番外編 -リムルの優雅な脱走劇- 20
ゴルダマの秘書、メルヒスは驚愕した。
目の前で繰り広げられた蹂躙劇に、未だ思考が追いつかないでいる。
それ程までにメルヒスにとって、ディアブロが非常識だったのである。
学園長であるゴルダマに命じられるまま、監視室にてディアブロのモニターを行っていたのだが……。
その存在値を測定した結果、数値は間違いなく7,000だったのだ。
(思った程ではないな。これならば、問題なく始末出来そうだ)
そう考え、ゴルダマにそう報告した。
その結果が、画面向こうの惨状なのだ。
状況を精査していたメルヒスには、ゴルダマ以上に何が起きたのかを把握出来ている。
そしてそれは、メルヒスの常識に照らし合わせれば在り得ない事態だったのだ。
メルヒス達自慢の魔動処刑機神は、存在値が15,000に換算される超級の戦力である。
それが十三体。
圧倒的な大戦力であり、ディアブロに対しても過剰だと思える戦力だった。
メルヒスとしても、落とし穴にディアブロが嵌った時点で勝利を確信していたのだ。
だがそれなのに、たった7,000のディアブロに、魔動処刑機神十三体が、悉く破壊されてしまったのだ。
そしてメルヒスは、もっと驚愕すべき情報を前に恐慌に陥っていた。
監視室でずっと状況を見て、戦闘データを測定した結果、ディアブロの存在値が常に一定であるとの結論が出ていたのだ。
数値が一定――それは異常の一言では片付けられない、非常識な出来事なのである。
例えば、魔動処刑機神のパンチ一つとっても、そのエネルギーは15,000以下になるのは当然の話だ。
通常では凡そ0.2%程度にしかならないというのが、今までの戦闘情報の蓄積から導き出された答えである。
それも当然の話で、存在値は全ての能力の総計であるからだ。
移動力、反応速度、攻撃力、防御力、知力、精神力、幸運度(不確定要素)と言った様々な要素に割り振られたエネルギーの総計が、存在値として示されているのである。
実際の攻撃に使用されるエネルギーが低くなるのは、研究以前の話として常識だったのだ。
だがしかし。
ディアブロの数値は常に7,000を記録した。
(有り得ん……そんな事があり得るかーーー!! そんな訳がない。そんな馬鹿げた話など、絶対に認められんぞ!!)
研究者としての常識、それが崩壊しそうな恐怖。
だが、目の前に示されたデータが、無常にも観測結果の正しさを証明している。
常にMAXまで存在エネルギーを自在に操れる者を前にしては、仮に十倍の存在値があったとしても、戦闘になどなりはしない。
その事実をつき付けられたメルヒスが、恐慌に陥るのも当然だろう。
冷静な研究者としての思考が混乱の極みにあったメルヒスだったが、戦闘者としての心は冷静で、速やかなる逃亡を訴えかけていた。
メルヒスはその意見を取り入れ、即座に撤退を決意した。
この時点で、メルヒスはゴルダマを見捨てている。
いや寧ろ、ゴルダマという生贄がディアブロの気を引いている間に、自分が逃亡出来るだろうと算段していた程だ。
メルヒスは即座に行動に移り、学長ゴルダマの末路を見届ける事なく、学園から逃亡を開始したのである。
だから気付かなかった。
自分が監視しているつもりで、その実、画面の向こう側で金の瞳に真紅の瞳孔を見開いた悪魔が邪悪な笑みを浮かべていた事に。
ディアブロを敵に回した時点で、メルヒスの運命は定まったのだ。
◇◇◇
メルヒスは追跡を怖れて、慎重に慎重を重ねて逃亡した。
ゴルダマはメルヒスにとって、尊敬すべき上司ではなく、利用すべき駒でしかなかった。
だから、見捨てた事に後悔はない。
それよりも今は、自分の身を守って安全圏まで逃げる事が、何よりも重要なのである。
今得た情報を同志達にも教えなければならないし、マグナス達の居場所が判明した今、彼等にも連絡を取らねば不味い事になる。
そうした諸々の思いもあり、焦る気持ちばかりが募るメルヒス。
それでも焦る気持ちを抑えつつ慎重に行動出来たのは、メルヒスが一流の戦士でもあったからなのだ。
なんとか無事に革新派の秘密の隠れ家に到着したのは、夜も遅くになってからの事だった。
たった半日で別人のようにやつれたメルヒス。
出迎えた者は何事かあったのだと察知し、血相を変えてメルヒスに駆け寄る。
「メルヒス殿、何があったのですか?」
「一体どうされたのです?」
口々に問いかける同志を片手で制して、メルヒスは口を開いた。
「ゴルダマ学長がディアブロに捕まった。下手をすれば殺されているかも知れない。私は規定に下づき、同志ゴルダマの救助ではなく、情報共有を優先すべく逃亡してきたのだ」
そこまで言って一息吐く。
「なんだと!?」
「では、ゴルダマ殿は既に……」
「一体何があったのだ? 状況はどうなっていたのだ?」
口々に騒ぐ同志達。
それに対しメルヒスが再度口を開こうとした時――
「静まれ!」
と一喝し、場を仕切る者が現れた。
白いローブを身にまとう、"人類解放同盟"の誇る最強戦力――栄光の守護騎士団の一団である。
融和派や穏健派に所属する者もいるが、革新派に所属する栄光の守護騎士団が最大派閥であった。何故ならば、悪魔を使役する悪魔合身法を編み出したのが、ゴルダマやメルヒスの研究成果だったからである。
そしてまた、メルヒスも守護騎士の一人であり、自身に悪魔を宿す者であったのだ。
言うなれば、メルヒスこそが栄光の守護騎士団を鍛え上げ悪魔の力を授けた人物である、という事なのだ。
「メルヒス様、貴方が付いていて何故そのような状況に?」
騎士の一人がメルヒスに問う。
栄光の守護騎士団が出た事で同志達も落ちついたのか、ともかく話を聞く事にしたようだ。
メルヒスは頷き、今日の出来事を語って聞かせる事にした。
「よし、話そう。その前に、二人程入り口を見張るのだ。万が一、という事があるからな」
メルヒスの命令に従い、騎士二人が入り口の扉付近に立つ。
これで一安心だとメルヒスも安堵し、今日の出来事を話し始めた。
「実は――」
朝方に行方不明だったマグナス達からの連絡があった事。
大魔王リムルからの通達により、マグナス達は特別訓練実施中の筈だった。それなのに、他校の教師や生徒に手出しをするという暴挙を行ったと、魔法通信で知らせて来たのだ。
つまり、大魔王監視下での特別訓練だと、マグナス達は知らなかった事になる。
既に行動を起こしてしまった以上、最早後戻りなど出来ない。
学生という身分どころか、計画そのものを放棄して、速やかに逃亡に移るように連絡しようとしていたのだ。
その矢先に、ディアブロの訪問。
どの道、学生達に同志が居たとなれば、学園での管理体制が問われる事になる。
学長も、その秘書であるメルヒスも、良くて更迭処分となると思われた。
であるならば、敵対行為が露見する前に、油断している隙を狙ってディアブロを始末しようと考えた。
「あのディアブロを――」
「なんと無謀な……」
驚愕の声が漏れ聞こえた。
それ程までにディアブロの逸話は広く伝わっており、大魔王リムル以上の恐怖の象徴とされているのが現状なのだ。
「そうだな、今となっては否定できん。だがな、存在値を測定した結果、数値は7,000しかなかったのだ。地下に隠していた魔動処刑機神を以ってすれば、楽に倒せると考えたのだよ……」
「十三体もの魔動処刑機神なら、7,000程度の者に負ける筈が――」
「罠にかけるのをしくじったのでしょうか?」
「いや、きっちりと罠に嵌ってくれたさ。あの"絶魔空間"に閉じ込め、優位な状況に持ち込めた。それなのに、勝てなかったのだ」
「馬鹿な――」
「蹂躙されたのだよ。ディアブロは、無傷だった」
「――――――ッ!?」
絶句する一同。
余りにも異常な報告に、理解したくないという気持ちが勝るのだ。
そんな一同の重い空気を払拭すべく、メルヒスは話を再開しようとした。
「確かにディアブロの強さは想像以上だった。融和派は論外だが、穏健派が明確に表立って敵対するのに反対した理由も、今ならば当然だと受け入れられる。私は顔を見られてしまっているが、未だ接触のない君らならば、今からでも遅くないだろう。穏健派に合流して――」
「それは許可出来んな。お前達は、ここで拘束させてもらう」
メルヒスの言葉は、冷たく響く声に遮られた。
「だ、誰だ!?」
メルヒスの詰問に答えるのは、入り口の扉の前に立つ一人の男。
浅黒い肌に蒼髪の――ソウエイである。
「フッ、お前達がそれを知る必要はないが、せめてもの礼儀として名乗ってやろう。俺の名はソウエイ。リムル様の忠実なるシモベの一人だ」
メルヒスに応じるように、ソウエイが名乗りを上げる。
「ク、見張りは何を――?」
メルヒスが慌てて周囲を見渡すと、声を封じられた上で床に気絶させられていた。
部屋の中の誰一人として気付かぬままに、音もなく。
くそ! と、メルヒスは内心で毒づく。
あれだけ念入りに追跡に気をかけていたというのに、まんまと隠れ家までつけられたのは失態だった。
だが、追跡者がディアブロではないというのは、メルヒスにとっては不幸中の幸いである。
「慌てるな! 栄光の守護騎士団は悪魔合身を行え! 今ソイツを始末しなければ、我等に未来はないぞ!!」
その声に鼓舞され、守護騎士達が行動を開始する。
自身に宿した悪魔を呼び出し、その力を我が物として。
そうした仲間達に囲まれ、メルヒスは自分に言い聞かせるように思考を続ける。
まだ手遅れではない、と。
敵は一人。
それに、ここには五名もの守護騎士がいる。
ディアブロのように大魔王の十二守護王というならばともかく、ソウエイなど聞いた事もないような魔人の一人でしかないのだ。
勝てる! たった一人の魔人など、自分達の敵ではない。
メルヒスはそう考えた。
いや、そう思い込もうとした。
まさか目の前に立つ魔人ソウエイが、守護王に並び立つ者であるなどと、メルヒスの想像の及ぶところではなかったのだ。
メルヒスの本能が最大限の警鐘を鳴らしていたにも関わらず、メルヒスは最悪の選択をしてしまったのである。
即ち――敵対行動を。
◇◇◇
ソウエイの前に立つ五名の守護騎士。
しかし、彼等がソウエイに向けて行動を起こす事はなかった。
否、出来なかったのだ。
「く、なんだ身体が動かん!?」
「どうしたというのだ、クソ!」
「一体何がどうなって――!?」
異変に気付き騒ぐ騎士達。
それに対する答えはなく、メルヒスも状況に追いつけず戸惑うばかり。
この場にて、全てを把握しているのはソウエイだった。
そしてソウエイは何もしていない。
する必要がないのだ。
何故ならば――
「ソウエイ様、この者達の始末、如何致しましょう?」
いつの間に来たのか、ソウエイの前に一人の女性が立つ。
龍人族の美女、ソーカだった。
「一人も逃すな」
「御意!」
トーカとサイカ、ホクソウにナンソウもいる。
既にこの隠れ家は、ソウエイ配下の情報部によって、完全に包囲されていたのだ。
「ちくしょう!」
叫ぶ守護騎士達。
だが、その叫びは空しく消える。
ソーカ達にとって、高々Aランクの壁を超えた程度の騎士達など、物の数ではないのだから。
そして。
「では、我々はこのまま退散させて貰うとしよう――」
悪魔合身していた騎士達から、憑依していた上位悪魔が逃亡を図る。
「待て! 契約を無視する気か!?」
騎士達が驚愕して叫ぶが、悪魔達は鼻で笑った。
「馬鹿め! 好きに暴れられぬなら、貴様達との契約なぞ無効よ!」
そう言い捨てて、さっさと逃亡に移ったのである。
精霊と違い、悪魔は身勝手な性質である。なので、状況が不利となったら、さっさと契約主を見限るものなのだ。
だが、今回ばかりは悪魔達も災難を逃れる事は出来なかった。
「逃がすと思うか? ソウエイ様は、一人も逃がすな、と仰せだ」
ソーカの冷たい声が響く。
「グ、馬鹿な!?」
上位悪魔達が気付いた時には既に手遅れであった。
包囲魔法陣により、建物ごと全てが隔離されていた。
「その悪魔共は必要ない。殺して、数百年程反省させておけ」
「ははっ!」
そして、ソウエイの命令により悪魔達は始末される。
悪魔達が何か言うよりも早く、ソーカ達によって塵に変えられたのだ。
それは一瞬の出来事であった。
声を無くす"人類解放同盟"の構成員達。
力なくへたり込む者や、嗚咽を洩らし始める者もいる。
上位悪魔が有無を言わさずに始末されるのを見て、自分達の運命を悟ったのだ。
そして、メルヒスも。
(……終わった。大魔王リムル、その配下とはここまでに……。マグナス様、申し訳御座いません――)
自分の理解の遠く及ばぬ次元の強さ。
ゴルダマ同様、決して手出ししてはならぬ存在に手を出してしまったのだと、メルヒスも今になってようやく悟ったのである。
そしてそれに気付いたのは余りにも手遅れで、自分が助かる道はないという意味であった。
その事実は、メルヒスの心を折るに十分だった。
こうして、革新派の一派は、その大半がソウエイの手に落ちたのである。
◆◆◆
「クフフフフ。終わりましたか、ソウエイ?」
「ああ。お前が巣から追い出してくれたお陰で、難なく群れに合流してくれた」
「それは何よりです。こちらも無事に、首謀者の一人を捕獲しました。言っておきますが、ちゃんと殺さずに丁重に扱っていますので、ご心配なく」
「フン、どうだか」
ソウエイはディアブロの言い分を軽く受け流す。
本当は、二、三人程度なら殺しても問題ないと考えていた。
敵対者には容赦する必要なし! という暗黙のルールもあるので、リムルの不興を買う恐れなどないと知っていたからだ。
それをディアブロに伝えなかったのは、単に面倒だと考えたからである。
ディアブロが暴走してしまったら止められない以上、なるべくなら問題ごとを起こさせない方が無難であった。
何より、制止の役目が自分に回ってくるのは間違いないので、そんな厄介事は御免だと思っただけの話なのだ。
「今も魔樹蟲に喰われて、嬉しそうに叫んでいるでしょう?」
そんな事を言いながら、ディアブロが担いでいた丸太のようなものを投げ下ろした。
それは、変わり果てたゴルダマだった。
全身を蟲に喰われ、息も絶え絶えになっている。
だが、ゴルダマの不幸はそんな見た目だけのものではなく、喰われた箇所が徐々に樹皮へと変質している事にあった。
「た、助けて下され。痛い、全身が痛いのです――」
悲惨な姿となり、慈悲を乞うゴルダマ。
だが、ディアブロがその声に答える事はない。
「――おい。確かに生きてはいるが、発狂しては意味がないぞ?」
ソウエイの問いに、我が意を得たりとばかりに頷くディアブロ。
「クフフフフ。ご安心を。この魔樹蟲は、脳だけは喰いません。そして、肉を喰う際に二種類の液体を分泌します。一つ目は、宿主を樹木へと変質させる効果を。そして二つ目は、快楽物質。これにより、痛みや苦痛を感じつつも決して脳が壊れる事はないのですよ。それに、この者は丁度良いモノを持っておりました」
そう言ってディアブロが指し示したのは、ゴルダマと半ば同化しつつある一本の杖である。
それは"護心の杖"――ゴルダマが長年愛用していた、特質級の魔術師の杖だった。
ゴルダマは自慢の装備のお陰で、心が守られて狂う事すらも許されぬのだ。
「なるほど。まあリムル様を冒涜したのだし、自業自得だな」
ソウエイの言葉に、ディアブロも満足そうに頷く。
そしてディアブロにしては珍しく、ソウエイの肩を親しげに叩きながら言う。
「流石はソウエイです。私の趣味を理解してくれたようで、嬉しいですよ」
「――いや。別にお前の趣味を認めた訳ではないのだが……」
嬉しそうなディアブロと対照的に、ソウエイは苦々しげな表情になった。
だが、ディアブロはお構いなしである。同志を得たとばかりに、楽しげに笑うのだった。
そして二人は後の事をソーカ達に託し、最後の目的地へと向かう。
マルドランド島。
――彼等の敬愛する、リムルがいる場所へと。




