番外編 -リムルの優雅な脱走劇- 10
二日目は散々だった。
やはり集団行動というのは無理がある、そう実感した一日となったのだ。
釣りに向かった者達も、予想通りに釣果は乏しかったようだ。
当然だが俺達も、目ぼしい成果を得る事は出来なかった。
教師の目の届く範囲から大きく離れる訳にはいかないので、香草や木の実なんかを探す範囲も限られていた。
その辺りは初日に他の生徒達が探した場所なのだし、そう簡単に目的のものを探し出すなど出来る筈がなかったのである。
希望を言えば、西方向に向かいたかった。
そちらには砂漠地帯があるので、植物の種類も大きく変化している筈だ。
なので香草に適した植物もありそうだったのだが……。
ともかく、俺達が得たのは僅かばかりの木の実と食用の草、それと岩塩の塊であった。
海辺まで出向けば海水から塩を確保出来るのだが、それが出来るなら苦労しない。俺だけなら余裕で行けるけど、探索班の者達でさえ一日で島の端部までの距離の四分の一しか進めていないのだし、海水から塩を取るという案は現実的ではなかったのだ。
岩が結晶化した塩だと気付かなければ、塩抜きの食事で我慢する事になっていただろう……。
……なんて、嘘です。
岩塩だけは、コソッと用意したのだ。
塩抜きで何が出来るんだよって話であり、こればかりはなんとしても用意する必要があった。
実際、西には塩湖があったのだが、昨日と同じ場所に来た以上、そちらには出向けない。
苦肉の策として、皆が見ていない間にサクッと魔法で地中の塩分を結晶化させた。その上で、不自然にならぬように岩にくっつけておいたのだ。
それを何気ない風を装いながら、モンドに発見させたのである。
「こ、これ! これは塩の塊だよ!!」
と大喜びで報告してくるモンドは、俺の大根演技と比べる事も出来ない程に輝いていて、塩を発見出来た喜びに溢れていた。
点数が加算されなかったが、誰もいぶかしむ者はいなかった。
岩を拾った程度の評価で今回は加点されなかったのだろうと、皆が勝手に納得したのである。
こうして、なんとか塩は用意する事が出来たのだ。
基地に戻って、夕食の支度を始める。
昼食は各自、戦闘糧食か現地調達で補う事になっていた。なので俺達は木の実と野苺を摘んだのだが……全然足りなかった。
ジョージやモンド達は量的な意味だが、俺は質的な意味である。パサパサで甘くもなく、ハッキリ言えば不味かったのだ。
そんな訳で夕食に期待していたのだが、本日の成果はない。
寂しく塩を舐め、クソ不味い草のスープを啜る。
マグナスや幾人かの生徒などは、戦闘糧食で我慢したようである。
気持ちは良くわかる。
涙が出る程に悲しい夕食だったのだ。
そんな中、ユリウス達の食べている豪華な食事の香りが漂い、俺の怒りに火を点けた。
ハッキリ言って、これは挑戦である。
ここ数年、こんなにムカッ腹が立った記憶はない。
その美味そうな香りが、俺達をより一層惨めにしているのだから。
「明日は本気で、美味い食事を用意しなきゃな」
「うん。ボクもお腹空き過ぎだよ。明日は頑張る!」
「お、おう。俺も頑張るぜ」
俺の呟きが鬼気迫る感じだったらしく、ジョージはビビッたように頷いた。
モンドは空腹でそれどころではないようで、何も考えずに頷いたようである。
女子二人も同意しているようなので、明日は本気を出そうと思いつつ、その日は解散となったのだった。
◇◇◇
そして三日目。
その日は朝から幸運だった。
初日に仕掛けていた落とし穴に、豚のような魔獣が一匹かかっていたのだ。
……なんて、嘘です。
夜の間にコッソリと、『魔力感知』にて探して『粘鋼糸』で捕え、仕掛けた罠に誘導して嵌めたのだ。
今日こそは美味い食事を! その執念で、自分に課していた能力制限を若干緩めたのだった。
自重? 何それ美味しいの?
都会に住む者が田舎暮らしに憧れたり、森での自給自足生活に憧れたりしても、実際に暮らしてみればその不便さに根を上げる者が多いという。
俺も同じだった。
全身の筋肉痛には悩まされるわ、不味い食事に我慢しなきゃならないわ、娯楽どころか風呂さえもない生活を続けなければならないわ……まだ二日しか経っていないのに、既に我慢の限界である。
まだ三日目の今日、既にして俺は我慢するのを止めたのだった。
「俺は今日、食材調達は休んでこいつを捌く事にする」
俺は二百キログラム級の猪系の魔獣を前に、チームメイトにそう宣言した。
幸いにも、俺は既に30点を超えている。無理に点数稼ぎを頑張る必要などないのだ。
「俺達は手伝わなくてもいいのか?」
と聞いてくるジョージに、俺は答える。
「料理は任せろ。ただ、燃料となる薪集めだけはお願いしたいな」
それを聞き、ジョージが快く了承してくれた。
午前中は薪を集めて、午後からも無理をせぬ範囲で採取作業による点数獲得を目指す事にしたようだ。
俺の本気を悟り、下手に邪魔しないように気を使ってくれたのかもしれないけどね。
残ったのは俺だけではなくもう一人いる。
マーシャだ。
既に合格点に達しているという理由で、マーシャには手伝いを頼んだのだ。
「私、知ってると思うけど、料理は得意じゃないんだけど……」
と心配そうだったが、問題ない。
マーシャに頼むのは料理ではなく、新型魔法の実験なのだから。
マーシャの魔法の才能は本物だと思うので、この機会を利用して俺が考案した新型魔法の試験を行ってもらおうと考えたのである。
それに、手伝いならば怪我が治りかけた教師が残っているので、人手は足りているのであった。
「それじゃあ、昼には一旦戻るよ」
「薪は任せろ!」
「行ってくるね〜!」
そう言って、三人は出かけて行ったのだった。
さて、それでは早速料理に取り掛かる。
生け捕りにしてあるので、肉は新鮮そのものだ。
怪我が回復した戦闘系の指導教員に頼んで、魔獣の適切な血抜きと処理を行ってもらう。
見る間に肉が加工されていく様は、見ていて圧巻だった。
その気――全てシエルにお任せの自動モードでの作業――になれば俺も出来るが、目立つのでしたくなかったのだ。
念の為に言うが、決して筋肉痛だったからではない。
教師が頑張ってくれて助かった、と言えるだろう。
初日は魚のバーベキューだったが、今日はこの肉を串焼きにする。
栄養価だけは高そうな野草と肉を交互に混ぜて、肉串を用意していった。
その上に用意した塩をふりかけて、気持ち程度に刻んだ草をふりかけたら完了だ。
後は焼くだけ。
ぶっちゃけ、これだけでもかなりの美味に仕上がっていると思う。
何故なら、『鑑定解析』を駆使し、最適の塩分量に香草による味の調節を行ったからである。
出来うる限りの条件下での、最高の状態に整えたのだった。
だが、これで終わりではない。
本命の料理は、今煮立てている骨から出汁を取ったスープなのだから。
「どんな具合だ?」
俺はマーシャに声をかけた。
すると――
「信じられない……。なんで……なんで魔力消耗なしで、こんなに長時間の精密な魔力操作が可能になるワケ!?」
と、興奮したように返事があった。
どうやら成功しているようだと、俺は内心でほくそ笑んだ。
俺が主導して試したかったが、流石にそれは出来ない。正体を隠しておきたいので、学生でもない俺が新型魔法を教えるなど無理があったのだ。
そこで。
ウィリアム老師に俺の助手となってもらった。
助手というか、教導役を頼んだのだ。
昨夜の内にウィリアムとの綿密な打ち合わせを行い、マーシャを俺が手伝いに残すから、そこにウィリアムが自然に話しかけて、マーシャに指導するという作戦を立てていた。
その作戦は上手く行った。
そしてその内容はというと――
◇◇◇
大鍋で骨を煮込む準備を終えて、俺はマーシャに声を掛ける。
それが、作戦開始の合図であった。
「マーシャ、悪いけど、魔法で火力を調節してくれないか?」
と、自然な感じで俺が仕事を頼んだのだ。
これを予定通りにマーシャが引き受けてくれたので、大鍋で骨を煮込んでいる間の火力調節が、マーシャの仕事となった。
だが当然、それは簡単な作業ではない。
かなりの魔力量を持ち、魔素のコントロールが得意なマーシャであっても、集中力がなくなればコントロールも覚束なくなるのだ。
それを横目で確認していると、頃合を見てウィリアムが近付いてきた。
悪戦苦闘しているマーシャに声をかけ、一頻りアドバイスを送りつつ、話を変えるように切り出す。
「そうじゃ、マーシャよ。ワシの知り合いより預かっておる魔法道具があってのぅ……お主ならば使いこなせるやも知れぬが、試してみるかの?」
魔法とは云々と言った説明や力の抜き方を教授しつつ、さもたった今思い出したという演技をしながらウィリアムが取り出したのは、トランプのようなカードが七枚である。
材質は、薄く引き延ばした純粋な"魔鋼"だった。
「先生、これは一体……」
「これはじゃな――」
マーシャの質問に、昨夜俺が説明した通りに、ウィリアムが説明した。
間違っていないかコチラをチラチラと見ているが、それにはマーシャは気付かなかったようだ。
大体合ってるので、俺もそのままでオッケーと合図する。
自信を得たウィリアムが説明を再開した。
昨夜渡しておいたのは、俺の考案した新系統の魔法装置である。
基本となる八枚の発動媒体。
それは、この世界の根源たる聖霊の力、八大属性を表している。
光と闇、時、そして地・水・火・風・空の八つだ。
マーシャに渡したのは、その内の七枚だった。
時だけは、人には使いこなせないので除外している。
光は、浄化・促進・再生を。
闇は、隠蔽・精神・消滅を。
地は、引力・分解・圧縮を。
水は、凝固・停滞・解放を。
火は、燃焼・加速・爆発を。
風は、波形・衝撃・振動を。
空は、空間・存在・情報を。
という具合に発動媒体には、それぞれの本質を意味する原初の言葉が刻まれていた。
故に、カードに魔力を流し込み発動と念じるだけで、その効果を及ぼす事が可能なのである。
後は発動媒体が魔力コントロールを行うので、術者が意識の集中を乱しても魔法効果が途切れる事はない。
重要なのは、魔法発動時の想像力なのだ。
詠唱すらも必要としないのである。
光のカードを使って闇属性の効果を念じても効果は出ないし、正しい選択と手順が求められるといった注意点はあるが、そんなものは慣れの問題だろう。
これを俺は、新たなる魔法体系――真言変換魔法と命名した。
今は基本文字の更に基本のみを刻んでいるが、その内複合させて、重複魔法さえも可能とする予定だ。
例えば、地系〈圧縮〉と火系〈爆発〉を組み合わせれば、"重力崩壊"となる。
理解難易度の問題や、範囲と威力の指定をしたりする為の集中力や、必要な魔素量が膨大である等の問題は残っているけどな。
これはあくまでも、極端な例だ。
だが、元素魔法を極めるよりも効率良くそして簡単に、誰しもがこの世界の法則を制御可能となる魔法体系なのだというのが理解出来るだろう。
当然だが、これを世に出回らせるつもりはなかった。
あくまでも、一般人で深い知識もない学生が、どの程度使いこなす事が出来るかの実験である。
要は使い勝手を調べたかったのだ。
《やはり、それを狙っておいででしたか》
と、何故かシエルが満足そうだった。
ちなみにこの真言変換魔法、考案したのが俺なのは間違いない。
だが――開発したのは言うまでもなく、シエルだった。
なので俺がどこかで試そうとするだろうと予想していたようで、マーシャにそれを頼む事になると初日から目星を付けていたようだ。
道理で、私はわかっていますよ! と言いたげにしていた筈である。
だがな、俺が実験を思いついたのは偶然なのだ。
料理をする上で、火力調節は必須である。それをどうクリアしようかと考えた時、マーシャの事を思い出したのだ。
本来の俺ならば簡単に魔法を操れるが、一般人という設定では無理がある。なので、俺が自分で火力調節する訳にはいかなかった。
だが、美味しい食事を諦めるつもりはサラサラなくて……そこで思い出したのが、マーシャの高い素質であった。
つまり本当は、調理用加熱器の代用となってもらうべく、マーシャにこの魔法を伝授したのだった。
流石に教師連中にそんな雑用を任せる事は不味いと、俺が自重しただけの話だったのである。
――そう、全ては美味しい食事の為に!
俺が何故、ここまで美食にこだわるのか?
だって、考えてもみて欲しい。
人間の三大欲求と言われる、睡眠欲・性欲・食欲、この三つの内、なんと俺に残されているのは食欲だけなのだ。
そりゃあ、必死になるのも当たり前の事だった。
伊達に『暴食之王』 を獲得した訳ではないのだ。
◇◇◇
――とまあそんな感じで、実験は成功だったようだ。
マーシャは俺の注文通りに、火と水のカードを使って、絶妙に火力をコントロールしてくれていた。
「ウィリアム先生、この魔法カード、凄すぎますよ!」
「うん……そうじゃよね……」
マーシャは興奮してそう言うのだが、ウィリアム老師はそれどころではない様子。
自分の理解の及ばぬ魔法の深淵に触れ、興奮以前に呼吸困難に陥りそうになっていた。
少し可哀想な感じである。
救いを求めるように俺を見るので、後でフォローしてあげようと思ったのだった。
だが、今は料理の方が重要である。
ウィリアム老師は後回しにして、最後の仕上げに取り掛かろう。
骨ガラを除去し、肉や野菜を煮込み、味付けを行うのだ。
これも反則とも言える『鑑定解析』を使った完璧なる状態管理によって、現状で出し得る最高の味へと調整していく。
マーシャと場所を代わり、最後の仕上げを行っていった。
その間に、マーシャが教師連中と一緒になって、バーベキュー用の肉串を並べていく。
昼前にジョージ達が運んできた薪を簡易カマドに並べ、その上に網を敷き……準備は着々と進んでいるようだ。
そして、俺の方も。
煮込んだ肉は柔らかくとろけ、正体不明の野草も本来出せないような風味を醸し出し――
ぶっちゃけレシピを無視した俺特製オリジナルの、シチューが完成したのである。
恐々と味見をしてみると――
シュナの料理に勝るとも劣らない出来栄えの、極上の味わいに仕上がっていた。
「完璧だ」
俺は感無量に呟いた。
果てなく長く飯を食ってないように錯覚するが、実はまだ三日目だ。
だが、俺にとってはかなりの苦痛だった。
まさか食事が出来ないだけで、正体バレの危険があるとは想定外だったが、まあ事なきを得たようで良かった。
今度やる時に、同じ失敗をしなければいいのだ。
ともかく今は、この出来上がったシチューの素晴らしさに感動したいと思う。
味見したそうにしているマーシャにも、スプーンで掬って渡してやる。
「美味しい!! ちょっとこれ、家でも学校でも食べた事がない程に美味しいよ!!」
感激を分かち合える仲間がいるというのは、嬉しいものである。
俺とマーシャは、成し遂げたという喜びに、暫し時を忘れたのだった。
ついでだが、周りで手伝ってくれた先生方も試食したそうにしていたのだが、時を忘れている俺には関係のない話。
という訳で、全く気付かなかったという事にしたので、試食したのは俺達二人だけだったのは秘密である。
そんなこんなで夕刻になっていた。
ジョージ達を含めた採取班も帰還して、薪の補充も万全である。
そうして準備が整った頃には魔法陣も輝き、探索班が帰還してきた。
そして遂に、待ちに待った晩餐が始まったのだ。
広場に響く大歓声。
感激に咽び泣く者までいる。
生徒達が何名も俺の前にやって来ては、感謝の言葉を述べていった。
中には教師も混じっていたようだが、知った事ではないのだ。
マグナスなどは、「サトルちゃん、僕の嫁においで!」などと起きながら寝言をほざいたので、「しばくぞ」と返事をしてからシチューを取り上げておいた。
アホに食べさせるなど、勿体無いからな。
その後、悲痛な声で謝罪の言葉が聞こえたが、無視である。
マグナスから取り上げたシチューは、モンドが嬉しそうに平らげたのだった。
そんな中で――
「――美味い、な」
なんとユリウスまでが、わざわざ出向いて来てシチューを一杯食べたのだ。
「フッ、俺に感謝するがいい」
尊大に言い放つ俺。
だが、そんな態度を取ったのにも関わらず、ユリウスは文句を言うでもなく俺を見つめると、黙ってその場を去って行ったのだ。
逆に怖いわ、と思ったものだ。
こうして、三日目の夜は皆が満足して過ごしたのだ。
――しかし、事件はその後に起きたのである。




