第37話 黄金の衣と監視された世界
中間試験という名の嵐が過ぎ去り、穏やかな日常が戻ってきた週末の朝。
俺は、リビングのソファでコーヒーを片手に、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた。
流れているのは、休日の定番であるテレビショッピング番組だ。
「奥さん、見てくださいこの切れ味! 熟したトマトも、この通りスパスパ切れます!」
実演販売士が高いテンションで包丁を紹介している。
切れ味の悪い包丁でトマトを潰してしまう「悪い例」と、自社製品で美しくスライスする「良い例」。
典型的なコントラスト法だ。
だが、この古典的な手法が購買意欲をそそるのも事実だ。
「……道具への投資は、時間の節約に直結するからな」
俺は頷きながら、手元のメモ帳に「調理器具のアップグレード」と書き込んだ。
包丁はすでにプロ仕様のものを使っているが、砥石の番手を増やすのも悪くないかもしれない。
料理は俺にとって、ビジネスの思考から離れられる貴重な瞑想の時間だ。
その質を高めることは、精神衛生上の必要経費と言える。
番組が変わり、次は健康食品の紹介になった。
青汁を飲んで「まずい! もう一杯!」と叫ぶあの有名なCMだ。
健康への関心が高まりつつあるこの時代。
サプリメントや特定保健用食品の市場は、これから拡大の一途をたどる。
ハンセン・ナチュラルへの投資も、その文脈上にある。
俺はリモコンでテレビを消し、立ち上がった。
今日は久しぶりに、何の予定もない完全なオフだ。
街へ出て、空気の入れ替えをしよう。
午後。
俺は渋谷の喧騒を避け、代官山エリアを散策していた。
おしゃれなカフェやブティックが点在するこの街は、落ち着いた大人の空気が流れている。
旧山手通りを歩いていると、オープンテラスのカフェで読書をしている女性の姿が目に入った。
早坂涼さんだ。
今日の彼女は、リネン素材の白いシャツに、カーキ色のカーゴパンツを合わせている。
ラフでボーイッシュな装いだが、それがかえって彼女の持つ本来の女性らしさ――透き通るような肌の白さや、華奢な首筋を際立たせている。
ショートカットの黒髪が初夏の日差しを浴びて輝き、伏せられた睫毛が頬に影を落としている。
その凛とした佇まいは、周囲の風景を切り取った一枚の絵画のようだ。
道行く人々、特に男性たちが、すれ違いざまに彼女を振り返っては溜息をついているのが分かる。
透明感の極致。
彼女自身は無自覚なようだが、その存在感は隠しようがない。
「……涼さん」
俺が声をかけると、彼女はページをめくる手を止め、顔を上げた。
俺を認めると、驚いたように目を丸くし、次いでふわりと柔らかく微笑んだ。
「……あ、レオ。奇遇だね」
「ええ。お勉強ですか?」
「うん。教職のレポート書いててさ。……家だと誘惑が多くて」
彼女は苦笑しながら、読みかけの専門書を閉じた。
テーブルの上には、アイスティーと書きかけのルーズリーフが置かれている。
教師を目指す彼女の努力は、着実に実を結びつつあるようだ。
俺は失礼して、向かいの席に座らせてもらった。
「試験、終わったんだろ? お疲れ」
「ありがとうございます。……涼さんの方こそ、大学生活には慣れましたか?」
「まあね。サークルの勧誘もしつこくなくなってきたし、やっと自分のペースで動けるようになってきたかな」
彼女はストローで氷をかき回した。
その横顔には、かつて路地裏で震えていた時の影はない。
自分の足で未来へ歩き出した人間の、清々しい強さがある。
「……そういえばさ。こないだ、教育実習の話を聞いてきたんだ」
「ほう。もうそんな時期ですか?」
「いや、実際に行くのはまだ先だけどね。……でも、先輩の話聞いてたら、なんかこう、ワクワクしてきてさ」
彼女は瞳を輝かせた。
「生徒と向き合うって、大変そうだけど……でも、誰かの人生に関われるって凄いことだなって。……アタシ、昔いろいろあったからさ。道に迷ってる子の気持ち、少しは分かるつもりだし」
彼女の言葉には、実体験に裏打ちされた重みと優しさがあった。
元不良という過去は、教師としての彼女にとって決してマイナスではない。むしろ、清廉潔白なだけの教師には救えない生徒を救う武器になるだろう。
「……涼さんなら、きっと生徒に慕われる良い教師になりますよ。僕が保証します」
「……何よそれ。年下のくせに生意気」
彼女は照れくさそうに笑い、頬杖をついた。
「でも、ありがと。……レオに言われると、自信つくよ」
「事実を述べたまでです」
「ふふ、そういうとこ。……ホント、可愛くないボンだねぇ」
彼女は悪戯っぽく俺を見つめた。
その視線には、姉のような慈愛と、信頼できる友人としての親愛が混じっている。
俺たちはそれからしばらくの間、他愛のない世間話を続けた。
おすすめの映画の話、最近のニュース、美味しい店の情報。
穏やかで、心地よい時間。
ビジネスの緊張感から解放された俺にとって、彼女との会話は最高の癒やしだった。
「……じゃ、アタシもそろそろ行くわ。レポート仕上げなきゃ」
「ええ。頑張ってください」
店を出て、俺たちは駅前で別れた。
手を振って去っていく彼女の背中は、颯爽としていて格好良かった。
俺もまた、彼女に負けないよう自分の道を歩まなければならない。
そう決意を新たにし、俺は夕食の買い出しへと向かった。
向かった先は、いつもの東急本店デパ地下。
今日の夕食のテーマは決まっている。
「揚げたての至福」だ。
鮮魚コーナーで、長崎県産の『ごんあじ』を見つけた。
五島灘で獲れた瀬付きのアジで、黄金色に輝く魚体は脂の乗りが抜群だ。
刺身でも絶品だが、今日はあえてフライにする。
加熱することで溶け出す脂の旨味を、衣の中に閉じ込めるのだ。
三枚におろしてもらい、中骨を丁寧に抜いてもらう。
フライの衣には、生パン粉を使う。
乾燥パン粉にはない、サクッとした軽やかな食感と、パンの香ばしさを楽しむためだ。
付け合わせは、キャベツの千切り。
愛知県産の『新キャベツ』を選ぶ。
葉が柔らかく、甘みが強いこの時期だけの味覚だ。
これを極限まで細く切り、氷水に晒してシャキッとさせる。
ソースは、ウスターソースとタルタルソースの両方を用意しよう。
タルタルには、いぶりがっこを刻んで入れて食感と燻製香をプラスする。
味噌汁の具は、新玉ねぎとワカメ。
甘い玉ねぎが、揚げ物の油をリセットしてくれる。
酒は、ビールだ。
『ヱビスビール』の瓶。
濃厚なコクと苦味が、アジフライの旨味を受け止める最強のパートナーだ。
両手に重い荷物を抱え、俺は帰宅した。
帰宅後、すぐに調理に取り掛かる。
まずはキャベツの千切りからだ。
よく研いだ包丁で、繊維を断ち切るようにリズミカルに刻んでいく。
トントントントン……。
心地よい音がキッチンに響く。
空気を含ませるようにふわっと盛り付けられるよう、力は入れない。
切ったキャベツは冷水に放ち、パリッとさせる。
次にアジの下処理。
塩胡椒を振り、余分な水分を拭き取る。
小麦粉を薄くはたき、溶き卵にくぐらせ、生パン粉をまぶす。
パン粉は押し付けず、優しく纏わせるのがコツだ。剣を立たせることで、サクサクの食感が生まれる。
揚げ油は、菜種油と太白胡麻油のブレンド。
180度に熱する。
アジを静かに投入する。
――ジュワアアァァッ……!
勢いよく泡が立ち上り、香ばしい匂いが広がる。
この音と香りだけで、ビールが飲めそうだ。
触りすぎないよう、じっと待つ。
衣が固まり、きつね色になったら裏返す。
中の水分が蒸発し、泡が小さくなり、音が軽くなる。
それが引き上げのサインだ。
バットに上げ、油を切る。
余熱で中に火を通すことで、身はふっくらと仕上がる。
味噌汁を温め直し、キャベツの水気をしっかり切って皿に盛る。
黄金色のアジフライを鎮座させれば、完成だ。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
揚げたてのアジフライから立ち上る湯気。
山盛りのキャベツ。
そして、よく冷えたヱビスビールをグラスに注ぐ。
きめ細やかな泡と、琥珀色の液体。
「いただきます」
まずは何もつけず、そのままガブリといく。
――サクッ。フワッ。
軽やかな衣の歯ごたえの後、アジのふっくらとした身が口の中で解ける。
溢れ出す脂の甘みと、青魚特有の旨味。
生臭さは微塵もない。鮮度の良さと下処理の勝利だ。
そこにビールを流し込む。
……至福だ。
喉を駆け抜ける苦味が、脂をさっぱりと洗い流し、次の一口を渇望させる。
次は、いぶりがっこ入りの特製タルタルソースをたっぷりと乗せて。
燻製の香りとピクルスの酸味、マヨネーズのコクが加わり、味が重層的になる。
ご飯が欲しくなるが、今日はビールを楽しむために我慢だ。
キャベツの千切りも、ソースをかけてモリモリと食べる。
新キャベツの甘みが、揚げ物の罪悪感を消してくれる。
味噌汁の新玉ねぎもとろとろで甘い。
完璧な定食、いや晩酌セットだ。
食事を終え、片付けを済ませた後。
俺はリビングのソファに移動し、シアターセットを起動した。
今日観るのは、試験勉強の忙しさで見る時間が無く借り直したDVDのうちの一本だ。
『トゥルーマン・ショー』だ。
ジム・キャリー主演。
主人公トゥルーマンの人生が、生まれた時から24時間365日、リアリティ番組として全世界に放送されていたという衝撃的な設定の物語。
画面の中で、トゥルーマンは「作られた世界」の中で生きている。
家族も、友人も、恋人も、すべてが役者。
空も海も、巨大なセットの一部。
彼はその事実に気づき、真実の世界を求めて脱出を試みる。
俺はビールを飲みながら、画面に見入った。
この映画は、今の俺の状況と奇妙にリンクする。
前世の記憶を持ち、未来を知る俺にとって、この1999年の世界はある種の「箱庭」のようなものだ。
株価の動きも、流行の変遷も、シナリオ通りに進んでいく。
俺はそのシナリオを知っている「役者」であり、同時にそれを書き換える「演出家」でもある。
だが、俺が接している人々――涼さんやくるみ、舞、そして隼人たち。
彼らは役者ではない。
血の通った、予測不能な感情を持つ人間だ。
俺が未来の知識を使って彼らを救うことは、彼らの人生というシナリオに介入する行為だ。
それは傲慢なのだろうか。
それとも、与えられた力を持つ者の義務なのだろうか。
映画のクライマックス。
嵐の海を越え、世界の果てにある「出口」の扉に手をかけるトゥルーマン。
番組の創造主であるクリストフとの対話。
そして、彼の最後の台詞。
『会えない時のために、こんにちは、こんばんは、おやすみ!』
彼は笑顔で一礼し、虚構の世界から現実へと踏み出した。
エンドロールが流れる中、俺は静かにグラスを置いた。
素晴らしい結末だ。
彼は安定した虚構よりも、不確かな現実を選んだ。
俺もまた、知っている未来に安住するつもりはない。
この手で新しい未来を、俺たちだけの物語を紡ぎ出すのだ。




