番外編 -リムルの優雅な脱走劇- 09
ディアブロとソウエイは、学長室まで通された。
丁寧にお辞儀して去って行く案内役には目もくれず、ディアブロは思案する。
ソウエイの言い分は理解出来た。そしてそれは正しいと思う。
要するにソウエイは、学園が腐敗しているとすれば、何者かの意図が関与しているのが理由である、とそう考えているという事。
もしそうならば、粛清するだけで終わりとするディアブロを止めるのは正解だった。
全てを救おうとする主に代わり、断罪するのが自分の役目であるとディアブロは考える。だがしかし、学園に自浄作用が残っているのならば、見守る事こそが彼の役目なのだ。
政界や財界、研究や文化創造、そして軍事防衛。
様々な分野にて活躍する人材を育成する。
不正を許さず、足を引っ張り合う事のない、互いが協力し合える理想的な環境で。
それがリムルの打ち立てた理想であった。
この理想社会の実現そのものは、リムル本人からして無理だろうと言っていた。だが、それを目指す過程で、人が腐る土壌をなくすように努力する事こそが真の目的なのだ、とも言っていたのだ。
ヴェルダナーヴァは、人類の天敵としての魔王を用意する事で、人を導こうとした。
皇帝ルドラは、天使による徹底した文明管理により、人類の協力を促し争いをなくそうとした。
そしてディアブロが敬愛する大魔王リムルは、根源としての人の性質を改善し、自らの自浄作用を高める事で、腐敗そのものを減らそうとしたのである。
学園を腐らせるというのはリムルの方針を真っ向から否定するものであり、完全なる敵対行動であった。
それは、ディアブロに対する挑戦である。
(ふむ。自浄作用が働かないだけなのかと思っていましたが、そうではない可能性があるという事ですか。確かにそれならば、簡単に処分しようとした私が浅慮だったようです。しかし、リムル様の政策を邪魔する愚か者がいるとは――)
ディアブロは思考を切り替えた。
リムルの代わりに無能者を処理するだけのつもりだったが、それは間違いだった。
三大学園というリムル肝入りの政策を邪魔する愚か者共がいるのなら、学園を守れなかった時点で自分達こそが無能者であるという事になってしまうのだから。
――敵は、潰す。
明確な意思を持ち、ディアブロは学長の話に耳を傾ける。
ソファーに座るディアブロとソウエイを前に、学長は事情を説明し始めた。
この学長はリムルの名付けにより進化したゴブリンの初期メンバーだったので、最初から裏切りの心配などはない。しかし、自分が試されているというのは重々承知しているようで、脂汗を浮かべながら必死に説明を行っている。
ソウエイとも面識があるようだが、ディアブロとソウエイの二人が揃ってやって来た事で、自分がなんらかの失敗をしたのではないかと緊張しているようだった。
いつの間にかソウエイが準備していた、内通者からの報告書。
それによれば、テンペスト人材育成学園における上下意識や差別意識には大きな混乱は見られない、との事。
それを一つ一つ確認し、裏付けを取るソウエイ。
ディアブロはその様子をつぶさに観察し、学長の言葉に嘘が混じっていないかを見極める。
ソウエイの質問は恙なく進んだ。
だが――
「では最後の質問だ。一部の教師が生徒に傲慢な態度を取っているようだが、何故だ?」
この質問を受けて学長の顔が困惑の色を強めた。
ディアブロは笑顔のまま表情を変えず、学長の観察を続ける。
どうやらソウエイは、独自のルートから様々な情報を入手しているようだ、と。
(こういう時は、本当に頼りになる男です。流石はリムル様より"隠密"を任されているだけの事はある)
感心しつつ、成り行きを見守るディアブロ。
「それが、頭の痛い問題でして……」
悩む素振りを見せつつ、学長が口を開いた。
どうやらソウエイの言葉を疑うでもなく、素直に全てを詳らかにするつもりのようであった。
詳しい話を聞くディアブロとソウエイ。
学長の説明はこうである。
各学園で学生交換を行うという制度に従い、教師の交換も行っている。
ただその際に、イングラシア総合学園の貴族系の教師連中が、生徒に対し高圧的な態度を取る事があるのだ、と。
そして、その貴族系教師が護衛役として連れているのが、白いローブの男達なのだという。
「馬鹿な。三つの学園は立場は平等。それに、教師が生徒に対し高圧的な態度を取る、というのが理解出来ない」
ソウエイが言った。
それに対する学長の答えはこうである。
「それがですな、世に出る前に貴族相手の対応を学ばせるのだ、と彼等は申しております……。それに、我が校はともかくNNU魔法科学究明学園では資金援助も受けておるようでして、彼等の言い分を支持したのです。そうなると三校平等の観念から、彼等の言い分が通ってしまいまして……」
明確に反対する理由がない上に、他校が意見を揃えてしまった事で、事実上野放しにするしかなくなったのだ、と学長は説明した。
貴族とは言うが、イングラシア総合学園に在籍する教師は全て、元という冠詞がつく。だが、貴族制を残す国家も多数あるので、彼等の言い分が間違っているという訳でもない。
丁寧な対応を学ぶ事、それ自体は間違いではないのだ。
資金供与による意見の摺り合せは買収に近いが、明確な証拠がある訳ではない。
学長としては苦々しく思いつつも、大きな問題も起きていない事から黙認している、という状況なのだった。
ディアブロは考える。
先程までなら殺して始末すれば良いと判断したであろうが、今は違った。
敵がいるなら、その思考を読み裏をかき、完全に根絶やしにしなければならないのだから。
芽を摘み取り根を残す、というような無様は許されないのだ。
「それに……実際に、かなり素晴らしい能力を持つ者達なのです。白いローブの男達は、当校の戦闘系の指導教員よりも圧倒的に強く、生徒達への良い刺激になるのではないか、と……」
学長は、そう説明を補足した。
ふむ、とディアブロは考えを進める。
学長の説明を聞いて、ディアブロは敵の存在を確信した。
先程すれ違った白い聖衣の集団こそが、学長の言う者共なのだろう。確かにそれなりの実力はあったようだし、テンペスト人材育成学園の指導教員よりも強くても不思議ではない。
先程迂闊に声をかけなくて良かった、とディアブロは思った。
自分を止めてくれたソウエイに感謝しつつ、平和になり少し気が緩んでいたようだと反省する。
彼等は敵なのだろう。
ならば、敵の目的は何なのか?
それを明らかにする事で、敵の規模を読み解き、対策を考える。
生徒に対し劣等感を抱かせる?
或いは、生徒を腐らせる事そのものが目的なのか?
果たして、その結果得られる利益は何なのか――?
ディアブロは高速で思考を重ねる。
目的を予想し、結果と利益を検討し、採算が合いそうな計画を取捨選択していき――
幾つかの可能性に絞り込む。
そして、一つの可能性に行き当たった。
「クフフフフ。学長殿、一つ質問があるのですが、宜しいですか?」
「え、ああ、はい。なんで御座いますか?」
ディアブロに突然話しかけられた学長だったが、少し慌てつつもディアブロに向き直った。
まさかディアブロから、丁寧に質問を受けるとは思わなかったようだ。
「いえ、そう畏まらずとも構いません。お聞きしたいのは、イングラシア総合学園から派遣されてきた教師から、なんらかの人材派遣的な要請を受けなかったか、という事です」
ディアブロの質問を受け、学長は暫し考え込んでいた。
しかし、顔を上げてディアブロを真っ直ぐに見て「そのような要請を受けた覚えはありません」と答えた。
だが、言葉はそれだけで終わらなかった。
「確かに元貴族の先生方からは、そのような要請をされた事は御座いません。あの白ローブの者達、栄光の守護騎士団を紹介してくれたのみ、です。ただし、NNU魔法科学究明学園にも数名の栄光騎士達が派遣されているようですし、そちらで何か要請をしている可能性は御座います」
「クフフフフ、結構。参考になりましたよ」
優しげな笑みを浮かべ、ディアブロは礼を述べた。
思考の欠片が噛み合い、先程思いついた可能性を確かなものにするのを感じた。
「ディアブロ、なにか気付いたのか?」
「そうですね、敵の目的だけは。ですが、敵勢力の規模も黒幕すらも、不明なのですがね」
「――フッ、十分だ。場所を変えよう」
二人は学長に悟られぬように小声で短く言葉を交わすと、素早く席を立った。
「では、我々はこれで」
「今回の我等の訪問は、内密にするように」
ディアブロとソウエイはそう言い残すと、その場を後にした。
残された学長は朧気に、何かが動いているのだと理解した。だが彼に出来るのは、言われた事を守り黙秘する事のみ。
――混乱するのは学長のみで、学園は今日も普段通りなのだった。
◇◇◇
ディアブロは学園を後にして、飛空場へ向かう。
何も言わずにそれに付いて行くソウエイ。
だが、飛空場が見えた所で、ようやく口を開いた。
「説明してくれるのだろうな、ディアブロ?」
クフフフフ、と笑みを浮かべつつ、ディアブロは頷く。
「勿論ですよ、ソウエイ。ですが、先ずは切符を買ってからです」
「行き先は帝国か?」
「――いいえ。イングラシア、ですよ」
「ほう?」
それ以降口を閉ざしたまま、二人は飛空船の切符を購入した。
そして出発時刻までの時間を利用し、飛空場の最上階にある高級レストランへと向かう。
完全防音で区切られた個室に入り、寛ぐ二人。
ここでも二人は周囲の視線に晒されたのだが、最早そんな事など気にならぬ様子だった。
「さて、聞かせてくれ」
ソウエイが切り出した。
ディアブロは注文していた高級炎酒を舌に絡め唇を湿らせると、その紅く濡れた唇を開いた。
「クフフフフ。その前にお聞きしたい。先程貴方は何故、私を制止したのですか?」
「簡単だ。明確な敵対行動を取る者以外への暴力行為は、その全てをリムル様により禁じられているからだ」
裏切り者を始末したり害悪となるものへの天誅などは別にして、それが魔物の国における基本ルールなのは、幹部であっても変わらない。
それはソウエイにとっても同じ事であり、リムルの許可なしに粛清を行うつもりもなかった。なので、ソウエイとしては先ず、確たる証拠を集める必要があると考えたのだ。
「それは正しい行為でしょう。ですが、その程度の些事でリムル様を惑わせるつもりはない、それが私の考えなのも理解出来るでしょう?」
目を細め、『魔王覇気』による威圧を込めて、ソウエイを見つめるディアブロ。
だが、ソウエイは涼しげな顔のまま答える。
「まだ言っているのか? それは不敬であり、許されぬ行為だぞ」
ソウエイの言葉を聞き、嬉しそうにディアブロは頷く。
そう、その答えこそを待っていたのだ、と。
そして、先程までの威圧を全て掻き消すように言う。
「流石はソウエイ。私の『威圧』を前にしても、平然と制止して下さるとは。今のは本気で脅しをかけたつもりだったのですがねえ」
「それが本気だろうが偽りだろうが、俺の行動は変わらぬ。仲間が道を誤ろうとしているなら、止めるまで」
「――その言葉が聞きたかった。そうした仲間内での自浄作用こそが重要である、その様にリムル様はお考えなのだ、と思いますので。そして、仲間が道を踏み外す、そこに明確な線引きが必要なのだと私は考えました」
そして、ディアブロは自分の考えをソウエイに説明する。
今回、テンペスト人材育成学園の学長が動けなかったのは、明確な証拠がなかったからである。
他の学園が疑わしい行動に出たとしても、それが善意によるものか悪意によるものか、それすらも人の主観に委ねられてしまう。
そうであるならば、自分の直感だけをもって他者を悪と断じる事など出来ない相談なのだ。
だからこその多数決の制度であり、そこを蔑ろにする事は許されない行為なのだから。
なので、学長だけを責めるのは筋違いである。
要は、監査機関が存在しなかったのが問題なのだ。
資金提供だろうが買収だろうが、名目が違うだけで結果は同じ。ならば、その行為が行われているのだという証拠を押さえる必要があった。
疑わしいと感じた時に、それを訴える事の出来る監査機関の設立こそが求められていたのである。
「それに関しては、俺のミスだ。密偵に探らせていたが、詳しい報告が上がっていなかった」
「私も平和ボケしていましたし、お互い様です。密偵にはお仕置きが必要でしょうけどね――」
「それはこちらの話だ。で、お前の言い分である線引きだが、それがなんだというのだ?」
そろそろ本題に入れと、ソウエイの目が語っていた。
ディアブロは笑みを浮かべたまま、核心部分へと入る。
「つまり、今回はその線上を攻められたのです」
「なんだと――?」
「質問です。我等の国の政治に、他国の者が関与出来ると思いますか?」
ディアブロの質問に、ソウエイは「不可能だ」と答える。
事実その通り。
魔物の国の政治形態は上院と下院に分かれ、下院で制定された法案であっても上院が否決したら廃案となる制度となっているのだ。
上院は極少数の幹部のみで構成され、リムルの認めた者しか参加出来ない。
行政そのものはリグルドを頂点に、住民に選ばれた者達からなる下院によって施行されているのだが、こと立法に関しては上院が絶大なる権力を有していた。
そして戦時下においては、全ての機関は上院の下に組み込まれる事になるのだ。
この仕組みがある以上、他国の間者が住民権を有したとしても、政治に関与する事は難しい。
下院に潜り込む事が出来たとしても、最高意思の決定権を持てないからだ。
「その通りです。では、商業に関してはどうですか? または、研究などの重要機関に入り込む事は?」
それらも全て、ソウエイの返事は変わらない。
答えは「不可能」であった。
リムルは意外にもお金に細かく、全ての既得権益を先んじて取得しているのだ。
ここに後から入り込む余地など、微塵も残されてはいなかった。
そして研究機関に至っては、ラミリスやヴェルドラといった国の重鎮が関与しており、それこそ他国の間者の出る幕など残されてはいないのだった。
「そう! つまり他国の者が、我が国の重要機関に所属しようとするならば、次世代に期待する他ないという事です。その時に狙うとすれば――」
「そうか、それが学園に繋がるのか……」
ええ、とディアブロは頷いた。
今の現状で、無理やりに人を紛れ込ませるような無駄な事を行わない程度の知恵は、流石に敵も持っているようだ。
だとすれば短絡的な思考ではなく、長期的な展望のもとに計画を立てている事になる。
油断出来ない相手だと言えた。
――生徒を腐らせ、その能力に格差を設ける。
そうなれば、自然と優秀な者がテンペストへと入り込むようになるだろう。
テンペストの生徒達は、リムルの言葉を忠実に守り、人間に対する明確なる敵対行動を取らない。だからこそ、今から頭を押え付けるという意図もありそうだった。
そうして、敵勢力の者達がテンペストを牛耳るようになり、新たな権益を得る。
それを見越しての長期計画――
だが、今回リムルが学園の生徒達に不信感を持った事で、敵の計画の尻尾を掴む事に成功したようであった。
「流石はリムル様です。全てを見通していたのでしょう」
ディアブロは感動したように、そう言ってリムルを賞賛した。
そうかな? とソウエイは疑問に思ったが、ディアブロの怒りを買いそうなので黙秘を貫く。今のディアブロの推論自体には矛盾は感じられず、目的は他にはないように思えたというのも理由だった。
なので、その点はスルーしてソウエイはもう一つの疑問をディアブロにぶつけた。
「で、何故イングラシアなのだ? 帝国に出向き、買収の証拠を押さえれば済む話ではないのか?」
ディアブロは笑みを浮かべたまま、ソウエイに答える。
「確かにそれも考えました。ですが、一つ疑問に思ったのです」
「疑問、だと?」
「ええ。単純な疑問なのですがね、貴族を廃された者達がどうやって資金を得たのだろうか、とね」
「……なるほど、それは調べる必要がありそうだな」
「ええ。仮に買収の証拠が見つかったとして、果たしてそれが本物なのかどうか……資金もないのに、買収は出来ませんからねえ。イングラシア王国はリムル様の温情により残された王国です。西方諸国からの援助も期待は出来ないでしょうし、資金の流れはハッキリさせておく必要があると思ったのですよ」
「理解した。恐らくは、貴様の考えが正しいだろう」
ソウエイはそう言うなり口を閉ざす。
後は、黒幕を突き止めるのみだと言わんばかりに……。
ディアブロの考えは明白だ。
敵勢力の規模と、黒幕の正体は定かではない。確かにそうなのだが、学園に関与する者であるのは間違いないのだ。
慌てる事なく、一つ一つ丁寧に、敵を追い詰めて行けばいい。
そうすれば、間違いなく正体を現すだろうから。
ディアブロはそう結論を出し、後は静かに搭乗時刻を待つのだった。




