102.侯爵令嬢と招待状
白鳥を見ながら、湖の遊歩道に併設された東屋でスチュワートの用意してくれた温かい紅茶をテオ隊長と二人で飲む。紅茶を淹れようとしたら、テオ隊長が自らポットを手に取ったので慌てて取り返した。いくらレディファーストとは言え異性であり年上のテオ隊長にお茶を入れてもらうのは心苦しい。刺繍は壊滅的にダメでも、料理はそこそこできるし、淑女教育の一環として紅茶の入れ方だって学んでいるのだから。
私にもできるはず!
そう息巻いてポットを手にしたはいいが、なぜかテオ隊長がこちらを凝視しているので変に緊張していまいカップから紅茶をこぼしそうになってしまう。
「…手が震えているようだが?…やはり寒いだろうか?」
私の失態と緊張による手の震えを敏感に感じ取ったテオ隊長が気遣うように言ってくれるが「これはあなたのせいです!」とは言えず笑みを作って首を振った。
「いえ、大丈夫です。すいませんお茶すらまともに入れることができないなんて…淑女として恥ずかしいです。」
紅茶の入った木製の彫刻が美しいカップを手渡せば、立ち上る湯気の向こうでテオ隊長の整った男性的な顔が穏やかな表情を浮かべた。
「何でも完ぺきにこなしてしまう君を見ているからか、できないことがあるのを見たり知ったりすることは…なんというか…、嬉しい__?…気がするな。」
自分の感情がわからないのかどこか疑問形で言ったその言葉にカカッと頬が染まった。
…あぁ、もう…そんな殺し文句は反則だよ…。
嬉しいのか悔しいのか私までよくわからない感情に襲われて、ごまかすように紅茶を飲んだ。スチュワートの入れてくれた紅茶はいつもの私の好きなものとは違い、アップルジンジャーティーだったようで、冷えた体を内側からじんわりと温めてくれる。
いや、そんなものいらないくらいに体は熱いですけどねっ!
先ほどから上がりっぱなしの熱を冷ますように、カップから立ち上る湯気に息を吹きかけることに専念していれば、チチチ…と小さな鳴き声と共に青い一羽の鳥が東屋の窓枠に止まった。タケとウメはピクリと耳を動かしたが、鳥を確認すると興味を失くしたように溶け残った雪で遊び始めた。
尾びれと羽の先が黄色で他は鮮やかな青色の鳥はジーッとこちらを見て二度ほど首をかしげる。
「珍しいな…。」
鳥の事は詳しくない私が、鳥につられて首をかしげていれば、カップを膝に下ろしたテオ隊長が小さく言った。
「その種類の鳥をご存知で?」
「ああ。幼い頃は暇さえあれば本ばかり読んでいたからな。…これはプルシアンという種類の鳥で我が国では生息が確認されていない。生息地はアルシナシオン島だ。」
「アルシナシオン島!?」
思わず大きな声を上げれば鳥は驚いたように飛び上がり東屋から少し離れた木の枝に移っていった。それに少し申し訳なく感じながらも、頭の中はテオ隊長から告げられたアルシナシオン島の事でいっぱいだった。
『アルシナシオン島』
イスラ王国とオースラフ王国の海域のちょうど中間地点に位置するその島はエルフと精霊たちが暮らす島だ。はるか昔より自然とのつながりを大切にしてきたイスラ王国とのみ国交を持つのでアルシナシオン島は表向きイスラ王国の所有ということになっているが、それはエルフたちの保身であり実際はエルフたちが治めていることは世界中が黙認している。
アルシナシオン島はその幻想的な美しさと自然の雄大な姿から、一度訪れれば「夢でもいいから再び訪れたいと想う」という人間が多いことから、別名「夢想島」とも呼ばれている。私もいつかは行ってきたいと思っている場所の一つだが、アルシナシオン島に暮らす精霊のせいで選ばれた人間しか上陸することができない。太古の時代はこの大陸にも精霊やエルフが生活していたのだが、人間の争いを嫌い、アルシナシオン島へと逃げて行ったそうだ。そのせいで今でも精霊とエルフは人間に嫌悪を抱いていると書物で読んだのを覚えている。さらには精霊に選ばれない人間が島を目指せば航海中に水の精霊に玩ばれセイレーンの餌食になるとか、島の入り口を隠されて土の精霊の蟻地獄に落ちるとかそう言った噂話まで聞いたことがある。
前世の記憶を持つ私には精霊もエルフもセイレーンもファンタジーすぎて信じられないが、目の前の色鮮やかな鳥を見ているとファンタジーの存在達が急速に現実味を増していく。
「珍しい鳥なのですね…。迷い込んでしまったのでしょうか?」
「どうだろうな。だが、野生の動物には自然の摂理がある。私たちがうかつに手を出したりそれを捻じ曲げることは許されない。」
言い切ったテオ隊長はすっと目を細めて木の枝にとまったプルシアンを見つめていた。
「だから、私は祈ることにしよう。何の目的があったのかはわからないが、プルシアンの目的が無事に達成され、故郷に帰れるように…。」
吹きぬける風に乗せるかのように紡がれたその言葉がプルシアンに届いたのか、こちらに一度視線を向けた青い鳥はそのまま、冬の澄み渡った空へ飛び立っていった。小さくなるその後ろ姿を見ながら、私も心の中でテオ隊長と同じように祈る。どうか、無事に旅を終えますように…。
そして、そっと視線を横に向ければ、そこにはもうほとんど見えなくなったプルシアンを未だに見つめる綺麗な横顔があった。目にかかった藍色の髪の奥に見える漆黒の双眸は、どこか懐かしんでいるような、どこか悲し気な雰囲気を漂わせていて…吸いこまれそう。
先ほどの言葉のすべてにテオ隊長の厳しくも優しい性格が表れているようで、トクン、トクンと鼓動が胸に優しく響いていた。
お茶で体を温めてから、日暮れ前にと帰路に着けば森を抜けた大木の所でブレッグが迎えてくれた。この時間、普段なら屋敷で夕食の給仕の準備をしている執事の彼がこんなところまで来ているのは珍しく、尋ねようとすればそれより先にブレッグが口を開いた。
「お嬢様に御来客です。」
「来客?そんな予定は聞いてないけど?」
「はい。何分緊急の要件とのことで、すでに屋敷にて奥様と共にお嬢様をお待ちになっております。」
「緊急の要件?…来客者の名前は?」
貴族の屋敷に訪問する場合は事前に先ぶれを出すのが決まりになっている。ワイズ達の様に孤児という可能性も捨てきれないけど…緊急の要件となると騎士団の誰かか…サーチェス様かしら?
屋敷を訪ねてくるような知り合いが少ない私が訪問者に見当を付けていると、ブレッグの口から思いもよらない人物の名が挙がった。
「フェアファスング宰相様とナンバー騎士団長様です。」
「えっ?!」
「!!」
ブレックの言葉に驚いたのは私だけではないようで、すぐ後ろにいたテオ隊長の息をのむ音が聞こえた。
「フェアファスング様と騎士団長?!…え?それって本当に私に会いに来たの?お父様ではなくて?」
国の重要人物たちが我が屋敷に訪れるのは珍しいことではないが、大半はお父様のお客様でその他はお母様のお客様だ。それなのに…私…?!
「間違いありません。お嬢様にお目通りをとハッキリとおっしゃっていました。旦那様もまもなく治療院から戻られるはずです。ノヴェリスト騎士隊長様もご同席をとナンバー騎士団長様より申しつかっております。」
テオ隊長まで?!
今度は後ろから息をのむような音は聞こえなかったが、スッと張り詰めた空気が漂ってくる。騎士団長がテオ隊長にまで同席を命じたということは、何か良くないことが起こったのかもしれない。私だけではなくお父様まで呼び戻されるほどの『大きな何か』が。そう考えると急に不安と焦りに似た何かが込み上げて思わず手綱を持つ手に力が入った。そんな私の変化を敏感に感じたのか私よりもしっかりと手綱を握っていた大きな手がグッと動く。
「少し駆けるぞ。」
「!…はい!」
頭上から響いた低い声にすぐに返事を帰せば、テオ隊長が馬のわき腹を軽く蹴り、いままで緩やかに歩いていた馬がグンッと大きく揺れ駆けだした。
「お二人は貴賓室にご案内しています!」
「わかったわっ!」
駆けだしたテオ隊長の軍馬にブレックの声がかかる。彼も馬に乗っていたが、テオ隊長の軍馬は風の様に速くみるみるブレッグと森が遠くなっていった。頬を切る冷たい風に思わず目を細めれば、フッと風圧が消えて代わりに心地い温風が頬を撫でた。
…これは…?
急な変化に思い当たる原因を探れば自ずと視線が上に行く。こんなふうに魔法を扱えるのはここには一人しかいない。
「テオ隊長…?」
揺れる馬上で舌をかまないように声をかければ鋭く前を見つめたままテオ隊長が無言で頷いた。言葉が無くても彼の心遣いがわかる。そしてそれが、素直にこんなにもうれしい…。
テオ隊長の魔法のおかげで寒さに凍えることなく屋敷に到着した私たちはすぐに貴賓室を目指した。王族や上位貴族、他国の賓客をもてなすために作られた玄関ホールからそう遠くない場所にある片側の壁一面がガラス張りの贅を凝らした貴賓室の重厚なドアを潜ればブレッグの言った通り、フェアファスング様とオッド騎士団長がの姿があった。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。アヤメ・アールツトただいま戻りました。」
淑女の礼を取り挨拶をすればその横で騎士の礼を取ったテオ隊長も同じように挨拶をする。先ほどまでは貴族のそれだったのに、騎士団長を前にした今その姿は貴族の衣装をまとっているにもかかわらず、どこからみても立派な騎士だった。
「無事の帰宅何よりです。急がせてしまったようで申し訳ない。また、先ぶれもない急な訪問になってしまった事重ねてお詫びします。」
私たちの緊張と不安をよそに穏やかに告げたフェアファスング様は、騎士団長に目配せするとそのままお母様へと視線を移した。
「夫人、ヒルルクが戻るまでまだ時間がかかるでしょうからアヤメ嬢に着がえと休息を。私たちはかまいませんので。」
「お心遣い、感謝いたします。まだまだ教育不足でお恥ずかしい限りですわ。」
フェアファスング様の言葉に扇子で口元を隠しながら頷いたお母様は、目を細めると鋭い視線を私に向けた。
『淑女たるもの、来客の前に着替えてくるのが定石でしょ?ちゃっちゃと着替えてきなさい。私が場をつないでおくから。』
まるで念でも送って来たかのように、お母様の言葉全てをその視線から受け取った私は、シュンと肩を落とした。そうだった…。貴族社会には色々と細かいルールがあるんだった。フェアファスング様と騎士団長の事ですっかりそのことが抜け落ちてしまった私は再び退室の挨拶をして、アリスに付き添われ、テオ隊長の気遣う視線を受けながら貴賓室を後にした。
その後、ドレスと靴などを着がえ軽くヘアメイクまで直されて再び貴賓室を訪れれば、大理石のテーブルを囲むように置かれたソファセットにフェアファスング様と騎士団長が腰かけ、その後ろにテオ隊長が立ち、さらにその向かいのソファにはお母様と治療院から戻られたお父様が腰かけていた。
「…アヤメも来たことだしそろそろ本題を話してくれないか?…ユスティ。」
再び待たせてしまった事を詫びて、お母様の隣に腰を下ろせば、見計らったかのようにお父様が口を開いた。どうやら、まだ、フェアファスング様とオッド騎士団長の訪問の目的は話されていないようだ。お父様の言葉を受けたフェアファスング様は口を付けていたカップをソーサーに戻すと静かに懐から封筒を取り出した。
「今日の昼過ぎ、これが我が城へ届きました。」
フェアファスング様はそう言って封筒をテーブルの上に置く。綺麗な模様が織り込まれた上質な紙でできたそれに部屋中の視線が集まる。その封筒の宛名を見て思わず目を見開いた。王城に届けられたはずの手紙には、なぜか…私の名前が記されていた。
「これは…!?なぜ、アヤメあての手紙が城に届くのだ?」
封筒に書かれた私の名前に、私よりも驚いた様子のお父様が尋ねれば、フェアファスング様は感情の読めない表情で、それでもどこか苦々しく言い放つ。
「陛下当ての書状と共にこれが入っていたんだ。さらに…。」
そっと、フェアファスング様が封筒をひっくり返す。丁寧に閉じられた封筒の蜜蝋にはネーソス帝国の紋が押されていた。そして、その下にミミズが這ったような異国の文字と見慣れない紋が捺印されている。
ネーソス帝国の要人からの手紙かしら?
…ハッ!もしかして皇女様が…?え?もしかしてクレーム?!
アメリア皇女の赤ちゃんを救えなかったことはまだ記憶に新しく、その時に私に向けられた彼女からの言葉はきっと一生忘れることはないけれど…。ここにきて、まさかのクレームとかだったらどうしよう。封筒に書かれた文字はネーソス帝国の文字で私には読めなかったが、嫌な不安が込み上げてくる。しかし、焦る私とは対照的にその場にいた他の人達は封筒を見つめたまま固まっていた。お父様は深く眉間にしわを寄せて封筒を睨み、お母様は不安気に眉を寄せている。テオ隊長は離れている私の所まで熱を感じるほど怒りをあらわにしていて、そんな中オッド騎士団長とフェアファスング様が静かに封筒を見ていた。
…え?…なんで皆そんな顔をしているの?状況がわからない私に気が付いたフェアファスング様が、碧眼の瞳をスッと私に向ける。
「差出人はネーソス帝国ヒュポクリテース第二皇子殿下です。」
「…!!!第二、皇子…殿下?!なんでっ!?」
驚きのあまりはしたなくも声を荒げた私にいつもなら咎めるはずのお母様は何も言わず悲しみを浮かべた表情でただグッと扇子を握り絞めていた。
「…ハサン外交官と不審船の乗組員を見送りした際に、偶然、第二皇子殿下にお会いしました。その時、アヤメ嬢を探していたようです。うまくごまかしたつもりでしたが、まさかこのような形で接触を図ろうとは…。」
「…アヤメ嬢の誘拐事件の主犯格であるヤーコブを取り調べ中にネーソス帝国の重要人物との接点も見えました。あのタイミングで第二皇子が我が国にいた事も…、偶然というには怪しいかと。」
フェアファスング様に続いてオッド騎士団長が口を開く。初めて聞くことばかりで私は開いた口が塞がらなかった。
私の誘拐にネーソス帝国が絡んでいた?ヤーコブの取引相手はネーソス帝国の第二皇子?もしそれが本当だとしたらこれは重大な国際問題だ。王族が他国の貴族を誘拐なんて…!インゼル王国はもちろんの事、イスラ王国やオースラフ王国からも非難を浴びるだろうし、誘拐されたのがアールツト侯爵家の人間だとしたら、戦争の火種にもなりえる。それほどアールツト一族の扱う治癒魔法は希少なのだ。…って私は使えないからそこまで大事にはならないはずだけど…。
グルグルと頭の中で考えているとお父様から低い声が聞こえた。
「…内容は?」
「いえ、まだ確認していません。一応、アヤメ嬢本人に許可を得てからと思っています。」
穏やかに返したフェアファスング様とは対照的に、お父様からの凄まじい覇気がビリビリと頬を打ち付ける。
「アヤメ、先に私が読んでもいいか?」
怒りの覇気と共に凄まれるように言われて私は壊れた人形の様にコクコクと無言で首を振った。それに一つ頷いて封筒を手にしたお父様に騎士団長が待ったをかける。
「恐れながら、何かしらの罠が仕掛けてあるかもしれませんので、よろしければ私が…。」
何かしらの罠?なにそれ?…封筒にカミソリみたいな?
剣呑な表情で言うオッド騎士団長にフェアファスング様も頷く。
「ネーソス帝国では手紙に香を焚き込める風習があるようですが、その香には催淫作用があるとも言われています。万が一を考えてここはオッド騎士団長に任せた方がいいでしょう。」
香に催淫作用?!日本でも平安時代の貴族とかは手紙に香を炊き込めていたというけれど催淫作用はいただけない!ネーソス帝国…いや、ファンタジー世界は恐ろしい…。
「僭越ながら私も手伝います。」
半ば強引にお父様から手紙を取り上げたフェアファスング様は、オッド騎士団長と名乗り出たテオ隊長に手紙を渡す。お父様は何か言いたげにしながらもそのやり取りを黙って見つめていた。
「お願いします。…十分に気を付けてください。」
「はっ。」
手紙を受け取ったオッド騎士団長はテオ隊長と向かい合うようにして手紙を持つとテオ隊長のかざした掌からシャボン玉のような透明な球体が現れて手紙を覆った。魔法でバリアでも張ったのだろうか?目の前の光景を呆然と見ていると、今度はオッド騎士団長が球体の中に手をいれて慎重に蜜蝋を剥がし、開封していく。じれったいほどの十分な時間をかけて封筒が完全に開封されると中の便箋をオッド騎士団長がつまんで取り出そうとした時だった。ホワッ…と便箋から薄桃色のキラキラした煙が現れた。
「テオ。」
「はっ。」
すぐさまテオ隊長が掌を動かして捜査すると、薄桃色の煙はジュッと音を立てて消えた。
…今のはなんだったの?まさか、本当に催淫剤が…?!
何が起こったのかわからない私に、隣に座っていたお母様が説明をしてくれる。
「今のは催淫剤よりももっとひどい…催眠剤よ。あの手紙を何も知らないで開けていたら、瞬く間に催眠剤を吸いこんで手紙に書かれていた内容通りに動いてしまうわ。」
「なっ…!!?」
衝撃的な言葉に思わず声を詰めれば、「下衆がっ…!」と舌打ちと共にお父様が口汚く吐き捨てた。
ネーソス帝国の第二皇子が催眠剤を使ってまで、私に何をさせようとしていたのか…?考えただけで吐き気のような嫌悪感が込み上げる。気が付けば、握り締めた両手がカタカタと震えていた。
「安全確認完了いたしました。催眠剤の他は特に何も仕込まれてはいなかったようです。」
「助かりました。」
確認を終えたオッド騎士団長が差し出した手紙を美しい所作で受け取ったフェアファスング様はそのまま流れるようにお父様へ手渡した。
「…くれぐれも、怒りのままに魔力を爆発させるなよ。お前の隣には愛すべき家族がいることを忘れるな。」
「…わかっている。」
友人であるフェアファスング様からの忠告に苦々しく返事をしたお父様が、手紙を読みだした直後、バリーンッ!!と室内に置かれた壺が破裂し、それを咎めようとフェアファスング様が口を開くよりも早く
「ふざけるなっっっ!!!」
お父様の怒声が部屋中に響いた。
その直後にビリビリッ…!とお父様の魔力の衝撃波のようなものが、飛ばされて壁一面に張られたガラス窓を揺らす。魔力が少なく魔力感知能力が他の人よりも劣る私でも目眩を覚えるほどの凄まじい魔力の渦に気持ち悪さが込み上げ無意識に体が揺らいだ。
「ヒルルクッ!アヤメ嬢を殺す気かっっ!?」
ガンッ!という鈍い音と共にお父様の頭にフェアファスング様の拳が落とされ、それと同時に先ほどまでの魔力がパッと消える。ハッとしたように手紙から私へと視線を移したお父様は私の顔色を見てひどく傷ついたような表情を浮かべていた。
「…すまないっ…アヤメ、大丈夫か?」
魔力にあてられた私よりも顔色を悪くしたお父様の手がゆっくりと頬に伸びてそっと触れた。そこから、温かく柔らかな魔法が流れ込み先ほどまでの目眩と気持ち悪さを癒していく。
「大丈夫です…ありがとうございます。お父様は、大丈夫ですか?」
お父様が私の頬に触れるのと同じように私もお父様の頬に手を伸ばした。私には治癒魔法は使えないけれど、氷の様に冷え切った頬を温めることはできるはず…。
お父様は頬に触れている私の手のぬくもりを確かめるように頬を手に押し付けて一度瞼を閉じる。そして再び瞼を空けた時にはいつものお父様に戻っていた。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう。」
「いえ…。」
ゆっくりと私の手から離れたお父様は再び手紙を持つと、フェアファスング様へ視線を移した。
「…感謝する。」
「お前の頭は相変わらず石のようだな。骨が折れたかもしれん。」
「そう言って一度も折れたことはないだろう。こちらの方が毎回頭蓋骨が陥没しそうだ。」
「その時は自分で治せばいいじゃないか。…それで、手紙の内容は?」
友人同士の会話に戻り、完全に落ち着きを取り戻したお父様はフェアファスング様に手紙を差し出した。フェアファスング様はそれを速読すると、みるみる美しい顔が氷の様に冷たさを纏っていく。その様子を見ながら、手紙の内容が気になって仕方がない私はお父様とフェアファスング様を交互に見た。
「…アヤメ嬢も読まれますか?」
視線に気が付いたフェアファスング様に手紙を渡され、変な興奮と不安を感じたまま視線を落としたが、便せんに書かれたネーソス帝国の言語に肩を落とした。
なんで、公用語じゃないの!?
私に当てられた手紙はなぜがネーソス帝国の言語で書かれていて淑女教育の一環で公用語は学んでいたがネーソス帝国の言葉はあいさつ程度しか分からない私には前世で見た象形文字とアラビア文字を混ぜたような書体のネーソス帝国の文を翻訳することはできなかった。
他国に手紙を出すなら公用語が常識でしょうが!
憤りを感じながら便箋から視線を上げて眉を下げる。
「…勉強不足でお恥ずかしい話ですが、ネーソス帝国の言語を翻訳出来ません。…内容を教えていただけますでしょうか。」
恥を忍んでそう言えば、フェアファスング様は一瞬だけ驚いたようにしながらもすぐさま柔らかい表情で頷いてくれた。
「無理もありません。ネーソス帝国の言語は古代文字をひねったものです。普通の学者ですら完全に理解するのは難しいと言われていますから。」
いや、それでも、お父様とフェアファスング様は普通に読まれてましたよね?多分だけど、ネーソス帝国の本を数冊持っているお母様も読めますよね?
心の中で盛大に突っ込みながらも「申し訳ありません。」と小さく言えば、手に持っていた手紙がそっとフェアファスング様の手に渡った。
「気にしないでください。では、僭越ながら私が内容をお伝えします。その際にこの場にいる全員に内容を知られることになりますが、それはよろしいですか?」
「はい、問題ありません。よろしくお願いいたします。」
「わかりました。…オッド騎士団長、テオ隊長を…お願いします。」
「畏まりました。」
何か含みを持ったフェアファスング様の言葉にオッド騎士団長は鋭い視線をテオ隊長へ向ける。あの視線の鋭さだけで人を射殺せそうだが、そんな視線を受けてもテオ隊長は身動き一つせず、無言と無表情を貫いていた。
「…手紙の内容は、簡単に言えば招待状です。」
「招待状、ですか…?」
「はい。」
予想外の言葉に思わず聞き返せばフェアファスング様は一度頷いて再び視線を手紙に向けた。
「20日後に行われる、ヒュポクリテース第二皇子殿下の誕生パーティーにアメリア皇女殿下をお助けした礼も兼ねて招待したいと書かれています。」
第二皇子殿下の誕生パーティーに招待!!!???
皇族が他国の王族ではなく、他国の貴族の令嬢を招くなんて…。そんな話今まで聞いたことがない。
「この手紙と共に陛下あてに届けられた書簡には、アールツト侯爵令嬢をネーソス帝国へ出国させる事の許可を求める物でした。この手紙の内容を知るまでは不思議に思っていましたが、そういう事ですか。…アールツト侯爵家はインゼル王国の至宝。そうやすやすと一人で外国へ出すわけがないとわかっていての策だったのでしょう。さらに、この手紙に仕込まれていた催眠剤の事を考えれば…」
「いくら陛下でもアヤメ本人の意思では無下にできないと考えたのか、あるいは、アルゲンタビウスに乗るアヤメならば催眠剤の効果で単独でもネーソス帝国へ誘いこめると思ったのだろう。」
フェアファスング様の言葉を奪うようにしてお父様が重苦しく言い放った。
「第二皇子は頭脳明晰で相当の切れ者との噂です。この文面には、要所要所に催眠をかけるような文の羅列と配列がみられますが…普通の人間が見れば気づくことはまず難しいでしょう。それに…微かにハサン外交官の香の匂いが残っていますので我が国へ来た外交使節団も絡んでいる様ですね…。」
スンッと鼻を鳴らして忌々し気に手紙をテーブルの上に落としたフェアファスング様を見ながらサーッと血の気が引いていく感覚に襲われた。
…まさか…こんなことまでしてくるなんて…。
誘拐された時よりも遥かに強い恐怖と不安が全身を駆け巡る。第二皇子には会ったことはないがハサン外交官に会った時の得体のしれない恐怖と嫌悪感は未だに記憶に残っていて、あのヘーゼルの瞳は思い出すだけで身震いが止まらない。あの人たちにかかわってはいけない。私の中の何かが警鐘を鳴らしている気がする。
行きたくない。
ハッキリと心に強い思いが浮かんだときだった。ギュっと大きな手が私の強く握られた拳を包んだ。
「大丈夫だ。」
続いて目に飛び込んだのは紫の瞳。
「お前は私の娘だ。…私が命に代えてでも守ってやる。」
「お父様…。」
昔から変わらない強い意志を持った私と同じ紫の瞳が不安と恐怖に震えていた私を静かに励まし、安心させてくれる。
「大丈夫だ。」
もう一度告げられた言葉に今度は強く頷けば、先ほどまでの不安や恐怖が綺麗になくなり、大きな安心感に変わっていた。
お父様が大丈夫と言えば、きっと大丈夫。根拠のない事だけど、昔からなぜか不思議とそう思えた。そのあと、横から伸ばされたお母様の腕にしっかりと肩を抱かれて、慰めるようにお父様とは違う反対の手を握られれば、先ほどよりも大きな安心感に包まれた。
そんな私たち家族を見ていたフェアファスング様はまるで眩しい物でも見るように目を細めて穏やかな表情でゆっくりと頷くと、スッと一瞬で表情を切り替えて蛇のような狡猾な表情でテーブルの上の手紙を見下ろした。
「…舐められたものですねぇ。」
直後に聞こえて来た冷たく地を這うような低い声に思わず顔を向ければ、フェアファスング様はニコリと不自然に笑う。
「フェアファスング様…?」
「ユスティ?」
その不気味な感覚にお父様と声を揃えて伺えば、フェアファスング様は笑みを保ったまましっかりと言い放つ。
「ここは一つ私に任せてください。万事恙無くアヤメ嬢の安全を確保したうえでネーソス帝国へきっちりと報復してやりましょう。」
「…お前、まさか…!?」
フェアファスング様の言葉に何かに気がついたように顔を青くして焦ったお父様だったが、フェアファスング様はそれに答えることなく一つ頷いて見せるだけだった。
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