084話 ファルムス王国の滅亡
その日、世界は再び恐怖した。
"暴風竜ヴェルドラ"の復活が確認されたのである。
西方聖教会の勢力下の国々に、その情報が速やかに伝えられたのだ。
各国の王達は、再び"暴風竜ヴェルドラ"への対策で頭を悩ませる事になる。
……ただし、一部の国家では違った意味で頭を悩ませていた。
ファルムス王国、王城内の謁見の間。
その場所に在る玉座の上に、ある朝突然に放置されていたモノ。
それは、肉塊。
中央に王の顔を埋め込まれた、肉の塊だったのだ。
ソレは生きていた。虚ろな眼差しではあったが、意識もハッキリと保っていたのだ。
巡回の兵士が呻き声に気付き、発見したのが早朝の事である。
その兵士は王宮内でも立場が上の近衛兵だったのだが、その物体を目にして恐怖による叫び声を上げる事を止める事は出来なかった。
余りにもおぞましい姿となっていて、それが自らが仕える主である事にすら気付かなかったのも仕方ないのかも知れない。
だが、兵士の絶叫で駆け付けた近従と大臣は、それが自分達の主の変わり果てた姿である事に気付いた。
そして……、
「余、余の下にビンがあるハズだ……。それを飲ませてくれ……」
力なく、うわ言の様に繰り返す王の言葉を理解する。
恐る恐る王の身体を持ち上げさせる。肉汁が糸を引き、悪臭が辺りに立ち込めた。
恐怖に嘔吐する者。
腰を抜かす者。
それは、内蔵をそのままちぎってくっつけた様な歪な肉塊。
人の恐怖を根源から呼び覚ます、おぞましき姿形であった。
おぞましさに顔を引き攣らせつつも、意思の力で我慢して作業を続ける。
王宮に残った魔術師達をかき集め、その肉塊が紛れも無く王本人である事は確認済みだったのだ。
どの様な姿となっていても、それが王であるならば敬意を払わなければならない。
王の言葉に従ってその身体を持ち上げた下に、言われた通りに瓶があった。
だが、これを飲ませてもよいものか? その不安から、魔術師に鑑定を行わせた。
結果は……。
完全回復薬。
飲めば身体の部位欠損すら完治すると言われる、蘇生薬に次ぐ伝説級の回復薬であった。
その製法は失われ、ドワーフ族にも再現不可能と言われる霊薬である。
魔術師達も、その薬を研究に使いたいという考えが脳裏に過ぎったが、言葉に出す事は無い。
当然の事ながら、王を助けるにはその薬を使用する以外に手段は無い事はよく理解していたのである。
変化は劇的だった。
薬を飲むと同時に、王の身体は元の壮健な姿へと変貌したのだ。
慌てて近従が衣服を持ってやって来る。
それを身に付け一息つくと、王は緊急に御前会議を行う旨を告げた。
場は慌ただしくなり、会議の準備に向けて動き始める。
残った腹心の大臣達を見回し、王は、
「場所を変えよう……何が起きたかを話す。会議が始まる前に、お前達の意見が聞きたい」
そう、力なく告げたのだった。
王の話を聞き、大臣達は無言となる。
余りにも、信じられない内容だったのだ。
「お、王よ……。今一度お尋ねします。本当に、全員死亡なのですか?」
「全滅では無く、生き残った者が潰走した訳では無く……本当に死んだのですか?」
「補給部隊は後方に配置されていたのでしょう? それらは無事なのでしょう?」
王は力なく首を振る。
その様子で全員死んだのだ、と否応なく理解させられる一同。
一人の大臣がその場で泣き崩れた。
補給部隊の安否を尋ねた者であり、この戦に初陣となる息子を送り出していたのだ。
息子の配属先を危険な前線では無く後方へと配属するよう根回しまでしたというのに、全ては無駄だったのだ。
そもそも、今回の戦は蹂躙する側だと思ったからこそ、彼は初陣を認めたというのに……
その様子を無感情に眺めつつ、王はそんな事を思い出す。
だが、その様な悲劇など所詮膨大な数の中の一つでしか無い。
今回の戦死者は1万5千名。
かつて例を見ない、余りにも莫大な数なのだから。
「王よ……。本当なのですか? 相手がたった一体の魔物だったというのは?」
比較的冷静な大臣が王に尋ねる。
王はその質問に頷き、
「本当だとも。そして、生き残ったのは余だけである」
再度、認めたく無い現実を突きつけた。
その後の拷問の様も、魔物達の様子も。
新たな魔王が誕生した事実も。
その魔王に、このファルムス王国が敵対してしまっているという恐ろしい現実も。
大臣達は無言となる。
王の齎した話によれば、ファルムス王国は滅亡へ向かっているのは間違いない。
だからこその御前会議であり、3日後に貴族達が揃うまでに方針を定めておく必要があった。
そして王は、魔王から提示された三つの選択肢を語って聞かせる。
『さて、提案だ。ファルムスの王よ。
お前の採れる行動選択は三つある。
一つ目は退位する事だ。戦争責任を取ってお前は王の座を降りろ。
当然だが、戦後賠償としてファルムスの領土の一部と星金貨1,500枚を支払って貰う。
次の選択肢は、お前が王として我が国テンペストの軍門に下ったと宣言する事。
この場合、お前達ファルムス王国はテンペストの属国となる。
貴族達の反発も大きいだろうし、苦労する事になるだろう。
お前達の扱いは、属国となる事が決定してから協議し、決定される。
無条件降伏に近いが、生命と国民の財産は保証されるぞ。
最後の提案だが、これはオススメしない。
お前が貴族達を再び纏めて、我が国と戦争を継続する事だ。
これを選択した場合、その時点でお前の命は尽きる事になる。
お前は現世での苦しみから解放されるかも知れないが、守られるのはお前の誇りだけ。
国民は飢え、長らく戦乱は続く事になるだろう。
どれを選択するのもお前の自由だ。
一週間程したら使者を向かわせる。
せいぜい良く考えて、返事をする事だ」
美しい少女の様な可憐な笑顔で、優しく微笑むようにそう述べた。
恐るべき魔王。
思い出しただけでも、身体の奥底から恐怖が込み上げて来る。
アレに歯向かおうなどと、二度と思う事は出来なかった。
王には尊厳よりも何よりも、その恐怖心故に二度と歯向かう気は無いのだ。
肉塊にされ、自分の手足を食わされる日々。
そんな恐怖を二度と味わいたくないという一心で、大臣達の言葉に耳を傾ける。
「馬鹿な! 星金貨というと、金貨100枚に相当する。金貨で15万枚支払えと言うのか!
そのような大金を魔物へと支払える訳が無い。 断じて認められませんぞ!」
「左様。しかも領土までも!
伯爵領辺りが狙われそうですが、魔物の領土と隣接するなど考えられん!」
「だが、軍門に下るなど以ての外! 相手が約束を守り、国民に手出しせぬという保証が無い」
「断固、徹底抗戦しかありますまい。我等が誇りにかけても、魔物どもを駆逐してくれる!」
エドマリス王には、こういう流れになるのは判っていた。
ここに残った大臣達は、今だに現実が見えていないのだ。
自分が恐怖を味わった訳でもなく、自らが矢面に立って闘う訳でも無いのだから。
安全な場所で、代わりに誰かを戦わせようとしているだけ。負けた場合に責任を取る気も無いのだろう。
今まではそれでも良かった。
ファルムス王国は大国であり、周辺諸国の中では立場が上だったのだから。
だが、今回はそういう訳にはいかない。何しろ、相手はたった一人で一軍を滅ぼせる魔王なのだ。
「……良いか、相手は魔王なのだ。
比喩や誇張では無く、一人で一軍に匹敵し圧倒する魔王なのだぞ。
誇りというなら、貴様が戦うのか? 余には既に誇りなど欠片も無いわ!
あの様な恐怖を二度も味わってたまるものか……
発狂する事も許されぬのだぞ! 戦いたければ、貴様が戦えばよい、止めぬ!
魔物が信じられぬのなら、どうするのだ?
軍門に下るか、戦うか。
良いか、余は戦わぬぞ。既に、退位すると決めておる。
もういい、もう満足した。魔王に言われたのだ……
『国の為と言うならば、相手国の事情を考えないというのは愚策だぞ。
関わり方を変えていれば、良き隣人になれたかも知れないのだから』
とな! 魔物に諭された。
ミュラー侯爵やヘルマン伯爵の言うとおりにしておれば、この様な事にはならなかったのだ。
余が欲を出したのは、国民の為では無く自分の為であったという事よ。
二度目は無いのだ、二度目は。
次に選択を間違えれば、災禍は余だけでは無く国民にも降り注ぐ。
余の名誉や誇りなど、最早どうでも良い。
せめて、国民にまで災禍が降り注ぐ事の無き方策を考えるのだ!」
王の魂からの絶叫に、大臣達は凍りつく。
計算高く、自らの利益を最優先していた王が、自らの過ちを認めたのだから。
そして、その戦力の差を考えて絶望的な答えに行き着く。
確かに、王の言う通り勝てる見込みはまるで無いのだ。
誇りだ何だと言い訳をして、自分達の権益を守ろうとしていた事を痛烈に自覚させられた。
大臣達は王の前に跪く。そして……、
「申し訳御座いません。より良き道を模索致します、この国の……民の為に」
一人の言葉に全員が頷き、平伏した。
エドマリス国王も小さく頷き、再び話し合いは進められる。
貴族達が集合する前に、ある程度の方針を決める必要があった。
貴族達を説得する必要がある。出来無ければ、この国は滅ぶのだ。
どうすればより良き事態になるのか、国民には何が幸せなのか。
王と大臣による話し合いは、いつ終わるとも知れずに続けられた……。
三日後。
貴族達が集合し、御前会議が開催された。
前回とは異なり、王や大臣達の表情に余裕は無く、真剣そのものである。
貴族達も異質な空気を感じ取り、緊張した面持ちであった。
その貴族達に告げられた王の言葉。
その一言が、貴族達へと混乱を齎す事になる。
「この国は、魔物達の国テンペストに敗北した。
故に責任を取り、余は、退位する」
最初に王が放った爆弾発言により、会議は紛糾する。
大臣より報告される調伏軍の惨状。
生き残った者が、王一人であるという信じられない内容。
その賠償要求に応じるという王の判断に、批判が殺到する。
それは当然の話ではあった。
総人口3,000万の大国であるファルムス王国の、一年で国庫に納められる税収が金貨500万枚相当額になる。
あくまでも税収のみの数字だが、賠償で請求された星金貨1,500枚は金貨15万枚相当。
年間税収の3%に相当する。
更に、領土を寄越せと言っているらしい。
貴族達は激怒し、王の責任を声高に追求する。
曰く、賠償金は王家が支払うべし。そして、領土の割譲は断固拒否すべき、と。
貴族達の言い分も間違ってはいないのだ。
だが、貴族達は忘れている。
相手は、一軍を圧倒する魔王であるという事を。
あるいは、信じたくないだけなのかも知れないが……
その事を指摘され、青褪める者もいれば、ふてぶてしく開き直る者もいる。
エドマリス王の心配した通り、貴族達は纏まりを見せずに会議は大荒れになった。
「王よ! 退位したとしても、その責任からは逃れられませぬぞ!
そもそも、ご自分だけお逃げになるつもりでは?」
「余が退位せぬならば、それは魔王の怒りに触れる事になるが、良いのか?
また、余が退位せずに事を治めるには、属国になるしかないが構わぬのか?」
「ぐ……、しかし! 無抵抗で魔物の軍門に下る訳には!」
その様な遣り取りを何度も繰り返す。
そしてその様子を眺める大臣達も、最初にこの事を王に告げられた時の自分達の対応を思いだし、顔を赤らめて溜息をつく。
エドマリス王は、確かに欲深かったが、強欲という程では無い。また、愚王ではなく先を見通す目を持っていた。
この度の失敗も、元を辿れば自国の権益を守るという考えから発した事なのだ。
全ての責任を王にのみ押し付ける事は、間違っている。それだけは許せる話では無い。
貴族達は自らの権益を守る事のみに固執し、ファルムス王国そのものや、その国民達の生命と財産は眼中に無い事は明白だった。
結局、会議は物別れに終わった。
リムル(というよりは、智慧之王)の予測した通り、ファルムス王国は王派と貴族派で争う事になる。
結果、ファルムス王国は滅亡した。
この後、魔王の怒りで滅んだ国として語り継がれていく事になるのだ。
そんな中、ニドル・マイガム伯爵領にて一人の青年が決起し、新たなる英雄として名声を高めて行く事になった。
志願兵が集まり、国民の財産を守り強欲な貴族達と戦う青年。
目端の効く者や思慮深い者達は、初期の段階で青年の陣営に参入している。
青年の名は、ヨウム。
辺境警備隊の隊長として、周辺の村々の信望も厚く、本人の資質たる魅力でもって、瞬く間に勢力を拡大していった。
常勝無敗。
纏まりの無い貴族軍など敵では無く、圧倒的な強さを見せ付けた。
ミュラー侯爵やヘルマン伯爵と言った大貴族だけでは無く、王家の生き残りの支援を受ける事が出来たのも大きい。
エドマリス王の息子であったエドガーも、まだ少年ながらヨウムの参謀として活躍する事になる。
父であるエドマリス王は、退位と同時に処刑されている。
しかし、処刑台の上でギロチンが落ちた瞬間に、少女の笑い声が響き渡った。
そして、首と胴が宙を漂い、天空の彼方へと飛び去ったのだ。
集団幻覚では無かったという証拠に、血痕だけが残されて死体が消えていた。
この事は、歴史の表舞台からは抹消され、闇に葬られる事となった。
後の世で議論される事になる、英雄王ヨウムの腹心であるマリウスという人物がエドマリス王にそっくりだったいう証言があるのだが、その真偽を判断出来る者は貴族達にはいなかった。
二年の歳月で、ヨウムは旧ファルムス王国の領土を全て平定する。
速やかな再統一が可能だった理由としては、後ろ盾としてドワーフ王国やブルムンド王国が立った事が大きな要因として挙げられる。
だが、何よりも大きな理由。
それは、八星魔王の一柱たる魔王リムルが不可侵を宣言した事だろう。
あくまでも、戦後賠償を支払うというヨウムを支持するという程度の理由であったが、魔王の報復の恐怖に怯える者達にとって不可侵宣言は大きな安心を齎す事になる。
こうして、魔王リムルと親交のある英雄ヨウムは、新たな国を興す事になった。
国の名を、"ファルメナス"。
脅威により生まれた国という意味である。
初代国王にヨウムが就任し、名をヨウム=ファルメナスと改める。
その傍らには、二人の魔人。そして、少年参謀と素性不明な壮年の政治顧問。
信頼出来る仲間に支えられ、ヨウムは英雄への道を歩き始める。
新たな時代。
激動の時代へと向けて、その歩は止まらない。




