第二十一話:魔女の誘惑
その夜、私は、ゲルダの家の一室で、全く眠れずにいた。
リリアは、隣のベッドで、相変わらず穏やかな寝息を立てている。
私の両手は、怒りで、微かに震えていた。
絶望ではない。恐怖でもない。ただ、どこまでも冷たい、燃え盛るような怒りだった。
アザレア。律章復興派。そして、魔女ネヴァン。
私の悲劇も、リリアの犠牲も、全ては、退屈した魔女が描いた、戯曲の一場面に過ぎなかったというのか。
ふざけるな。
私たちの運命を、物語の駒のように弄ぶなど、決して許さない。
リリアを救い出し、そして、この世界の歪みを仕組んだ者たちに、必ず、一矢報いてみせる。
その、氷の闘志が、私の全身に満ちた、その時だった。
ふと、意識が、現実から切り離される感覚に襲われた。
気づくと、私は、ゲルダの家ではない、全く別の場所に立っていた。周りには、何もない。ただ、どこまでも続く、灰色の空間。夢だ。
「あらあら、ずいぶんと、お怒りのご様子ね。ヴァイスハルトの氷の姫君」
声のした方を振り返ると、そこに、一人の女が立っていた。
黒いドレスを身に纏い、その顔には、全てを嘲笑うかのような、妖艶な笑みが浮かんでいる。
第六の魔女、ネヴァン。
「その闘志、とっても素敵よ。物語の主人公は、そうでなくちゃ。けれどね、そんなに、難しい顔ばかりしていては、可憐なお顔が、台無しになってしまうわ」
ネヴァンは、くすくすと、鈴を転がすように笑う。
「だから、あなたに、もっと簡単な、別の筋書きを、用意してあげようと思って」
「…何が言いたいの」
「あなた、あの侍女の心を、元に戻したいのでしょう?」
ネヴァンは、私の心の最も柔らかな部分を、正確に、突き刺してきた。
「あのお人形…アザレアの力を使えば、簡単なことよ。時間を、少しだけ、巻き戻してあげる。あの娘が、心を失う、〝前〟の、あの幸せな一日に、ね」
その言葉は、悪魔の囁きだった。
あまりにも、甘美で、抗いがたい、誘惑。
私の罪も、リリアの犠牲も、全てが、なかったことになる。
「どうかしら? 憎しみに身を焦がして、先の見えない戦いに身を投じるより、ずっと、素敵な結末だと思わない?」
ネヴァンは、私の心の揺らぎを、心底、楽しむように、その唇を、三日月のように歪ませた。
「あなたの望む、完璧なハッピーエンドを、わたくしが、用意してあげましょう、と言っているのよ」
灰色の夢の世界で、私は、ただ、立ち尽くす。
目の前にいるのは、全ての元凶である、憎むべき魔女。
けれど、その魔女が差し出す救いの手は、あまりにも、あまりにも、魅力的だった。
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