小瀬甫庵『太閤記』について。お詫びと訂正
第32話「阿坂城攻めの事」のあとがきにて、「絵本太閤記」の一部を引用し「小瀬甫庵の創作ではないか?」と私は批判しましたが……、申し訳ありません。「絵本太閤記」の作者は小瀬甫庵ではありません。私の小瀬甫庵批判は全くの見当違いでした。間違った認識で小瀬甫庵を否定したこと、間違った情報を発信してしまったこと、お詫びします。
一年以上も前に書いたものなので、なぜこんなミスをしてしまったのか自分でもわからない、というのが正直なところですが、おそらく「絵本太閤記」「真書太閤記」「甫庵太閤記」の一部をコピーしたものを整理整頓できておらず勘違いしてしまったのだと思います。以後気を付けます。
今回、あらためて勢州軍記、甫庵太閤記、絵本太閤記、真書太閤記における伊勢攻めの記述を比較して簡単にまとめてみました。
・勢州軍記……大宮父子に関する記述あり、大宮父子は死なずに落ち延びた。楠木正具は登場せず。
・甫庵太閤記……大宮父子は登場せず。楠木正具も登場せず。というか、伊勢攻めの詳しい経緯は少ししか記述されていない。北畠具教も登場しない。
・真書太閤記……大宮父子は登場。降参後、大和に向かう道中誅せられる。楠木正具が大活躍。
・絵本太閤記……大宮父子は登場、降参後、大和に向かう道中待ち構えていた力士によって殺害される。楠木正具が大活躍。
成立年代が古い甫庵太閤記、勢州軍記に書かれていないことが江戸中期以降に成立した真書太閤記、絵本太閤記には追加されています。
「真書太閤記」「絵本太閤記」では楠木正具が登場し「八田城」に籠城していますが、私が思うに員弁郡の治田城と一志郡の八田城を混同しているのではないかと……。とはいえ、三重県の地理に詳しくない人が読んだら全く違和感のないストーリーです。
次回は山田三方についてです。
第57話「信長お怒り~大湊衆の抵抗~」において、「山田」の研究史に関して間違った文章を書いてしまったので、その訂正です。
間違いだらけで申し訳ありません。最近自分で見返したら次から次へとミスに気づいたのです。




