第三十六話:あなたの名を呼ぶ
吹雪の山小屋を後にして、私たちの「けじめの旅」は、いよいよ最後の場所へと向かっていた。
旅の終着点。
ヴァイスハルト家の王都の屋敷。その書斎。
私とあなたが初めて出会った、始まりの場所。
書斎の中は、あの頃と何も変わっていなかった。
壁一面を埋め尽くす父様の蔵書。革と古い紙の匂い。そして窓から差し込む、穏やかな西日。
私の手には、一枚の羊皮紙の切れ端が握りしめられていた。
リリアが自らの魂を代償とする儀式の際に使った、「日記」の破れたページ。彼女の決意の証だ。
私はその紙片を見つめ、そして隣に立つリリアの横顔を見上げた。
この旅で、私は多くのことを語りかけてきた。
温室では、感謝と過去への別れを。
山小屋では、未来への新しい誓いを。
けれど、たった一つだけまだ伝えられていない言葉があった。
私の心の一番奥底にある、ありのままの想い。
それを伝えることが、この旅の本当の終わりなのだろう。
私はリリアの両肩にそっと手を置いた。そして、その硝子玉のような瞳を真っ直-ぐに見つめる。
「この想いが、あなたを苦しめるのかもしれない」
私の声は、僅かに震えていた。
「今のあなたにこの言葉を伝えることは、ただの私の自己満足でしかないのかもしれない。それでも」
それでも、私は伝えなければならない。
「わたくしは、あなたが好きよ、リリア」
過去のあなたも。
心を失った、今のあなたも。
その全てを含めて。ただ一人の人間として、あなたを愛している、と。
言った。
ついに、言ってしまった。
もうこの胸の中に、隠しておく言葉は何一つない。
私は返事を期待してはいなかった。
彼女が応えてくれるはずなどないと、分かっていたから。
書斎に静寂が落ちる。
私はただ穏やかな気持ちで、彼女の瞳を見つめ続けていた。
私の告白は、この静寂の中にただ溶けて消えていく。
それで良かった。
そう、思っていた。
彼女のその瞳から、一筋の雫が零れ落ちるまでは。
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