番外編 -リムルの優雅な脱走劇- 12
リムルが脱走して、三日目。
ディアブロ達は未だ、イングラシア王国に滞在していた。
二日目で関係各所の情報収集に励み、ある程度の内情を全て把握している。
たった一日で、ほぼ全ての国の重鎮から話を聞いていた。それは通常では考えられない程の、異例の早さであった。
ソウエイの放っていた密偵の働きも大きいが、何よりも、ディアブロが休みなく精力的に動いた事で、雑務的な手続きが全て省けた事が大きな理由である。
大魔王リムル配下の "魔神王"の名を出されて、面会を拒絶出来る者など居なかった、というのが真相だった。
どれだけ高圧的に拒否しようとする門番や衛兵であっても、ディアブロの心胆から凍てつくような笑みを前にしては、敢えなく陥落する他ない。
寧ろ、陥落して正解である。
ここで変に頑張ってみても、彼等にとって良い事など何一つなかっただろうから。
そうして、邪魔される事もなくスムーズに、必要な情報を全て確認し終わったのだった。
そして今日――
ディアブロとソウエイは、最大の関門とも呼べるイングラシア王国の暗部、幽閉されているエルリック元王子との面談に臨もうとしていたのだ。
ここイングラシア王国は、先の大戦のおりの混乱にて、王国を名乗りつつも王政ではなくなった国である。
王家は一時的にその地位を失い、その持てる権益は自由調停委員会の預かりとなっていた。
大戦終了後も、委員会の監督員の立会いの下に貴族制議会を立ち上げられており、王家の者は国家運営に携われていない。
というよりも、政治に参画する事が許されてはいないのだ。
王家だけではなく有力な貴族達もまた華族として遇され、身分制度の廃止と民主主義の台頭のモデルケースとして、各国の注目を集めているのが現状だったのである。
もっとも、委員会の介入がなければ、大戦の最中の混乱により王家は滅びていただろう。
先王は王子であるエルリックと護衛騎士団団長ライナーによって弑され、王位の簒奪が為されようとしていたのだから。
その混乱を鎮めた勇者マサユキにより、民衆の怒りと混乱は治められた。
そのお陰で、王家の者や貴族達に民衆の矛先が向く事がなかったのである。
最終的にエルリック王子は廃嫡となり、継承権を全て放棄した上で幽閉される事になった。
エルリック王子に加担した貴族達も内々に処分され、有力な貴族が一掃される事態となったのだ。
そうした事情もあり、イングラシア王国としては自由調停委員会の介入を受け入れ続ける他なかったのである。
十年の歳月が経った事で、貴族の中にも現状に満足する者が出始めたのも事実だ。
だが、他国の干渉なしに物事を決められない現状は、国民にとってとうてい納得出来るものではない。
故に、王家の地位の復活と自主独立の達成が、イングラシア王国に住まう者にとっての悲願となっていたのであった。
そんな状況であったから、この状況を生み出した元凶とも呼べるエルリックへの面会は、ディアブロを以ってしても容易ではなかったのだ。
本来ならば幽閉場所の特定すら困難であり、まして会う事など出来よう筈もない。
それをディアブロはたった一日で――しかも、暴力に頼った訳ではなく正規の手続きに則って、面会の約束を取り付けたのだった。
ソウエイも舌を巻く程の交渉術の成果である。
「お初にお目にかかります。私がエルリックです」
「御機嫌ようエルリック殿。ディアブロと申します」
「――ソウエイと言う。以後、よしなに」
簡単に挨拶を交わす。
部屋にはこの三名しかいないのだ。
防音防聴が完璧に守られた部屋の中は、ディアブロの『魔力障壁』までも張り巡らされて、もはや別次元と呼べる程に周囲から隔絶した空間となっていた。
それだけ慎重に情報が守秘された上で、ディアブロはようやく本題に入った。
「さて、と。今日お会いしたのは、貴方の弟君についてお聞きしたかったからです」
直球の質問を受けて、エルリックは逆に安堵したようだ。
回りくどく色々言われて精神を削られるより、ハッキリとした目的を突きつけられる方が、気が楽になるというものなのだろう。
十年もの時を幽閉された事で、相手が何を望んでいるのかを推し量る術も錆付いてしまっているのだ、と推測出来た。
そもそも、見知らぬ他人との会話すらも久しぶりなのだろうから。
エルリックはマサユキに救われたと考えているようで、それ以降は変な野心を持つ事なく過ごしていたようだ。
幽閉されているとはいえ日常生活に不便はなく、使用人に頼めば必要な品は全て整えられる生活である。
外を自由に出歩く事が出来ないだけで、王家の別荘地の一つである屋敷の庭までは護衛付きでの行動が認められているとの事。
そんな生活をしているせいか、貴族の嗜みとしての高度な交渉術さえも苦手になっているようであった。
その点からも、エルリックがここ十年、他者と交わらずに生活していたのは間違いなさそうだ。
「ユリウスは優秀です。貴族達の期待を一身に受けて、それに応えようと頑張ってもいます。立派に次代の王を務めてくれると、兄として私は考えています」
迷いなくそう答えるエルリック。
ふむ、とディアブロは相槌を打った。
じっくりとエルリックを観察して、その言葉に嘘がないと判断した。
そしてそれは正しい。ディアブロの観察眼に間違いはないのだ。
それから世間話でもするような気軽さで、ディアブロは幾つかの質問を重ねた。
「現在の王家の資産は?」
「凍結されておりますよ。代々から譲り受けた王家の遺産はあるのですが、それらは委員会の管理下にありますし、私の自由には出来ません。それに、そのお金は使えないのです――」
「何故?」
「ここイングラシア王国は、安全のみが唯一にして最大の特産品でした。ですが、それは過去の話。今後の発展を望むならば、人材育成に投資しなければならない――そう、ある方より諭されたのですよ」
「ほう。ある方、とは?」
「大魔王リムル様、です」
「なるほど」
「――ふむ、確かに。リムル様は一度、イングラシア王国の様子を視察しておいでだ」
「ああ、私が雑務に追われていた時期がありましたね」
普段はリムルにべったりのディアブロだったが、大戦終了時に幹部の皆から詰め寄られた事があったのだ。
皆を欺いたリムルへの怒りは、リムル本人ではなくディアブロへと向かったのである。
流石のディアブロも、幹部一同から文句を言われては逆らえず、泣く泣く事後処理に奔走したのであった。
「ええ。その時期ですね。私も責任を追及されていたのですが、勇者マサユキ様と一緒にお出でになり、窮地を救って頂いたのですよ。そしてその時に、お会いする機会に恵まれたのです。あの方を直接目にしてしまえば――」
当時を思い出したのか小さく笑い、「敵対しようなどと、二度と思えませんよ」と、ディアブロの目を見て言ったのだった。
そして、その時の会話の内容を思い出しながら語るエルリック。
エルリックの話した内容はというと――
嘗て、ジュラの大森林よりもっとも離れた場所にあり、魔物の被害が少ない平野部に建国されていたイングラシア王国。その立地条件の良さから、各国首脳が集い会議をする場所として、政治と文化の中心地になって栄える事が出来ていた。
しかし今。
大魔王リムルが打ち立てた人との共存共栄を目指すという方針により、ジュラの大森林の危険度は格段に低下している。
それだけではなく、鉄道網の整備などにより各国との交通手段を強化させた魔物の国は、今や世界の中心とも呼べる発展ぶりを見せ付けていた。
自由調停委員会の本部も魔物の国へと移っている。
今や安全だけでは国家の特色として意味がなくなり、政治も文化も経済もそうした物事の中心は全て、イングラシア王国から離れる事になる。
だからこそ、この国にしかない特色が必要となるだろう。
「それが、十年前に聞かされた言葉であり、数年後にはそれが現実のものとなっておりました。意識を改革出来た者はなんとか対応しているようですが、未だに自分達が世界の中心だと驕っていた者もおり、旧貴族を二分する勢力があるというのが現状です」
一度栄華の中心に座った者は、中々にその椅子が手放せないものなのだ、と。
委員会の管理下に置かれていなければ、内乱が起きていた可能性もあったのだという。
「ユリウスは、華族となった貴族達保守勢力の神輿なのです。彼等の不満を受け止め、それを上手く発散させる為の。また、民主主義を強行に推し進めようとする革新派を抑え込み、緩やかな変化となるように調整もしているのです。兄である私から見ても、それはもう惚れ惚れする程に見事な手腕ですよ。傲慢な振舞いすらも、計算の内なのだと思います。王は決して頭を下げる事は許されませんし、王家を復興するつもりの者達が納得しないでしょうから」
と、エルリックは話を締めくくった。
なるほど、とディアブロは納得しつつ思う。
であればユリウスという王子は、全てを解った上で貴族的な振る舞いをしているという事になる。
だからこそ、学生となったからといって止める事など出来なかったのだろう。
「では、その生活を維持するには、今の王家が自由に出来るお金のみでは足りないのでは? どこからか資金援助でも受けているのでしょうか?」
というディアブロの質問には。
「いいえ――アイツはプライドが高いから、それはないと思います」
エルリックはキッパリと断言した。
それを聞いて、ディアブロは満足そうに頷いた。
「参考になりました。情報提供に感謝しますよ」
「それでは、我々はこれで――」
ディアブロとソウエイはお礼と挨拶の言葉を述べ、席を立つ。
「――あの……。弟は、弟は何か仕出かしたのでしょうか?」
そんなディアブロ達に、エルリックが悲壮な様子で声をかけてきた。
そんなエルリックを安心させるように笑顔を浮かべ、ディアブロが答える。
「いいえ、何も。心配する事など、何もありません。それに――仮にですが、学生が何かをしたとしても、その責を負うべきは、親であり教師であり国家である、リムル様ならば、そう御答えになるでしょう」
「ですが――」
「そこに貴族や平民といった身分など、なんの意味もない。いいえ、あってはならないのです。貴方の弟がしている行為は間違っていますが、それを許しているのは教師達であり、責を負うべきは学校という組織でなければならない。そして、学校がリムル様の肝入りで用意された以上、全ての学生はリムル様の庇護下にある、そう考えなければなりません。貴方の弟の行為は罰せられる事になりますが、ユリウスという生徒がなんらかの罪を負う事はない、そう断言致しましょう」
「そう、ですか……良かった。アイツは私と違い、リムル様をよく思っていませんので……。勇者マサユキ様には憧れているようですが……」
だから、大恩あるリムル様に対して失礼な事を仕出かさないか心配しているのだ、とエルリックは続ける。それからディアブロ達を見送り、最後にもう一度、「弟を頼みます」と頭を下げたのだった。
◇◇◇
エルリックの幽閉されている館を出て、飛空場へと向かうディアブロとソウエイ。
この国での情報収集は今の面談で終了したので、長々と滞在するつもりなどないのである。
目立ちたくないので、魔法陣による転移ではなく再び空の旅での移動を選択した。
前述した通り、『空間転移』は以ての外なのだ。
空港への道すがら、二人は時間を無駄にせずに意見交換を行う。
「やはり、何者かの接触はあったと見て間違いないですね。ですが恐らく、ユリウスはその者達の協力者ではない」
「そのようだな。ユリウスを神輿とする貴族共に弱みを見せぬように、何者からも援助を受けてはいないのだろう」
「思った以上に根性がありそうです。面白い。実に、面白い」
「――そうだな」
ディアブロの出した結論に、ソウエイも同意した。
実は昨日の調査により、各貴族達の資産状況も全て把握出来ている。
それは裏帳簿も含めて全てであり、不自然な金の流れまでも全て把握出来ていた。
エルリックの言葉が真実なのは明白なのだ。
ユリウスに援助した痕跡を、二人の目から隠し通せるような巧妙な者など存在しない。
であれば、答えは一つ。
ユリウスは何者からも援助を受けず、孤軍奮闘しているという事。
そしてエルリックが言う通り、いや、それ以上にユリウスは聡明だったのだ。
学業の傍ら、周囲に集う貴族達にも悟られぬように巧妙に、学生による企業を立ち上げていたのである。
異世界人達を高給で採用し、新たな文化活動を生み出す母体となるように、様々な研究を行わせていたのだ。
ギャンブル以外の何物でもない行いだが、ユリウスは賭けに勝ったらしい。隠し資産を蓄えた上に、貴族や自分を取り込もうとする敵対勢力に対抗出来る程度には、お金を稼いでいたのである。
それというのも、たまに訪れる勇者マサユキ一行の協力を得ての事である。
幸運が味方しているのは間違いない。
何故ならば、採用している異世界人達は、マサユキが保護して連れて来ている者達だったのだ。
こうした裏事情を調べ尽した上で、ディアブロ達はエルリックと面談したのだ。
ユリウスの人となりを聞き、周囲に見せる表情と本音には乖離があると確信に至る。
そしてユリウスの性格ならば、イングラシア王国を纏め上げる神輿となっても、決して傀儡の王になるような無能ではないだろう、と。
他者に厳しいが、それ以上に自分に厳しい性格の人物だと理解したのである。
「ユリウスとは、真面目で有能な人物の様子。そういう性格のユリウスがこの国の王となった暁には、やりにくいと感じる者も多そうですね」
「評議会の連中の事か? あいつらがまだ何か画策出来るとも思えないが……」
今は委員会の預かりである以上、多国籍の議員連合である評議会には手が出せない。それに前回の大粛清で、そうした工作が得意な者は根こそぎ始末されている。
「どうでしょうか……。或いは、評議会以外にもそういう者がいるのかも知れないですよ?」
「ふむ。可能性は否定出来ないな」
「そうでしょうとも」
ディアブロの言葉を重く受け止めるソウエイ。
つまりは、ここイングラシア王国もまた、何者かに狙われている可能性を考えるべきなのだ。
(なるほど、なるほど。つまりこれが、リムル様の予想されていた経済戦争の一種、なのでしょうね――)
武力による戦争では、自分達に遠く及ばない。
だが、経済交流の中でならば、武力で勝る相手の上に立つ事も可能である。
そう考えた者達が、経済による戦争を仕掛けてきたのだと考えるならば、こうした一連の動きは一本の線で繋がるというものだ。
何故ならそれは、共存共栄や対話による交渉を行う上で避けては通れぬ道である、と予想された事態だからである。
ただし、魔物の国相手にその手段は通用しないのだが――
民主主義を標榜する以上、数は正義となる。
国内だけならばまだしも、評議会のように多国籍間での意思決定を行う場合――それは国民の総人口に比例せず、国力に比例せず、平等という名の美辞麗句によって飾り立てられて、多数決による意思決定が為されるのならば……。
三つの学園による決定が良い例だった。
多数決とは、決して平等な制度ではないのだ。
国家として、他国の意思に左右されるのは許されない。
故に、テンペストでは二院制を布き、帝政民主主義とでも呼べる独自の政治形態を執っているのだ。
そこに付け入る隙はない。
ならばどうするか?
狙うなら、経済活動であろう。
経済による繋がりを盾として、要求を飲ませるという手段しか残されていないのだ。
酷く長期的な計画だった。
敵は予想以上に気が長いようである。
そして、思った以上に根深く、テンペストだけではなく他の国にも手を伸ばしている形跡が散見された。
油断ならぬ相手であると言えよう。
(久々に楽しめそうな相手です――)
ディアブロには、経済など理解出来ないし、するつもりもない。
興味がないからだ。
欲しいモノは力で奪えば良いと考える者にとっては、お金など意味を持たない。
金、銀、財宝、そうした品々は、人間を欲望まみれにする為のエサでしかないとディアブロは考える。
ディアブロが本当の意味で欲するモノ、それは物品で賄えるようなものではないからだ。
交渉にしても、様々な条件を一つのテーブルに載せて、お互いの妥協点を話し合う。その行為そのものが無駄だと思えるのだ。
テーブルを引っくり返せるだけの力を持つ者を相手にするのなら、それに匹敵するだけの力を持たなければ交渉など成り立つ道理がない。
相手の理性や良心に期待する、そういう考え方がディアブロには理解出来ないのだった。
一度結んだ約束は守らねばならぬと考えるディアブロであったが、そもそもの話、対等ではない者と約束を結ぶ事など在り得ないのだから。
そんなディアブロだったからこそ、人類が大魔王リムルに対して経済戦争を仕掛けるというのが、無駄な行為に思えてならないのである。
(――が、愚かな。リムル様を差し置き、経済で世界を支配するなど……そのような事を、この私が許す筈などないのに)
それが理解出来ぬ人間の、なんと愚かな事だろう、とディアブロは思った。
「おい。黒幕を皆殺しにしようなどと、考えてはいないだろうな?」
「心外ですね……。一昨日はリムル様と離れて気が立っていましたが、今は冷静です。そんな事を考える筈がありません」
ソウエイが、ディアブロの心を読んだようなタイミングで突っ込みを入れてきた。
それに驚きつつも、軽く否定するディアブロ。
「ならばいい。リムル様は、他者を暴力で従えるのを禁じておられるからな」
ソウエイの言う通り、ディアブロの敬愛する主であるリムルは、人間を大切に思っているようだ。
全く力を行使しないという訳ではないのだが、必要以上には他国に対して自分の力を行使しようとはしていないのである。
常に傍で見ていたディアブロがそれを知らぬ筈はなく、当然ながら理解している話だった。
それ故に、ディアブロも力に頼らず頭脳で相手をしようと、戯れに考える。
人間にとっては戦争でも、ディアブロにとっては遊びでしかないのだ。
弱くて、愚かで、強欲で、それなのに、強く気高い魂を持つ者や、悪魔をも凌ぐ知恵を持つ者もいる――人間。
経済活動になど興味はないが、人間には興味があった。
クフフフフ、とディアブロは嗤う。
楽しいゲーム――経済戦争の始まりを予感して。
こうして三日目は終了した。
そして――激動の四日目が始まる。




