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大好きだった彼女に浮気され、地獄に落とすまで。  作者: くまたに


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11/22

第11話:あの日以来、初めての二人の時間

 バレる前に逃げよう。遠くで友人たちと笑う冬美に背を向けて、一目散にその場から離れる。


 浮気現場を目撃した——あの日のことを、鮮明に思い出す。

 ズキズキと、胸の奥を締め付ける痛み。こうなるくらいなら、彼女との思い出も全て忘れたい。


 なるべく遠くへ——妃菜との合流なんて忘れて走った。

 音と光の溢れ出すゲーセンから離れて、近くの公園で、膝に手をついて荒れた息を整える。


「もう嫌だよ……」


 弱音をこぼした瞬間、視界が真っ暗に覆われた。

 後ろから抱きつかれ、冷たかった俺の体が熱を持つ。

 ふわっと、柔軟剤の甘い香りが漂う。なぜか懐かしさを感じ、少しだけ心が落ち着いた。


「——なにが嫌なの?」


 大人びた声が耳元で囁かれる。熱のこもった吐息が耳に当たり、ゾッと、背筋が凍る。

 そして肩を吸われるように噛まれ、慌てて自分に触れる手を振り払う。


「あっ……響ったら酷いね」


 どこか寂しさを帯びた声が、ため息とともに吐かれる。


「キスもスキンシップも、屋上で会った時に、響が羨ましそうにしたからしたんじゃん」

「冬美……俺のこと気づいていたのかよ」

「当たり前でしょ。一年間一緒にいたんだから。愛は……なかったけれど」


 わざわざ付け足さなくてもいいじゃないかよ。

 他人の彼女と話して、少しだけ嬉しく思う自分が憎い。

 胸の奥が締め付けられる。息を整えようとしても、吐き出すたびに喉が詰まるようだ。


「俺といるところ、アイツに見られたらマズいんじゃないのか?」

「あー、うん。よくないね。でも、響はまだ私のこと好きでしょ?だから私が傷つくことはしないって信じてるから」

「左様で」


 心の中が見透かされているようで、肌が泡立つような怖気を覚える。

 付き合っていた時は、『俺のこと好きすぎでしょ』と、完全に騙されていたわけだし、今となってみれば、何を考えているのかわからない。


「響、このことは誰にもシーだよ」


 唇の前で人差し指を立て、目配せをする。

 誰もが見惚れるような稀有な容姿。こんな子から好意を向けられたら、誰でも勘違いするだろ。


「ずるい……よ、ひっく……」

「?」


 声を絞り出して、言葉を発する。

 自分からいきなり「好きです、付き合ってください!」って関係を始めておいて、いらなくなったらすぐにポイかよ……

 今まで強がっていた分、尚更苦しい。

 視界が滲み、しゃくりあげて泣いてしまった。


「ぅぅ……ひっく……そん、なの、あんまりじゃねぇかよぉ……」


 嫌だよ……こんな姿、見られたくないのに。

 冬美は目を丸くして、こちらを見ている。何かを思い出し、そして口を開く——


「ごめんね」


 それは、小さく、それでいて泣き出してしまいそうな声だった。

 冬美は小さく唇を噛み、視線を逸らすと、背を丸めるようにして歩き出す。やがて小さな足音だけを残して去っていった。


 公園に一人残された俺は、袖で涙を拭って、まだ明るい昼下がりの道を帰った。



     ◇



 時は響がゲーセンを出た頃に戻る。

 合流場所に着いた妃菜であったが、一向に現れない響のことが気がかりで仕方がなかった。


 ピコンッ——午前中、一緒にスマホを買った時に登録した、響の連絡先からだった。


『ごめん。先に帰る』


 目の前が真っ暗になった気がした。

 何か傷つけるようなことをしたかなと、思い返すが心当たりがない。


「一体なにが……」


 呟いた瞬間、目の前を見覚えのある少女が走り過ぎていった。


「菊池冬美……もしかして——」


 胸がちくりと痛む。

 でもすぐに頭を振った。


「ないない、妃菜。勝手に嫉妬してどうするの……」


 自分で自分に小声でツッコみながら、無理やり気持ちを押し込める。

 響のことで、敏感になりすぎてるだけだよ。


(あ──これ、響くんが教えてくれたやつだ)

 

 視界の端で存在感のあった、クレーンゲームの前に立つ。


 響は指先でレバーの位置を示してくれた。

 あの時の恥ずかしさを思い出されて、胸が苦しくなる。


 しかし、楽しもうとしても頭に浮かぶのは響の顔。今頃彼女と──


「気になる……」


 何度かプレイしてみたが、少しも楽しめない。むしろ、モヤモヤとした感情が胸の奥で広がるばかりだ。


 そんな時——クシャリ、とビニール袋の音がして、ぼーっと立ち尽くしていた私の注意を引く。

 持ち手部分の隙間から、二体のテディベアが顔を覗かせている。


「そうだ——」


 思い立った瞬間には、私は自然と足を動かし、走り出していた。



     ◇



 抱きつかれた時に染みついた冬美の匂いが嫌で、家に帰るなり着ていた服を洗濯機に放り込んだ。


 リラックスも兼ねて湯に浸かる。

 傷ついた心を癒すには、ちょうどよかった。


「なんだこれ。だっせ……」


 疲れきった自分の顔が情けなくて、笑いが漏れる。

 ふと、肩に黒い()()がついていることに気づく。


「キスマーク……?」


 言葉にした瞬間、冬美のものだと悟る。

 慌てて擦っても取れない。


「くそォ……」


 一気に力が抜け、どうでもよくなった。

 風呂から上がると同時に、ピンポーン、とインターホンが鳴る。


「チッ……誰だよ」


 玄関を開けると、そこにはいつもより明るい表情をした妃菜がいた。

 帰り道でそのまま来たのだろう。手にはクレーンゲームの戦利品が入った袋。


「ごめん。先に帰って……」

「いいよ〜!ひーくんのことだから、何かあったんだよね。私で良かったら話聞くよ?」


 妃菜なら、こう言ってくれるのはわかっていた。

 普段なら全部話すところだが、今回は——


『響、このことは誰にもシーだよ』


 冬美に嫌われたくない。その気持ちだけが勝ってしまう。


「実は……なにもないんだ」

「え?」

「……いきなり気分が落ち込んだから帰った。ほんと、それだけ」

「そっか……」


 妃菜はすっきりしない顔で目を逸らした。

 キリリッ……無意識に歯を噛み締める。

 嘘をつくのが嫌いだからこそ、ムカムカと気持ち悪い“何か”が渦巻く。


「なんだ——勝手に帰った俺を責めに来たのか?」

「え!?違うよ!?大事なことを忘れてたの」


「大事なこと?」


 首を傾げると、妃菜は大きく頷いた。


「ひーくんにプレゼントです!」


 袋の中から、一体のテディベアを取り出す。

 これは——


「ひーくんに教えてもらってゲットしたやつだよ!せっかくなら、お揃いがほしいな〜って」


 その瞬間、一緒にクレーンゲームではしゃいでいた時間が蘇る。

 冬美と話したからって、何落ち込んでんだよ。


「めっちゃ嬉しい」

「ほんと!?迷惑だったらどうしようって思ってたから、よかった〜!」


 ニカッと花が咲くように妃菜が笑う。

 見えない尻尾をブンブン振っているようだ。


「ははっ——」


 勝手に何考えてんだよ、俺。

 どうでもいいようなことなのに、笑いが止まらない。


「どうかした?」

「いーや、なんも!」


 口元がゆるみ、俺は笑って返した。

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