40話 オーク・ディザスター
蜥蜴人族の首領は、絶望的に途切れず攻めてくるオーク兵を必死に食い止めていた。
前方の4つの通路に部隊を分け、それぞれに対応させている。
通路の大きさが然程広く無い為に、同時に相手取る数が少ない事が救いであった。
個体個体の戦力を考えるならば、リザードマンの戦力が僅かだがオーク兵を上回っていたのだ。
広間後方に女子供を避難させ、その前方に戦える者を配置する。
万が一、通路を抜けて来た者への対処の為である。
首領は、戦況を観察しこのままでは1日保たないであろうと悟っていた。
部隊を交代させつつ、疲労回復を行うように上手く戦闘をこなしているのだが、それでも交代の隙をつき徐々に攻め込まれているのだ。
現在の戦力は1,200名を下回る。
合流する事も無く、いくつかの部隊が討ち死にしたと思われた。
しかも、更なる悪夢が首領を襲った。オーク兵達が黄色い妖気に包まれたのだ。
何だ?
そう思ったが、答えはすぐに出る。個体個体の戦闘能力が向上したのだ。
劇的に強くなった訳では無いが、リザードマンに対して有効な能力を獲得したようであった。
今まで、個体の能力が上回っていたから持たせていたようなものなのだが、この時点でその優位性が失われた。
最早・・・、残された運命は玉砕しか無い。
首領は覚悟を決める。
逃げても無駄であろう。苦労するだけして、やはり駄目かも知れない。
それでも・・・。
「聞けい!!! 女子供は、これより撤退を行う! 親衛隊、前へ!
お前達は、女子供の護衛を行い、一人でも守り抜け!
諦める事は許さん! 新天地を求め、一人でも多く生き抜くのだ!!!」
ありったけの威厳を込め、大音声でそう叫んだ。
「しゅ、首領は、どうなさるおつもりですか?」
親衛隊の副長が問いかけてくるが、
「知れた事よ! オークどもの好きにはさせん!
我等、リザードマンの強さを見せつけてくれるわ!!!」
決して弱みは見せない。
彼こそが、リザードマンの強さの象徴であり、希望なのだから。
「戦士達よ! 今から、決死の覚悟でオーク共の侵入を許すな!
女子供の逃げる時間を稼ぐのだ!!!」
そう、戦士団を鼓舞した。
リザードマンの顔に絶望は無い。相手が強くなったとしても、女子供を逃がすことさえ出来れば、自分達の勝利である。
未来が途絶える訳では無い。
この先、苦労をかける事となるだろうが、種の終わりを迎える訳では無いのだ。
「「「うぉおおおおおお!!!」」」
自ら声を張り上げ、恐怖を払拭する。
洞窟内部は、リザードマン達の雄叫びで、割れんばかりに振動した。
その様子に満足し、女子供に脱出するよう声をかけようとした所で・・・、
「それは困るな。首領殿、まだ約束が成されておらぬ。ここで待つ約束だろう?」
静かに、いつの間にやら一人の男が傍らに立っていた。
浅黒い肌に、青黒い髪。青い瞳の、身長190cm程の魔物。
かつて、自分と会談し、ソウエイと名乗った魔物。
来てくれたのか? いや、まだ同盟は結んでいない。だが・・・
「ソウエイ殿・・・。来て下さったのか? しかし、忠告に従わず、我等は先走って・・・」
「忠告・・・? 何の事だ? そんな事はどうでも良い。
あなた方は、このままここでお待ち頂きたい。約束は明日だ。
明日には、我等の主もここに来ると仰せだ。」
同盟の約束、守ってくれるというのか。しかし・・・
「しかし、今はそれどころではなく、あのオーク共が!」
その言葉に、五月蝿そうにオーク兵達を一瞥するソウエイ。
まるで下らない事だと言いたげに、
「あの五月蝿い奴らがいては、確かに落ち着けないな・・・
良かろう。俺がアレを片付ける事としよう。暫し、待っているがいい。」
そう言い、泰然と歩き出す。
目の錯覚か? ソウエイの身体がブレて重なり合うように・・・、いや! 4体に分かれている。
それぞれが通路へと赴き、守備に徹していたリザードマン達の元へ到達する。
「代わろう。」
そう声をかけて。
4体が、それぞれの通路でオーク兵達に相対した。
それから先、信じられない光景を見ることになる。
今まで自分達を苦しめていた、地獄の餓鬼道の亡者の如きオーク兵達が、為すすべも無くソウエイ一人の守備を突破出来なかったのだ。
各通路に一人づつ立ち、
「「「操糸妖斬陣!」」」
それは、煌く糸の殺戮舞踏。
一瞬で通路に張り巡らされた鋼糸は、ソウエイの意図のままに自在に動く。
その技を通路で行使した途端、オーク兵の身体は細切れにされた。
侵入して来る者から順に、一切の抵抗を許さず殺戮されていく。
不幸なのは、オーク兵達であった。各々の通路にて、ソウエイの分身体が放った技により殺されていく。
自我が無く、単純な命令に従うが故に、恐怖を感じる事が出来なかったのだ。
次々と、張り巡らされた蜘蛛の糸に自ら捕らわれに行くが如く。ただしその糸は、命そのものを一瞬で刈り取る恐るべき罠なのだ。
細切れになった死体を貪り、通路を進み、殺される。
延々と繰り返される光景に、リザードマン達は声も出ない。
迷宮のような構造を持つ戦場は、ソウエイの独壇場であった。
張り巡らせる罠の種類は豊富にあり、状況に応じて変化させるのだ。今回、ソウエイにとってオーク兵は排除の対象でしかない。
一切の情けをかける事もなく、手を煩わせる事もなく殺戮を遂行していった。
蜥蜴人族達は、驚きに声も出ない。
次元の違う強さを目の当たりにして。それは、恐怖の体現者。
自らを圧倒的に上回る、強者の姿だった。
状況が変化したのは、2時間経過した頃である。
今まで、愚直に殺される為に侵攻して来ていたオーク兵達が、突然の撤退を開始したのだ。
何か戦況に変化が生じたのか?
ソウエイはそう直感する。
同時に出せる分身体は6体。最初に出した2体は消したので、現在4体出している。
本体は影に潜んで、分身体を操っているに留めていた。
ここはもう大丈夫。分身体に任せておく事にした。
ソウエイの本体は、誰にも気付かれる事もなく、移動を開始する。
自らの主、リムルの元へと。
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豚頭魔王は自らを魔王と名乗った。しかも、自分で自分に対し、名前を付けて。
この場合は、奪ったと言う方が正解なのだろうか?
豚頭魔王にとっては、ゲルミュッドが魔王に成りたいという野望を叶えてやった、ただそれだけの事であった。
ゲルミュッドを魔王にしてやったのだ。本人の望み通りに。
自我の無かった豚頭帝の、精一杯の忠誠心。無論、俺がそんな事に気付く事は無かったし、関係も無いのだが。
自我が生じ、知性の輝きを放つ目。
自らの意思で魔王を宣言した、豚頭魔王ゲルミュッドは、豚頭帝など比較にならない程の強さに進化している。
後ろで、ベニマル達が臨戦体勢になった。
豚頭魔王ゲルミュッドを脅威と認識したのだろう。
今まで浮かべていた余裕の笑みも無く、真剣な表情になっている。
「リムル様! ここは、俺が!」
そう言い、いきなりベニマルが黒炎獄をぶっ放す。
思念による合図を受けていたので、俺は上空へと回避した。翼を出していて良かった。
豚頭魔王ゲルミュッドを中心に黒い半球形が形成される。内部を高温の嵐が吹き荒れ、魔王を焼き尽くそうとその猛威を奮った。しかし・・・。
十数秒後、半球形が消失した場所に悠然と立つ豚頭魔王。
効いていない訳では無い。耐熱能力は持っていなかったらしく、皮膚は焼け爛れている。
それでも致命傷になっていないのは、妖気を放出し、熱抵抗を行なったのだ。
更に、その焼け爛れた皮膚も再生を開始している。ゲルミュッドの持っていた回復能力か。
先程までとは圧倒的に異なる、魔素量。魔王を自称するだけの事はある。
というより、"世界の言葉"が言う所の、"魔王種"というヤツか。覚醒すれば、本当に魔王になるのだろう。
コイツは、今殺しておかなければ、本当の災厄になる。俺はそう確信した。
自分の必殺の攻撃に耐えられ、顔をしかめるベニマル。
確かに、黒炎獄は強力だ。しかし、それは集団向けの技であり、対個体への技というには弱い。
エネルギーを無駄に散らしすぎるのだ。対個体へは、もっとエネルギーを収束させねばならない。
そうすれば、恐らく抵抗や再生を許さず、完全に焼き尽くす事が出来ただろう。
ベニマルの次に動いたのは、ランガだ。
俺がやるように、『黒稲妻』を一点に収束させ、放つ。
直撃を受けて、豚頭魔王ゲルミュッドが硬直する。
狙いは良い。俺も今と同じように攻撃するだろう。
範囲指定を個人に向けた、最強の一撃。
黒く炭化し、その場に崩れる豚頭魔王。
そりゃそうだろう。俺でもこの攻撃には耐えられ無かったのだ。
1対1では無く複数で、しかも不意打ちで倒す事になってしまったが、悪く思わないで欲しい。
恐らく、鬼人の誰でも、1対1では勝てなかっただろう。
だが、これでようやくこの戦も終わりか・・・そう思ったその時、
「フハァーーー! 今のが、痛みか! 死が垣間見えた気がするわ!
だが、このオレを滅するには、足りぬなぁ!!!」
炭化し、死んだと思われたのに、起き上がる豚頭魔王。
見れば、自らの腕を引き千切り、喰っていた。
その豚頭魔王の元へ走りよるオーク兵。そのオーク兵を無造作に殺し、食べる豚頭魔王。
なんてヤツだ! 喰う毎に、炭化した皮膚が剥がれ、新たな皮膚が生まれる。
そして、自ら千切った腕は、根本から生え出てきたのだ!
本当に、凄まじい回復能力である。
「嘘だろ・・・」
思わず呟いていた。
とんでもない化物過ぎて、現実味が無くなっている。
ランガは今の一撃で魔素量が空になったようだ。蹲り、動けなくなっていた。
低位活動状態になりかけたのだろう。
仕方ない。『黒稲妻』のエネルギー消費量はかなり多いのだ。
これでは、これ以上撃つ事は出来ないだろう。
一閃。
いつの間にか、シオンが大太刀を振り抜き、一撃を加える。
力任せの全力の一撃。それを、片手で持つ肉切包丁で受け止めようとする豚頭魔王。
流石にそれは適わなかった。吹き飛ばされ、ダメージを受けている。だが、決定的では無い。
「薄汚いブタが魔王だと? 思い上がるな!」
そう叫びながら、再度、自らの大太刀に妖気を纏わせ、大上段から振り下ろすシオン。
よろめきながら立ち上がった豚頭魔王は、今度は両腕で肉切包丁を構える。
剣と包丁が激突し、壮絶な火花を散らした。
押し勝ったのは、豚頭魔王。ただでさえ筋力バカの、『剛力』持ちであるシオンを上回る筋力。
身体能力も圧倒的に強化されているのか・・・、溜息をつきたくなる。
シオンは弾き飛ばされ、豚頭魔王の一撃が追い打ちをかけるようにシオンを襲った。
危険を察知し、自らの身体に妖気を纏い耐えるシオン。
だが、今のでかなりのダメージを受けてしまったようだ。
悔しそうな表情をしているが、動けるようになるまで暫くかかりそうである。
音もなく、豚頭魔王の背後に一人の壮年の侍が立つ。
ハクロウだ。
俺ですら、この上空から俯瞰してやっと認識出来る程の速度で、剣を放つ。
受ける事はおろか、回避する事も不可能。豚頭魔王の身体に剣線が走り、胴体が真っ二つにされ、頭が落ちた。
これは流石に死んだだろう。そう思った。
それなのに・・・
ズレた胴体が、触手のように絡みつく黄色い妖気で繋ぎとめられた。
そして、屈みこんで落ちた頭を拾い上げて、元の場所に戻す。
ホラー映画のような光景に、皆一様に言葉を失った。
ハクロウも驚きに目を見開いている。
今ので確信した。
豚頭魔王の最も恐るべき能力は、その凄まじいばかりの回復能力である、と。
今はまだ、各種耐性を持っていない。それなのに、この回復力。これに、耐性を加えると、殺す事が不可能になってしまう。
しかし、炎熱や『黒稲妻』で焼き尽くそうとしても、恐らくは防御と回復が上回るだろう。
どうしたものか・・・。
ベニマルとランガは流石に魔素量切れ。シオンはダメージを受けて、今はハクロウが1対1で剣を交えている。
ハクロウの攻撃も通じないが、豚頭魔王の攻撃も当たらない。
流石は達人。しかし、いつまでもこのままでは、ジリ貧である。
その時、
「操糸妖縛陣!」
声と同時に、豚頭魔王が"粘鋼糸"によって捕縛される。
ソウエイの仕業である。いつの間にか、ハクロウの影に潜み、タイミングを窺っていたのだろう。
なるほど! と俺は感心した。
これならば、高い再生能力を持っていてもどうしようもないだろう。
真打は遅れてやってくる。流石は、ソウエイである。
安心しかけた時、違和感を感じた。
黄色い妖気が、"粘鋼糸"に絡みつき、
「混沌喰!」
豚頭魔王が能力を行使した。豚頭将の行使したソレよりもより凶悪な。
触れるモノ全てを腐食させ、喰らう。
あの黄色い妖気そのものが、豚頭魔王の能力の真髄なのだ。
事実、その技は、ユニークスキル『飢餓者』の能力の一つ。
腐食効果を伴い、接触する全ての物質を腐らせる。
抵抗に失敗したら腐食し、生物ならば死が訪れる。
豚頭魔王が追撃を行う。
「死ね! 餓鬼之行進演舞!!!」
ゲルミュッドの技だ。だが、凶悪さは比ぶべくもない。
それを察知し、退避するハクロウとソウエイ。
ベニマルの黒炎獄で、周囲に何も無かった。だからその威力は定かではないが、触れる者へのダメージだけではなく、腐食効果も与えるのだろう。
質、威力、範囲。全て兼ね備えた、必殺の攻撃。速度が遅いのが救いだ。
まともに喰らったら、鬼人達も無事ではすまないだろう。
「フハァーーー! いいぞ! もっと楽しませろ! 食事前の良い準備運動だ。
お前達は美味そうだな。フハハハハ! オレの糧になれるのだ。嬉しいダロ?」
俺の配下、主力の5人が同時にかかって、勝てそうも無い。
これはまた・・・。
俺は、身体が震え出すのを止める事が出来なくなった。
この震えは、本能から来る震え。
ヤバイな。どうしようも無く、震え出す。
・・・コレが、恐怖か?
いや、違う。
コレは・・・
歓喜。 そうか。俺は喜んでいたのか!
そう。俺は、身体の奥底、本能が狂ったように喜びに騒ぐのを止められなくなっていた。
俺の配下、主力の5人が同時にかかっても勝てそうも無い相手。
それなのに、俺の心に恐怖は無かった。
最初に感じた憂鬱など、この時点で既に吹き飛んでいる。
そうだ。俺はコイツを、敵として認めよう。
面倒だなんて思って悪かったな。
俺は、飛行を止め地面へと舞い降りる。
その俺に向かって、黄色い妖気、混沌喰が襲いかかる。
俺の身体に纏わりつく粘ついた感触。気持ち悪い。
そうか、俺を喰おうって言うのか?
いいぜ。やれるものならやってみろよ!
高ぶる本能のままに、俺は薄く笑みを浮かべた。
俺を喰おうというのなら、その前に俺がお前を喰ってやる!
俺と、豚頭魔王ゲルミュッドは、こうして激突の時を迎えた。




