少女が、大きな窓へ視線を向ける。その遠くを映す宇宙のような瞳にははっきりとアルシナシオン島が映っている様だった。
『(木々や草花もいつもと同じよう光を喜び、大地が生命に息吹を与え、エルフたちは精霊たちと穏やかな時間を過ごしていた。…でも、あの日一人のエルフの体に赤い模様が浮かび上がった。そしてそれと同時に熱を出してお腹が痛いと言い出した。そして、それを始まりにエルフたちが次々と熱や咳お腹の痛みを訴えて寝込んでいったわ。そしてその症状はどんどん広がっていき…今はほとんどのエルフたちが同じ状態になってしまったの。)』
少女の話をお父様たちに伝えれば、お父様は「感染症か?」と小さくこぼした。確かに、急な発熱と腹痛や咳。風邪の症状にも似ているが狂犬病の様に風邪に似た症状から始まる感染症はいくつもある。しかし、お父様の言葉を聞いた少女は小さく首を横に振った。
『(エルフはイスラで起こった狂犬病のような感染症には感染することはないわ。エルフは精霊の力に守られているからね。)』
「精霊の力に守られているのなら、どうして今回のようなことが起こったの?」
私が訪ねると少女は悔し気に顔をゆがめた。
『(…わからないわ…。今までこんなことはなかったし、エルフは私たちの加護と自然の力で人間の様に病気にかかることはなかったのよ。)』
「…そんな…。」
「アヤメ、聖獣様はなんと?」
少女の悲痛な声に思わず声を漏らせばお父様がすぐさま声を掛けてくれた。肩に回された手が何度も私を励ますように撫でてくれる。
「エルフは、精霊と自然の力で感染症や病気になることは今までなかったそうです。だから、今回エルフがこんなふうに倒れてしまった原因がわからないと…。」
「…そうか…。」
私の話を聞いたお父様が口を閉ざした。それでもお父様の考えていることはよくわかる。通常、病気にかかることがないエルフが、こんなふうに倒れることは前代未聞の事。ということは、今エルフが患っているものは…今までとは違う「何か」ということになる。
ドクンッ…!!
そこまで考えて心臓が大きく鳴った。そして、サァー…と指先から血が引いていく感覚に襲われる。
浮かび上がったのはフードをかぶった顔のない黒髪…。今までこの世界には存在しなかった感染症を生み出し、イスラ王国を地獄と恐怖のどん底に突き落としたあの人物…。
黒髪の魔法使い…。
もし、狂犬病の時と同じ様に今回エルフを襲ったものが…エルフを食して生まれたとしたら……__!?
ドクンッ!
再び心臓が強く鳴ったところで足元にいたタケとウメが心配そうに顔を上げた。「クゥン…。」と鳴きながら慰めるように私の顔をなめる二匹を優しく撫でる。
…落ち着こう。まだあの人がかかわっていると決まったわけじゃない。
そう自分に言い聞かせるように何度か深呼吸をして少女に話の先を促す。途中で、お母様とテオ隊長の視線を感じたがあえて流した。ただの推測で、他の人を不安にさせるわけにはいかない。
『(今は精霊の力でエルフたちの症状を和らげているけど、それも長くはもたない。精霊の力は自然と共に増えるもの。いくら自然あふれるアルシナシオン島にいたとしても、一度に多くの力を使えばその分力の回復が遅くなり、使いすぎれば精霊は自然の姿に戻ってしまう。すでに何人かの精霊たちは力を使いすぎ自然へと還っているわ。次に精霊として生まれるためには数百年の月日が必要なの。…このままでは精霊はすべて自然に還り、エルフたちは死に絶え、アルシナシオン島は自然とエルフの躯だけが残された死の島になってしまうわ。)』
ツッ…と少女の子供らしいふっくらと丸い頬を一筋の涙が伝った。少女の話を全て伝えれば、お父様やオッド騎士団長は悔し気な表情で眉を寄せる。フェアファスング様は何かを考えるように顎に手を当てたまま動かず。テオ隊長は先ほどと変わらず無表情のままだった。
「病気や感染症ではないとすれば、他に可能性があるのは何でしょうか?」
沈黙の満ちた空間に落とされたお母様の声に私とお父様は顔を上げる。
そうだ!病気や感染症にかからないというのなら、それ以外の物で今の症状に当てはまるものを探していけばいい。
「流石です!お母様!!その方法がありましたね!」
思わず、お母様の手を取って言えばお母様はフフフと少し嬉しそうに微笑んでくれた。
「しかし、アヤメ嬢。病気や感染症以外というがそう簡単にエルフに出ている症状と当てはまるものがあるのか?」
お母様と手を取り合っている私にオッド騎士団長から声がかかる。私はそれにしっかりと頷いて見せた。
「はい。今聞いたエルフの症状に当てはまる疾患はいくつかあります。エルフの身体構造はほとんどが私達人間と同じはずですので、例えば、私達の体にはさまざまな病敵から身を守るために「免疫」という仕組みが備わっています。この免疫は普段は私達の体を守ってくれるのですが、何らかの原因で異常を起こし、咳や呼吸困難、そして皮膚に赤い模様のようなものが浮かび上がる発疹と言った症状を起こすア…「免疫異常」という状態になることもあります。」
思わずこの世界にはない言葉を使いそうになり慌てて言い直した。前世ではこの状態をアレルギーと言っていたが現世では「免疫異常」という名で医療従事者には知られているのよね。私の言葉のつまりはオッド騎士団長には気にならなかったようで「そうか。」と短い返事と共に頷いてくれた。
「とりあえず今はあらゆる可能性を視野に入れて考えなくてはいけないな。アヤメ、もっと細かな症状や状態が知りたいが、聖獣様に確認することはできるか?」
「わかりました、聞いてみます。」
お父様に言われて少女に尋ねるが
『(詳しいも何も私は医者じゃないし、薬師でもないからこれ以上はわからないわ。)』
というものだった。
確かに、前世でも外来できた患者に普段の状態や症状を聞いても十分な情報が得られることは少なかった。病気で苦しんでいる中、症状を事細かに発症した順から答えろというのは酷かもしれないが、十分な情報が無ければこちらとしても手の打ちようがない。備えるにしても抽象的過ぎれば何を用意すればいいのか纏めることが困難だ。
お父様に少女の答えを伝えれば、少し落胆した様子ながらもすぐに気持ちを切り替えたようで、スチュワートに何冊かの本を持ってくるように指示を出していた。その姿に私も自然と背筋が伸びる。
『感情に振りまわされるな。医師として現場に建つのなら自分を律し冷静に状況を見極めることを忘れるな。』
不審船で小さな命を救えなかった私に向けられたお父様の言葉が蘇った。
…そうだ。今、自分は何をすべきか。限られた情報しかない中で何ができるのか…しっかりと考えなくてはいけない。わからない事や出来ない事を嘆いてちゃだめだわ!
ジッとお父様を見つめてグッと拳を握れば、まるで私の心を読んだかのようにお父様と目が合いゆっくりと頷いてくれた。それに胸がジンッと熱くなり、グッと力が沸いてくるような気がした。
「少しいいですか?聖獣様は私どもの声は聞こえているのですよね?」
「!!…はいっ!もちろんです。」
突然フェアファスング様から声がかかり慌てて思考を切り替えれば、彼は真っ直ぐにローテーブルに座る少女を見つめていた。
「私からも質問をしてよろしいでしょうか?」
フェアファスング様の言葉に少女がコクリと頷く。それを確認してゆっくりと頭を下げたフェアファスング様は小さく礼を述べると再び真っ直ぐ少女を見つめて口を開いた。
「…なぜ聖獣様は治癒魔法の使えないアヤメ嬢を連れて行こうとされたのでしょうか?」
フェアファスング様の言葉にお父様がピタッと動きを止めた。横にいるお母様も息をのんだような気がする。フェアファスング様の言葉は本当の事だし、当の本人である私は気にしないのに、彼の言葉に心なしか部屋の空気が低くなった気がした。
『(それは、この娘が治癒魔法を使えないからよ。そして、精霊王様が神に愛されし異界の転生者であるアヤメ・アールツトがエルフたちを救ってくれると予言されたからよ。)』
そう答えた少女の言葉をフェアファスング様にそのまま伝えそうになって思わず口を閉じる。私が異界の転生者だと言うことは知られたらまずい気がする。前世の医療技術と記憶のお陰で、治癒魔法が使えなくても医療現場に立つことができているけど…。それを知られてしまう事には大きな抵抗と恐怖がある。
「…アヤメ嬢?どうされました?」
突然黙り込んだ私にフェアファスング様の声がかかった。いけない…!このままだと私が少女の言葉を別なものに変えて伝えていると思われるかもしれない!!百戦錬磨のフェアファスング様に通用するかはわからないが、私は平静を装って笑みを返した。
「すいません。少し、聖獣様の言葉に驚いてしまって…。」
そのまま少女を見るが、私の心を読めるせいか何の反応もせずにただ大きな瞳で見つめ返してきた。
『(別に知られてもいいじゃないの。…本当に変ところで頑固よね人間って。まぁ、とにかくエルフには魔法は効かないから、治癒魔法が使えようが使えまいが関係ないってことよ。とにかく、あなたは私と共にアルシナシオン島へ来て、精霊王様にお会いしてほしいの!)』
いうだけ言ってフイッと顔を逸らした少女を見ていたフェアファスング様が再び私へ声をかける。
「なにか、聖獣様の気分を害することを言ってしまったでしょうか?」
「え…?あ、いえ、そうではなくて。その…エルフには魔法が利かないから治癒魔法が使えようが使えなかろうが関係ないとのことです。それに、精霊王様が私ならエルフたちを救ってくれると予言されたそうです。」
「!!」
「なんとっ!」
「まさかっ…精霊王様が…!?」
私の話を聞いて目を見開いたまま口を閉ざしたフェアファスング様とは対照的にお父様とオッド騎士団長が弾かれたようにソファから立ち上がった。
え?なに?…どうしたの??
突然の事に助けを求めるようにテオ隊長を見れば無表情のままで頷かれた。
は?いや、あの…何が?テオ隊長…?!
その動作の意味が分からず、思わずテオ隊長に声をかけようとすれば、ガシッと大きな手が私の両肩を掴む。その腕の先を見れば、フェアファスング様が恐ろしいほど真剣な表情で私を見下ろしていた。
「アヤメ嬢は…『精霊の愛しい子』だったのですか?」
…はい?
いや…私は…精霊王様曰く…「神に愛されし子」だそうです。
心の中で冷静に返事をしながらも、私はフェアファスング様のあまりの迫力に気が付けば必死で首を横に振っていた。
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