第2話:嘘を塗られた恋
彼女の教室。陽キャたちが一つに集まって、意味のない雑談で笑い合っている。
その輪の中に、彼女──菊池冬美もいた。クスクスと肩を揺らし、俺と二人きりのときよりもずっと楽しそうだった。
俺には「異性と話したら別れる」と言っておいて、よくもまあ……。
付き合った頃から何も変わらない。話すことはもちろん、近くに異性がいるだけで冬美はブチギレるのだ。
それなのに今は──
冬美の隣まで行って声を出す。
「ね、ねぇ……っ!」
裏返った。だせぇ。
「何だよこのクソ陰キャ」
「ウチらになんか用?」
刺すような視線が突き刺さる。
楽しい時間を邪魔すんなよ、という感情が隠しきれていない──というか、隠す気なんて最初からない。
「ふ、冬美と話がしたくて……」
その瞬間、教室の空気が凍った。
数秒の静寂──そして爆発するように笑い声が響く。
「は? こいつ、今"冬美"って呼んだ?」
「お前みたいな陰キャが"ふゆ"を呼び捨てすんなよ」
「そうだー、もっと言ったれ!」
俺たちが付き合っていることは、妃菜以外おそらく誰も知らない──それは、冬美の浮気相手ですらも。
彼女はいつも「このことを広めたら許さない」と言っていた。
だから俺は、嬉しさに駆られて妃菜にだけこっそり話したのだ。
「なあ、冬美。お前まさか、こんな奴とつるんでないよな?追い出していい?」
「……」
「止められてねぇので、実行しまーす」
ラグビー部のような体格をした男子が、軽々と俺の首根っこを掴んだ。
足が床から浮く。
俺だって中学では運動部でそれなりに活躍してた。なのに、抵抗すらできない。
このまま本気を出されたら──怪我じゃ済まないかもしれない。
「ご、ごめんなさい……自分で帰るんで……下ろして、ください……」
「仕方ねぇな。もう"冬美"に話しかけんなよ。お前みたいなのが一生かけても、話せる存在じゃねぇんだよ」
俺は冬美の彼氏だ。
そう叫ぼうとして──声が、喉の奥で潰れた。
どうせ誰も信じてくれない。冬美にも、迷惑がかかる。
大好きな彼女に嫌われるなんて、想像しただけで身体がこわばる。
男は俺を見下ろして、鼻で笑った。
「負け犬の君は、生きる価値ないよ。今すぐ死んで、人生やり直したら?」
──笑った。
俺の痛みを、まるで娯楽みたいに楽しんでいる。
その顔が、二重にも三重にも揺れて見える。
今、泣いてるんだ。みっともなく。
陽キャたちの笑い声が、頭の中で何度も反響する。
陽キャで、リア充の彼が言ってるんだ──いっそのこと、死んで楽になろうかな。
浮気現場を目撃してから、ずっと辿り着きそうで避けてきた答え。
でも、誰にもわかってもらえず、笑われるだけの人生に……何の価値がある?
肩を落とし、おぼつかない足取りで教室を出た。
冬美の姿が見えなくなる直前、僅かに目が合った──気がした。
◇
自分の教室に戻った俺は、机に突っ伏して腕の中に顔を埋めた。
必死に涙と嗚咽を堪える。
泣いたら、また惨めな俺が出来上がるだけだから。
何かを失った実感なんてとうに麻痺してるはずなのに、胸の奥が焼けるように痛い。
彼らの笑い声が、何度も頭の中で再生される。
そのたびに胃の底がひっくり返るような感覚がする。
……どうして、あんな風に笑えるんだよ。
ポケットの中が震えた──スマホだ。
画面には見慣れた名前。
『さっきのことで話がある。昼休み屋上に来て』
心臓が大きく跳ねた。
やっぱり怒らせたかな。
──でも、ようやく話が、モヤモヤを晴らすことができる。
◇
屋上には昼休みらしい声や笑い声が遠くから響いていた。
人気の少ない隅で少し待っていると、冬美はようやくやって来た。
昼休みになっても全然来ないから、忘れられてるんじゃないかと、思った矢先だった。
「大丈夫。今来たところだから」
──それは冬美と付き合っている時に、自然と身についた言葉だった。
初デートの時も、何ヶ月記念日も──彼女の誕生日も。どれだけ経っても慣れず、気づけば、いつもこの言葉で取り繕っていた。
遅れてきても責めない優しい彼氏を演じることで、嫌われないようにしていたのかもしれない。
「私に用があったんでしょ?」
「へ?」
「だって引っ込み思案な響が、私のクラスに来てまで言いたかったことなんでしょ?だから何かなって思って」
引っ込み思案なのは、ある意味冬美のせいだ。
女子と話すことを禁じられた俺は、クラスメイトから感じ悪いと捉えられ、いつしか男友達もいなくなっていた。
自分と同じような教室の端でラノベを読んでる人ですら、俺と関わりたがらなかった。
「実は──昨日の、見たんだ」
「昨日の?」
「冬美、昨日俺との約束をすっぽがして何をしていた?」
「昨日は起きたら体調悪かったから、ずっと寝てたよ」
この期に及んで知らないフリをするつもりか?バレたところで、浮気相手との正式な恋愛をできるから隠す必要はないだろ。
「どうして嘘をつくの。昨日俺の知らない男の子と一緒にいたじゃん」
「──っ!どうしてそれを──見てたの?」
「うん。手を繋ぎ、キスまで……俺とはしないクセに」
違う。こんなことが言いたかったんじゃない。
俺は冬美ともっと一緒にいたい、愛を受けていたい──それが叶えばどうだっていいのに。
「ふふっ──」
地面を睨む俺の頭に、楽しそうな笑い声が掛けられた。
「へ?」
思わず間抜けな声が漏れた。冬美は人の不幸を笑うような人じゃないのに──
「あーあ、バレちゃったか」
その声には、諦めと愉快が混じっている。
冬美は大きなため息を着くと、笑いながら口を開く。
「気づくの遅くない?その人とはずっと一緒なの──響と付き合うよりも前からね。そこに後から入ってきたのは響なんだよ?」
「そんな……」
「だからバイバイ。バレちゃったのなら、隠す理由もないでしょ?……だって私、最初から響に興味なんてないし」
見下すような笑みのまま手を振り、冬美は屋上から下りる階段に向かう。
嘘だ、嘘だ……冬美はよく嘘をつく。だから今回もきっと──
目の前の軽快な足取りの彼女を見ていたら、コイツの幸せをぐちゃぐちゃに壊してやりたいと、そんな想いが生まれた。
「ちょっと待てよ!」
「痛っ!」
「あ、ごめ──」
あっという間に周囲のスマホが俺を捉える。
カシャカシャカシャ──無数のシャッター音が、銃声みたいに響いた。
俺の小さな抵抗は、瞬く間に「暴力」として切り取られる。
やってしまった──後悔する間もなく、俺の視界から冬美は消えた。
キーンコーンと、気づけば昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、俺だけが屋上に取り残されていた。
……あぁ、全て終わったんだ。
呆然と立ち尽くしていると、ふと、足音が近づく。
軽やかで、でもどこか落ち着く──響き。
「……ひーくん?」
声の主は、妃菜だった。
俺の名前を呼ぶその声に、胸の奥の何かが緩む。
ここに誰かがいる──ただそれだけで、全てを見透かされたような孤独が和らぐ。
振り向くと、妃菜の目が真っ直ぐと俺を見つめている。
「どうして。もう授業が始まってるんじゃ──」
「教室にひーくんが帰ってこなくて怖くて。大丈夫……ちゃんと話そう、全部」
声が震えていた。
妃菜は心配性だ。きっと傷ついた俺が自殺でもしないかと、思ったのだろう。
「なんで俺よりも酷い顔をしてんだよ……」
「心配させんな、ばか」
口調は強く、それでいて優しく包み込むような声で。
彼女の存在に俺は救われた──。




