第8話
クレアとロット、ふたりの子どもとして赤ちゃんを育てる?
「お、落ち着いてください、ママさん。ゴッちゃんは『ママだいすき』って言ってたじゃないですか。ゴッちゃんはママと離れたくないはずですよ!」
ロットが慌てて赤ちゃんのママをなだめる。クレアもロットの隣でうんうんとうなずいた。
けれど、ママは暗い表情で、離乳食のトマトソースパスタを見つめている。
「でも、こんなにおいしそうな離乳食でも、私があげたんじゃ食べてくれないんです。おふたりなら上手に食べさせることができるのでは……」
「あうー! ぶー!」
赤ちゃんがテーブルをばんばん叩きだした。
赤ちゃんを膝の上に乗せているママは「ダメ!」と赤ちゃんを叱る。ママは今にも泣いてしまいそうだ。
その様子を見て、赤ちゃんとママのすぐ横の椅子に座っていたマークが首を傾げた。
「あのね、ゴッちゃんはこれ、たべないとおもうよ?」
大人たちは全員きょとんとしてしまう。
そんな中、赤ちゃんだけは「おー!」と力強い声をあげていた。なぜか、小さな拳まで振り上げている。
マークは続けて言った。
「だって、これ、トマトがはいってるでしょ。ゴッちゃん、トマトきらいだもん」
クレアとロットが揃ってママへと視線を向けると、ママは「知らなかったです」と首を振った。
マークはえっへんと胸をはり、得意気な顔で言う。
「ゴッちゃんはヨーグルトがすきなの。ヨーグルトならたべるはずだよ!」
マークの言うとおりにヨーグルトを用意してみる。
ママが赤ちゃんの口にヨーグルトを運ぶと、赤ちゃんは大喜びで食べた。ママの顔を見上げ、可愛らしい口を大きく開けて、早く早くと次の一口をねだるほどの勢いだ。
赤ちゃんが拒否していたのは、ママではなくトマトだったらしい。
それにしても、手の込んだ離乳食よりも買ってきただけのヨーグルトの方が食いつきがいいなんて、少し切ない。
赤ちゃんのママは、ここでようやくマークが赤ちゃんの言葉を通訳できることを信じたらしかった。
けれども、赤ちゃんを自分の手で育ててもいいのか、まだ迷っている。
いつものクレアだったら、こんな風に困っている人を見ても、自分には何もできないと見て見ぬふりをするだろう。
でも、今は隣にロットがいる。
だから、クレアは勇気を出して言ってみる。
「あの、ママさん。ゴッちゃんはやっぱりママさんと一緒にいるのがいいと思います。もし、ゴッちゃんの世話が大変だなと思うときがあったら、この食堂に来てください。私がお手伝いしますから。……私、弟が赤ちゃんだったときからずっと世話をしてますし、慣れてるので」
「でも……」
遠慮がちなママに、ロットも明るい声で言う。
「大変なときは俺も手伝います。あ、遠慮とかいらないですよ? 俺がゴッちゃんと遊びたいだけなので。ほら、俺とゴッちゃんはもう友達だし」
赤ちゃんが賛同するように「きゃーい!」と歓声をあげた。
さらにマークまで「ぼくもゴッちゃんのおともだちだよ!」とにこにこ笑いながら言った。
赤ちゃんのママは、ふわっと表情を緩める。
「ゴッちゃんは誰とでもすぐにお友達になれるのね。そういうところ、パパそっくり。……パパがここにいたら、きっとゴッちゃんを手放すなんて反対すると思います。それに、私も、ゴッちゃんと一緒にいたいから」
ママが赤ちゃんをぎゅっと抱きしめて、まっすぐに前を向いた。
「私、もう一度、ゴッちゃんのママとして頑張ってみます。だから、また子育てにくじけそうになったときは、力を貸していただけますか……?」
「もちろん!」
よかった。これで一件落着だ。
クレアとロットは揃って胸を撫でおろした。
*
昼食後、赤ちゃんのママは何度も頭を下げながら、赤ちゃんと一緒に家に帰っていった。
食堂の前に立ち、その後ろ姿を見送りながらロットがつぶやく。
「さっき、クレアがママさんに『お手伝いします』って言ったの、ちょっとびっくりした。あんな風に自分から言い出すの、珍しいよな?」
「うん。私もロットみたいに困ってる人を助けられたらいいなって思ったから、勇気出してみた。それに、ロットがそばにいてくれるなら、なんとかなりそうな気がしたし」
隣に立つロットを見上げ、クレアは笑ってみせる。
「あのね、ロット。私、いつも思ってるよ。困ってる人を助けるロットは、『すごくかっこいい』って」
ロットがはっと息をのみ、それからじわじわと頬を赤く染めた。
「ちょっ……クレア、その不意打ちはさすがに照れるって!」
「ふふっ」
告白のときは倍以上の熱量の告白が返ってきたことだし、これくらいはクレアからもお返ししたっていいと思う。
ロットはしばらく照れ臭そうにそわそわしていたけれど、ふと動きを止めた。
「そういえば、ゴッちゃんの本名を聞くの忘れたな……」
「あ、本当だ。うっかりしてたね」
「うわあ、俺、気になってしょうがないんだけど!」
クレアとロットが騒いでいると、マークがふたりの間にひょこっと入ってきて、さらりと告げた。
「ゴードン」
「……え?」
「ゴッちゃんのおなまえ。ゴードン」
言うべきことを言ってスッキリしたのか、マークはあくびをしながら食堂の中へと戻っていった。残されたクレアとロットは目を合わせ、ふたり同時にぷっと吹き出す。
今はまだ、全く想像ができないけれど。
あの可愛らしい赤ちゃんは、いつかきっとその名前が似合うような強くて凛々しい男性へと成長をとげるのだろう。
ひとしきり笑って、クレアも食堂へと戻ろうとしたとき、ロットが何か思いついた様子で手招きした。
クレアはロットのあとを追いかけて、食堂の横にある細い路地に入る。
建物の影になっている路地は、食堂の前と違って静かで、涼しい風が吹いていた。
ロットは細い路地の真ん中で立ち止まる。
「どうしたの、ロット?」
クレアは不思議に思いながら、ロットに近付いた。
ロットの隣に立ったその瞬間、彼が顔を寄せてくる。
さらに、ちゅっという音とともに、クレアの頬に柔らかなものが当たった。
「え?」
頬にキスされた?
クレアがキスされた頬に手を当てると、ロットはいたずらが成功したときの子どもみたいな顔をして笑っていた。
「ほら、『ちゅーはしないの?』って、ゴッちゃんが楽しみにしてたからさ」
「今、ゴッちゃんいないのに!」
「またゴッちゃんと会ったときに報告するよ。ちゃんと『ちゅーした』って」
なにそれ!
ああ、もう、頬がものすごく熱いんですけど!
クレアはロットから顔をそむけつつ、覚えてなさいよ、と心の中で叫ぶ。
次はこっちからキスしてやるんだから!
そのとき、ロットはどんな反応をするだろう。
クレアはロットの反応をいろいろ想像して、そのときが今から楽しみだなと微笑んだ。
このお話はこれで完結です。
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