番外編 -未知への訪問- 03 食糧事情
ちょっぴり長くなりました。
ザザは呆気にとられていた。
目の前で起きた事が信じられない。
何しろ、恐怖の代名詞とも呼べる殺人機犬三匹がベレッタに一瞬にして撃破されたのだから、ザザがそうなるのも当然の話だった。
(う、嘘だろ!? 信じられない……)
現実が認められず、呆然となるザザ。
そんなザザに、背後から声がかけられた。
「クアーーーッハッハッハ。ラミリスよ、生存者を発見したぞ! ハズレかと思ったこの世界だが、探せば他にも知性ある生命体がいるやも知れん」
「う〜ん、師匠。それはいいんだけど、なんか全身がチクチクして痛いんですけど……」
ビクリとして振り向くザザ。
そこで目にしたのは、 褐色の肌に金髪の美丈夫である。
それも、なんら身体を弄っていないかのような自然体に、カジュアルな装いで立つ男だった。
言うまでもなくヴェルドラである。
「お、おいアンタ! この高濃度放射線の中で、そんな格好で――正気か!?」
思わず怒鳴ってしまったが、これはザザに落ち度はないだろう。
余りにもヴェルドラの格好が非常識なのだ。
いや、そもそも……。
この地上世界は危険に満ちている。
希薄な酸素もそうだが、大気には毒素が満ちていた。
敵が環境破壊など気にもせず簡単に核を使用したのも、もう既にどうしようもないほどに環境が汚染されていたからなのだ。
この世界は既に、急速な滅びへと向かって転げ落ちているのである。
それに抗う意思を持つ者が集い立ち上げた組織こそが、ザザの所属するレジスタンス組織――黎明の光――なのだった。
「フハハハハ。格好良かろう? この衣装もな、リムルのヤツにデザインしてもらい、シュナに頼んで作製してもらったのだよ。どうだ、似合っておるだろう?」
「格好とかどうでもいいんですけど? それよりも、高濃度放射線って、なんか不安になる響きよね。気のせいか、身体が痛いんですけど。大事な事なのでもう一回言うけど、なんかチクチクして痛いんですけど!!」
ここでようやく、ザザもヴェルドラの異常さに気が付いた。
ヴェルドラの肩に座り、痛いと主張するもう一つの声――ラミリスにも目を向けて、ギョッとしたように目を見開く。
「いやいや、痛いとかそういう話じゃねーよ! それにアンタ、無事、なのか……? そもそも、その小さいのは何なんだ!?」
そしてそんなザザを無視するように、ラミリスが騒ぎ出す。
「ちょっと師匠! 思い出したけど放射線って言えば、人体に有害だってリムルが言ってたヤツじゃん!」
「大丈夫であろう? 低線量なら問題ないと言っていたではないか。そもそも、太陽光が大丈夫なのだから、何も問題はあるまい――」
「ちょ、待って待って! 大気圏外でも活動出来る師匠みたいな規格外な存在は大丈夫だろうけど、アタシみたいなか弱い妖精には有害なのよ! それに、そこのお兄さんがたった今、高濃度だって言ったじゃんよ!!」
「ええい、そう喚くな。仕方ないな。少し『結界』を弄って、放射線とやらも無効化してやるから……」
ラミリスからの苦情に、ブツブツと言い訳しながら『結界』を強化するヴェルドラ。
妖精が放射線でダメージを受けるのか? という疑問もあったが、それを突っ込むのは止める事にしたようだ。
ヴェルドラが『結界』を強化した事で、ラミリスもようやく落ち着きを取り戻す。
本当にダメージを受けていたのなら、既に現状でアウトである。そうではない所を見ると、単に不安を感じた事で、ラミリスが勝手に痛いと思い込んだだけなのだろう。
「思うんだけどさ、師匠……。そういう事が出来るなら、最初からしておいて欲しかったワケ。アタシ言ったよね? ちゃんと守ってよ! って。やっぱりアタシを守ってくれるのは、ベレッタにしておくべきだったかも……」
「しつこいヤツめ。次からはちゃんとしてやるから、心配するでない」
「本当に? 大丈夫? ちゃんとしてよね!?」
再び呆然となるザザを他所に、ヴェルドラとラミリスの言い合いは続いた。
そして最終的には、ヴェルドラが折れた事でようやく決着がついたのだった。
その間、ザザは驚きに固まってしまい、口を挟むどころではない。
どこから突っ込んでいいものやら、ザザの常識では理解が追いつかなかったのだ。
そんな中、殺人機犬を瞬殺して見せたベレッタが発言する。
「鹵獲するつもりだったのですが、思わず破壊してしまいました。これは厄介です。最初は魔法による牽制を試みたのですが、やはり発動しませんでした。魔素がない以上、魔法の発動も覚束ないようです。魔法が使えないとなると、戦術を根本から見直さないとならないので、手加減がとても難しいですね……」
ベレッタはそう言いつつ、破壊した殺人機犬の調査を終えて立ち上がった。
ベレッタの発言により、ヴェルドラとラミリスも喧嘩するのを止めた。
同時にザザも、今目の前で起きたのが夢ではないと悟り、気を取り直して発言する。
「お、おい。なんだかよくわからないが、助けてくれたようで礼を言う。ともかく、ここは危険だ。一旦安全圏まで撤退したいのだが、貴方方も一緒に来てくれないか? 礼もしたいし、聞きたい話もあるんだが……」
「ほう? そこにはお前の他に、生きている知性体――人間がいるのだな?」
「ああ。少し回り道をして追跡を撒く必要があるが、そこには俺達の仲間がいる」
そのザザの言葉を聞き、ヴェルドラとラミリスは顔を見合わせ頷きあった。
ザザの他に人がいるのならば、この世界の文化について詳しい者がいるだろうと考えたのだ。
二人はザザに付いていく事を決めた。
そしてベレッタも、長い付き合いからそれを察し、言葉を差し挟む事なくただ従うのみである。
「よかろう、我々にも聞きたい話がある。先ずは案内してもらおうではないか!」
代表してヴェルドラが答え、ザザは頷いた。
ザザとしても、この二名――ラミリスを入れて三名――を完全に信用した訳ではない。
だが、帝国がザザ達の隠れ家を探る目的でこの者達を派遣したのだとしても、貴重な戦力である殺人機犬を三匹も破壊して見せるのは、流石にやり過ぎであると判断したのだ。
(悔しいが、俺達を潰すのに三匹も犠牲にする価値はないからな……)
冷静に考えると、そういう結論に落ち着いたのだった。
こうして、ヴェルドラ達はザザに案内されて、レジスタンス組織――黎明の光――の隠れ家へと案内される事になったのである。
◆◆◆
道すがら、ヴェルドラ達とザザは自己紹介を終えた。
異世界から来たと堂々というヴェルドラに、ザザは胡散臭そうな視線を向けていた。
しかし、追求するのは控えていた。
(隠したい事情があるのかもな。何せ、あれ程の高性能の兵器を所有しているんだから……)
ザザはそう考えたのだ。
ベレッタの態度を見ていると、どうやらヴェルドラに従う意思を感じ取れていた。
それに、ラミリスと名乗る小型の人造人間だ。
だが、本当に人造人間なのか疑問は残る。
このラミリス、ザザからすれば信じられない程の高性能な技術の結晶に思えるのだ。
三十センチ程の体長で、ヴェルドラの肩に座っているのだが……。
「ちょっと、何さ? さっきからアタシをジロジロ見て。もしかして、惚れちゃった? まあね、アタシが可愛いから仕方ないかも知れないけどね。でも残念! アタシはそんなに安い女じゃないよ!」
高らかに笑いながら、何か勘違いをするラミリス。
ザザから視線を逸らし、「どーよ? アタシの魅力で、異世界人もイチコロみたい!」と、ヴェルドラに自慢を始める始末。
(となると、どういうカラクリだ? あのサイズの機械化兵なんて聞いた事はないし、やはり機械人形? いや、あの滑らから動きは、やはり人造人間だな。さっき痛みがどうのと言っていたし、感覚器官の再現もアリ、か。あのサイズの人造人間となると……。いやいや、それ以前に、あれ程高度な反応をする人工知能など聞いた事はないし、やはり脳移植、か? それとも……記憶移植――!?)
ザザはそんな様子を横目で見て、どう考えてもラミリスが人工知能ではないという結論に落ち着く。
人と同じように思考し、反応を返すような高度なプログラムなど、流石にあり得ない。
いや、帝国の戦艦に搭載されている量子コンピューター級の演算能力があれば、或いは可能なのかも知れないが……ラミリスのサイズの演算装置では考えられない話なのだ。
(頭がオカシクなりそうだ。こんな非現実的な……いや、待てよ?)
と、そこでザザは閃いた。
(そうか! 噂に聞く空間拡張技術で、脳を圧縮収納して移植すれば……)
このラミリスと名乗る人物は、小型の人造人間に自分の脳を移植したのだ――ザザはそう考えた。
そう考えると、色々と疑問が解消されるのだ。
(なるほど、な。つまりは、このラミリスという人物が一番の大物なんだろう。その護衛者として、防御用の機械化兵であるヴェルドラさんと、戦闘兵器であるベレッタさんがいる訳だ……)
余りにも不明な事が多い中で、ザザはそう結論付けた。
勿論だが考え過ぎどころかまるで見当違いで、不正解の結論となったのだ。
ヴェルドラ達は最初から嘘など言っていない。
ちゃんと、異世界からやって来たと説明している。
しかし、この世界の科学力を以ってしても異世界の存在を確認出来ていない上に、ザザは最初からヴェルドラ達がどこかの研究所からの逃亡者だと決め付けて思い込んでいた。
その結果、とんでもなく見当違いの結論へと至ったのだった。
かと言って、それで困る事があるかというと、何もないのだが……。
強いて言えば、ラミリスが調子に乗り、ヴェルドラが拗ねたくらいであった。
◆◆◆
「――という訳で、こちらがラミリスさん。そして、ヴェルドラさんとベレッタさんだ。帝国の殺人機犬から、俺を助けてくれたんだよ」
ザザがそう言って事情を説明するのは、ザザが所属する組織の中堅幹部であるシャルマだ。
穏やかそうな外見をした、五十代の女性である。
そしてもう一人、シャルマの後ろに控えるように、神経質そうな三十代の男、リンドウがいた。
シャルマもリンドウも一般人である為、外見通りの年齢である。
まだ二十代にしか見えないが、機械化兵であるザザの方が、実際には年上なのだ。
しかしザザは実働部隊に所属しており、管理を司るシャルマの方が立場は上だった。
場所はザザの案内で辿り着いた、レジスタンス組織――黎明の光――の基地の一つである。
ザザ達が本拠地としている地下シェルターからは、それ程離れてはいない場所にあった。
迷路のように張り巡らされた地下通路を辿り、追跡を気にしつつ移動したのだ。
その場所に二人しか待っていなかったのは、ヴェルドラ達を警戒したからだ。
ザザが電文にて簡易報告を入れたのだが、本人達を目にしない限り信用出来ないと考えるのは、ある意味で当然の話であった。
殺人機犬三匹を倒して見せたのも、帝国の罠ではないと言い切れないというリンドウの意見が重視された。
ザザはヴェルドラ達を信用したが、上層部としては簡単に信用する訳にはいかなかったのである。
そんな訳で、ヴェルドラはその三人に向かい合う位置にある木製の椅子に、踏ん反り返るように座っていた。
その背後にはベレッタが立ち、ラミリスは相変わらずヴェルドラの肩に座ったままだった。
「そうですか。ジッダ達は残念でしたが、ザザが帰還出来たのは幸運でした。そして御三方には感謝を。我々の同士であるザザを助けて下さり、どうも有難う御座いました」
ザザの話を聞き、シャルマが深々と頭を下げて礼を言った。
リンドウは何も言わず、ただ黙ってヴェルドラ達の観察を続けている。
ヴェルドラはそれを気にする事なく、高らかに笑った。
「クアーーーッハッハッハ! なーに、大した事はない。それで、シャルマとやら。お前達の住む場所には、もっと人が住んでいるのか?」
「ええ、およそ千人近く……。戦士の割合は少ないですが――」
用心深く、シャルマは言葉を濁した。
ヴェルドラの質問の意図が不明だったからだ。
そして後ろに控えるリンドウもまた、ヴェルドラの問いに油断なく目を細めて身構える。
(――ふむ、なるほど。やはり狙いは我等の拠点か。こちらの戦力を教えるのは危険だな……)
リンドウはそう考えたのだ。
ところが。
「たった千人だと? えらく少ないが、村なのか? そんな規模では、美味い飯や興味を惹かれるような素晴らしい芸術などは期待出来そうもないな」
「師匠、やっぱりハズレかもね。なんか戦争やってるみたいだし、文化を育むような土台がないのかも」
「うーむ……。どうやら、それが正解かも知れぬな。だがまあ、一応確かめてみようではないか」
「そうね。せっかく来たんだし、一応、ね……」
シャルマの返答を聞いたヴェルドラとラミリスが、そんな事を言い合ったのだ。
これにはリンドウも戸惑いを隠せない。
リンドウの予想と異なるヴェルドラ達の会話。
その目的は新たな遊びの探求であり、この世界の戦力になど興味を持っていないのだから当然なのだが――リンドウはそんな事情を知らないので、混乱するのみである。
「おっと、そうそう。まだ礼の途中だったな。大したもてなしは出来ないが、気持ちばかりの食事を用意した。今運んでくるよ」
微妙な空気を感じ取ったザザが、明るくその場を取り成すようにそう言った。
ここは基地の一つだが、数名なら数週間は暮らせる備蓄があった。
今の時代に食糧は貴重なのだが、帝国軍への監視という目的がある以上、これは必要な備えなのだ。
そんな貴重な備蓄から、ザザはヴェルドラ達三人に食事を振舞おうとしたのである。
ザザなりの感謝の気持ちの表れであった。
ザザは自ら食事を準備し、ヴェルドラ達の前にも丁寧に並べる。
ところが――
「ワレは食事は不要。良ければ、ラミリス様がお食べ下さい」
「お、そう? 悪いわね」
「ぬう、やはりベレッタはラミリスに甘いのではないか? まあいいが……」
食事の必要がない――食べられない訳ではない――ベレッタは、自分の前に用意されたそれを、ラミリスに譲る。
それを見たヴェルドラが羨ましそうにしていたのだが、問題はその後に発生した。
「それじゃあ、頂きま〜す! って、何よこれ? 粘土みたいで、まったく味がしないし! 水も泥水じゃん!?」
「……不味い。なんだこの錠剤は?」
「ちょっとちょっと! これは一体どういう事なの!? ワタシ達に対する嫌がらせなのかしら?」
「その通り! 寛大なる我も、この仕打ちは許せんものがある!!」
食事として提供されたのは、ヴェルドラ達からすれば理解出来ない程に質の低いものだった。
毒ではない。
エネルギー値としてみれば、バランスもとれて良質ですらあった。
しかし、とても謝礼として客に出すようなものとは思えなかったのである。
食い物の恨みは恐ろしいというが、食い意地の張ったヴェルドラとラミリスだ。
とてもではないが食えたものではない不味い食事を出されて、烈火の如く怒り出してしまう。
これに慌てたのはザザだった。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ! せっかくの貴重な"水"と、"エネルギー錠剤"に"固形食材"なんだぜ? 味ってアンタ等、一体全体、どんな贅沢な事を言い出すんだよ!?」
ザザは心の底から驚いて、ヴェルドラ達に言い返した。
資源の乏しい現状、たとえ一食と言えども貴重である。
帝国を襲撃する目的も、食糧生産プラントから仲間達の食糧を奪う為なのだ。
そういう状況なので、味など二の次。
生きる為に腹を満たせるだけ幸運なのである。
機械化兵であるザザは、コップ一杯の水と エネルギー錠剤が一錠だけあれば、一日の活動に支障はない。
しかし、大半の住民はそういう訳にはいかず、"水、エネルギー錠剤、固形食材"の三点セットが三食分、これが生きる為に最低限必要となるのである。
これは、培養された強化細胞を持つ人造人間であっても同様だった。
ザザのように身体の大半を機械化していない限り、貴重な食糧資源を消費する必要があったのである。
ザザの剣幕に、流石にヴェルドラ達も冗談や嫌がらせではないと悟るしかない。
「ラミリスよ、もしかするとこの者達にとっては、これが本当に貴重な食事なのかも知れぬぞ……」
「驚きだね、師匠……。この人、嘘を言っていないよ?」
ヴェルドラとラミリスは驚いて顔を見合わせた。
その時、シャルマが穏やかに口を開いた。
「落ち着きなさい、ザザ。どうやら、お客人方のお口には合わなかったようですね。ですが、これが私共の精一杯なのですよ。それに……失礼ですが、一つ質問しても構いませんか?」
穏やかに、しかし油断なく。
ヴェルドラ達を正面に見据えて、シャルマが言った。
「うむ。なんでも聞くがいい」
というヴェルドラの返答を聞き、シャルマが問う。
「では一つ。失礼ですが貴方は今、この錠剤をそのまま口に含まれましたが、まさか食べ方を知らない、という事は御座いませんわね? 失礼だとは思うのですが、お答えいただけませんか?」
と。
この質問には、ヴェルドラやラミリスよりも、ザザやリンドウの方が驚きを見せた。
「シャルマ様、一体何を?」
「いやいや、俺達みたいな味覚のない機械化兵ならともかく、普通は……って、そう言えばアンタ、そのまま固形食材を……。え、まさか本当に……?」
ヴェルドラ達は、シャルマの問いかけの意味がわからない。
「食べ方? なんの話だ?」
「さあ? 普通に口に入れるだけじゃ駄目なのかな?」
そんな感じに戸惑うばかりだった。
その後、シャルマが食べ方を実演して見せる。
錠剤はそのまま飲み込んでも大丈夫だが、本来は固形食材に混ぜて食べるものだった。
粘土のような固形食材に錠剤を練りこむと、錠剤が溶けて味が付くのだ。
「今回は、五種類の味が楽しめる最高品質の錠剤でしたのよ。こうやってちぎる度に、味が変わるのです」
そう説明しながら、シャルマは実際に実演して食べて見せた。
おおっ! と感心しつつ、ヴェルドラとラミリスも真似てみる。
ヴェルドラが錠剤を飲み込んでしまっていたので、ラミリスの錠剤をヴェルドラの固形食材と混ぜて、二人でそれを味わってみる事にしたのだ。
その結果。
「あら? 案外いけるじゃん」
「ほほう、なかなか面白いな。これは舌に偽の情報を流して、味を錯覚させておるのか。面白グッズとして研究してみるのも楽しいかも知れんぞ」
と、初めて体験する食材に大いに興奮する事となったのだ。
「喜んでもらえたようで何よりですわ」
「うむ。なかなか味わい深い。ところで、水に混ぜても味は変化しないのか?」
ヴェルドラの興味は尽きない。
泥臭い水も、これを混ぜたら飲みやすくなるのでは、と考えたのだ。
だが、その質問に対する答えは残念なものであった。
「この錠剤は、水では溶けにくいのです」
「ああ。さっき直接噛んで味わったのならわかるだろ? そのままだととてもじゃないが食べられないようなマズイ代物なんだよ。だから、固形食材を必要としない俺達のような機械化兵は、それを水で飲み込むって訳さ。味覚をなくすって方法もあるが、それは流石に寂しいからな」
シャルマが否定し、丁寧にザザが説明してくれた。
機械化兵となっても味覚は残る。
人によっては、そんな機能は不要と切り捨てる者もいるそうだが、ザザは違った。
嗜好品――かなり貴重な高級品――である味玉を取り出し、それを翳して見せるザザ。
「コイツは、舌を刺激する低周波を出すんだ。それを舌が感じる事で、特定の電気信号を出して脳に伝達する。空腹を満たす事は出来ないが、人間らしさをなくさないようにするには必須のアイテムなのさ」
ザザの説明に、ヴェルドラとラミリスは目を輝かせて興味を示す。
「師匠、師匠!」
「慌てるなラミリスよ。思わぬ収穫に興奮するのはわかるが、少し落ち着くのだ」
興奮するヴェルドラとラミリス。
ベレッタは冷静に、二人の背後に静かに立っている。
そんな三人を眺め、シャルマは思案に耽る。
(――わけのわからない方々ですこと。本当に知らなかったのかしら? ですが、嘘をついていたとしても、その目的は? まったく理解出来ないですし、さてどうしたものか……)
シャルマの五十年の人生の中で、この食事以外を食べた事などない。
栄養バランスは完璧で、肥満も痩身もなく、病気にもかかりにくくなるという万能食なのだ。
だからふと、彼等の言葉に乗ってみる気になったのは、普段のシャルマらしからぬ気紛れ故の事であった。
皆が落ち着いたタイミングを見計らい、シャルマが静かに問う。
「ウフフ。でも、わたしとしても興味ありますね。この食糧セットの食べ方を知らないとなると、普段はどのようなものを食べておいでだったのかしら?」
この目の前の二人の会話が嘘であったとして、どう返事をするだろう?
どんな嘘を用意しているのかしら――と、シャルマは思った。
だがしかし、その問いに対する答えは、シャルマの想像の遥か上をいく事態となって返ってくる。
シャルマの興味本位の質問が、とんでもない爆弾となってその場を凍りつかせる事となったのだ。
「え、そんなのクッキーとかケーキとか? 果物をそのまま食べるのも美味しいけど、ワタシはやっぱり、シュナが作ってくれるタルトとかの方が好きだよ!」
「ラミリスよ、それはオヤツだ。食事というなら、我は天麩羅が大好物である!」
「天麩羅は美味しいよね! そういう感じのヤツなら、焼肉やハンバーグなんかも、ワタシは大好きだよ!!」
シャルマの問いに答えるように、先を競って答えるヴェルドラとラミリス。
だがしかし、それを聞くシャルマ達には、その言葉は意味のない音の羅列としか感じられない。
この世界に存在しない――正確に言えば、三世代前には存在した――料理の数々。
そうした料理の存在を知らぬ以上、ラミリス達のイメージを変換する事が出来ないのだ。
ただ辛うじて、最年長者であるザザだけが、ラミリスの放ったクッキーという言葉の意味を理解出来ていた。
理解してしまっていた。
(クッキー、だと? そういや、戦争が始まる前に……。そんなもん、もうどこにも残ってないと思っていたが、探せばどこかに残っているのか? いやいや、残っているとすれば、帝国の中央都市くらいだろうが……。だとすれば、コイツ等はそこから来たのか――?)
そんな疑問を抱くザザ。
ところが、そんなザザの内心での困惑にお構いなく、ラミリスがとんでもない行動に出たのである。
「そうだ! 実はこんな事もあろうかと――!!」
そう叫ぶなりラミリスは、テーブルの上に置かれていたコップへ向けて魔法をかける。
自分の背丈の半分程にもなるコップが宙に浮き、そこに出現した水球に包まれて洗浄された。
「うんうん。精霊の力は弱いけど、この程度なら大丈夫みたいね」
満足そうに頷きつつ、懐から自分の身長と同じ程のサイズのビンを取り出すラミリス。
それは魔法瓶である。
中には作り置きしてあった紅茶が、温かいまま保存されていた。
「ラミリスよ、我もこの泥水よりは、その紅茶の方がいいぞ」
「オッケー! どう? アンタ達も飲む?」
目の前で起きた出来事に驚き固まっていたシャルマ達三人。
「え? はい?」
「ちょ、ちょっと待て! 今のはなんだ? 貴重な水……いや、そうじゃなく――!?」
「トリック? 幻覚? いや、そんな馬鹿な……」
各人それぞれが、何が起きたのか理解出来ずに、戸惑うような反応を見せる。
「オッケー! じゃあアンタ達もどうぞ!」
それを肯定と勝手に受け取ったラミリスは、返事も待たずに彼等の食器も纏めて洗浄する。
宙に出現した水球に吸い込まれるコップに食器。
そして数秒後、綺麗に洗い流された空のコップと皿が、テーブルの上に並べられた。
唖然とする一同を無視して、ラミリスはいそいそと懐から再び何かを取り出して並べた。
「ほらこれ! コッソリと持ってきたオヤツだよ!」
パウンドケーキと、クッキーだった。
各人の皿に盛り付けられるそれ。
そしてコップには、香り高く湯気の立つ紅茶。
「それじゃあ、いただきま〜す!」
そう言うなり、自分のサイズからすればかなり巨大なそれを、ガツガツと食べ始めるラミリス。
ヴェルドラも嬉しそうにクッキーを摘み、口に頬張る。
そして、満足したように頷いた。
「うむ。やはりこうでなくてはな。どうした、お前達も遠慮せずに食べるがいい」
そう言ってヴェルドラは、呆然と固まったままのシャルマ達にも食べるように勧める。
それを聞いてようやく、目の前の非現実的な状況に戸惑いながらも、シャルマ達も動き出したのである。
まず最初に動いたのはザザだった。
パウンドケーキとクッキーが乗る皿からは目を逸らし、「俺は食べる必要はないから……」と言い訳するように紅茶へと手をのばした。
そして一口すすって目を閉じる。
(本物、か……。懐かしいな。だが、だとすれば……)
そう感慨に耽り、思い出したように口を開いた。
「シャルマさん、リンドウ君、忠告する――これを食べるなら、覚悟する必要があると思うぞ」
「毒……ですか?」
警戒するリンドウ。
しかしシャルマは違った。
「ああ、そうなの……ザザさん。本物、だったのね……」
ザザの言葉で、悟ったような呟きを洩らしたのだ。
そのまま続けて言う。
「ですがわたし達は、これを食べる義務がある。この方達が普段どのような食事をしているか聞いたのは、間違いなくわたしなのですから。その責任は取りましょう――」
シャルマはそう言葉にするなり、ほんの一瞬の逡巡を押し切るようにクッキーを手に取った。
そして口に含む。
深く、そして果てしなく広がる、未知なる味わい。
合成された偽者の味ではなく、作られた無機質な電気信号でもなく、本物の味。
これこそが、人の三大欲求の一つを満たすものなのだ。
エネルギー補給という意味合いだけではない、心の満足を与えてくれる、食事。
シャルマは今初めて、その事実を知ったのだった。
そして、リンドウもまた……。
「シャルマ様だけにお任せする訳にはいきますまい。私としても、その真贋を見極めましょう」
何を大袈裟な、と見守るヴェルドラとラミリスの前で、リンドウもパウンドケーキを千切り、口にする。
そして――
(――馬鹿なっ!? これが、これが本物の味なのか――――ッ!!)
驚愕した。
自分が今まで信じていた全てを、打ち壊されたような衝撃が走ったのだ。
最初、リンドウの胸を満たしていたのは、ヴェルドラ達に対する不信感だった。
帝国の密偵が、自分達の隠れ家を探しにやって来たのだと疑っていた。
だが、どうやら様子がおかしい。
疑問に思っている内に、心からの感謝の印として供した食事を馬鹿にされてしまった。
これに対する怒りで、リンドウの心は染まっていたのだ。
冷静な判断が求められる故に、その怒りを押し殺して静かに様子を窺っていたのだが……その結果が、ラミリスという小型の少女が提供してくれた食事類だったのだ。
不信、怒り、驚愕。
リンドウは心を大きく揺さぶられ、混乱する。
魔法瓶やこのお菓子類をどこから取り出したのか、さっきの現象――ラミリスの使った魔法――は何なのか。
大気中の水分を集めるには、膨大な電力を必要とするはず……ラミリスと名乗る小型の人造人間には、それ程の性能を秘めているのか?
一体、どういう原理で?
それ以前に、その超技術を用いれば、もっと大量の水を生み出せるのか?
そうなのだとすれば、自分達が抱える深刻な水不足という問題も解決出来るのでは……?
そうした疑問は尽きない。
中には、願望まで含まれている。
そうした思考、自分の心を惑わす疑問を一旦押し殺し、敬愛するシャルマに続き、パウンドケーキを口にした時――そうした疑問が全て吹き飛んだのだ。
自分達にとって貴重な水を泥水と蔑まれた屈辱――だがそれも、この紅茶とやらを前にすれば頷けてしまう。
ああ、チクショウ! これが、これこそが本物なのだ、と。
知らなかった。
知るべきではなかった……。
知ってしまえば自分は、これから先、満たされる事のない偽物の食事で、我慢し続ける事になってしまう。
――いや、既にそうなってしまったのだと、リンドウは悟った。
(ああ、ザザさんは、それを誰よりも知っていたから……)
ザザの先程の警告の意味を知り、リンドウは深く納得した。
旧型の機械化兵であるザザこそがまさに、この苦しみを百年以上耐えている先人なのだと気付いたのだ。
知ってはいた、しかしその苦しみまで思いやる事は出来ていなかった。
そして今からは、自分もその仲間入りをしなければならないのだ、と……。
「ザザさん、一つ聞きたいんだが、いいですかね?」
「ああ。なんだいリンドウ君――」
ザザはリンドウを思いやるように答える。
その質問は、聞かれるまでもなく――
「昔は……こんな素晴らしいものを、誰でも食べられたのですか?」
ザザの思っていた通りのものだった。
「――ああ。俺もさ、娘がクッキーを焼いてくれた事もあってさ。美味かったよ、本当に。見た目はコゲがあったり、形も整ってなかったりで、アレだったんだけどさ……そういうんじゃ、ないんだよ。温かみがあるっていうかさ……」
リンドウは頷き、思う。
目の前の実物が、ザザの言葉を何よりも強く説得力を持たせているのだ。
ザザに娘がいるという話は初耳だったが、その事に触れるのは野暮というものだ。
ザザが今まで口にしなかった事からも、その娘とやらもおそらくは戦争で――
そしてリンドウは、愚痴ともつかぬ独り言を口にした。
「どうして、戦争なんて……」
と。
まだ三十代のリンドウだけでなく、五十代であるシャルマにとっても、戦争による傷跡で今の生活を余儀なくされていたのだ。
その責任の所在は、自分達の親世代、或いはもっと前の世代が負うべきではないのか、と。
言っても仕方のない愚痴であると理解しつつも、どうしても思わずにはいられなかったのである。
帝国の食糧生産プラントを襲撃して、物資を奪う――そうしなければ、生き残れない世界。
汚染された水をなんとか浄化して、必要最低限確保する。
贅沢など許されず、誰もが必死に協力し合って生き延びてきたのだ。
それが出来たのは、自分達が贅沢などを知らなかったから。
知ってしまった今となっては、自分達を苦しめる原因となった"大戦"を、恨まずにはいられない……。
「スマン……。俺達が、不甲斐なかったばかりに……」
「いえ、こちらこそすみません。私もつい、興奮してしまったようです――」
ザザの謝罪の言葉を、リンドウは受け入れる。
決してザザが悪い訳ではないのだが、そうするのが自然だろうと判断したのだった。
そんな重苦しくなった空気の中で。
「ね、ねえ、師匠……」
「なんだ……ラミリスよ?」
「アタシ、やっちゃった?」
「う、うむ。だから我が止めたであろうが?」
「止めなかったじゃん! 嬉々としてケーキ食べてたじゃんよ!!」
「そ、そんな事はない。まあその話は置いておいて……」
「そこが重要なんじゃん? まあ、いいけど……」
間違いなく仕出かしてしまったと焦る二人。
シャルマ達に聞こえぬように、コソコソと対策を相談し始める。
「――あんなに泣く程喜んでくれるんなら、もっと出した方がいいのかな?」
とラミリスが言い出したが、それを止めたのはベレッタだ。
「ラミリス様、それは止めた方が宜しいでしょう。リムル様に怒られますよ?」
「どうしてさ?」
「無責任だからです。そもそも"異世界との交流は慎重にすべし"というのがリムル様の考えでしたし、ここまで関わりを持ってしまった時点で問題があります。ここでこれ以上の関わりを持つと、それこそ、今関わった者達に責任を持たねばならなくなるでしょう。この世界の正義もわからぬまま、片方の勢力に肩入れするなど、論外であると私は考えます」
これから先もずっと面倒を見るつもりもないのに、期待だけさせるような真似はよせ――と、ベレッタは忠告したのだった。
仮にラミリスなら、千人分の食事を用意するのも容易であろう。
しかし、それは恒久的に続くものではない。
無償で、最後まで面倒を見るつもりもないのに、無責任な真似をするのは悪魔の所業である。
元悪魔であるベレッタだからこそ、喜びの絶頂から絶望へ叩き落とされる人間の苦しみを、誰よりも理解出来るのだった。
「……そうだね。わかった。これ以上は自重する」
「それがいいかもな。少なくとも、この者共に肩入れするのも、もっとこの世界の事情を知ってからの方が良さそうだな」
ベレッタの忠告に、ヴェルドラとラミリスは顔を見合わせて頷いた。
既に手遅れかもしれないが、これ以上怒られる要因を増やすのは不味いと、二人もようやく理解したのである。
それから二人は、ベレッタの意見も参考にしつつ、『思念伝達』で今後の方針を相談したのだった。




