第四話:最初の襲撃と魂の残滓
イザベラの常軌を逸した「感情筋トレ」は、夜間にも及んだ。「恐怖という感情を克服するためには、闇に慣れるのが一番ですわ!」という、彼女の完璧な理論(と本人は信じているもの)に基づき、リリアとの実戦形式の組手が行われているらしい。執務室の窓から聞こえるイザベラの檄に、私の頭痛は深くなる一方だった。
そんな、奇妙に歪んだ平穏が破られたのは、突然のことだった。
けたたましい警鐘の音。それと同時に、執務室の窓ガラスが轟音と共に砕け散り、黒装束の男が蛇のような俊敏さで侵入してきた。その首筋には「二つ頭の蛇」の紋章。
「――ッ!」
私が指先に絶対零度の魔力を集束させるよりも早く、執務室の扉が蝶番ごと吹き飛んだ。
「ごきげんようですわ、セレスティーナ様! お客様のようですわよ!」
イザベラが、まるで救国の英雄のように、しかしその実、祭りではしゃぐ子供のように、部屋に飛び込んできた。
刺客がイザベラの存在に一瞬怯んだ隙に、私は万全の迎撃態勢を整える。
「あなたは、『二つ頭の蛇』とかいう、悪の組織から遣わされた、最初のイベントモンスターですわね?」
イザベラの意味不明で、場違いな問いかけが、刺客の注意を一瞬、完全に彼女へと向けさせた。その一瞬の隙は、私にとって決定的な好機となる。感謝はしていますわ、イザベラ様。ほんの少しだけ。
「イザベラ様、お下がりなさい! 私が対処します!」
私の声は、絶対零度の冷気を帯びて響く。私の周囲の空気が凍てつき、無数の氷の刃が形成される。この距離、この状況ならば、確実に仕留められる。そう確信した、その時だった。
私の魔法が放たれる、その刹那。
一つの影が、私の前に滑り込んだ。
音もなく。感情もなく。ただ、完璧な、合理性だけで。
リリアだった。
彼女は、恐怖も躊躇もなく、その細い左腕で、刺客が振り下ろした短剣を真正面から受け止めた。
ザシュッ、という、肉を抉る生々しい音。
純白のエプロンが、見る間に赤黒い血で染まっていく。
「リリアッ!」
なぜ。どうして。
私の悲鳴に呼応するように、練り上げていた魔力が霧散した。
しかし、リリアは表情一つ変えなかった。彼女は腕に突き刺さった短剣を、逆に腕の筋肉で締め上げて刺客の動きを封じ込める、痛みを感じさせない、余りに非人間的な動き。そして、空いていた右手が鞭のようにしなり、刺客の無防備な首筋に寸分の狂いもなく叩き込まれた。
ゴッ、という鈍い音。刺客の男は白目を剥くと、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
私は、駆け寄っていた。ぐらりと傾いだその体を、夢中で抱きしめる。
「リリア、しっかりして!」
腕からは、おびただしい量の血が流れ続けている。一刻も早く止血しなければ。
私は、自らが纏うドレスの、絹のスカートを、力任せに引き裂く。ビリ、という派手な音を立てて破れた布地で、私はリリアの傷ついた腕を、きつく、きつく縛り上げた。
手当てを終え、私が安堵の息をついた、その時だ。
私の頬に、何かが触れようとする、微かな気配がした。
視線を落とすと、リリアの指先が、ほんの僅かに痙攣しているのが見えた。それはまるで、私の頬に触れようとしているかのようだった。
「……!」
きっと、これは無意識の物理反射に過ぎないのだろう。腕の筋肉が、傷の痛みに反応しただけの、意味のない動き。
けれど、私には、そうは思えなかった。
この動きは、魂を失ったはずの彼女の中に、まだ、何かが残っている証。
かつて、私が悲しみに暮れていた時、彼女がそっと私の涙を拭ってくれた、あの優しい指先。その記憶が、鮮やかに蘇る。
彼女の魂が遺した、「守る」という意志の残滓。
私はそこに、確かなそれを見出したのだ。
堪えきれずに、涙が頬を伝った。一筋、また一筋と、温かい雫が、リリアの冷たい指先に落ちていく。
絶望の淵に差し込んだ、あまりにも微かな、けれど確かな希望の光。
(リリア…)
私は、彼女の指をそっと握りしめ、固く、固く誓った。
(あなたを、必ず取り戻してみせる)
この微かな希望が、私を次なる行動へと、力強く駆り立てていた。
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