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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: U3


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第3話 S&P500の憂鬱と氷の女王

 新たな一週間の始まりは、抜けるような青空とともに訪れた。




 俺は、ハイヤーの後部座席で『ウォール・ストリート・ジャーナル』に目を通していた。


 紙面には、依然として過熱する米国市場の活況が踊っている。


 ドットコム企業の株価は天井知らずの上昇を続け、S&P500指数も最高値を更新する勢いだ。世間はこれを「ニュー・エコノミーの到来」と称賛し、誰もが米国株インデックスへの全力投資こそが正解だと信じている。




「……正気じゃないな」




 俺は小さく息を吐き、新聞を閉じた。


 確かに今は上昇トレンドだ。だが、この熱狂の宴は長く続かない。来年、2000年の春にはITバブルが弾け飛び、ナスダックは暴落する。


 もし今、S&P500などのインデックスに長期保有目的で全力投資すれば、その後10年間にわたって含み損を抱え続ける「暗黒の2000年代」を耐え忍ぶことになるだろう。


 長期投資は勝者の戦略だが、エントリーのタイミングを間違えれば地獄を見る。


 俺のポートフォリオは既にディフェンシブ銘柄へのシフトを済ませてある。今は高みの見物といこう。




「玲央様、到着いたしました」




 運転手がドアを開ける。


 降り立ったのは、都内屈指の名門校・私立桜花学園高等部の正門前だ。


 満開の桜並木が、新入生たちを歓迎するかのように花弁を散らしている。


 今日が入学式。


 俺の、そして原作の物語が本格的に始まる日だ。




 1年A組の教室は、特有の初々しい緊張感と喧騒に包まれていた。


 俺は指定された席に座り、周囲を観察する。


 クラスメイトたちは、これから始まる高校生活への期待に胸を膨らませているようだが、俺にとっては精神年齢とのギャップに耐える忍耐の場でもある。




 ふと、教室の前方で騒がしい声が上がった。




「やったなマナ! 俺たち、高校でも同じクラスだぜ!」


「……うん、そうだね。偶然ってすごいね」




 視線を向けると、そこには原作の主人公・日向翔太と、メインヒロインの桜木マナがいた。




 日向は、どこにでもいそうな茶髪の少年だ。人懐っこい笑顔を浮かべているが、その瞳には相手の心情を察する深みがない。


 対する桜木マナは、ハッとするような愛らしさを持っていた。


 ショートボブの黒髪が健康的に弾み、大きな瞳はリスのように愛嬌がある。少し短めのスカートから伸びる脚は健康的で、ルーズソックスがよく似合っていた。クラスの男子の半数は、すでに彼女に目を奪われているだろう。




 だが、その表情は少し曇っていた。




「高校でもマナが一緒で安心したよ。俺、ネクタイ結ぶの苦手だしさ。これからも頼むな!」


「えっ……」


「ほら、部活も何入るか決めようぜ? 俺はマナがマネージャーやる部活にしようかなー、なんて」




 日向は屈託なく笑い、マナの肩に気安く手を回そうとする。


 マナは反射的に身を引いた。




「……翔太、近いよ。それに私、高校では自分のやりたいこと見つけたいから……」


「えー? マナのやりたいことって、俺の世話係だろ? 昔からそうじゃん」




 悪気のない、純度100%の無神経。


 マナの眉間に、微かな不快感の皺が刻まれるのを俺は見逃さなかった。


 彼女は実家の洋食屋を手伝うしっかり者だ。高校生になり、精神的にも自立しようとしている少女に対し、「世話係」というレッテル貼りは致命的だ。




(……なるほど。これが『逆効果』というやつか)




 俺は声をかけることなく、静かにその光景を見ていた。


 原作なら、ここで二人の仲睦まじい姿が描かれるはずだが、現実のマナは明らかに翔太の幼稚さに疲弊し始めている。


 俺が介入するまでもない。このまま放置しておけば、自滅するのは時間の問題だろう。


 とはいえ、彼女があまりに不憫なら、いずれ手を差し伸べる必要はあるかもしれないが。




 入学式は、厳粛な雰囲気の中で執り行われた。


 理事長の長い祝辞が終わり、司会者が声を張り上げる。




「続きまして、新入生代表挨拶。西園寺玲央くん」




 名前を呼ばれ、俺は席を立った。


 全校生徒の視線が背中に突き刺さるのを感じながら、壇上へと上がる。


 マイクの前に立ち、一礼。


 母直伝のポスチャーと視線誘導で、講堂内の空気を掌握する。




「……柔らかな春の日差しに包まれ、私たちがこの桜花学園の門を叩く日を迎えられたことを、心より光栄に思います」




 用意された原稿など読むつもりはない。


 俺は会場を見渡し、言葉を紡いだ。




「世紀末と呼ばれるこの時代、世界はかつてない速度で変革を続けています。IT革命による情報の民主化、グローバル経済の加速。……私たちは、過去の常識が通用しない不確実な未来へと足を踏み入れようとしています」




 15歳の少年の口から出るには、いささか早熟すぎる内容かもしれない。


 だが、俺はあえて視座の高い言葉を選んだ。


 単なる優等生の挨拶ではない。これからこの学園で、そして社会で実権を握る「プレイヤー」としての宣戦布告だ。




「しかし、恐れることはありません。知性という羅針盤と、友という航海図があれば、どのような嵐も乗り越えられるはずです。……この学園での三年間が、私たちにとって未来を切り拓くための礎となることを誓い、挨拶とさせていただきます」




 一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が講堂を揺らした。


 女子生徒たちからの熱っぽい視線と、一部の男子生徒――特に日向翔太からの、得体の知れないものを見るような視線を感じる。


 俺は完璧な角度で一礼し、壇を降りた。




 式が終わり、生徒たちが教室へ戻るため廊下へと溢れ出した。


 俺も人の波に乗りながら、ふと胸ポケットに手をやる。


 ない。


 生徒手帳だ。先ほど壇上に上がる際、少し位置を直したときに落としたのかもしれない。




 少し戻ろうとして踵を返した、その時だった。




「きゃっ……!」




 角を曲がってきた女子生徒と、ぶつかりそうになった。


 俺は反射的に身を引き、同時に相手がバランスを崩さないよう、咄嗟に手を差し伸べることなく距離を取った。触れれば失礼になる距離感だ。




「……あ、すみません。大丈夫ですか?」




 俺は立ち止まり、深く頭を下げた。


 顔を上げると、そこに立っていたのは、息を呑むほど美しい少女だった。




 艶やかな黒髪のロングヘア。


 日本人離れした彫りの深い顔立ちと、意思の強さを宿した大きな瞳。


 制服の着こなし一つとっても、まるでオートクチュールのドレスを纏っているかのような気品が漂っている。


 彼女がそこにいるだけで、学校の廊下が王宮の回廊に見えるほどの圧倒的な存在感。




 ――霧島セイラ。


 2年生の先輩であり、生徒会副会長を務める「学園の女王」だ。




 彼女の足元には、俺が探していた黒い革張りの生徒手帳が落ちていた。


 俺が拾い上げようとすると、彼女の白く細い指が先にそれに触れた。




「……これ、貴方の?」




 鈴を転がすような、しかし氷のように冷ややかな声。


 彼女は生徒手帳を拾い上げると、俺に渡す前に、俺の全身をジロリと一瞥した。


 視線が、俺の腕元にあるパテック・フィリップの時計で止まる。


 さらに、オーダーメイドで仕立てた制服の生地、磨き上げられた革靴へと視線を滑らせる。




「……ふん」




 彼女は鼻で笑った。


 それは明確な侮蔑を含んでいた。




「廊下は社交場ではありませんよ、新入生くん。……成金趣味を見せびらかしたいなら、他所でやってくださる?」




 彼女は生徒手帳を、俺の胸に押し付けるように返した。


 その瞳には、富める者に対する嫌悪と、それ以上の何か――おそらくは彼女自身のプライドに由来する敵対心が燃えている。




「……すみません。気をつけます、霧島先輩」




 俺は感情を波立たせることなく、恭しく一礼した。


 彼女が俺の名前を知らなくても、俺は彼女を知っている。


 霧島家。かつての名門華族だが、現在は父親の事業失敗により没落の危機に瀕している家だ。


 彼女が「成金」を嫌う理由は、そこにあるのだろう。誇り高い彼女にとって、金で物事を解決するような手合いは、自身の家の現状と比較して最も許しがたい存在なのかもしれない。




「名前……知っているのね」




 セイラ先輩は少し意外そうに眉を上げたが、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。




「以後、気をつけなさい。……目障りよ」




 冷たく言い放ち、彼女は長い髪を翻して去っていった。


 その背筋はピンと伸びて美しかったが、どこか張り詰めた糸のような危うさを感じさせた。




「……なるほど」




 俺は戻ってきた生徒手帳の埃を払いながら、苦笑した。


 だが、嫌いではない。


 あのプライドの高さは、逆境に立たされた時こそ輝く。


 今はまだ俺を敵視しているようだが、彼女の抱える問題――霧島家の負債については、既に調査済みだ。


 いずれ、彼女がそのプライドを折られそうになった時、手を差し伸べるのは「精神論」を語る子供ではなく、「実利」を提示できる大人であるべきだ。

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