第39話 青き流星の封印と渋谷の要塞
中間試験明けの授業を終えた放課後。
俺は、渋谷区桜丘町にある『レオ・キャピタル』のオフィスにいた。
まだ什器が搬入されたばかりの真新しいフロアだが、そこにはすでに独特の熱気が渦巻いている。
高給で引き抜いたエンジニアたちが、Sun Microsystemsのサーバーに向かい、黙々とキーボードを叩いている。
モバイルECサイトのシステム構築、そして着メロ配信のインフラ整備。
彼らの指先から、未来の「当たり前」が紡ぎ出されていく。
「すっげぇ……。ここが西園寺の会社かよ」
入り口で呆気に取られた声を上げたのは、クラスメイトの城戸隼人だ。
今日は彼を招待していた。
制服の下に派手なTシャツを着込み、金髪を遊ばせている彼は、この無機質なオフィスの中では異質な存在感を放っている。
「邪魔すんなよ、城戸。ここは戦場なんだから」
その横から、キャップを目深に被った小柄な女性が現れた。
天童くるみだ。
彼女もまた、今日はここへ呼んでいた。
変装用の伊達メガネ越しでも、その瞳の大きさときめ細かい肌の美しさは隠しきれていない。
ラフなパーカー姿だが、立ち姿のバランスの良さが「選ばれた少女」であることを雄弁に物語っている。
「ようこそ。……散ららかったままですが、くつろいでください」
俺は二人を応接スペースへと案内した。
ガラス張りの会議室からは、渋谷の街並みが一望できる。
「くつろげって言われてもなぁ。……なんか、住む世界が違うって感じだわ」
「そう? あたしは結構好きだけどな、こういう雰囲気。みんな何かに熱中してる感じ」
くるみさんは興味深そうにエンジニアたちの背中を眺めている。
彼女自身、芸能界という競争社会に身を置いているからか、プロフェッショナルの空気に敏感なのだろう。
「今日は二人に、見せたいものがありましてね」
「見せたいもの?」
「ああ。……ついて来てください」
俺は二人を促し、エレベーターホールへと向かった。
今日のメインイベントは、オフィス見学ではない。
地下駐車場に眠る、青き怪物たちとの対面だ。
エレベーターで地下3階へ降りる。
ここはセキュリティカードがなければ入れない、契約者専用のガレージエリアだ。
重厚なシャッターの前で、俺はカードキーをかざした。
電子音が鳴り、シャッターがゆっくりと上昇していく。
薄暗いガレージの中に、蛍光灯の明かりが灯る。
その瞬間、隼人が息を呑む音が聞こえた。
「……嘘だろ」
そこに鎮座していたのは、9台の車だった。
すべて同じ車種。
日産スカイラインGT-R 。
色は、鮮烈な『ベイサイドブルー』が7台、そして硬質な輝きを放つ『ソニックシルバー』が2台。
グレードはすべて最上位の『V-spec』だ。
舞に全国のディーラーの在庫を力技で押さえさせて、納車されたばかりの新車たちが、整然と並んでいる光景は、壮観を通り越して異様ですらあった。
「な、ななな……GT-R!? しかもR34じゃねーか! これ全部お前の!?」
隼人が叫びながら駆け寄った。
車好きの彼にとって、これは夢のような光景だろう。
ボディに触れようとして、慌てて手を引っ込める。指紋をつけることすら躊躇われるほどの、完璧な美しさ。
「えーっと……これ、高い車なの?」
くるみさんが首を傾げている。
彼女にはピンと来ないようだ。
「高いなんてもんじゃねぇよ! 最新鋭の国産最強スポーツカーだぞ! 一台500万は下らねぇ!」
「へぇ……。じゃあ、これが9台ってことは……」
「約4,500万円ですね。諸経費を含めればもう少し行きますが」
俺は淡々と補足した。
くるみさんが絶句する。
「よ、4,500万……!? あんた、車屋でも始めるつもり?」
「いいえ。これは『保存用』です」
俺は一台のボンネットに手を置いた。
冷たい金属の感触。
「これらの車は、一度も公道を走らせることなく、この空調管理された倉庫で眠りについてもらいます」
「はあ!? 乗らねぇのかよ! もったいねぇ!」
隼人が悲鳴を上げた。
車は走ってこそ価値がある。それが一般的な認識だ。
だが、投資家の視点は違う。
「城戸。……この車は、ガソリンエンジン時代の到達点だ。今後、環境規制が厳しくなり、これほど純粋に『走り』を追求した内燃機関の車は作れなくなる」
俺は彼らに向き直り、説明を続けた。
「そして25年後。2024年には、アメリカの『25年ルール』が適用され、この車はクラシックカーとして輸入が解禁される。……その時、世界中の富裕層がこの車を求めて殺到するでしょう」
「25年後……?」
「そうです。その時、走行距離ゼロの『新車』状態で保存されたR34が市場に出たら、いくらの値がつくと思いますか?」
俺は指を立てた。
「一台、最低でも4,000万円。限定モデルや希少色なら、億を超える可能性もある」
「い、一億……!?」
隼人とくるみさんの声が重なった。
4,500万円の投資が、3億6,000万円以上に化ける。
年利換算すれば、どんな金融商品よりも優秀だ。
しかも、美しい美術品として所有欲も満たしてくれる。
「これはタイムカプセルです。25年後の未来へ向けた、僕からの手紙のようなものですよ」
俺は微笑んだ。
キョトンとしている二人。
だが、隼人はすぐに真剣な眼差しで車を見つめ直した。
「……なるほどな。お前がそこまで言うなら、こいつはマジで伝説になるんだろうな」
「保証するよ。……まあ、城戸が免許を取ったら、一台くらいは試乗用に下ろしてもいいが」
「マジで!? 西園寺、一生ついてくわ!」
隼人は俺に抱きつこうとして、軽くかわされた。
「……ふふっ。相変わらず、スケールが違うわね」
くるみさんは呆れたように、しかし誇らしげに笑った。
彼女は、俺の「予言」が外れないことを誰よりも知っている。
アイドルとして再起した彼女自身が、その証明なのだから。
青き怪物たちが眠る地下要塞。
ここは、俺の資産を守る金庫であり、男のロマンを詰め込んだ秘密基地だ。
エンジンの鼓動を聞くことはできないが、その静寂こそが、未来への価値を醸成していく。
二人を見送った後、俺は帰路についた。
運転席には、秘書の如月舞がいる。
彼女の手配のおかげで、9台のGT-Rは傷一つなく納車され、完璧な管理体制の下に置かれた。
「お疲れ様です、社長。……ご友人たちは、楽しまれたようですね」
「ああ。特に城戸は興奮して酸欠になりそうだったよ」
俺は後部座席でネクタイを緩めた。
窓の外を流れる東京の夜景。
1999年の街並みは、25年後には大きく様変わりしているだろう。
だが、あのGT-Rたちは変わらない姿で、その時を待つのだ。
「……舞。あの車の管理、頼んだぞ。定期的なエンジン始動と、湿度の管理。タイヤのフラットスポット防止も忘れずにな」
「承知いたしました。……メンテナンス担当のメカニックとも契約済みです。社長の資産は、指一本触れさせません」
バックミラー越しに、舞の凛とした瞳が光った。
今日の彼女は、ダークグレーのスーツに白いブラウスという装い。
知的でクールな美貌は、夜の首都高によく映える。
彼女がいるからこそ、俺は安心して「25年後」を見据えることができる。
「……感謝しているよ。君がいなければ、こんな酔狂な投資は実現しなかった」
「いいえ。……社長の見る未来を、私も一緒に見させていただいているだけです」
彼女は口元を緩め、優しく微笑んだ。
19歳の彼女が、25年後には44歳になる。
その時、俺たちはどんな関係でいるのだろうか。
ふと、そんな感傷的な思いが頭をよぎった。
「……社長? どうなさいました?」
「いや、なんでもない。……少し、先のことを考えていただけだ」
俺は誤魔化した。
未来は確定しているようで、不確定だ。
だからこそ面白い。
俺はシートに深く身を預け、目を閉じた。
心地よいエンジンの振動が、俺を微睡みへと誘う。
帰宅後。
俺はリビングで一人、グラスを傾けていた。
中身は、昨日開けたシャンパンの残りだ。
テーブルの上には、9台分のキーと、登録書類が並んでいる。
これらは明日、貸金庫へと移される。
2024年まで封印される「宝の地図」だ。
部屋の掃除をする。
いつものルーティンだ。
今日は特に念入りに、棚の埃を払った。
モノが増えれば、管理コストも増える。
だが、意味のあるモノならば、それはコストではなく投資だ。
GT-Rも、このマンションも、そして人材も。
掃除を終え、俺は窓辺に立った。
眼下に広がる東京の光。
その光の中に、くるみや隼人、マナ、そして舞たちの生活がある。
彼らの未来を守るために、俺は金を稼ぎ、力を蓄える。
それは孤独な戦いだが、決して寂しくはない。
「……25年後か。悪くない」
俺は呟き、グラスを空にした。
その時、俺の隣には誰がいるのだろうか。
今はまだ、誰とも決められない。
だが、その答えが出るまで、俺はこの世界を走り続けるだけだ。




